悠の物語・前
さらさらと零れ落ちる長い髪。柔らかい、肌。
「ユウ……」
媚びた視線と、艶を含んだ声を無視して、首に回された腕を掴む。
「黙って。後ろ向いてろ」
現実をすり替えて、彼女の面影を追う。
……俺って、最低。
俺は水樹悠大学三年生。見た目ホストとか言われるけど、れっきとした教育学部の学生。
今、気になってる子がいる。
親の子連れ再婚でできた義妹、桜。その実の妹、高嶋遥。
遥は母方に引き取られていたから、俺はごくたまに桜に会いに来る遥と関わるくらいで、それほど交流もなかったのに。高校生になった彼女は、目を奪われるほど綺麗になっていた。
柔らかな微笑みと見え隠れする艶と。強い意志の瞳。ひたむきに愛情を捧げる一途さは、俺には縁がないもの。
だから余計、眩しかったんだ。
「あんたまた女変えたんだって?」
大学で講義を終えて荷物をまとめていると、同じ学部の 佐久間マキが隣にやって来て、呆れ顔で言った。
「うるせ」
軽く悪態をつくのが、こいつへの返事の仕方。
「最近入れ替わるの早くない?しかもみんな同じようなタイプでさ……」
マキの言葉もロクに頭に入らない。のが、良くなかった。適当な返事を返していたら、この遠慮のない友人はさっさと話を進めていたのだ。
「ね、今日ユウんちで課題ね。アキラたち後で行くってさ」
「はあ?」
何で毎回、家主の許可を取らずに話を進めるんだ?しかも、1人暮らしでもない、実家住まいなのに。いくらうちが大学から徒歩三分でも、おまえら自由すぎだ。
「今日は、ダメ。……お客さんが来るから」
「お客さん?そんなイヤあな顔して?」
マキは鋭い。今日来るのは俺にとっては招かざる客。
「俺の客じゃねぇよ。……俺の、父親に会いに来るんだよ」
ジリジリと、胸が痛むのを感じて、俺は溜め息をついた。
授業を終えて、大学の門を出ると、後ろから肩を叩かれた。振り返れば、ゼミの仲間である男女数人がそこにいる。
「よ~ユウ!今日宜しく~」
“宜しく?”
後ろからゆったり付いてくるマキを睨む。彼女は軽く肩を竦めた。
「今日は無理っつったろ」
「あたしは言ったわよ。でもさ」
……ああ、みんな聞いてないわけね。
もう家はすぐそこだ。盛り上がってる奴らを止めようとした時。
「わ、誰あれ」
「ユウ、お前んちの前に美少女がいる!」
あ。
慌てて前に出ると、そこにいたのは髪の長い、綺麗な女子高生。
「遥……ちゃん」
呼び掛ければ、ふわりとあの、笑顔で返してきた。
「悠君、こんにちは」
微笑む彼女に、男共が色めき立つ。ああ、ますます可愛くなってる。
「か、可愛い~!」
「ユウの何?彼女!?」
……あー俺もそうだったらって、思うさ。
「違う」
ムッとして言えば、マキが眉を上げた。小さな声で言ってくる。
「最近のあんたの好みそのものじゃん……ん?」
その目が大きく開かれた。視線を追えば。
「あ」
カジュアルなジャケットに身を包んだ、長身の男。整った容貌。サラサラと揺れる髪をかきあげる姿はイヤミな程に完璧。その姿勢の良さがまたムカつく。
「冴木、玲一……」
招かれざる客。俺にとっては出来れば目にも入れたくない存在。
「車、停められた?」
遥が冴木に聞く。コインパーキングにでも行っていたのか。……来なくて良かったのに。視線に気付いたのか、ふと奴が俺を見た。
「どうも」
会釈すれば冴木も同じように返し、俺の後ろで騒ぐ男共を見て軽く瞬きをした。遥に目を移して、ふ、と笑う。
「行こうか」
その手が、遥の腰を自然にサラリと引き寄せて。もうそれだけであの二人の雰囲気には入れない。ああ、このバカ男共への牽制か。それは俺も入っているのか。
彼らはそのまま、うちへと入っていった。
「はあ~上等なオトコねぇ……」
マキが溜め息まじりに称した。他の女もうっとりと冴木を見ていた。男共は呆然。俺もだけど。
……冴木は、遥の父親(つまりは俺の義父)に、挨拶に来たんだ。遥との、交際……ひいては婚約の許可を得に。
高校の養護教諭である冴木と、生徒である遥の交際が学校にバレて。きちんと形を整えようということになったらしい。冴木が以前学内の暴漢から遥を守ったとかで、親達には恩人扱いだ。遥の母は冴木の悩殺スマイルに、三秒で陥落したらしいし、もう家に上がり込むほどの仲らしい。父も外面だけは完璧な冴木に良い感情を持ってる。多分、反対はされないだろう。……ムカつく。
「あれは、ダメだわ。勝ち目ないよ、ユウ」
マキが憐れむように言った。
「……あの子があんたの好みなんじゃなくて、最近の日替わり彼女は、あの子の代わりなんでしょ?」
見透かされてる。マキは本当に鋭い。
「だからか。最近ヤるとき相手の顔を絶対見ないそうじゃない。最低ー」
……すみません、何で俺のプライバシーがだだ漏れなんでしょうか。誰だよ、軽々しく情報開示してんのは。肩を落とす俺に、男の友人たちは憐れみの目を向け、女達は軽蔑の目を向ける。
「ユウ、まあ、うん。……ドンマイ」
フォローになってねー。
でもさ、こーゆーのもギブアンドテイク、だろ。
『ユウって顔いいよね~』
『連れて歩くの自慢だわー』
オンナ共は俺の顔しか見てない。俺はオンナ共の顔を見ない。
んで、気持ちイイことだけ共有できればいいんじゃねぇの?……なんて。
本当は、わかってる。
誰と居ても。誰を抱いても。
彼女の代わりなんていない。
誰にも代わりなんてできない。
「……アンタ重い。重すぎるわチャラ男のくせに!」
呆れた声でマキが言った。……何気に酷い。
「そんなに好きならさ~……奪っちゃえば?」
悪魔の囁き。
「なんだよ、お前がそんなこと言うなんてな」
割とマトモな奴だと思ってたのに。マキはうひひ、と笑う。
「イヤ~あんな最上級の色男初めてだもん。是非とも合コン要員に……」
「イヤならないだろ。ドSで冷酷だぞ。彼女以外は女どころか哺乳類として見てるかも怪しいぞ」
夢を見るな、マキ。……俺のためじゃなくて、自分の欲のためかよ。
マキはふと思いついたように、俺に聞いてくる。
「そいえばアンタ、教育実習期間じゃなかったっけ。女子高生喰いまくりじゃないの?」
「……遥のいる学校で、他のに手ぇ出せるかよ」
マキは目を見開いて、大爆笑しやがった。
クソ。自分でも似合わねーのはわかってんだよ!
「てか、ユウが先生とか、そっからありえないよね~」
俺の大学生活を全否定かよ。彼女と彼女の親友だって、到底教育者に向いているとは思えないが。あれ……?まてよ?
「マキ……俺、何で教育学部なんだっけ?」
マキは、またしても大爆笑。……クソ。
今日は教育実習日。俺の実習先は母校でもあり、遥が通う私立泉学園。ついでに冴木の勤務先。今は非常勤だけど、遥の傍にいるってことには変わりない。ムカつく。
俺が教室に入った途端、きゃあきゃあ盛り上がる女子高生たち。わかりやすい。チョロいもんだ。
しかし授業が始まったって、俺の言葉を聞いてるやつなんて居るのか?顔ばかり見て、頬染めてクスクスと笑うばかりで。モノを教える楽しさより、モノにする愉しさを覚えてしまった俺には、高校の先生なんて向いてないのかも。
「水樹せんせー」
授業後、女子たちの群れを振り切って職員室に戻ろうとした俺に、一人の男子生徒が声を掛けてきた。
「え?」
「あ、岡本ッス。さっきの授業で質問、いいすか?」
え。思いがけない、マトモな反応に、驚いてしまった。どんだけ教師の自覚が無いんだよ、俺は。
「岡本」
あ、この声。嫌な予感に、振り返った。そこに居たのはやっぱり、白衣の“保健室の先生”冴木玲一だ。
「松本見なかった?雑用頼んだんだけど」
俺の目の前にいる男子にそう聞いた。
「タクミなら部活仲間とデートですよ。バッシュ買いに。はい先生」
岡本が冴木に差し出した紙に『捜さないで下さい(特に冴木先生)』と書いてある。
「チッ、逃げたか」
なんだ、コイツら……。冴木が俺を見た。
「話中に邪魔したな」
なんだかその飄々とした表情にムカついて、冴木の腕を掴んだ。生徒の前だと言うのも忘れて口を開く。
「冴木先生。……合コン行かない?」
「うん、行かない」
即答かよ。
「てか、君が俺を誘う意味もわからないね。俺達そんなくだけたオトモダチだっけ?」
白々しい、と冷たい目で見てくる様は予想通り。
「面子が足りねーんだよ。アンタならいい女寄せになるし。俺の顔立てて」
とっさにそんな事を口走ってみた。
「そんなんで立てられない顔なら倒れてしまえ。だいたい俺を連れてってどうするワケ?遥以外に興味無い俺を」
やっぱり、予想通りだ。
「遥ちゃん以外興味ないから、女持ってかれないですむじゃん。ね、冴木先生、来てくれないと父に言いつけちゃうよ。アンタが日頃遥に保健室でアレコレしてること」
「信じないと思うけど」
冴木はせせら笑う。俺の親からの評価を正しく認識しているらしい。だからとっておきの一言を放ってやる。
「俺の意見ならね。でも遥ちゃんなら、父に問い詰められて嘘つけないと思うよ~」
冴木が俺を睨みつけた。……ちょっと迫力あるなあ。俺も負けずにヘラヘラと笑い返す。何としてでも引っ張り出してやる。んで、『遥強奪計画』を成功させてやる――!
岡本が面白そうに俺らのやり取りを眺めて言った。
「後でどうなったか聞かせて下さいね」
おう。任せとけ!
冴木が顔をしかめて俺を見た。
「一回限りだからな」
面倒とありありと顔に書いてある。
「二度と呼ぼうなんて考えを起こさないようにしてやる」
……すみません、何するつもりよ、先生?
*
金曜の夜。割とすんなり、冴木は合コンに現れた。
「キャー、ステキ!」
マキ、目の色変わってんぞ。
突然現れた超最高級品に、女共は色めき立つ。マキの友人は肉食女子ばっかだから、ガンガン食らいついてくれる筈。でも、あの冴木だしな~……。
この考えを俺は後に後悔することとなる。
「え~冴木さんて、保健の先生なんですかあ?白衣似合いそ~」
「そう?そんなことないよ」
「やだあ、診察されたーい」
「いいよ、いつでも。保健室でならね」
……誰ッスか??
始まってみたら、俺は茫然。冴木玲一は不機嫌に黙るかと思いきや、色気三割り増しで愛想良い。女共は完全に冴木に参ってる。
あ、……やられた。完全に女共を虜にしている冴木に、男チームは超いたたまれないオーラだ。
「ど、独占禁止~!こっちとも話そーよ、ね?マキ」
「うっせぇ。今大事なトコなんだよ!」
マキさん!性格変わってますが!!
「誰だよ、あんな桁違いのモテ男連れて来たの~」
「もう二度と誘うな」
嘆く男チーム。冴木が横目でチラリとみて、にやっと笑った。
……これを狙ってたんだ。確かにこれで二度と冴木を合コンに呼ぼうとは思えないだろう。
「冴木さんは~どんな子がタイプ?」
マキがベタベタと冴木に絡む。
「えーと、髪はロングで目はぱっちりで、肌が白くて柔らかくて、従順な割に意志が強くて、笑顔と恥ずかしがる顔が押し倒したくなるくらい可愛い子」
「……スッゴい具体的ー」
冴木の言葉に、遥を思い出したのか、マキが引きつった顔をした。そういえば。
「遥には何て言ってきたの?」
他に聞こえないように、小声で冴木に聞く。
「正直に言ってきたよ。『悠君が1人で合コンに行けないって泣きつかれたから、ちょっくら付き添ってくる』ってね」
……もの凄く、悪意を感じますが。
「で、彼女は許してくれたの?」
俺の問いに、冴木が不機嫌そうに言う。
「……快諾。何でも俺と君が仲良くするのが嬉しいらしいよ?……君は遥の大好きな桜の兄だし」
ちくり。良心が痛む、ような。……が、俺にそもそも痛むほどの良心なんて無い。てっきり遥は泣くかと思ったけど。……いやいや、陰で泣いてるかもな。そしたら俺が慰めよう。
「……でも合コン、て言った時はあり得ないくらいの笑顔だったな。あれは怒ってるかも」
真顔で冴木が呟いた。……コイツにも怖いものがあるのか。
なんとか全員が歓談するようになってきて、しばらくトイレに行こうと席を立った。店の廊下でふと目に入った後姿に立ち止まる。長い髪に、細い腰。反射的に呼び止めてしまった。
「遥ちゃん?」
俺の声に振り返った女は、全く別人だった。が、俺を見て駆け寄って来る。
「ユウ、何で連絡くれないの?待ってたのに。この店に良く来るって聞いて、探してたんだよ?」
あ。とっさに記憶を探る。俺が遊んで、ほったらかしたオンナの1人か。遥と見間違うくらい後姿が似てるなら、多分俺は手を出したんだろう。けど正直、記憶にない。
「悪ィけど……」
俺が忘れてるってことを感じ取ったのか、女が顔色を変えた。一気につり上がった目に後ずさる。
「ヒドい、ユウ……!好きだったのに!」
は、と気が付いた時には、腕に鋭い痛みが走っていた。
「!?」
オンナの手に、カッターナイフが握られていて。
「ユウ……!」
嘘だろ。なんでそんなもん持ってるんだ!最近の女は刃物を常備してんのか!?
『あんたいつか刺されるわよ』
いつものマキの言葉が一瞬で脳裏に浮かんだ。
嘘だろ。本気で、こんなことあるのか!?
向かってくるオンナに、俺はただ立ち尽くす。
畜生、昨日再放送で観た、懐かしの愛憎ドラマにそっくりだ!
切っ先が、スローモーションのように、俺の胸に――
死ぬ――!!
――『ガツッ!』
鈍い音がして、長い脚が視界を遮った。オンナの手を蹴り上げ、カッターナイフが宙を飛ぶ。オンナの悲鳴をかき消すように、低い声が俺を呼んだ。
「水樹、カッター拾え!」
とっさに従って、カッターへ飛びつく。振り返れば、冴木がオンナを取り押さえていた。
「怪我は?……してるな」
俺はぶんぶんと頷くことしかできない。その間にも騒ぎに出てきた店員にオンナを任せて、冴木が俺に近寄った。タオルで俺の切り裂かれた腕をギュウギュウ押さえる。
「さ、冴木センセー……」
冴木が茫然と呟く俺を見た。その冷静きわまりない綺麗な顔に、つい口からぼろりと言葉が落ちる。
「……今なら抱かれてもいい」
「俺が願い下げだ、阿呆」
呆れた声と、止血している腕に更に圧力が加えられた。
「痛い!!痛い!!」
「死ぬよりマシでしょ」
……冴木先生、厳し過ぎます。




