衝動
必然的に水泳の授業は中止となり、更衣室に戻っていく生徒達。その中に遥の姿を見つけられず、玲一はユミを呼び止めた。
「槙原、遥は?」
ユミと芽依は顔を見合わせる。彼女達もきょろきょろとあたりを見回した。
「それが、さっきから居なくて」
「先に戻ったのかも」
処置をしていた玲一にはともかく、遥が友人に何も言わずにいなくなることなんてあるのだろうか。気になったが、水瀬が玲一に声をかける。
「救急車来た。冴木、ついて行くんだろ?」
頷いて、お前は?と聞けば、彼は肩を竦めた。
「ここで救急ならうちの病院じゃないし、俺は適当に帰りま~す」
軽く言って校舎へ戻って行く。その姿に、玲一は軽い違和感を覚えたが、
「冴木先生!」
橋口に呼ばれてそちらへ向かい、救急隊員に状況を説明しているうちに水瀬は居なくなっていた。
プール棟の外に出て救急車に乗り込む直前、校舎へ続く通路に、制服姿の遥と彼女を呼び止めて何かを言う水瀬の姿が見えた。遠目でも明らかに遥の様子がおかしいが、今は彼女のところへ行く時間もない。
(水瀬に任せるか……)
ああ見えて腕の良いれっきとした医師だし、何より昔の同僚というだけでなく、玲一の高校からの友人なのだ。少しの不安を振り切るように、その場から離れた。
その水瀬は遥を連れて、保健室に来ていた。他の生徒よりも先に着替えを終えて、逃げるように出て来た彼女を掴まえたのは、半ばこれを予想できていたからだ。
明らかに泣いた後の赤い目元。思い詰めたように硬い表情は、自分を責めていたのだろう。彼女らしくもなく挨拶もそこそこに始終俯いていた。
「そんなに落ち込むことはないよ」
水瀬が玲一のデスクに腰掛ける。遥は目の前で立ったままだ。
「でも、私は私を許せません……」
俯く彼女を水瀬が眺める。
どこまでも綺麗な子だと思う。容姿も、志も。
友人、冴木玲一の恋人で、婚約者でなければ口説きたいくらいだけれど。
(いや、俺には綺麗すぎるな)
そう思って苦笑する。
「仕方ないよ。恋愛感情ってのは、自分でままならないものだし」
水瀬の実感のこもった声に、遥が顔を上げた。
「俺ね、患者さんを好きになったことがあったんだ」
少女が驚いた顔をする。
「もう他の医者が彼女を診察するのがムカついてムカついて。誰も触るなーってさ。さすがに手術とかはそれどころじゃなかったけど……。もう面倒くさくなっちゃって、医者を辞めようかと思ったこともあったんだよ」
軽く語る水瀬だが、その瞳は真剣で。
「その、患者さんは?」
水瀬は答えない。だから聞いてはいけないのだと悟った。
「俺も冴木も仕事に私情入りまくりだよ?高校生の君の方がしっかりしてるよ」
水瀬の言葉に遥は苦笑した。私情入りまくり、には同感だったのだろう。
「だから、自分を責めることない。同級生だって助かったんだから」
「……水瀬先生って優しいんですね」
遥が感謝を込めて水瀬を見る。
「可愛い子限定でね。冴木には内緒だよ」
うそぶく彼にもう一度頭を下げて。遥はいくらか晴れた気持ちで教室へと戻って行った。
「さてと。冴木になんて報告するかなあ」
水瀬は携帯を出すが、通話ボタンを押せずに止まる。
できることなら遥のことはそっとしておいてやりたい。水瀬が気付いたのは、あくまでも例外なのだ。彼女は一人で抱え込むけれど、立ち直る事も出来る子だ。
けれど玲一には、先程水瀬が遥を呼び止めていたのを見られている。
「報告しないと恨まれちゃうかなあ……」
遥ちゃんのことに関しては、アイツ結構心が狭いし、ヤキモチ妬きだもんな。
「昔はあんなんじゃなかった気がするけどなー。氷のプリンスとか言われてたのに。それだけ遥ちゃんには本気ってことかねー」
ブツブツ言いながら手の中で携帯を弄んでいたその時、タイミング良く着信音が響いた。玲一から電話だ。
「はいは~い、天才美形医師の水瀬陸様でーす」
『……残念な頭だな』
「そんなこと言っちゃっていいのかな、冴木。お前の恥ずかしい過去をノーカット完全版で記憶してる俺に」
『ならお前の記憶を抹消すればいいわけだな、問題無し』
「過去が恥ずかしいのは否定しないのね。生徒はどうだった?」
『ああ、大丈夫』
それから症状についていくつか話して。
『なあ水瀬、遥のことだけど』
う~ん、やっぱり聞かれたか。
水瀬は瞬きをしてーー決心する。今回ばかりは、いたいけな少女の味方をしようと。
「一切お答えできかねます!守秘義務でーす」
『はあ!?こんなときだけ仕事熱心になりやがって』
「遥ちゃんを口説いたりはしてないよ、イントロ程度にしか」
『阿呆』
けれど玲一は、水瀬が言わないことには事情があると、ちゃんと察してくれたらしい。
『……まあ、お前のことだから心配してねぇよ。……悪いな』
手放しに信頼されてしまっては、なんだかくすぐったいような意地悪を言いたいような、妙な気持ちになるが。
「……まあ長い付き合いだからね」
水瀬はそう言って、微笑んだ。




