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保健室の恋人  作者: 実月アヤ
サイドストーリー 3.
37/75

悠の物語・前

 さらさらと零れ落ちる長い髪。柔らかい、肌。


「ユウ……」


 媚びた視線と、艶を含んだ声を無視して、首に回された腕を掴む。


「黙って。後ろ向いてろ」


 現実をすり替えて、彼女の面影を追う。

 ……俺って、最低。



 俺は水樹悠(ミズキユウ)大学三年生。見た目ホストとか言われるけど、れっきとした教育学部の学生。

 今、気になってる子がいる。

 親の子連れ再婚でできた義妹、桜。その実の妹、高嶋遥。

 遥は母方に引き取られていたから、俺はごくたまに桜に会いに来る遥と関わるくらいで、それほど交流もなかったのに。高校生になった彼女は、目を奪われるほど綺麗になっていた。

 柔らかな微笑みと見え隠れする艶と。強い意志の瞳。ひたむきに愛情を捧げる一途さは、俺には縁がないもの。

 だから余計、眩しかったんだ。



「あんたまた女変えたんだって?」


 大学で講義を終えて荷物をまとめていると、同じ学部の 佐久間マキが隣にやって来て、呆れ顔で言った。


「うるせ」


 軽く悪態をつくのが、こいつへの返事の仕方。


「最近入れ替わるの早くない?しかもみんな同じようなタイプでさ……」


 マキの言葉もロクに頭に入らない。のが、良くなかった。適当な返事を返していたら、この遠慮のない友人はさっさと話を進めていたのだ。


「ね、今日ユウんちで課題ね。アキラたち後で行くってさ」

「はあ?」


 何で毎回、家主の許可を取らずに話を進めるんだ?しかも、1人暮らしでもない、実家住まいなのに。いくらうちが大学から徒歩三分でも、おまえら自由すぎだ。


「今日は、ダメ。……お客さんが来るから」

「お客さん?そんなイヤあな顔して?」


 マキは鋭い。今日来るのは俺にとっては招かざる客。


「俺の客じゃねぇよ。……俺の、父親に会いに来るんだよ」


 ジリジリと、胸が痛むのを感じて、俺は溜め息をついた。



 授業を終えて、大学の門を出ると、後ろから肩を叩かれた。振り返れば、ゼミの仲間である男女数人がそこにいる。


「よ~ユウ!今日宜しく~」


 “宜しく?”

 

 後ろからゆったり付いてくるマキを睨む。彼女は軽く肩を竦めた。


「今日は無理っつったろ」

「あたしは言ったわよ。でもさ」


 ……ああ、みんな聞いてないわけね。

 もう家はすぐそこだ。盛り上がってる奴らを止めようとした時。


「わ、誰あれ」

「ユウ、お前んちの前に美少女がいる!」


 あ。

 慌てて前に出ると、そこにいたのは髪の長い、綺麗な女子高生。


「遥……ちゃん」


 呼び掛ければ、ふわりとあの、笑顔で返してきた。


「悠君、こんにちは」


 微笑む彼女に、男共が色めき立つ。ああ、ますます可愛くなってる。


「か、可愛い~!」

「ユウの何?彼女!?」


 ……あー俺もそうだったらって、思うさ。


「違う」


 ムッとして言えば、マキが眉を上げた。小さな声で言ってくる。


「最近のあんたの好みそのものじゃん……ん?」


 その目が大きく開かれた。視線を追えば。


 「あ」


 カジュアルなジャケットに身を包んだ、長身の男。整った容貌。サラサラと揺れる髪をかきあげる姿はイヤミな程に完璧。その姿勢の良さがまたムカつく。


「冴木、玲一……」


 招かれざる客。俺にとっては出来れば目にも入れたくない存在。


「車、停められた?」


 遥が冴木に聞く。コインパーキングにでも行っていたのか。……来なくて良かったのに。視線に気付いたのか、ふと奴が俺を見た。


「どうも」


 会釈すれば冴木も同じように返し、俺の後ろで騒ぐ男共を見て軽く瞬きをした。遥に目を移して、ふ、と笑う。


「行こうか」


 その手が、遥の腰を自然にサラリと引き寄せて。もうそれだけであの二人の雰囲気には入れない。ああ、このバカ男共への牽制か。それは俺も入っているのか。

 彼らはそのまま、うちへと入っていった。


「はあ~上等なオトコねぇ……」


 マキが溜め息まじりに称した。他の女もうっとりと冴木を見ていた。男共は呆然。俺もだけど。


 ……冴木は、遥の父親(つまりは俺の義父)に、挨拶に来たんだ。遥との、交際……ひいては婚約の許可を得に。

 高校の養護教諭である冴木と、生徒である遥の交際が学校にバレて。きちんと形を整えようということになったらしい。冴木が以前学内の暴漢から遥を守ったとかで、親達には恩人扱いだ。遥の母は冴木の悩殺スマイルに、三秒で陥落したらしいし、もう家に上がり込むほどの仲らしい。父も外面だけは完璧な冴木に良い感情を持ってる。多分、反対はされないだろう。……ムカつく。


「あれは、ダメだわ。勝ち目ないよ、ユウ」


 マキが憐れむように言った。


「……あの子があんたの好みなんじゃなくて、最近の日替わり彼女は、あの子の代わりなんでしょ?」


 見透かされてる。マキは本当に鋭い。


「だからか。最近ヤるとき相手の顔を絶対見ないそうじゃない。最低ー」


 ……すみません、何で俺のプライバシーがだだ漏れなんでしょうか。誰だよ、軽々しく情報開示してんのは。肩を落とす俺に、男の友人たちは憐れみの目を向け、女達は軽蔑の目を向ける。


「ユウ、まあ、うん。……ドンマイ」


 フォローになってねー。

 でもさ、こーゆーのもギブアンドテイク、だろ。


『ユウって顔いいよね~』

『連れて歩くの自慢だわー』


 オンナ共は俺の顔しか見てない。俺はオンナ共の顔を見ない。

 んで、気持ちイイことだけ共有できればいいんじゃねぇの?……なんて。

 本当は、わかってる。

 誰と居ても。誰を抱いても。

 彼女の代わりなんていない。

 誰にも代わりなんてできない。


「……アンタ重い。重すぎるわチャラ男のくせに!」


 呆れた声でマキが言った。……何気に酷い。


「そんなに好きならさ~……奪っちゃえば?」


 悪魔の囁き。


「なんだよ、お前がそんなこと言うなんてな」


 割とマトモな奴だと思ってたのに。マキはうひひ、と笑う。


「イヤ~あんな最上級の色男初めてだもん。是非とも合コン要員に……」

「イヤならないだろ。ドSで冷酷だぞ。彼女以外は女どころか哺乳類として見てるかも怪しいぞ」


 夢を見るな、マキ。……俺のためじゃなくて、自分の欲のためかよ。

 マキはふと思いついたように、俺に聞いてくる。


「そいえばアンタ、教育実習期間じゃなかったっけ。女子高生喰いまくりじゃないの?」

「……遥のいる学校で、他のに手ぇ出せるかよ」


 マキは目を見開いて、大爆笑しやがった。

 クソ。自分でも似合わねーのはわかってんだよ!


「てか、ユウが先生とか、そっからありえないよね~」


 俺の大学生活を全否定かよ。彼女と彼女の親友だって、到底教育者に向いているとは思えないが。あれ……?まてよ?


「マキ……俺、何で教育学部なんだっけ?」


 マキは、またしても大爆笑。……クソ。



 今日は教育実習日。俺の実習先は母校でもあり、遥が通う私立泉学園。ついでに冴木の勤務先。今は非常勤だけど、遥の傍にいるってことには変わりない。ムカつく。

 俺が教室に入った途端、きゃあきゃあ盛り上がる女子高生たち。わかりやすい。チョロいもんだ。

 しかし授業が始まったって、俺の言葉を聞いてるやつなんて居るのか?顔ばかり見て、頬染めてクスクスと笑うばかりで。モノを教える楽しさより、モノにする愉しさを覚えてしまった俺には、高校の先生なんて向いてないのかも。


「水樹せんせー」


 授業後、女子たちの群れを振り切って職員室に戻ろうとした俺に、一人の男子生徒が声を掛けてきた。


「え?」

「あ、岡本ッス。さっきの授業で質問、いいすか?」


 え。思いがけない、マトモな反応に、驚いてしまった。どんだけ教師の自覚が無いんだよ、俺は。


「岡本」


 あ、この声。嫌な予感に、振り返った。そこに居たのはやっぱり、白衣の“保健室の先生”冴木玲一だ。


「松本見なかった?雑用頼んだんだけど」


 俺の目の前にいる男子にそう聞いた。


「タクミなら部活仲間とデートですよ。バッシュ買いに。はい先生」


 岡本が冴木に差し出した紙に『捜さないで下さい(特に冴木先生)』と書いてある。


「チッ、逃げたか」


 なんだ、コイツら……。冴木が俺を見た。


「話中に邪魔したな」


 なんだかその飄々とした表情にムカついて、冴木の腕を掴んだ。生徒の前だと言うのも忘れて口を開く。


「冴木先生。……合コン行かない?」

「うん、行かない」


 即答かよ。


「てか、君が俺を誘う意味もわからないね。俺達そんなくだけたオトモダチだっけ?」


 白々しい、と冷たい目で見てくる様は予想通り。


「面子が足りねーんだよ。アンタならいい女寄せになるし。俺の顔立てて」


 とっさにそんな事を口走ってみた。


「そんなんで立てられない顔なら倒れてしまえ。だいたい俺を連れてってどうするワケ?遥以外に興味無い俺を」


 やっぱり、予想通りだ。


「遥ちゃん以外興味ないから、女持ってかれないですむじゃん。ね、冴木先生、来てくれないと父に言いつけちゃうよ。アンタが日頃遥に保健室でアレコレしてること」

「信じないと思うけど」


 冴木はせせら笑う。俺の親からの評価を正しく認識しているらしい。だからとっておきの一言を放ってやる。


「俺の意見ならね。でも遥ちゃんなら、父に問い詰められて嘘つけないと思うよ~」


 冴木が俺を睨みつけた。……ちょっと迫力あるなあ。俺も負けずにヘラヘラと笑い返す。何としてでも引っ張り出してやる。んで、『遥強奪計画』を成功させてやる――!

 岡本が面白そうに俺らのやり取りを眺めて言った。


「後でどうなったか聞かせて下さいね」


 おう。任せとけ!

 冴木が顔をしかめて俺を見た。


「一回限りだからな」


 面倒とありありと顔に書いてある。


「二度と呼ぼうなんて考えを起こさないようにしてやる」


 ……すみません、何するつもりよ、先生?



 金曜の夜。割とすんなり、冴木は合コンに現れた。


「キャー、ステキ!」


 マキ、目の色変わってんぞ。

 突然現れた超最高級品に、女共は色めき立つ。マキの友人は肉食女子ばっかだから、ガンガン食らいついてくれる筈。でも、あの冴木だしな~……。

 この考えを俺は後に後悔することとなる。


「え~冴木さんて、保健の先生なんですかあ?白衣似合いそ~」

「そう?そんなことないよ」

「やだあ、診察されたーい」

「いいよ、いつでも。保健室でならね」


 ……誰ッスか??

 始まってみたら、俺は茫然。冴木玲一は不機嫌に黙るかと思いきや、色気三割り増しで愛想良い。女共は完全に冴木に参ってる。

 あ、……やられた。完全に女共を虜にしている冴木に、男チームは超いたたまれないオーラだ。


「ど、独占禁止~!こっちとも話そーよ、ね?マキ」

「うっせぇ。今大事なトコなんだよ!」


 マキさん!性格変わってますが!!


「誰だよ、あんな桁違いのモテ男連れて来たの~」

「もう二度と誘うな」


 嘆く男チーム。冴木が横目でチラリとみて、にやっと笑った。

 ……これを狙ってたんだ。確かにこれで二度と冴木を合コンに呼ぼうとは思えないだろう。


「冴木さんは~どんな子がタイプ?」


 マキがベタベタと冴木に絡む。


「えーと、髪はロングで目はぱっちりで、肌が白くて柔らかくて、従順な割に意志が強くて、笑顔と恥ずかしがる顔が押し倒したくなるくらい可愛い子」

「……スッゴい具体的ー」


 冴木の言葉に、遥を思い出したのか、マキが引きつった顔をした。そういえば。


「遥には何て言ってきたの?」


 他に聞こえないように、小声で冴木に聞く。


「正直に言ってきたよ。『悠君が1人で合コンに行けないって泣きつかれたから、ちょっくら付き添ってくる』ってね」


 ……もの凄く、悪意を感じますが。


「で、彼女は許してくれたの?」


 俺の問いに、冴木が不機嫌そうに言う。


「……快諾。何でも俺と君が仲良くするのが嬉しいらしいよ?……君は遥の大好きな桜の兄だし」


 ちくり。良心が痛む、ような。……が、俺にそもそも痛むほどの良心なんて無い。てっきり遥は泣くかと思ったけど。……いやいや、陰で泣いてるかもな。そしたら俺が慰めよう。


「……でも合コン、て言った時はあり得ないくらいの笑顔だったな。あれは怒ってるかも」


 真顔で冴木が呟いた。……コイツにも怖いものがあるのか。


 なんとか全員が歓談するようになってきて、しばらくトイレに行こうと席を立った。店の廊下でふと目に入った後姿に立ち止まる。長い髪に、細い腰。反射的に呼び止めてしまった。


「遥ちゃん?」


 俺の声に振り返った女は、全く別人だった。が、俺を見て駆け寄って来る。


「ユウ、何で連絡くれないの?待ってたのに。この店に良く来るって聞いて、探してたんだよ?」


 あ。とっさに記憶を探る。俺が遊んで、ほったらかしたオンナの1人か。遥と見間違うくらい後姿が似てるなら、多分俺は手を出したんだろう。けど正直、記憶にない。


「悪ィけど……」


 俺が忘れてるってことを感じ取ったのか、女が顔色を変えた。一気につり上がった目に後ずさる。


「ヒドい、ユウ……!好きだったのに!」


 は、と気が付いた時には、腕に鋭い痛みが走っていた。


「!?」


 オンナの手に、カッターナイフが握られていて。


「ユウ……!」


 嘘だろ。なんでそんなもん持ってるんだ!最近の女は刃物を常備してんのか!?


『あんたいつか刺されるわよ』


 いつものマキの言葉が一瞬で脳裏に浮かんだ。

 嘘だろ。本気で、こんなことあるのか!?


 向かってくるオンナに、俺はただ立ち尽くす。

 畜生、昨日再放送で観た、懐かしの愛憎ドラマにそっくりだ!


 切っ先が、スローモーションのように、俺の胸に――


 死ぬ――!!



 ――『ガツッ!』



 鈍い音がして、長い脚が視界を遮った。オンナの手を蹴り上げ、カッターナイフが宙を飛ぶ。オンナの悲鳴をかき消すように、低い声が俺を呼んだ。


「水樹、カッター拾え!」


 とっさに従って、カッターへ飛びつく。振り返れば、冴木がオンナを取り押さえていた。


「怪我は?……してるな」

 

 俺はぶんぶんと頷くことしかできない。その間にも騒ぎに出てきた店員にオンナを任せて、冴木が俺に近寄った。タオルで俺の切り裂かれた腕をギュウギュウ押さえる。


「さ、冴木センセー……」


 冴木が茫然と呟く俺を見た。その冷静きわまりない綺麗な顔に、つい口からぼろりと言葉が落ちる。


「……今なら抱かれてもいい」

「俺が願い下げだ、阿呆」


 呆れた声と、止血している腕に更に圧力が加えられた。


「痛い!!痛い!!」

「死ぬよりマシでしょ」


 ……冴木先生、厳し過ぎます。

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