先生の勝負
時間は少し遡って。
試合中の遥を見ていた玲一達の後ろから、はしゃいだ男子生徒達の声が聞こえた。
「はー、高嶋先輩、綺麗だなあ」
「やっぱり可愛いよなあ。ダメもとで告白してみよっかな」
拓海にも聞こえたらしく、後ろを振り返って確認する。
「あ、あいつらバスケ部の二年だな。高嶋さんが冴木先生と付き合ってること知らねーのかな」
「騒ぎになったときも、ほとんどうちの学年の一部で収まったからな」
健吾が別の一団を指す。
「あっちのグループも、高嶋さんの親衛隊」
“パキッ”
玲一の手の中で、ボールペンが折れた。
「さ、冴木先生?」
拓海が青ざめて玲一の顔を見る。が、ヒッと小さな悲鳴を上げて視線を逸らした。玲一が呟く。
「……ふうん」
その笑顔が怖い。
「先生、あれ一応うちの部の次の大会レギュラーだから。手足無事に残しといて下さいね」
健吾があっさりと言った言葉に、拓海が血相を変える。
なに言っちゃってんのぉ!?健吾さん!可愛い後輩を売り渡すな!
けれど玲一の迫力に何も言えない。だって黒いオーラが出ている。出まくっている。拓海も我が身が可愛い。
玲一はにっこり微笑んだ。……上辺には。
「いやだな、僕は仮にも教育者ですよ?」
口調まで変わって、胡散臭せぇ!!
拓海の額にだらだらと冷や汗が流れる。しかし玲一は、ゾッとするくらい、壮絶に綺麗な笑顔で口を開いた。
「教育者として、調教してやるから、あいつら呼んでおいで?」
ちょ、調教って言った!!ひえぇえぇっ!!ヤバい、殺られる!
拓海の恐怖などまったく意に介さず、健吾は面白がって男子を呼び集めてしまう。そして、集まった“悪い虫”たちを、冴木玲一は腕を組んで妖艶かつ冷酷な顔で見渡した。
「高嶋遥に手を出すつもりなら、俺を通して貰わなきゃね?まとめてかかっておいで」
にっこりと、白衣の悪魔が微笑んだ。
そしてなぜか。
バスケットコートに立つ、美貌の保健医。対、男子達。コート横の椅子には『賞品』と書かれたリボンを掛けられた、遥。
「なに、これ」
状況に混乱したまま、遥が茫然と呟く。何だかもの凄く、とんでもない状況になってる気がする。
「どうやらね、遥にちょっかいをかけようとした男子どもの粛清らしいよ?」
芽依が笑いながら言う。健吾が説明してくれた。
「3ゴール、冴木先生を止められなかったらあいつらの負け。先生はボールを奪られたら負け」
「冴木先生一人で6人も相手するの?」
遥が驚いて聞き返す。
「いや、ほら、まだ順番待ちがあと6人居る。残りはすでにビビって脱落」
なんだろう、それは。更にハードル上がってますが。
「ひとりじゃないよ。拓海も冴木先生チーム」
見れば松本拓海が憮然と、玲一の横に立っていた。コートの中では、複雑そうに立つ拓海に向かって、
「お前も向こうに行っていいんだぞ」
ニヤリと笑って玲一が言う。
「バスケ部のエースとして見過ごせねぇんだよ。オッサン一人相手にうちの部の奴らも混じってんだぞ」
「オッサンで悪かったね」
拓海の暴言にただ首をすくめて、玲一が言った。審判役の健吾がホイッスルを吹く。
「さて軽くひねってやりますか」
玲一が悠然とボールをバウンドさせた。
*
ピピ――ッ!
「ほ……ほんとに軽くひねられた……」
がっくりと膝をつく拓海。
勝負はあっという間。玲一が男子共をかわしてシュートし、見事にボールはリングの中へ。3ゴール入れるのに数分もかからなかった。
「俺本気で要らなかったんじゃね?てか現役バスケ部員、何やってんだよアホか。保健医くらい止めろよ」
「勝ったのにブツブツと落ち込むな。それにまだ次のが居る」
玲一が拓海の首根っこを掴んで起こす。ぽいっと放るように立たせた。
「ねえ冴木先生って何か運動してんの?」
実はインターハイの選手でしたとか。それなら納得だ。しかし拓海の問いに、
玲一は首を横に振る。
「いや?俺超インドア派。メスより重いもの持てません」
「ムカつく!ムカつくっていうかもう先生ほんとに人間!?」
拓海の叫び声に、玲一がにっこり微笑んだ。
「頼りにしてるよ、エース」
「それイヤミだよね、冴木先生!!」
コートサイドでは。
「格好いい……」
遥は頬を染めて呟く。玲一の運動する姿など初めて見た。そりゃあ何度か目の当たりにした芸術的な蹴り(悠いわく)を見れば、運動神経が悪く無いのは知っていたが。バスケまで出来るとは思ってもいなかったのだ。
もはや体育館中の生徒が盛り上がって勝負を見ていた。女子は玲一と拓海に黄色い声援を送り、思うところある男子は、対戦相手の生徒を応援する。白衣を脱いで、シャツの腕を捲りあげただけの教師の姿は、いつもより色気二割り増しで。
「ダメだ、私鼻血でそう」
さっきまでにらみ合っていたはずのC組の女子が、遥と頷き合う。二階の観覧席に鈴なりになった生徒たちからも、歓声や声援や野次が飛んでいた。
「きゃああ、カッコいい冴木先生――!」
「冴木負けろ――!遥ちゃんよこせー!!」
勝手なギャラリーに、ますますヒートアップする勝負。玲一はギャラリーを見渡して、ふ、と笑った。
「まだまだ悪い虫が居そうだな?全員降りて来い」
その不敵な微笑みに遥は心臓が爆発しそうだ。
「あらあら~女冥利につきるってもんだね、高嶋」
いつのまにか美山と真由子まで、彼女の傍に立って試合を眺めている。騒ぎを聞きつけて来たのだろう。美山はニヤニヤと笑いながら呟いた。
「冴木先生って意外にオトナ気ないね~」
「聞こえてますよ、美山先生。混ざる?」
玲一がコートから呼ぶ。その間にも長い腕が放ったボールはリングに吸い込まれた。見事にまた一点が入る。
「俺は運動ダメなの」
慌てて美山が真由子の後ろに隠れた。
相手のボールをカットして、拓海が三人かわし玲一にパスする。玲一は外側のラインから見事にシュートしてみせた。
「げ。外からも打てんのかよ。お前らもっと散れよ」
拓海が相手チームの後輩に指示する。健吾が笑った。
「あいつどっちチームかわかんねー」
でもなんだか。
「凄く楽しそう」
遥は自然と笑みが零れてしまう。視線はコートの中の恋人を追ったまま。その笑顔がいつもより柔らかな気がして、遥まで嬉しくなる。
「なんかあの二人良いコンビなんじゃないの?」
可笑しそうに芽依が言った。ユミも頷く。遥は両手を握りしめて、頬を紅潮させたまま勝負を見守った。
男の人って、いくつになっても子供みたいっていうけどーー本当なのかも。
いつもは翻弄されてばかりの年上の恋人を、少しだけ可愛いと思ってしまう瞬間。くすぐったくて、楽しくて。
遥はいつの間にか足の痛みも忘れて、彼らに魅入っていた。
それから何人かのチャレンジャーを迎え撃って、大いに盛り上がり。
当然と言うべきか、玲一と拓海の圧勝で勝負は幕を閉じた。




