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保健室の恋人  作者: 実月アヤ
ep.2 恋人試練
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先生と彼女

「あ、遥チャン、よね?」


 翌日、遥は校内で紗耶香に呼び止められた。咄嗟に身構えてしまったものの、あまりにも失礼かと頷く。彼女は気にした様子も無く、手招きした。


「おねーさんがご馳走したげるから、ついてらっしゃいな」


 ニコニコと言われ、答える間も無く先に立って歩かれてしまって、何となく逆らえずについて行く。歩きながら紗耶香は話を続けた。


「あなたと玲一のこと、泉理事長に聞いたわ。本当に学校公認なのね」


 結局遥は紗耶香に紙パックのジュースを奢ってもらい、二人は中庭に出た。ビックリした、と彼女は言って。さらりと語る。


「玲一は昔っからモテたし、まあ優しかったけど、どっか踏み込めないっていうか、掴みどころがなかったのよ」


 紗耶香の言葉に、遥は出逢った頃の玲一を思い出す。

 確かに彼はいつもポーカーフェイスで、その真意がわからなくて、翻弄されたっけ。

 けど彼の言動、隠し事さえ、全て遥のためだった。それを知ってからは、彼の冷静さに隠された激情も、見えてくるようになった。だから今は、決して彼は何があっても動じない人だとは思わない。冷たい人だとも思わない。

 遥の想いに気付いたのか、紗耶香は苦笑した。


「でも今はそうじゃないわよね。あなたの傍にいる玲一は、壁がないっていうか……」


 言葉を途切れさせて。彼女は目を伏せた。


「ああ、心を許すってこういうことかなって、……ちょっと羨ましくなっちゃった」


 そう言って綺麗に笑う彼女。玲一が、好きだった人。

 遥は彼女を眩しそうに眺めた。 


「羨ましかったのは私の方です。紗耶香さんは大人で、私の知らない玲一を知っていて。ヤキモチなんて自分が嫌でしたけど」


 少女の言葉に、紗耶香は笑う。


「嫉妬するのは普通でしょ。程度をわきまえれば、悪いことじゃないわ。むしろあなたもっとワガママになるべきね」


「ワガママ……ですか」


 遥が俯いた。


「でなければ、もっと汚れる勇気が必要かもね?聞き分けの良い、嫉妬しないイイコちゃんとか、お綺麗な人形でいるなんて無理よ。ドロドロした醜い自分も、しょうがないと思わなきゃ」


 紗耶香の言うことはよくわかる。今まで、ドロドロした自分を玲一に見せたくなかった。ただでさえ年齢差があるし、お互いの立場がある。聞き分けの無い子供だと思われたく無かった。ーー無理を、重ねていた。


「……私、言ってもいいですか」


 ポツリと呟いた遥を、紗耶香が面白そうに見て頷く。


「本当は、嫌です。玲一が他の女性を見るのも、他の人に見られるのも。あなたを名前で呼ぶのも、笑顔を見せるのも。私の知らないところで会うのも。……イヤなんです」


 本音を吐いた彼女に、目の前の女性はニヤリと笑って。


「へ~え。……だってよ?玲一」


 え?

 遥がバッと振り向くと、そこに玲一が居た。


「いっ……いつからそこに……っ?」


 遥は顔をひきつらせる。


「お前らが来る前から、紗耶香に呼ばれて」


 玲一は真顔で答えた。


「さっ、紗耶香さん!!」


 遥が真っ赤な顔で抗議する。まさか彼に聞かれるとは思っても見なかった。だからこそ素直に口にした愚痴なのに。

 ーー格好悪い!恥ずかしい!

 そんな彼女の真っ赤になった顔に、紗耶香はにっこりと微笑んでみせる。


「玲一は遥ちゃん一筋なのよ。私が誘惑したってぜーんぜん、乗ってくれないんだから」


『私の付け入るスキは、ないのかな?』


 あのとき。そう聞いた紗耶香に、玲一はふ、と微笑んで。


「俺はもう遥じゃないと駄目なんだ」


 そう幸せそうに笑ったのだから。


 それを聞いた遥は息を吞んで、真っ赤な顔で俯いた。

 嬉しい。けれどそれと同じくらい、そんな彼の想いなど知りもせずに嫉妬した自分が恥ずかしくて。


 「まあ、玲一がモテ過ぎるのが悪いんだけど、あなたももっと、本心を言わなきゃ駄目よ」


 紗耶香はそう言って。「お幸せにね~」とニヤニヤ笑って去っていった。

 彼女の存在は遥をざわつかせたけれど。今は去らないで欲しかった。つくづくそう思いながら、彼女はおずおずと玲一を見る。しかし彼は遥をじっと見つめているだけで。


「……俺が他の女を見るのイヤなんだ?」


 玲一がゆっくりと遥に聞く。


「他の女が俺を見るのもイヤなんだ?」


 遥は更に真っ赤になってまた俯いた。もう顔が上げられない。なんて子供っぽいことを言ったんだろう。もう忘れて欲しい。きっと遥がそう思っていることくらい、玲一は見抜いていて。


「ねぇ、遥」


 羞恥プレイ……?


「そうよ。いじわる……」


 涙目で答えれば。玲一がニヤリと妖しく微笑んだ。


「へぇ、もっとよーく聞きたいな」


 彼が遥の手を掴んで、そのまま校舎へとズルズルと引きずって行く。え、と驚いて目を見開いた彼女に、どきりとするほど妖艶な目を向けて。


「この時間なら視聴覚室が空いてる。……ちょうど防音だしね?」

「な、な……何するつもり……?」

「もちろん、勉強だよ?……色んな意味でね」


(……私、今日無事に帰れるかな……)



 テスト期間で生徒は皆帰ってしまい、廊下には誰も居ない。遥は玲一に手を引かれて校内を歩く。始めは真っ赤な顔をして抵抗していた遥も、歩くうちに落ち着いてきた。今はただ、彼と一緒に歩いている。それくらい静かで。

 いつもただ漠然と過ごす広い校舎は、誰もいなくなると不思議な空間になる。


(まるで世界に私達しかいないみたい)


 そんなことを思って、メルヘンチックかと苦笑する。玲一が振り返ってクスリと笑った。


「余裕だね、遥?」


 その笑みに、ドキ、と心臓が高鳴って。


「……ね、本気じゃないよね」

「何が?」


 遥の問いに、楽しそうに玲一が聞く。


(う……何がって)


 遥は言葉に詰まり、そのまま黙った。考えて、考え抜いて、やっとのことで、言ってみる。


「なら、玲一の部屋に行こうよ……二人きりなら、何されても嫌じゃないから」


 玲一は目を見開いた。


「あ、あの、玲一?」


 私変なこと言った?


「……今、本気になった」

「えぇ!?」


 逆効果!?

 自分の放った言葉が彼に対してどれだけの攻撃力があったのか、自覚していない遥はおろおろと彼を見上げる。


「お前って……何でそう可愛いの?」

「は!?あの、玲一の可愛いポイントがよくわからないんだけどっ……」


 抗議しかけた唇を、玲一がキスで塞いだ。そのまま身体ごと、教室の中に連れ込まれる。普通の教室ではない。重くて厚い扉の、特別教室だ。二人で中に入れば、閉まった扉に遥を押し付けて、彼の腕がその華奢な少女を囲い込んだ。


(本当に視聴覚室!?)


 一気に血の気がひく。誰かに見られでもしたら――。

 思わず目をつぶった遥。しかし玲一の唇が離れていったのに気付いて、彼女は拍子抜けして目を開けた。見上げると玲一がはあ、と呆れた顔で溜め息をつく。ゆっくりと背後ーー教室の中を振り返った。


「あんたら、職場で何してんの?」


 は?


 彼の肩越しに見れば、二人の教師――真由子と美山がこちらを見て絶句していた。真由子が瞬時に真っ赤になる。


「なっ、なにも!まだ何もしてませんっ」


 “まだ”とか言っちゃってます、真由子先生……。

 美山は玲一に向かってにへら、と笑う。


「そっくりそのままお返ししますけど、冴木先生。いま何をしながら入ってきたのかな~?」


 遥は真っ赤になって、慌てて玲一から離れた。けれど彼は平然と美山に言い放つ。


「わかってるなら譲って下さいよ」

「イヤだよ、あなた保健室っつー最高の場所があるでしょ」

「今日は担当日じゃないから鍵がない」

「あははは、いかがわしいことに使ってんのは否定しないんだ」


 大人の男性二人のとんでもない会話に、遥がいたたまれずに叫ぶ。


「かっ、帰ります!明日のテスト勉強しなきゃ!!」

「そ、そうよね、高嶋さんっ!私も準備あるからっ」


 真由子も同じく真っ赤になって言うと、二人は異常な連帯感を見せて出て行ってしまった。その場に残されたのは、美山と玲一。


「冴木先生、飲みに……」

「行きません」



「あ~もう、ビックリした~」


 二人で階下まで降りてくると、遥の横で真由子が言った。


「高嶋さん、テスト期間中まで冴木先生に迫られてるの?大変ね」


 遥は恥ずかしさに曖昧に頷く。それを肯定と取ったのか、彼女は頬を膨らませた。


「教師の癖に、生徒の勉強の邪魔しちゃ駄目でしょうに」


 もう、と言ってくれる真由子に、苦笑を返して。


「多分、玲一なりに私をリラックスさせてくれてるんだとは思うんですけど……」


 昨日は怖い目に遭ったこともあるし、きっと彼なりに、気を紛らわせてくれているのだと。しかし真由子は首を傾げた。


「そうかなあ。純粋に高嶋さんを構いたくて仕方ないんじゃないの?」


 ……それも否定できない。



 職員室に戻るという真由子と別れ、遥は教室に荷物を取りに戻ることにした。扉を開けると、先程置いてきぼりにしたはずの恋人が窓際に立っている。


「……どうやって先回りしたの?」

「裏ルート使うと、一度下まで降りなくても直接来られるんだよ」


 おそらく立入禁止区域に入りこんだと堂々と白状する教師。この学校には入り組んだ校舎ならではの抜け道がたくさんある。それを把握しているのだろう。遥は苦笑するしかない。


「さ、帰ろうか」

「……今日も玲一の家?」


 いささか警戒気味に聞けば、彼はにっこり微笑んだ。


「さっきは遥から行きたいって言ったよな?」

「そ、それは……っ」


 何を言っても勝てそうにない。結局は私はこのひとの思い通り。そう思いかけて、窓からの光に照らされる玲一の顔を見る。


(綺麗――)


 端正なその容貌。遥だけを見つめて微笑む、彼。

 結局、私は玲一には勝てない。けどそれが嫌じゃない。むしろ、嬉しいと思ってしまう自分が居る。本来ならきっと、手の届かない人だった。だけど今は、こんなにも近くにーー。

 ふと黙った遥の様子が気になったのか、玲一が苦笑して種明かしをする。


「今日遥のお母さん、同窓会で地元に泊まりなんだってさ。心配だからお預かりしますって言ったわけ」

「えぇっ!?そうなの?」


 ……お母さんてば、私には何も言わなかったのに……。

 完全に婚約者として信頼を得ている玲一。なんだか複雑。


「今日こそ、ちゃんと!ちゃんと勉強するんだからね?」

「もちろん、協力するよ。……途中で寝ないようにね?」

「う……」



 今日は玲一も仕事があるようで、遥にちょっかいをかけることなく、彼女の斜め向かいでノートパソコンを広げていた。もちろん遥が質問すれば手を止めて説明してくれる。遥は教科書を見る振りをして、チラリと彼を覗き見た。眼鏡をかけて、書類を見ながら、キーボードを打つ玲一。長い指がテンポよく落とされていく。


(……ピアノ、弾いてるみたい)


 きっとそれも似合うだろうな、なんて思ってしまって。


「遥、あんまり見てると見物料取るよ」


 本人に気付かれた……。


「すみません……」


 恥ずかしさに固まる遥の頬に、玲一がキスした。


「はい、見物料頂きました。毎度ありがとうございまーす」


 軽口と共に、ニヤリと微笑まれて遥は頬を押さえた。

 ――熱い。

 熱さを紛らわすように手で扇いでいると、


「ああ、もうこんな時間か」


 玲一が時計を見て呟く。


「夕食にするか」

「あっ、私作る……」


 思わず遥が立ち上がるが、玲一は笑ってヒラヒラと手を振る。


「せっかく勉強しに来てるんだから、作る時間がもったいないだろ。大人しく甘えておきなさい」


 そう言われて、テスト期間中は、ずっと玲一の手料理をご馳走になっていた。器用と言うだけあって、彼は料理も上手い。母子家庭で母親が働きに出ている遥は、必然的に家事をやらなくてはならないことが多く、同年代よりも出来る方だ。けれどやはり、一人暮らし歴が長いという玲一は、それに輪をかけて何でも出来てしまう。


(なんだか完璧過ぎて、悔しいなあ……苦手なこととか、弱点、てないのかな?)


「遥」


 急に呼ばれて、考えていたことがバレたのかとビクッとしたが、どうやらそうではないらしい。


「ごめん、腕まくってくれる?袖口落ちた」


 両手が濡れて塞がっている彼に近寄って、袖を引き上げる。ついでに戸棚から必要であろう皿を出して、彼に手渡した。それを見て玲一が笑う。


「ありがと。……新婚さんみたいだな」


 まさにそんな考えが遥の頭にも浮かんだところで、彼女は真っ赤になって小さく頷いた。


「役割が逆だけど……」

「遥の手料理は、テストが終わったらね」


 彼の心遣いが嬉しくて、遥はふわりと微笑む。


「うん。楽しみにしててね」


 明日はテスト最終日。頑張らなくちゃ。……お仕置きを免れるためにも、ね?

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