希み side水瀬・2
養護教諭になって何ヶ月目かに、冴木が俺に会いに来た。珍しいこともある。
「生徒が、死んだ」
病院の屋上で、俺と並んで立った冴木がポツリと言って、片手で額を押さえた。
そして話し出す。水樹桜という、生徒のことを。
俺は黙って聞いていた。
医者であれば、当然人の死に直面することはある。慣れるかどうかは別としても、避けて通れない分、覚悟はしてる。
教師になった冴木に、それが追ってくるとは思わなかった。そりゃ保健室の先生なんだから、無関係にはなれないだろうけど。
子供の頃に両親を失った冴木は、自分で思うより『喪う怖さ』に敏感だ。
……ここらへんは俺の方がコイツを理解してるはず。で、冴木もそれを認識している。だから俺のとこに来るんだよな。
冴木がコンクリートの張り出しに座り、煙草を取り出したが、火を着けずに握りしめた。俺は冴木の背中に自分の背中をくっつけて寄りかかる。
涙は見られたくないだろうし、……俺も見たくないから。
「冴木……早く現れるといいな。お前を救い出してくれる子」
「……恥ずかしいこと、言うね」
「そこはありがとうございます、天才美形医師の水瀬陸様、でしょ」
「言ってろ」
そして、それは意外にすぐにやってきた。
突然のことだった。
担当時間でも無いのにいきなり呼び出されて、ご指名ってここはそーゆー店じゃねーぞーと思いつつ、最大限の猫を被って仮眠室から出れば。緊急搬送されて来た患者は、冴木玲一だった。
「あなたねぇ、救急車で運ばれるのに、病院から担当医まで指名する患者なんて居ませんよ」
救命士が呆れて言った。俺も激しく同感なんですけど。
「冴木、そんなに俺に診てもらいたいの?」
「もし手術になって、失敗しても、お前ならためらいなく訴えられるからな」
そんな理由で管轄外まで来させられた救急隊員も、さぞ困ったことだろう。
けれど冴木は、老若男女もしかしたら犬猫すら陥落できそうな程、完璧に綺麗な微笑みを浮かべて、救急隊員に謝る。
「ご迷惑お掛けして、すみません」
その笑顔でチャラにする気だな。こいつ本当は俺以上に二重人格じゃねぇ?
何事かよくわからないが、とにかく怪我を診て、冴木に検査を受けさせた。
どうやら学校内で一悶着あって誰かに襲われたとか。後に水樹桜絡みの事件だと知ったが、その時はそんなことを話す暇も無く。
当の冴木は頭から流血してるにも関わらず冷静で、付き添ってきた制服の女子高生のほうが真っ青な顔をしていた。
「冴木先生……ごめんなさい!私を庇ったせいで」
涙を零す彼女。冴木が身を起こしてその長い髪を撫でた。
「遥、お前が無事で良かったよ」
あ。
俺は気付いた。
あの“壁”がない。
冴木、お前今、自分がどんな顔してその子を見つめてるか、わかってる?
歴代の彼女達とも、レナさんや泉先生とも違う。
ああ、その子なんだな。お前が待っていたのは。
良かった。良かったな。
そんな想いが頭を占めて、浮かれた俺はつい「お嬢さん、可愛いね!メルアド教えて?」と宣って。……冴木に叩かれた。
遥ちゃんと居る冴木は幸せそうで。淋しいくらい、羨ましいくらいで。
だけど何よりも、俺は嬉しかったんだ。
*
「水瀬?」
冴木は保健室の扉を開けて、未だそこにいた俺に驚いた様子だった。
「暇なの?」
「なわけねぇじゃん。夕方からオペが二件……」
煙草を取り出しかけて、ふと手を止めた。
「俺もやめよっかな」
冴木が遥ちゃんの為に煙草を止めたのを思い出して、つい言ってみる。
「お前には無理」
彼がクスリと笑って、デスクから銀色のジッポを取り出した。
「やるよ。もう使わないから」
放り投げられたそれをキャッチして。一応聞いてみる。
「元彼女のプレゼントじゃないだろーね」
それはさすがに遠慮したい。
冴木は苦笑を入り混ぜた微笑みで答えた。
「父のだよ」
それって、形見?
「そんな大事なもん、貰っていいわけ?」
「他にやる奴も思いつかないしな。義兄は煙草吸わないし」
親友の言葉に、自分の頬がふ、と緩むのを感じる。
嬉しいけれど、素直に伝えるような仲でもない。軽口で返した。
「これじゃ煙草やめられないじゃん……」
「お前が肺ガンになったら俺が執刀してやるよ」
そんときになって手遅れだったらどーすんだよ、と思ったけど。冴木に任せときゃ大丈夫な気がするから、まあいいか。
あまりにも冴木が柔らかく笑っているのを見て、俺も今度こそ心から笑った。
これも遥ちゃん効果ですかね~?
ジッポの蓋をパチンと開ければ。澄んだ金属音が保健室に響き渡った。
*
玲一が自宅に戻ると。
夕暮れのリビングで窓からの風に、カーテンとソファでうたた寝をする彼女の髪が揺れる。
「遥」
サラサラと流れる髪をすくい上げて、くちづけた。
あのとき。
溺れた生徒を救助した時、遥が何を思うかなんて考えなかった。当然といえば当然だが。
病院に搬送され、心配無いと診断が出てから、やっと水瀬が突然言った、『代わって』の意味に気付いた。
水瀬には感謝している。玲一が自分で気付いて言い出していたら、多分遥はもっともっと自分を責めていただろうから。本当は一番に気付いてやれなかったことが、悔しくもあったけど。
誰が悪いわけでもない。ただ色々なタイミングが重なっただけ。けれど遥には、気に病んで欲しくない。
「遥……お前は、俺の希みなんだよ」
水瀬に見抜かれた、希望。
愛しくて、たまらない。自分でも制御出来ない程。
「アイツの阿呆っぷりを笑えないな……」
手を伸ばして、触れたくて。閉じ込めてしまいたくて。
「……ん、おかえりなさい」
彼女にキスすれば、起こしてしまったようだ。けれど玲一は止まらない。
深くキスをしながら、遥と指先を絡めた。こうすれば、彼女が安心するのを知ってるから。
「玲一……ごめんなさい」
小さく囁かれた言葉。そんなのはいらない。欲しいのは。
「愛してる……」
**
「でぇ?水泳の授業は黙認なわけ?」
水瀬が面白そうに携帯の向こうの玲一へ問う。
『当たり前だ。授業なんだから』
玲一の呆れ顔が目に浮かぶ。いや、ちょっと機嫌良い感じ?
「……何したの、冴木」
『別に?』
白々しく響く声。
「あ、わかった。授業受けるのは我慢するから、代わりに二人で海行こうとか約束させたんだろ」
玲一がしばらく沈黙する。
『……水瀬、俺のストーカーとかしてるの?』
図星か。この隠れエロ教師め。
「冴木の考えてることなんてだいたいわかるよ、長い付き合いなんだから」
『お前は俺の嫁か。悪いけどそのポジションは予約済み』
嫌そうに言われた言葉。まったく不遜な物言いに、苦笑しか返せない。
「ついでに冴木がリクエストしそうなのも当ててやろうか。まずはビキニでしょ、で他のヤローに見せたくないからキャミとかパーカーとか着せちゃうわけだよね。んでビーチで膝乗せ抱っこしたりして」
『……お前は俺の観察日記でもつけてるの?もしくは国を挙げての研究でもしてるの?』
さすがにドン引きしたのか、どんどん声が恐くなる玲一に、水瀬はあははと笑ってやり過ごしていたが。
『俺もお前のこと、一つだけわかるけど』
玲一の言葉に興味を惹かれた。
「なに?」
電話の向こうで、ふ、と笑う気配がする。
『俺のことが大好きなんだよな』
思わず、口がぱかんと開いた。
『で、今は病院の屋上で、少ない休憩時間を俺との電話に消費してると。……人のことばっか世話して、損してんじゃねぇよ、馬鹿』
心配なら素直に言えば良いのに。世話焼きなのは、どっちがだ。
「さすがだね、親友」
水瀬は楽しそうに笑って、煙草を消した。
まだまだ腐れ縁は続きそうだ――。




