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保健室の恋人  作者: 実月アヤ
ep.4 夏を待つひと
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希み side水瀬・2

 養護教諭になって何ヶ月目かに、冴木が俺に会いに来た。珍しいこともある。


「生徒が、死んだ」


 病院の屋上で、俺と並んで立った冴木がポツリと言って、片手で額を押さえた。

 そして話し出す。水樹桜という、生徒のことを。

 俺は黙って聞いていた。


 医者であれば、当然人の死に直面することはある。慣れるかどうかは別としても、避けて通れない分、覚悟はしてる。

 教師になった冴木に、それが追ってくるとは思わなかった。そりゃ保健室の先生なんだから、無関係にはなれないだろうけど。

 子供の頃に両親を失った冴木は、自分で思うより『喪う怖さ』に敏感だ。

 ……ここらへんは俺の方がコイツを理解してるはず。で、冴木もそれを認識している。だから俺のとこに来るんだよな。

 冴木がコンクリートの張り出しに座り、煙草を取り出したが、火を着けずに握りしめた。俺は冴木の背中に自分の背中をくっつけて寄りかかる。

 涙は見られたくないだろうし、……俺も見たくないから。


「冴木……早く現れるといいな。お前を救い出してくれる子」

「……恥ずかしいこと、言うね」

「そこはありがとうございます、天才美形医師の水瀬陸様、でしょ」

「言ってろ」


 そして、それは意外にすぐにやってきた。



 突然のことだった。

 担当時間でも無いのにいきなり呼び出されて、ご指名ってここはそーゆー店じゃねーぞーと思いつつ、最大限の猫を被って仮眠室から出れば。緊急搬送されて来た患者は、冴木玲一だった。


「あなたねぇ、救急車で運ばれるのに、病院から担当医まで指名する患者なんて居ませんよ」


 救命士が呆れて言った。俺も激しく同感なんですけど。


「冴木、そんなに俺に診てもらいたいの?」

「もし手術になって、失敗しても、お前ならためらいなく訴えられるからな」


 そんな理由で管轄外まで来させられた救急隊員も、さぞ困ったことだろう。

 けれど冴木は、老若男女もしかしたら犬猫すら陥落できそうな程、完璧に綺麗な微笑みを浮かべて、救急隊員に謝る。


「ご迷惑お掛けして、すみません」


 その笑顔でチャラにする気だな。こいつ本当は俺以上に二重人格じゃねぇ?


 何事かよくわからないが、とにかく怪我を診て、冴木に検査を受けさせた。

 どうやら学校内で一悶着あって誰かに襲われたとか。後に水樹桜絡みの事件だと知ったが、その時はそんなことを話す暇も無く。

 当の冴木は頭から流血してるにも関わらず冷静で、付き添ってきた制服の女子高生のほうが真っ青な顔をしていた。


「冴木先生……ごめんなさい!私を庇ったせいで」


 涙を零す彼女。冴木が身を起こしてその長い髪を撫でた。


「遥、お前が無事で良かったよ」


 あ。

 俺は気付いた。


 あの“壁”がない。

 冴木、お前今、自分がどんな顔してその子を見つめてるか、わかってる?

 歴代の彼女達とも、レナさんや泉先生とも違う。

 ああ、その子なんだな。お前が待っていたのは。

 良かった。良かったな。


 そんな想いが頭を占めて、浮かれた俺はつい「お嬢さん、可愛いね!メルアド教えて?」と宣って。……冴木に叩かれた。



 遥ちゃんと居る冴木は幸せそうで。淋しいくらい、羨ましいくらいで。

 だけど何よりも、俺は嬉しかったんだ。



「水瀬?」


 冴木は保健室の扉を開けて、未だそこにいた俺に驚いた様子だった。


「暇なの?」

「なわけねぇじゃん。夕方からオペが二件……」


 煙草を取り出しかけて、ふと手を止めた。


「俺もやめよっかな」


 冴木が遥ちゃんの為に煙草を止めたのを思い出して、つい言ってみる。


「お前には無理」


 彼がクスリと笑って、デスクから銀色のジッポを取り出した。


「やるよ。もう使わないから」


 放り投げられたそれをキャッチして。一応聞いてみる。


「元彼女のプレゼントじゃないだろーね」


 それはさすがに遠慮したい。

 冴木は苦笑を入り混ぜた微笑みで答えた。


「父のだよ」


 それって、形見?


「そんな大事なもん、貰っていいわけ?」

「他にやる奴も思いつかないしな。義兄は煙草吸わないし」


 親友の言葉に、自分の頬がふ、と緩むのを感じる。

 嬉しいけれど、素直に伝えるような仲でもない。軽口で返した。


「これじゃ煙草やめられないじゃん……」

「お前が肺ガンになったら俺が執刀してやるよ」


 そんときになって手遅れだったらどーすんだよ、と思ったけど。冴木に任せときゃ大丈夫な気がするから、まあいいか。

 あまりにも冴木が柔らかく笑っているのを見て、俺も今度こそ心から笑った。


 これも遥ちゃん効果ですかね~?


 ジッポの蓋をパチンと開ければ。澄んだ金属音が保健室に響き渡った。



 玲一が自宅に戻ると。

 夕暮れのリビングで窓からの風に、カーテンとソファでうたた寝をする彼女の髪が揺れる。


「遥」


 サラサラと流れる髪をすくい上げて、くちづけた。


 あのとき。

 溺れた生徒を救助した時、遥が何を思うかなんて考えなかった。当然といえば当然だが。

 病院に搬送され、心配無いと診断が出てから、やっと水瀬が突然言った、『代わって』の意味に気付いた。


 水瀬には感謝している。玲一が自分で気付いて言い出していたら、多分遥はもっともっと自分を責めていただろうから。本当は一番に気付いてやれなかったことが、悔しくもあったけど。

 誰が悪いわけでもない。ただ色々なタイミングが重なっただけ。けれど遥には、気に病んで欲しくない。


「遥……お前は、俺の希みなんだよ」


 水瀬に見抜かれた、希望。

 愛しくて、たまらない。自分でも制御出来ない程。


「アイツの阿呆っぷりを笑えないな……」


 手を伸ばして、触れたくて。閉じ込めてしまいたくて。


「……ん、おかえりなさい」


 彼女にキスすれば、起こしてしまったようだ。けれど玲一は止まらない。

 深くキスをしながら、遥と指先を絡めた。こうすれば、彼女が安心するのを知ってるから。


「玲一……ごめんなさい」


 小さく囁かれた言葉。そんなのはいらない。欲しいのは。


「愛してる……」


**


「でぇ?水泳の授業は黙認なわけ?」


 水瀬が面白そうに携帯の向こうの玲一へ問う。


『当たり前だ。授業なんだから』


 玲一の呆れ顔が目に浮かぶ。いや、ちょっと機嫌良い感じ?


「……何したの、冴木」

『別に?』


 白々しく響く声。


「あ、わかった。授業受けるのは我慢するから、代わりに二人で海行こうとか約束させたんだろ」


 玲一がしばらく沈黙する。


『……水瀬、俺のストーカーとかしてるの?』


 図星か。この隠れエロ教師め。


「冴木の考えてることなんてだいたいわかるよ、長い付き合いなんだから」

『お前は俺の嫁か。悪いけどそのポジションは予約済み』


 嫌そうに言われた言葉。まったく不遜な物言いに、苦笑しか返せない。


「ついでに冴木がリクエストしそうなのも当ててやろうか。まずはビキニでしょ、で他のヤローに見せたくないからキャミとかパーカーとか着せちゃうわけだよね。んでビーチで膝乗せ抱っこしたりして」

『……お前は俺の観察日記でもつけてるの?もしくは国を挙げての研究でもしてるの?』


 さすがにドン引きしたのか、どんどん声が恐くなる玲一に、水瀬はあははと笑ってやり過ごしていたが。


『俺もお前のこと、一つだけわかるけど』


 玲一の言葉に興味を惹かれた。


「なに?」


 電話の向こうで、ふ、と笑う気配がする。


『俺のことが大好きなんだよな』


 思わず、口がぱかんと開いた。


『で、今は病院の屋上で、少ない休憩時間を俺との電話に消費してると。……人のことばっか世話して、損してんじゃねぇよ、馬鹿』


 心配なら素直に言えば良いのに。世話焼きなのは、どっちがだ。


「さすがだね、親友」


 水瀬は楽しそうに笑って、煙草を消した。

 まだまだ腐れ縁は続きそうだ――。

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