遥先生のお説教
「で、負けたんですか」
玲一が呆れた声で言った。彼は遥を送り届けて戻ってきたのだが、それだけにしては時間がかかっていたから、どっかでいちゃいちゃしてきたに違いない。なんて羨ましい、と美山はベッドに突っ伏したまま、しくしくといじける。
「遥の言うとおり、あなた戦略無さ過ぎですね」
玲一は容赦ない。美山は冷たい目線に抗議した。
「そういう冴木先生はどうなんです……いややっぱいい、その顔見れば大体わかるし」
ところが玲一は、意外にも溜め息をつく。
「これでも苦労してるんですよ?」
「え、何なに?冴木先生の苦労って」
身を乗り出して食いつく美山。こんな色男にも苦労なんてあるのか、面白い。
けれどワクワクする彼の前で、玲一はさらりと言ってのけた。
「……彼女が可愛すぎて死にそう」
「ああそう!ご馳走様!」
「理性飛んだらどうしよう」
「もう飛びっぱなしじゃないですか、アンタは!」
ノロケかよ、と美山が毒づく。聞かなきゃよかった!
からかわれたことに腹もたつが、しかし武藤真由子攻略に、一番役立ちそうなのは玲一と遥なのだ。何としてでも協力して貰わなくては。
けれどからかわれたままでは面白くない。美山は意地悪をこめて言ってみる。
「しかし生徒も浮き足立ってるでしょう。高嶋さんも大変なんじゃないですか?」
実際、遥に惚れている男子は美山が知るだけでも1ダース以上居る。教師にだっているがまあ、こちらは玲一が恐くて何も出来まい。けれど生徒は若さ故に怖いもの知らずだ。いつもの学校では無理でも、旅行先の開放感でアタックする奴がいてもおかしくはないし、多分もうされているだろう。それを匂わせてみれば。
「そういう生徒は、まず私を通してもらわないと、ね」
にっこり笑う玲一。完全営業スマイルだ。誰が来ようが彼女を渡すつもりなどないことくらい、美山にも分かる。
「冴木先生じゃ鉄壁の完全防衛じゃん……」
気の毒に。美山は珍しく教師の立場から、教え子達を不憫に思った。
同じ頃。部屋に戻った真由子は、真っ赤な顔を洗った。メイクと一緒に、赤みも流れて消えてしまえばいいのに。
「まさか、冗談だよね」
『俺と付き合って』
美山の言葉が。美山の表情が。真由子の頭をぐるぐるまわる。
真由子と同じく赴任して来たばかりの彼。といっても真由子は新任で、彼は転勤だ。経験値は全く違う。仲はいいけれど、特別に意識したことは無かった。ちょっとカッコいいなくらいは思ったかもしれないが、冴木玲一の圧倒的な美形っぷりに目を奪われていたのもあって。
それにーー真由子は教師になったばかりだ。生徒達との関係ならともかく、自分のことなど考えている余裕も無いのに。
「付き合ってって、ねぇ……」
「付き合って下さい!」
少し空けたままだった扉の向こう、廊下から聞こえた言葉に真由子は固まった。
そっとドアを開けて廊下を伺えば、男子生徒がその向こうに立つ女子生徒に告白しているところだった。
(えぇ~こんなとこで?)
とっくに消灯を過ぎていて、しかも教師の部屋の傍だ。もしかしたら男子生徒は真由子の部屋がここだとは、知らないのかもしれないが。
「……ごめんなさい。私、好きな人がいるから」
その声は。
(た、高嶋さん……)
なるほど、彼女の部屋はこのすぐ近くだ。玲一に送られて部屋まで戻ったのに、その後に呼び出されたのだろうか。廊下といっても生徒たちの部屋からは死角になるし、おそらく何かあったときは直ぐに真由子達教師を呼べる場所。
(さすがのチョイス。冴木先生の教育だろうな~)
真由子は苦笑いした。彼女に見られていることなど気付かず、男子生徒は遥の答えを予想してたのか、頷く。
「冴木先生格好いいもんな。うん、聞いてくれてありがとな」
彼はそのまま去っていって、真由子は残された遥を見た。
(えっ……)
辛そうな顔。相手を傷つけることに、傷ついたような。
(そっか、断る側も嫌な思いをするんだよね)
真由子にはあまり経験がないが。
それでもまっすぐに相手の思いを受け止めて、答えを返す彼女を偉いな、と思う。
私は?もし、美山先生が本気だったら?
ううん、本気じゃなかったら、ってことが怖いのかな。
(あ、なんかまた顔熱くなってきた……)
真由子はもう一度、顔を洗いに洗面所へ戻った。
*
沖縄二日目。遥は同じクラスのユミ、芽依、葉月と一緒に観光名所を巡る。くたくたになるまで歩いて、お土産屋を覗いて。友達と楽しく過ごしていると、ふとユミが声を上げた。
「あれ、武藤先生と美山先生」
視線の先に二人が居る。なにか言い争っているような。
「だからっ!何しに来てるんですか~!私達の仕事は生徒の引率でしょ!」
真由子が真っ赤な顔で叫べば。
「え~生徒達だって楽しんでるじゃん。ね、武藤ちゃん、デートしよーよ」
美山が飄々と言う。
「……」
「……」
唖然とする芽依、葉月。ニヤニヤするユミ。遥がため息をついた。
「戦略、以前の問題……」
*
「反省なさい」
自由行動から戻ってきたホテルの部屋で。
お説教モードの遥に、彼女の眼前でうなだれる美山。
「あの~なんで僕は生徒に反省を促されてるのでしょうか?」
遥は珍しく、口調も態度も遠慮のない様子でたたみかける。
「お黙りなさい。あんな言い方してたら、いつまでたっても武藤先生に信用して貰えませんよ」
とりつくしまもない遥に、美山は彼女の隣の玲一に助けを求める。
「何とかしてよ冴木先生……って、なんであなたはさっきからずっと笑ってんの?」
玲一は彼から離れたソファに座って、笑いを堪えるように肩を震わせていたが、はあ、と息をついて遥を見た。
「遥、もう放っておきな。自業自得」
「え~?」
美山は首を傾げた。
「何がいけないの?」
「全部」
彼の問いに、玲一があっさり言った。
「もすこし相手のことを考えて行動するか、でなかったら旅行が終わるまでそっとしとくべきですよ」
玲一の言葉に、美山はもう一度、反対側に首を傾げる。
「どゆこと?」
「分からないのなら、武藤先生には近づけさせませんよ」
めっと腕組みをする遥に、美山が頬を押さえて呟いた。
「は、はるか先生……!ちょっと叱られるの、快感になってきたかも」
「馬鹿は嫌いです。馬鹿なフリをする大人は、もっと嫌いです」
遥は眉を寄せてそう言ってからーー玲一の視線に気付いて目を伏せた。
「いえ……言い過ぎました。ごめんなさい。ただ、武藤先生は美山先生のうわべだけを見るような人ではないと思うんです」
ぽつりと落とされた言葉に、美山が目を見開いた。咄嗟に玲一を見れば、彼はひどく愛おしそうな顔で遥を見つめていて。
なんだかそれが悔しくて、美山は口を尖らせる。
「格好つけてちゃダメってことですか」
「ダメです」
「でもさー」
「黙って言うことを聞きましょうね、美山先生?」
「……はい」
彼は肩を落として頷く。
……本当に最強なのって、実は冴木先生じゃなくて高嶋ちゃんなんじゃないの?などと思いながら。
美山がタバコを吸いに行く、と部屋を出ると、玲一が遥を手招きし、その膝に座らせて、彼女の腰を抱き寄せた。
「ずいぶん構うな?」
玲一の楽しそうな声に、遥が顔を赤らめる。
「余計なお世話……よね。でも、武藤先生が振り回されてるの、放っておけなくて」
美山が真由子に惹かれているように、真由子も美山に惹かれているのはわかってる。ただ真由子が美山を信用しきれない。美山の態度を見れば頷ける。
傷つきたく無いから、本気を見せないなんて、失礼にも程がある。
「お前も女子ってことかな……でもさ」
玲一はふ、とその魅惑的な微笑みを浮かべた。
「俺のことも、構ってね?……遥」
それは、遥が一番弱い顔。
「……はい」
遥は真っ赤に染まった頬を見られたくなくて、玲一へキスをした。




