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保健室の恋人  作者: 実月アヤ
ep.4 キスを贈る場所
30/75

切なさの行方

 次の日の朝、遥は早めに保健室へやってきた。

 昨日の夜、帰宅した後の電話に玲一は出ず、メールの返信もなかったから、少し気になって。


「おはよーございまーす……」


 小さく言って、扉を開ければ、その向こうはやけに静かだ。


「……?」


 今日は玲一は早番のはず。彼のスケジュールはチェック済みだ。来ていない筈はないのに。


「冴木先生……?」


 ベッドに近付くと、そこに眠る彼の姿があった。


「先生なのに、いいの?」


 まあ普段から遥とイチャつくのに、完全私物化してはいるが。

 近付いて、彼の寝顔を覗きこむ。


「ふふ、なんだか、可愛い……」


 自分だけが知る、彼の無防備な姿。当たり前だが、常なら玲一は職場でうたた寝すらしない。寝顔なんて知っているのは遥だけ。


「……好き」

「知ってる」


 言葉と共にぐい、と腕を引かれて、遥は玲一の胸へ倒れ込む。


「お、起きてたの?」

「……イイ香りがした。お前の」


 半分目を閉じたままの玲一は寝ぼけているのか、そんなことを言って遥を抱きしめる。そんな彼も珍しい。


「玲一っ!?」


 制服の中へ潜り込んできた手に、遥が顔を真っ赤にして玲一を呼ぶ。


「ちょっと、朝から何して……っ」


 唇をキスで塞がれ、言葉は奪われた。決して乱暴ではないのに、強い力に抗いきれない。身を離そうと彼の胸を押し返した彼女に、微かな声が届く。


「……めんどくせー……」


 ふと、呟かれた言葉に。遥は硬直した。


 面倒臭いって、何が?

 私?

 私との、関係?


 遥の様子に気付き、玲一は手を止めた。


「遥……?」


 彼女は硬い表情で、口を開く。


「私が、生徒だから……」

「え?」


 玲一は訳がわからず、聞き返した。

 何を、言ったっけ?

 寝ぼけていた自分の言動を思い出す。


 ……あ。


「いや、そうじゃなくて」


 誤解させたことに気付いて、玲一は否定しようとした。

 が、しかし。


「おはようございます。冴木先生、いらっしゃいますか」


 控えめな声が、遮った。

 玲一はさりげなく遥をカーテンの陰に隠し、訪問者へ向き直る。


「はい、おはよう。何か?」


 入り口に女生徒が立っていた。何度か保健室にも顔を出したことのある、3年生だ。いつもは数人で休み時間に雑談をしにくるが、今日はひとりで。


「あの、先生にお話が」


 ……その赤らんだ頬を見れば、何の話か想像はついた。


「外で、いい?」


 チラリとベッドの方を見るが、遥の表情は見えなかった。

 

 二人が出ていくと、遥はカーテンから出た。彼女にも、女生徒が何をしに来たのかはわかっていた。きちんと向けられた想いを、玲一は無下にはしない。誠実に、断るだろう。


 ……断る、のはわかっているけれど。


 遥は潤みかけた瞳を奥へ向けた。綺麗に整頓されたデスク。『冴木先生』の仕事場。目を閉じて思い出す、自宅にあったたくさんの資料、本。一人一人に接する彼の『教師』としての姿。


 彼が生徒との恋愛を、面倒だと感じているのなら。


「……私からも、離れてしまうのかな」


 ポツリ、と言った言葉は、誰にも聞かれることはなかった。



 昼休み、生徒でごった返した廊下で遥は呼び止められた。


「遥ちゃん」


 そこには悠がにこやかに立っていて。見慣れぬ私服の大学生を、周りの生徒が好奇心に満ちた目で噂しながら通り過ぎていく。遥は目を見開いて彼へと近寄った。


「どうしたの?悠君」


 彼女の驚きに、悠は平然と答える。


「昨日うちに落として行ったろ、困ると思って」


 彼は遥の生徒手帳を持っていた。実際は悠が遥に会いに、“学校に”来る口実の為に、彼女の鞄から抜き取ったのだが。


「保健室に居るかな、と思ってたけど。途中で会えて良かった」


 この広い学内で、良く遥の居場所を見つけ出したものだと思っていたが、どうやら悠の目的地は最初から保健室だったようだ。


「ありがとう」


 礼を言って、ふと遥は悠の視線の先を見る。保健室の前で、玲一が女生徒に囲まれていた。何かを話しているが聞き取れない。特別に愛想良いわけでも、冷たいわけでもなく、ただ質問に答えている様子で。けれどーー


「やっぱりモテるね~冴木先生は」


 悠がちらりと遥を見る。彼女は途方に暮れたような目で悠を見た。その揺らいだ瞳に、悠はドキッとする。昨日までの彼女には無かった隙を見つけて。


「そうね」


 遥は玲一へと視線を戻す。保健室で玲一に迫っていた三年の女子が、またしても彼のそばにいた。ひときわベタベタと玲一の腕に絡みつく。今朝のことを思い出した。


「……っ」


 遥が一歩踏み出して口を開きかける。

 やめて、とか。私の彼氏なのよ、とか。そんな言葉を発したかったに違いない。

 しかし遥は唇を噛み締めて耐える。悠はそんな遥の姿をじっと見つめた。


「ねぇ、遥ちゃん。俺にすれば?」


 気が付けば、悠はそう口走っていた。思わぬセリフに、遥がきょとんと彼を見た。


「みんなに言えない彼なんてつまらないじゃん。他の女が近づいても、見てるだけしかできない」


 悠の言葉に、遥は痛みをこらえるかのように、ぎゅっと目を瞑る。しかしその首を横に降った。


「私の選んだ人はそういう人なの。……それに」


 言いかけて、遥は悠に微笑んだ――が、その瞳から涙が零れた。


「玲一だって、きっと沢山我慢してる……」


 声もなく、ポロポロと涙を零す遥を、悠はいたたまれずに引き寄せた。

 ただでさえ注目されている悠の胸で、校内でも有名な美少女が泣いている。他の生徒の驚愕や好奇の目がいくつも向けられるが、悠は彼女を離す気になれない。


 いくら信用してても、理解していても、不安でない筈がない。ものわかりが良すぎて、遥がどんなに寂しさに耐えていたのか。触れればたまらない気持ちになった。

 彼女の頭を抱えたとき、廊下の先にいる玲一と目が合う。目を細めてこちらを見る彼を睨みつけた。


 そこで見てろ。何もできないくせに。



 しかし次の瞬間。

 俯いていた遥は、不意に強い力で引き寄せられた。


「何、泣いてるの」


 玲一が傍まで来て、遥の腕を掴んでいた。彼をとりまいていた女生徒は、廊下に置き去りにされたまま、ざわざわとこちらを見ている。


「何でもありませんよ、冴木先生」


 悠がはねつけるように言って、その手を押さえた。


「こんな人の多いところで、何を言えるんです」


 悠が小さく言うと、玲一は笑った。


「立場に未練なんてないと言っただろ」


 遥は目を見開いて玲一を見上げた。


「好きな女を泣かせてまで、守る程のものじゃない」


 玲一が遥の顎に手をかける。群がっていた女生徒たちから悲鳴があがった。



「他の誰ともしたくない。お前だけだ、遥」



 そのまま遥に唇を寄せ――キスした。

 遥は驚きのあまり、動けない。悠はあまりのことに茫然としたまま、見守ってしまった。あれほどざわめいていた生徒も、驚愕に言葉を失って、廊下は一瞬静寂に包まれた。


 唇が離れた瞬間、遥の膝が崩れ落ち――それを抱き止めて、玲一は遥を抱え上げる。そして無言のまま保健室に入り、後ろ手に鍵を閉めた。


「ちょ、ちょっと玲一……!?」


 遥が我に返る。


「みんなの前であんなこと!クビになっちゃうよ!」


 一瞬後に廊下からは悲鳴やどよめきが聞こえた。きっととんでもないことになっている。さすがに中まで追って来るような生徒はいないようだが、それもきっと時間の問題で。

 遥は自分を抱えた玲一を叩くが、彼は平然と答えた。


「だからそれは大丈夫」

「大丈夫じゃないよ!今まで何のために我慢してきたのか……んっ」


 遥の言葉を奪うように、玲一がキスした。彼は遥をベッドに下ろし、その首筋を唇でたどる。


「え……玲一、まさか」


 玲一の指が遥の制服のボタンを外していく。


「な、なにしてるの……?」


 彼は答えずに、彼女のリボンを引き抜いた。


「みんながすぐそこに居るのよ、さっきあんなことしてこんな」


 動揺しきった遥は、しどろもどろに言葉を重ねる。玲一は妖しく微笑んだ。


(また、この顔っ……)


 遥の心拍数が上がる。


「キスして保健室連れ込んで鍵かけたら、もうヤッてんのバレバレだよな」


「玲一っ!」


 玲一の言葉に血相を変えて、遥は抵抗する。彼は本気でこの先まで進むつもりなのか。しかしその胸元に滑る彼の指先に、ぞくりと体を震わせた。


「玲……」

「声出すと外に聞こえるよ」


 どうして?

 今まで、こんな、本気でバレるようなことまではしなかったのに。

 遥は玲一の突然の行動に混乱する。


「面倒くせーってのは……俺の、こと」


 は、と遥がまばたきをした。玲一が、遥の瞳を覗き込んで、呟いた。


「自分の、コントロールができないんだよ、お前のことになると」


 みっともないけど、と。真っ直ぐに、見つめられて。


「他の男の胸なんかで泣くな」


 抑えて言われた言葉。

 それは、ヤキモチ?


「全部、わかってるから」


 遥がどんなに、震えながら立っているのか。玲一を想っているのか。

 他の女が近付く度に、寂しくて、だけど不安を隠して。


「全部、俺のためだろ」


 だけど。


「お前を泣かせたくないって、言っただろ。聞くから、全部」

「……っ、うん」


 遥の頬を伝う涙を、玲一が唇で拭う。


「お前だけが、大事なんだよ……」


 返事のかわりに、伸ばされた遥の腕が玲一を抱き締めた。

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