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保健室の恋人  作者: 実月アヤ
第一部 ep.1 桜の下で
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知るということ

 どこをどう走ったのか、遥は校舎の四階まで上がっていた。

 この先は、特別教室だらけで、普段の高等部二年生――遥達にはあまり用のない階だ。


「どこよ、ここ……」


 廊下に生徒の影もない。転入時に一度見たきりの生徒手帳に描かれていた、見取り図を思い出そうとするがーーそもそも学校でまわりに誰もいないなんて事態は想定しておらず、誰かに聞けば良いかと真面目に見なかった。

 泉学園は遥が通っていた公立高校とはやはり違っていて、増設を繰り返して広く入り組んだ造りなうえに、付属の大学の施設も繋がっているらしい。ああこれは迷子になりそうだとは思っていたが。


「本気で迷子?も……情けないなあ……」


 こんなところで立ち尽くす自分も。問い詰めておきながら、信じたいと思いながら、結局は知りたくなくて、逃げ出した自分も。

 いつか、冴木に言われた言葉を思い出す。



「真実を知ってどうするの?」


 視線を逸らしたまま、そう言われて、遥は冴木に噛み付くように答えたのだ。


「わからない。でも知りたいんです。姉は優しくて綺麗で何でもできた。自殺なんてありえない!でも事故ならなんでそんなことになったのか……!」


 言いつのる遥をやっと見て、冴木は言う。


「……姉さんだって人間だよ。ましてや十代のガキ。完璧なんてありえない。それはお前の理想の押し付けじゃないのか」


 遥は目を見開く。


「“完璧な桜に不幸なんてあってはならない”?盲信的になると見失うぞ、色々。姉さんにだって言えない隠し事くらいあるだろう。何かを守る為に必死で隠すことだって」


 静かな、だけどはっきりした声が遥を揺らす。厳しい言葉の筈なのに、なぜか胸に響いた。そして言葉に詰まって俯いた遥を見て、冴木は彼女の頭をポンと叩く。


「大事な相手だからこそ隠したい、ってこともある。……お前は本当に水樹桜の全てを知りたいの?」



 遥の髪をさらりと掬った優しい手。その時には、遥は何も答えられなかった。

 だけど今は、桜のことだけを気にかけているわけじゃないのだ。だから余計に混乱する。

 わからない。知りたい、知りたくない。桜のこと、冴木のこと。


 遥は溜め息をついた。

 いつの間にか廊下から差し込む光はオレンジ色になっていて、グラウンドで部活中の生徒の声が遠くに聞こえた。


「……本気で校舎内遭難するかも」


 校舎を閉める時間まで居れば、警備員が見つけてくれるだろうか。ちょっとそれは避けたい。恥ずかしすぎる。呟いた遥に後ろから声が掛けられた。


「あれ?あんた確か」


 男子生徒が近付いてくる。同級生には見ない顔だ。先輩だろうか。


「水樹のこと聞きまわってたよな。……いいとこで会った」

「え……?」


 戸惑う遥を気にも留めず男子生徒は手招きして歩いていく。


「教えてやるよ、水樹のこと。ついてきな」



 一方で。遥に去られた冴木は、はあ、と溜め息をついた。


「放置プレイですか……」


 疲れたように、壁へ寄りかかる。

 本当は全て答えてしまいたかった。遥の真っ直ぐな瞳に、嘘をつくのは正直苦しい。だからせめて、黙っているしかなくて。

 あの視線は、苦手だ。ずっと見ていたくなるし、捕まえたくなる。傷ついていて無防備なくせに、たまにこちらに衝撃を与えるほど強くてーー綺麗な……って。


「……やば」


「冴木先生、何か悩み事ですか」


 ふと見れば、いつからだろうか、遥の担任の谷村が冴木を見ていた。


「あ~煙草吸いたいなー……とか。喫煙所遠いから面倒ですよね」


 ニコリ、と女生徒なら一瞬で失神しそうな、ごくたまに男性も失神させることもある、有無を言わさぬ笑顔で返してみる。けれど谷村は探るような視線を向けて。


「僕は吸わないので。……さっき、高嶋と何か話してましたね。随分彼女にこだわるようですけど……」


 そこから見てたか。

 笑顔は少し含みのあるものに変えて、意味ありげに口を開いた。


「そう?可愛い生徒ですから。あいつもーー」


 そこで言葉を切って、冴木が谷村を見た。


「水樹も」


 鋭い視線に、谷村が怯む。


「冴木……」

「お前にとってもだろ?谷村チャン」


 崩した口調と、その一気に変わった雰囲気に気圧されて、冴木の目から逃れるように、谷村が窓の外に目を向けた。


「もう……遅い」


 彼から発せられた呟きに、冴木が目を見開いた。谷村の視線を追って、振り返る。


「遥」



 案内された特別教室の扉を開けた途端、遥は異様な雰囲気に気が付いた。教室の中には上級生らしき男子生徒が三人。彼女を見て、にやにやと笑う。

 振り返る間もなく、遥を連れてきた男子生徒が後ろ手に戸を閉めた。


 なんだか、マズい気がする。


 遥は不穏な空気に後ずさるが、扉の前に立ちふさがる男子生徒が彼女を阻んで。逃げられない、と感じてジワジワ恐怖が増してゆく。


「もう死んだやつの、何を嗅ぎまわってんの?」


 遥のかすかな怯えを感じ取ったのか、嘲笑うように、一人が言った。


「高校生にもなって探偵ごっこはウザイでしょ~」

「せっかくカワイーんだからさ。そんなことよりもっと楽しいことしよーよ、ねぇ」


 男子生徒の一人が遥の肩を掴んだ。もう一人が反対側の手首を掴む。


「やめてよ!」


 遥が反射的に叫んだ。


「お~気ぃ強いねぇ」


 ふざけた口調で言われて、かすかに怒りが怯えを上回る。遥は手を振り払おうとするが、がっちりと掴まれ身動きがとれない。ひたすら逃げようと身を捩った。


「放してったらーーきゃあ!」


 次の瞬間、遥は床に押し倒されたーー 。

 一瞬でスゥっと全身の血が逆流したかのように、悪寒が走る。


「や! やめて!」


 のしかかってくる男子生徒の重みから逃れようとしたが、遥の力ではどうにもならない。


 嫌だ、嫌だ、嫌だーー!!

 必死で手足をばたつかせ、悲鳴をあげた。彼らの嘲笑う声が、遥の耳に響く。


「い、やぁっ……!」


 あっという間に増殖した恐怖に、震える指先で相手を押し戻そうとした。

 けれど。


「ほどほどにしとけよ、あの女みたいに死なれちゃかなわねぇから」


 耳に入ってきた言葉に、一瞬すべての思考が止まった。


『あの女みたいに』

『死なれちゃ』


 さくら。


「あんたたち……桜に何をしたの……」


 震える声で問えば、4人は下卑た笑い声をあげた。ーーそれが、答え。


 嘘。

 あんなに綺麗な桜が、清楚な桜が、こんな奴らにいいようにされるわけない。

 こんなの、嘘だ。


 衝撃に、遥は思考を止めた。桜の笑顔が脳裏に浮かんでーー消えた。

 もう何も考えたくない。知りたくない。


「桜……」


 ただ、その名を呟いた遥の、抵抗していた手がぱたりと降ろされる。

 誰かの手が、遥の制服の胸元を掴んだ。涙がひとすじ、零れ落ちる。


 そのとき。



 ーーガラッ!!



 教室のドアが大きな音を立てて開け放たれた。逆光で、顔は見えないけれど、どうやら教師のようだ。


「おい、何やってる!?」

「うわやべっ」


 怒鳴り声に、男子らは慌てて遥から離れ、飛び出していく。早足で彼女に近付く足音と、遥を覗き込む相手。その目は焦りと心配の色を浮かべていた。


「大丈夫か」


 聞いてきたのは……。


「冴木センセ……」


 冴木は一目で状況を察したらしい。チッと舌打ちして廊下を見るが、すでに男子生徒たちは逃げ出した後だった。

 どうして冴木先生がココに。


「何で……?」

「向かいの校舎から、ここだけ不自然にカーテンが閉まってんのが見えたんだよ」


 冴木は巧妙に、“何故ここがわかったのか”だけを伝えた。遥の小さい呟きは、しっかり冴木に届いたらしい。彼女に答えながらしゃがみこんで更に近付く。

 遥は床に倒れたまま、視線だけで冴木を見た。しかしその目に力は無い。頬を、涙が滑り落ちていった。


「もう、良かったのに。私なんか、どうなっても」

「はあ?……何言ってるの、お前」


 怪訝な顔が、やがて反応のない遥を見つめるうちに腹立たしげなものに変わって、冴木が言った。遥は涙に濡れた瞳で、彼を見上げて。


「先生……桜は、自殺なの?」

 茫然と、呟く。


 冴木はぐっと眉を寄せた。無言で遥の傍へしゃがみこんだまま、乱れた胸元を直してやる。


「さあな。……どっちだろうが、自分の身をまず守れよ」

「私はもういい……桜ちゃんがいない。だから生きてる意味なんてない」


 囁くように言う遥の顔を、冴木が覗き込んだ。その瞳は怒りに満ちて、細められている。


「お前、養護教諭の前でそのセリフ?喧嘩売ってますかー?」


 遥のあまりにも安直で、軽々しい言葉は、彼の逆鱗に触れたのか。軽口に紛れさせているが、その瞳はどんどん剣呑さを帯びていく。 それでも何も反応しない遥に、冴木は苛ついたように口を開く。


「ああ、そうかよ。じゃあお前が自分を要らないなら、俺が好きにしてもいいよな」


 そうして遥に手を伸ばすと、先程直した胸元を、同じ手で今度はかき開いた。唇を寄せて首筋から鎖骨を荒々しく辿る。


「逃げるなら今のうちだぞ」


 綺麗なその顔で、挑むように言われた言葉も、遥には届かない。


 なんで……?なんで、冴木先生は怒ってるんだろう……。

 私のことなんて、どうでもいいくせに。

 本当の心なんて、見せてくれないくせに。


 ぼんやりと思いながら、遥は冴木にされるがままになっていた。

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