氷のプリンス side水瀬・1
side水瀬
俺が冴木玲一に出会ったのは高校の入学式。まずは新入生代表として壇上で挨拶する姿。エスカレーター式の泉学園を外部受験した俺は、当然初めて見る冴木にーーびびった。
「なにあれ、人間?」
だってすっげえ綺麗だったわけ。ほんとに生き物?みたいな。
さらさらの色素の薄い髪と肌はまさに白皙の美少年てヤツで。でも儚げな容姿の割に鋭い視線と凛とした立ち姿は軟弱さなんて欠片も無くて、多分間近で見つめられたらゾクゾクしちゃうだろうなって感じで。
で、そいつが新入生代表ってことは、イコール成績トップだってことに気付いた。当然この出来過ぎ君に、男子共は面白くないかと思いきや。
ーー冴木玲一はカリスマ的存在だった。
中等部からの持ち上がり組に聞けば、あの容姿で絶大な人気があるのに、性格はクールそのもの。学内の女子に言い寄られても全く相手にしない。ついたあだ名が『氷の貴公子』『氷のプリンス』……なんだそれ。
かといって不親切ってわけではないみたいだ。質問とかされても断らないし、わかりやすく教えてくれるそう。ただ、誰のものにもならない。男女ともに分け隔てなく平等に、それなりの距離を保っていて、男子からの人気もある。
……俺とは全然違うな。
俺といえば、入学早々にきゃあきゃあと女の子達に騒がれ、とっかえひっかえ付き合っては男共の反感を買っていた。毎日女子に取り囲まれ、何ヶ月か経てば、やれ誰かの彼女を奪っただの、生意気だのと、今度は男子に追っかけ回される生活。どーせ追っかけられるなら可愛い女の子がいいよね~。
その日もムッサイ先輩達から逃げ回って、ついには屋上に飛び出したんだけど。
そこに、冴木が居た。
あ、冴木玲一だ。まず思ったのはそれ。
咄嗟でもがっつりと目を奪われる美貌。視界の隅にでも映れば二度見してしまうきらきらしさ。どこに居ても目に入る噂の王子様だ、おお眼福。と思って。
けど一瞬、目を疑う。
王子はその唇に、煙草をくわえてた。
飛び込んできた俺を見て、何事もなかったかのようにまた視線を戻してフーッと煙を吐く。
ええっ、コイツ煙草吸うんだ。つうか少しは動じようぜ!!
「意外~!主席のプリンスが煙草吸っちゃって。チクっちゃおっかな」
つい気を引いてみたくなって絡んだら、冴木はふっ、と笑った。それがなんか妖艶で、男の俺でもドキッとする。おいおい。
「未成年者の喫煙は法律違反ですよ、冴木君」
「お前も吸ってるだろ。見ればわかる」
余裕の冴木に見透かされて、ちょっと悔しくなった。ついつい軽口を返す。
「煙草の有害さについて、俺は身をもって実験体になってるわけよ」
「そりゃ究極のMだな」
王子様の口から痛烈な皮肉。なんかイメージ違うなあ。なんだか外見からはもっとお上品で嫌味なんぞ言わなそうな感じなのに。
でも。……面白いかも。
俺は冴木の隣に腰を下ろして、口を開く。
「違うよ、俺医者志望だからさ」
「ああ、どーりで。図書館でマニアックな医学書借りてる奴がいると思ったら、お前か」
返ってきた返事にビックリ。彼がさらりと言った内容は、俺には色々聞き捨てなら無くて。
「大抵“うっそだあ~”って反応なんだけど」
「嘘なの?」
冴木が横目で俺を見た。
「……本気だよ。うちの親父医者だし」
これ聞くと、だいたい女は目の色変えるんだよな。だからあまり言わないようにしてるんだけど。
「ふーん」
冴木は興味なさげに呟いた。何となく、予想通りだ。
いつもいい加減でふざけてる俺が、真面目に医者を目指してるってことからしてあまり信じてもらえない。でも冴木はそういうの、笑ったりしなさそうだな。
「……って、マニアックな医学書って知ってるってことは、もしかして冴木も医者志望?」
「医者か教師かな」
「なにその二択」
「うちも母が医者。で、父が教師」
冴木がサラリと言うから、ついからかいたくなって。
「どんだけ親好きなんだよ~」
ニヤニヤ笑って言ったら。
「それくらいしか、親の背中なんか辿れないからな。両方とも事故でもう亡くしてるから」
フーッと煙を吐き出して、こともなげに言う冴木。ありゃ。
「悪い」
「別に」
本当に気にしてないように見える。高校生で両親居ないって、結構ヘビーだと思うんだけどな。冴木は嘆くでも、投げ遣りでもなく。ただ淡々と、事実を述べるって感じで。なんだか凄いって思うのも失礼かもしれないけれど……。
言葉を探して、でも一つしか見つからなかった。
「冴木って、強いな」
「惚れるなよ」
「……冴木って、実は面白い奴だね」
それが、俺達の腐れ縁の始まりだった。
「冴木君!付き合って!」
「悪いけど、興味ない」
「水瀬君!付き合って!」
「良いけど、今順番待ちが七人居るんだよね~八番目でもいい?」
正反対な俺達。だけど不思議と気があって、気がつけば一緒に居るようになった。端から見ると、俺が冴木を一方的に追いかけ回しているようにも見えたかもしれない。でも立ち止まりもしないけど、ちゃんと俺が追いつける早さで歩く冴木に気付いてからは、ここに居ていいんだって思えて。
「冴木が彼女作らないのはゲイだからって噂があるんだって。しかも相手俺~」
ある日のこと。
女子共のくだらない噂話を聞きつけて、冴木の反応が見たくなった俺がからかい半分に言ってみれば。冴木はそれは妖艶に微笑んだ。
「……へぇ」
その顔が触れそうなほど近づいて、俺の煙草の火を自分のものに移してゆく。間近で見ると、本当に凄い迫力だな、こいつの顔。本当に高校生か。
入学当初よりも背が伸びて、女顔は端正な男のものに変わってきて。でもその雰囲気まで凄みのある綺麗さなのは変わらない。
「え、本当に俺のこと好きなの?」
思わず言ってみれば、ぺちんと額を叩かれた。
「学内の告白を断るからって、女が居ないことにはならない」
えっ?
「冴木、彼女居るの?」
「まあ、それなりに」
ええっ、硬派ぶりやがって。ちゃっかり校外で女作ってんのか。
「どんな人?」
「今は女子大生」
「わお。年上好き?」
「面倒臭くないのが好き」
王子ぶち壊し発言出た。しかし今日は良く喋ってくれるなあ。
冴木が煙草をくゆらして、んーと思い出すように呟いた。
「俺あんまり長続きしねぇし。『なに考えてるかわからない』とか『私だけが好きみたい』とか言われること多い」
「そこで追いかけようって気にもならない?」
「だから、俺は薄情なんだろ」
ああ、それはわかるかも。冴木はどこか一枚壁があるっていうか、最後の最後で心を許さない感じがする。
……まあ俺はズカズカお邪魔するけどね~
「……ねぇ、冴木。ホントは俺のこと好きでしょ」
「……はいはい」
氷のプリンスの冷たい目が俺に突き刺さった。
*
ある日の昼休み、冴木と二人で教室でだべっていると、廊下に面した窓から身を乗り出して、冴木が一人の女を呼び止めた。
「玲奈!」
それはどうしてこんなところにいるんだろうって私服の、どうみても生徒ではない、ハタチくらいの女。颯爽と歩く、ゴージャスな美女。
その飛び抜けた容姿に、廊下に居た男共が目の色変えて騒ぎ始め、“氷のプリンス”冴木が呼び止めたとあって女子は悲鳴と敵意に満ちた視線を送った。
おお、これはもしや、噂の女子大生の彼女?
と思って二人を見守っていたら、レナって女は冴木を見て微笑んだ。
「玲一。友達出来たんだ、良かったね」
……俺のこと?
そう言われた冴木は、恥ずかしそうに俯き、小さく呟く。
「やめてよ、幼稚園児じゃないんだからさ……」
……お前、誰?
俺は冴木の豹変っぷりに唖然。
黒王子はどこいった!!なんだそのはにかみ可愛いピュア王子は!!背後でキャーって女子の(心無しか男子も)悲鳴が聞こえたぞ。
レナさんに対する冴木はなんだかあの壁もなくて、口調も妙に甘くて……なんか悔しい。そこでふと気付く。
あれ?確かこの女、……モデルのレナ?化粧品のCMに出てるよな。
その彼女を前に、冴木が見たことのない優しい顔をして聞く。
「恭一郎に呼ばれて来たの?」
「まあね!」
レナさんが苦々しい顔をした時、後ろから声がした。
「あれぇ、玲奈。待ち合わせ7時だよね」
それは教科書を手にしたスーツの男性でーー英語教師の泉先生がレナさんに話しかける。レナさんは泉先生に手を合わせた。
「ごめん、恭一郎!このあと撮影になっちゃったのよ。顔だけ出しに来たの」
「えぇえっ!?昨日もデートキャンセルしたじゃないか~」
あれ?泉先生の彼女なの?
俺は事情がわからずに冴木を見た。冴木が苦笑する。
「ああ、玲奈は俺の姉。泉先生と付き合ってる」
おねーさん!?
「どーりでこんな美女が身内じゃあ、彼女なかなか作れないわけだ……」
可愛い標準値が、さぞかし底上げされていることだろう。
「あらあら」
レナさんが嬉しそうに言えば、泉先生が目の色を変えた。
「水瀬!僕の彼女を口説くな!!内申書の点下げるぞ!」
「そんなに堂々と公私混同する人は初めてですよ、泉先生……」
冴木について、その日俺が知ったこと。
理事長の息子である泉先生が、冴木の後見人であること。
冴木は結構なシスコンだってこと。
……そう指摘すると回し蹴りされること。
*
高校生活はそれなりに楽しくて、充実もしてた。俺と冴木は医者への道を着々と進んで。
「医大どこにする?」
「お前が居ないとこ」
冴木はどこまでもクール。
「え~意地でも着いていこうっと」
半ば嫌がらせで言ったら、……冴木は日本でトップクラスの大学の医学部に合格しやがった。そんなに俺と一緒が嫌か!
……だから俺も合格してやった。ざまあみろ!
大学も一緒、志望も同じ外科なら、もちろん大学の付属病院勤務まで一緒。
ナースや患者たちには俺と冴木はセットで絶大な人気を誇り、俺は外面のいい二重人格に。
だけど冴木は何も変わらなかった。クールなのも、見えない壁も。
相変わらずモテてはいたし、それなりに真剣に付き合ってるようにも見えたのに、結局は長続きしなかった。まあ俺は別の意味で長続きしなかったんだけど。
そして、ある日。
「俺、泉学園の養護教諭になることになった」
煙草に火を着けながら冴木が言った。
「えっ!?医者辞めるの?」
「そう」
泉先生――今では泉理事長直々に頼まれたとかで、冴木はあっさり転職した。ナースにも患者にも病院長にまで惜しまれて。送別会はトラック一台分の花とプレゼントの山になったとか、病院の幹部連中が泣きながら引き留めたとかなんとか、数々の伝説を残して。
けど。
「ああ、お前は教師にもなりたかったんだっけ……」
なんだか冴木らしくて。
俺は笑顔で送り出してやったんだ。
ーーそれを後悔することになるなんて、思いもせずに。




