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保健室の恋人  作者: 実月アヤ
ep.2 恋人試練
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彼女の気持ち

「はい、冴木先生。これもお願いしますね」


 理事長室にて。

 玲一は目の前に積まれた書類と資料に、溜め息をついた。


「これ、教育シンポジウムの発表論文だよな。……一介の養護教諭が作っていいものなの?」


 問われた理事長――泉恭一郎はあははと笑う。


「さあ。いいんじゃないの?誰も僕の話なんか興味無いよ」


 それじゃまずいだろう。父の跡を継いだとはいえ、異例の若さで理事長になった彼だ。もしバレたら何かと叩かれるだろうに。だいたい、こんなもの玲一に頼まずとも自分でこなせるはずなのだ、この男は。

 もの言いたげな玲一の視線に、恭一郎は口を尖らせた。


「なんだよ。君が中学生の時、夏休みの宿題手伝ってやったでしょう」

「うん、読書感想文を英語で書いたあげく、勝手に提出しやがって、軽く殺意を覚えたっけな?」

「発表しろって言われて、君ってば難なく訳してたじゃないか」

「あれ以来、国語の先生に目の敵にされたんですけどね?」


 玲一の皮肉にも応えず、恭一郎は「懐かしいね~」などと言う。やられたほうは思い出したくも無い記憶だ。

 玲一の副業。理事長の秘書――と言えば聞こえはいいが、雑用係と身代わり兼、暇つぶしに付き合う、いわば飼育当番だ。勤務日が減ってからそれを埋めるようにこちらの仕事を入れられた。断る暇も無く。


「なんで社会に出てまでアンタに食わせてもらわなきゃならないの?」


 不満たらたらで、呟く玲一。全く以て養護教諭の仕事ではないし、しかも本業より忙しいときてる。恭一郎が微笑んだ。


「仕方ないだろ。僕は君以上に有能で、信頼できる駒は知らないんだから」

「……いま、うっかりスルーしそうになったけど、いかにも良い話風に、“駒”とか言ったよね」


 玲一はふう、と溜め息をつく。物憂げな視線を向ければ、彼は躱すように微笑んできた。


「義兄さん、あんまり俺を甘やかすなよ?保健室の先生じゃなくなったって、食う手段なんかいくらでもある」


 今度は苦笑が返ってくる。


「君が僕を甘やかしてるんだよ。なんだかんだいって、僕の手の中に居てくれるんだからね」

「……それを今、後悔してるところですが」


 書類に埋もれてうめく玲一の言葉に、恭一郎が笑った。

 いつまでも恭一郎の保護者気分は抜けないらしい。大人になっても、玲一達を引き取った時の彼の年齢を超しても、ずっと。後見人から義理の兄に変わっても。

 変わらない距離は、心地よい反面、憎らしくもあった。



「あ~終わったああ!」


 ユミが大きく伸びをした。


「一日目がね」


 芽依の冷静なツッコミが入る。テストは三日間あるのだ。


「遥、どうだった?冴木先生に教えて貰ったんでしょ?」


 ユミのニヤニヤ笑いに、遥はう、と呟く。勉強の成果は充分に発揮したはずだ。これでダメならどうしようもない。


「なんとか、なったと思うけど……」


 何せ赤点なんてとった日にはどんなお仕置きをされるか、わかったものじゃない。今日も彼の部屋で合宿の予定だが……。


(やっぱり止めておいたほうがいいかな。玲一、疲れてるみたいだし)


 明日の教科はそれ程苦手ではない。自分一人でも勉強できそうだし、何なら悠に聞いても良い。


(……一応、聞いておこうかな)


 携帯を取り出したが、廊下の向こうーー視線の先で、理事長室から出てくる彼を見かけた。


「あれ?冴木先生」


 ユミも気付いてそちらを見る。


「今日出勤日だっけ?」


 違う……。少なくとも今日、彼は保健室には居なかった。

 遥が玲一に声を掛けようとした時、彼を追いかけるように、理事長室から女性が出てきた。親しげに玲一の肩を叩く。玲一も笑って言葉を返しているようだ。


「うわお」


 芽依が思わずといったように、けれど硬い声で言った。


「は、遥?気をしっかりね?」


 同じくユミがおずおずと遥を見て言う。


「そんな。大丈夫よ……」


 いくらかショックを受けた顔を、さりげなく隠して。


(……誰だろう)

 気になる。玲一がモテるのはいつものことだけど。同年代の、あんなに親しそうに女性と話す姿なんて見たことない。遥には分かる、“営業用”ではない、彼自身の笑顔だ。

 

「っ、けどほら、理事長室から出てきたんだからお仕事相手じゃないの?」


 ユミの慌てたフォロー。芽依が呆れ顔でユミの口を塞いだ。


「ヘタに慰めると、余計不安になるよ。ちゃんと遥が冴木先生に聞けばいいんだよ」


 ごもっとも……。

 冷静な友人につられて、落ち着きを取り戻す。

 いつもは生徒相手だから、一線を引いた彼しか見たことが無いだけかもしれない。同年代ならもう少し、距離が近くても当然だ。気にし過ぎだろう。


「だって遥はそういうタイプじゃないじゃん。溜め込んじゃいそうでさ」


 ユミの言葉が、遥を思ってのことだとわかるから、遥も苦笑するしかない。


「心配かけてごめんね?大丈夫だから」


 ニッコリ笑って教科書を片付け始める遥に。友人たちはひそひそと内緒話。


「動揺してるよね」

「うん、あれ私の鞄だもん」


 揃って溜息をついた。



 玲一の携帯がポケットの中で震え、取り出して画面を確認する。遥からのメール。


『今日は自宅で勉強します』


 疲れているなどと言ってしまったから、遥なりに気を使ったのか。返信しかけて、思い直す。

 文字だけではまた気を遣わせる。声を聞いて話したい。

 電話を掛ければすぐに遥が出た。


「変な気をまわすなよ。今日もおいで」


 いつもなら、それで遥は納得する。なのに、今日は違った。


『いいの。勉強は大丈夫だから。……今日は一人でやる』


 遥の少し硬い声が、“自分で出来る”ではなく、まるで“一人になりたい”と言ったように聞こえて。玲一は眉を顰める。


「遥……どうかした?」


 怪訝に思って聞けば、電話の向こうで、彼女が息を呑んだようだ。


『あ、あの、ごめんなさい。今日は、本当に自分でやるから!もう家に着くし!じゃあ』


 慌てた様子で、遥が電話を切る。


「……?」


 玲一は唖然と携帯を見つめていた。



(私の馬鹿……!)


 遥は切ってしまった電話を見つめてうなだれる。実はまだ遥は校内に居た。皆が帰った後の教室に、一人残っていたのだ。あの光景を見てしまったもやもやな気持ちのまま、玲一の家に行くか迷っているうちに夕方になってしまって。


「失敗した……」


 根拠もない、勝手なヤキモチ。

 聞けないのなら態度に出すべきではなかった。ちゃんと聞けば、きっと玲一は平然と答えてくれる。何を怖がっているんだろう。


「……こんなんじゃ、どっちにしろ勉強なんて無理~」


「どっちにしろって、どっちとどっち?」


 机に突っ伏した彼女に、低い声が掛けられた。聞き慣れた声に思わずバッと顔を上げた遥が見たのは、腕組みして教室の入口に立つ玲一。


「い、居たの……?」

「居たの」


 遥の引きつった表情に、玲一は目を細めて言う。


「家に着くとこ、ねぇ。遥が家と呼ぶ程、学校が好きだなんて知らなかったな」


 う。

 けれど自分の非は分かっている。遥は素直に頭を下げた。


「嘘、ついてごめんなさい」


 玲一が呆れ顔で遥に近付く。


「今度は何を隠してるの?言わないと、わかってるよね?」


“言わないと、ここでヤるよ”

 いつかのセリフが頭をよぎる。

 まさか。まさか。


「お仕置きコースかな」


 妖しく微笑んだ玲一の顔が、遥へと近付いた。その顎に彼の指がかかって、思わず悲鳴混じりに答える。


「いっ、言います、今すぐ!!」


 手は外されないものの、一応は近づくのを止めてくれた彼に、遥はおずおずと問いかけた。


「あの、今日理事長先生に呼ばれてたの?」

「え?ああ、最近あの狐の仕事を手伝ってるから」


 意外な問いだったのか、玲一が軽く戸惑いを返す。遥はためらいながら玲一を見た。


「……今日理事長室から、出てきた女の人、玲一と親しそうに見えて。その……」


 言葉を濁す彼女。玲一は思い当たって口を開く。


「ああ、彼女は今度理事長が講演する大学のスタッフで……」


 ふと途切れた言葉。遥は玲一の顔に、迷いが浮かぶのを見つけた。


“話すか、否か”


 まったく恐いものなしの彼が、遥に話せないことなど限られている。


「……元カノ?」


 ポツリと呟いた遥に、玲一はとっさに言葉に詰まった。


(――しまった)


 まずいと感じたのは。この態度が、だ。

 遥が目を見開いた。その顔を見て、玲一は彼女に気付かれたことに気付く。


(本当に、俺をよく掴んでる……)


 彼女の聡明さが、今は厄介に思う。


「……そうだけど、昔の話だし。今回仕事で会うまで全然連絡もとってなかった。よってお前が心配するようなことは何も無し」


 なるべく軽く言って、人差し指で遥の額を突く。遥はホッと息をついた。


「……そう。ごめんなさい、つまらないこと言って」


 彼に微笑んだ顔は、いつもの遥だ。たまに嫉妬らしい片鱗を見せても、彼女が玲一を問い詰めることなどなかなか無い。だから、ヤキモチだというなら大歓迎だ。

 むしろ抱え込んで一人で泣かれるほうがキツい。

 不安な思いをさせることがあっても、結局は彼女は自分の中で処理してしまうことが多いし、何よりも玲一を信じてくれる。

 なのに今回は。元カノを察知するあたり、さすが女の勘というべきか、遥がそれだけ玲一の様子に敏感なのか。


「いや、嬉しいけど」


 言葉ひとつ、態度ひとつで安心してくれるなら、いくらでも弁解する。


「……じゃあ、今日もうちに来る?」


(もう一押し、しときたいな)

 言葉だけじゃ足りない。玲一がどれだけ遥を想っているか、是非とも文字通り肌

で感じてもらわなくては。


「……テスト勉強しに、よ?」


 遥も微妙に何かを察したようだ。あやしい……と言わんばかりの表情で彼を見上げている。


「もちろん。来るよな?」


 玲一の誘いに、遥は頷きかけた、が。



「あれ?玲一、泉理事長が呼んでるわよ」


 朗らかな声と共に、教室の扉から姿を見せたのは。たった今話題に登っていた、“元カノ”だった。遥は思わず硬直する。


「相変わらず人使いの荒い先生よね、終わったら飲みにでも……あら」


 彼女は玲一の陰になっていた遥に気付いたようだ。やだ、と恥じた様子で笑う。


「生徒さんが居たなんて気付かなかった。ごめんなさいね?」


 玲一と同じくらいの年齢の、大人の女性だ。パンツスーツでいかにもキャリアウーマンな見た目なのに、その笑顔は快活でどこか清楚で。掛け値なしの美人。

 遥はぺこりと会釈をした。けれどその表情が少しこわばっているように見える。


「あら、変なこと聞かせちゃったかしら。理事長先生には内緒ね?」


 遥の表情を勘違いしたものか、冗談めかして彼女が言う。玲一が首を横に振った。


「この子はいいんだ。ーー俺の彼女だから」

「「えっ!?」」


 遥と彼女の声が重なった。


「れ、玲一、生徒と付き合ってるの?」


 彼女の戸惑う声。嫌悪の表情はないが、驚愕に満ちている。


「え、あの、彼女って、十歳くらい年下よね?それって、マズくない?」

「いや別に。学校中知ってるし」


 平然と言う玲一。遥は頬が熱くなった。


(わ、私が不安がったりしたから……!)


 いきなりこんなことをカミングアウトすれば、彼女のような反応が一般的だ。泉学園は寛容過ぎだが、普通は眉をひそめる。それでも玲一が今この場で元カノに遥を“彼女”だと紹介したのは、遥のためだ。

 やましいことなんてない、不安になることなんてないと。

 ーーならせめて、遥も堂々としなくては。玲一に恥をかかせたくない。信頼に応えてくれた彼に、自分も応えたい。


「三年の、高嶋遥といいます。初めまして」


 今度こそ、落ち着いて。きちんと頭を下げれば、相手も慌ててお辞儀をした。


「河崎紗耶香です。玲一とは大学で一緒だったの。私はそのまま大学院に進んで、今は大学のスタッフ」


 彼女は笑顔は向けてくるものの、どこかぎこちない。その視線が興味だけではない何かを浮かべているような気がして。けれど遥は堂々と微笑んでみせた。


「あの、お仕事中なら私は帰ります。邪魔をしてごめんなさい」


 遥が玲一にそう言って、鞄を掴んだ。紗耶香にも会釈して教室を出ようとする。玲一はその後姿に声をかけた。


「遥、俺の部屋で待ってて」


 遥は振り返って小さく微笑み、頷く。その長い髪を揺らして、廊下に出て行った。


「おっどろいたあ……」


 紗耶香が玲一の顔を見る。


「玲一って面倒なこと嫌いじゃなかった?生徒と付き合うなんて、意外」

「俺も意外」


 玲一がくすりと笑う。彼にとっても、生徒と付き合うなど考えもしなかったことなのだから。


「しかし綺麗な子ねぇ。ちょっと征服欲をかきたてるタイプ。ドSな玲一らしいわ」

「可愛いだろ?」


 ふ、と笑う彼を、紗耶香は複雑そうに見る。


「まったく。柔らかい顔しちゃって。なんか悔しいなあ」


 彼の端正な顔を眺めながら、紗耶香はそう言って玲一に顔を寄せた。


「私につけいるスキは、ないのかな?」

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