本気
小旅行は二泊だから、明日には帰ることになる。
生徒たちと早目の夕食をとった真由子は、一人散歩に出た。夜の7時過ぎとはいえまだ明るく、ついつい警戒心もなくホテルの近くをブラブラと歩いて。向こうからやってくる青年達に気付いた。
(あ、昨日の)
ビーチでナンパしてきた男達だ。見つからないよう回れ右をしたときにはすでに遅かった。彼女の顔を見た途端、彼らはすぐに追いついて回り込んでくる。
「あれ?昨日のおねーさんじゃん」
「イイとこで会ったね~これから飲みに行こうよ」
良くない、良くない。
「すみません、私戻るとこなので」
にへら、と笑って言ったのが良くなかったのか、
「行こ、行こ」
と、彼らは真由子を引きずって連れていこうとした。まったく彼女の意向など無視だ。男たちの視線の先に車が見えた。もし、あれに引きずり込まれでもしたら。
嘘、ヤバい?
真由子の背中に冷たい汗が流れる。今回は都合良く遥や玲一が現れるわけもない。一気に恐怖が膨れ上がって、足が震え出す。
「や、やめて」
「武藤ちゃん!」
え?
真由子を取り戻すように肩を掴んだ、同僚教師。
「美山先生?」
そこに現れたのは、確かに彼。真由子を見下ろして、焦ったような表情を浮かべている。
「なにしてんの、行くよ」
そこから立ち去ろうとした美山だったが、男達が声を掛けた。
「ちょっと待てよ、おねーさんは俺達と飲みに行くんだけど」
(勝手に決めないで欲しい)
真由子の抗議など聞く耳持たないだろうが。美山は振り返って口を開く。
「昨日の怖~い先生を呼ぶよ?」
は?
真由子も含め、呆然とした面々の隙をついて、美山は真由子の手を掴んで走り出した。
(えーっ!?)
「み、みやませんせっ」
「悪い、僕喧嘩弱いんで」
「えええ~っ?」
ホテルまで戻った時には、二人はゼイゼイと肩で息をして。真由子は何とか汗に塗れた顔を上げた。
「み、美山先生、ありがとう、ございましたっ」
「や、武藤ちゃんに、話あって、ストーキング、してました」
整わない息のままお礼を言えば、美山からは思いもよらない言葉が返ってくる。真由子は目を見開くが、彼は構わずに。
「でも」
美山が背筋を伸ばして、真由子を見た。その手が繋がれたままだと、今更気付く。
「冴木先生みたいに、格好良く助けられなくて、ごめん」
「そんな!」
真由子は慌てて否定したが、美山の顔は真剣だ。
ーーこんな顔、するんだ。
いつもふざけてて、チャラくて、何を考えているのか、わからなかったけれど。
今の美山は、真由子を心から案じていた。ふざけることも無く、彼女をただ見つめていて。
その好意も。まっすぐに向けられた気持ちも、今なら伝わってきた気がする。
「ありがとうございます。……格好良くはなかったかもしれないけど、素敵でしたよ」
一瞬後に、美山が真っ赤になった。
「あれどう?」
ホテルのロビーにて。ユミが後ろにいた友人達に聞く。
健吾「ヘタレ風味。60点」
拓海「ありきたり。70点」
芽依「恥ずかしい。65点」
遥 「ノーコメント……」
玲一「場所が駄目。20点」
ユミ「冴木先生、辛口~」
皆の視線の先には美山と真由子。彼らが居たのはホテルの入り口、ド真ん中だ。つまり一部始終、見られていたわけで。当事者二人は気付かぬまま、顔を赤らめて俯いている。
「まあ、美山先生にしては頑張ったんじゃないの」
玲一は興味無さそうに言って、遥の肩を抱く。
「何ならお手本を実践したのにな?」
「れ……冴木先生っ」
遥が赤い頬で睨んだ。
「あ、それ是非俺に講義願います」
「あたしも!」
健吾とユミが手を上げた。
*
「あれ?美山先生は?」
玲一にメールで呼び出され、玲一と美山の部屋にやってきた遥だったが、そこに美山は居なかった。
「武藤先生の部屋。同室の先生、また大部屋に飲みに行ってるらしいし」
どうしてうちの学園の教師は皆生徒そっちのけで自由なのかしら……。遥は疑問に思う。口を尖らせた。
「なんだ。またトランプ大会かと思ったのに。美山先生居なきゃつまらない」
「遥ちゃん?俺とじゃダメなのかな?」
「玲一には勝てないもの」
完璧なポーカーフェイスをしてみせる年上の恋人に勝てるゲームなど無い。遥は膨れてみせる。玲一は笑って彼女にちらりと視線を寄越してくる。
「じゃあ、お前が勝てることをしようか」
「そんなのある?」
玲一の言葉に、遥は首を傾げた。
「あるよ。遥にしかできないこと」
彼の腕が遥を抱き寄せて、その唇にキスを落とす。
「俺を、幸せにしてくれること」
遥の身体がキスごとベッドに倒された。視界には天井と、綺麗に微笑む恋人の顔だけ。さらりと、遥の髪をすくって、そこにもキスを落とす。
「それも、勝てないの」
遥はふわりと微笑んで、恋人へ両手を伸ばした。
窓の外で、波の音が響いていた。
*
二泊三日の旅行も終わり、飛行機で帰るのみ。遥が機内に入ったとたん、美山が寄ってきた。自分の搭乗券をヒラヒラと揺らす。
「高嶋、席変わって?」
遥はえ?と聞き返しかけて気付く。生徒が一人余ったからと、遥の席は真由子の隣になっていたのだ。
「先生……生徒より旅行に賭けてたんですね。なんだか中学生みたいで可愛いけど、思いっ切り大人げないですよね」
呆れ顔で遥は言うが、美山はニコニコと聞いていない。
「まあまあ、俺の席はある意味ファーストクラス並みの特等席よ?」
指し示したのは、もちろん、玲一の隣。その玲一は席についたばかりだというのに、やたらCAが寄ってきて、用はないかと聞いている。
「またモテモテ~」
ね?と言う美山が何だかシャクに障るが、やっと真由子とラブラブになれて浮かれているなら、協力してやらなくては。それに。
(玲一の隣は嬉しいし)
さり気なく寄って行って、長い睫を伏せて本に目を落とす彼に声をかけた。
「お隣、良いですか?」
玲一は視線をあげて、苦笑する。
「美山か。まったく何しに来てるんだか」
彼女の姿を見ただけで、事情を理解したらしい。玲一には何もかもお見通しのようだ。遥は彼の隣に座って、離陸を待つ。
「あっという間だったね。楽しかった。……帰るの寂しいくらい」
そう呟けば。玲一が遥の手を握った。
「じゃあまた来る?」
絡めた指を引き上げて、玲一がそこにくちづけた。
「――次は二人で、ね?」
遥は嬉しそうに、恥ずかしそうに、頷いた。
*
後日、泉学園理事長室にてーー
「酷いよ、冴木先生~!僕も行きたかったなああ」
グチグチ文句を言う最高責任者、理事長の泉恭一郎に、玲一はどこまでも冷ややかな視線を投げる。
このダメな大人が理事長とか。本当この学校大丈夫か。
「理事長にご足労頂くようなことは何もありませんでしたよ」
冷たいまま、玲一がピシャリと言った。 理事長は玲一を横目で睨む。
「武藤先生と美山先生の話は?」
“遊べるネタ”には異常なほど敏感な理事長の情報収集力に。
「……アンタ盗聴器でもつけてんの?」
呆れ半分、疑念半分で玲一が聞くが、彼はニヤニヤするだけで答えない。
「君だって楽しかったんだろう?」
まあ、それは否定しない。
答えない玲一の前で、泉理事長は愉しそうに地図を取り出した。ーー世界地図を。
「さて、秋の修学旅行は、どこに行こうかな。冴木先生?」
「うん。ダーツは止めようね?」
そこに残ったのは、楽しそうな理事長と、不機嫌な養護教諭ーー。
ep.2-1 fin.




