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保健室の恋人  作者: 実月アヤ
ep.4 キスを贈る場所
29/75

義妹の、妹

「緊張してる?」


 悠と一緒の帰り道。慣れない道だが知らない道ではない。隣を歩く彼にそう言われて、遥は恥ずかしそうに笑う。


「悠君と話すの久しぶりだから、かな。あまり大人の男の人と話す機会もないし」

「まあ桜の兄だからって遥ちゃんには全くの他人だもんね」


 悠は微笑んで言う。


「でも大人の男っていうなら冴木先生もだよね。付き合ってるんでしょ?彼と」


 遥が一瞬目を見開いて、視線を逸らした。


「なんでそう思うの?」

「大丈夫、先生もそう言ってたし、誰にも言わないよ」


(へえ)


 言いながら内心、悠は遥に感心する。

 この年頃なら彼氏を自慢したいだろう。ましてやあれだけの美形で、年上だ。あんな男と付き合えば、言いふらして回りたいと思う女はいくらでもいるだろう。

 けれど遥は軽々しく認めなかった。教師と付き合うスリルに楽しみを見い出すでも無く、その危険性をよく分かっている。子供にしては思慮深い彼女。口も堅そうだし、継父によればワガママも滅多に言わないのだという。ますます好みだ。


(からかって、遊ぶのにはもってこい)


 けれど、一方で、桜のことを話す遥は純粋そのもので、よくもまあ誰かをこんなに信頼できるものだと呆れ……感心もする。桜の話題に触れるだけで、ぱあっと笑顔になり、口数が増える。分かりやすい。


「遥ちゃんは、本当に桜のこと好きだよね」


 そう言えば、遥は複雑そうに微笑んだ。


「……桜ちゃんのことを色々知って、私は本当の桜ちゃんを見てなかったってわかった。でも、知っても、……大好きなのは変わらない」


 少し大人びた、その、柔らかな笑顔。その顔に悠は違和感を覚えた。


(どこか、変わった?)



 悠が知る桜は、遥の信じていたような聖女ではなかった。両親の前でこそ品行方正で表面上は上手くやっていたが、悠には警戒心をむき出しにしていたし、言葉は辛辣で、皮肉屋な姿しか知らない。継母となった悠の母にも実は心を許してはいなかった。

 いつだったか、彼女に聞いたことがある。


「桜、お前の妹、なんであんなに姉バカなわけ?」


 言われた桜は、兄を皮肉気に笑った。


「ふふん、可愛いでしょ?手出さないでよね」

「俺ロリの気はねぇけど」

「目が怪しいのよ、目が。遥は私のことが大好きなんだから」


 ……だから私は、ずっと遥の一番でいるの。


 そう言った桜。

 彼女が死んだら、それは確固たるものとなった。桜の存在は、遥の心から消えない。美しくて優しい姉のまま、綺麗な想い出だけが残る。


(あの腹黒オンナ)


 大事な妹に、こんな、切ない笑い方をさせて。

 ……お前、それで良かったのかよ。


 目の前の遥は、それでも真っ直ぐに前を見つめていて。盲目に桜を信じていた頃は馬鹿な子だと蔑んで、無邪気さにイラつきもしたがーー今は、彼女の深い瞳から目が離せなくなっていて。高校生にはあまり似つかわしくないほど綺麗だな、なんて思えた。だけど、今の遥には。


「冴木、玲一ね……」


 悠が小さく呟く。

 遥はあいつのことも、桜に対するように、ひたむきに愛するのかと思うと。


「……ムカつく」

「悠君?どうしたの?」


 不穏な呟きと共に足を止めた悠を、遥が気付いて見上げる。彼女の問いに答える前に、他の声に呼ばれた。


「あれ、ユウじゃん」


 いつの間にか駅前まで来ていて、悠に声をかけたのは高校の時の同級生だった。目を丸くして、制服姿の遥をじろじろと見つめる。


「久しぶりだな。すげー可愛い子連れて、お前の彼女?」


 “彼女?”


 友人の言葉に悠は遥を見る。少女は黙って曖昧に微笑んでいるだけ。否定も肯定もせず、悠の言葉を待っていた。


「まあ……そんなもん」


 悠のほうが戸惑って答える。

 遥がムキになって否定するかと思った。だけどこんな時そういうことをしたら、男に恥をかかせるだけだ。だいたい『義妹の妹』なんて説明、誰が他人にしたいものか。遥は“わかっている”。


(やべ。ほんとにイイ女じゃん)


 悠は遥を軽々しく扱えないことを知った。彼女が悠を見上げて、ふわりと浮かべる微笑みに、ドキン、と胸が高鳴る。そうやって改めて見たら、彼女はやっぱり惹きつけられる存在で。

 先程まではあったはずの、“からかって遊ぶ”などという余裕は、もうどこかにいってしまっていた。


 ……本気で、欲しくなるね。


 密かに笑って、悠は呟いた。



 両親が帰るまで、まだいくらか時間がある。悠は遥を家に招き入れた。


「コーヒーでいい?」


 彼女に問えば、パタパタと近寄ってくる。


「私にやらせて?キッチンお借りしてもいい?」


 頷いて、その場を任せた。正直人の為にコーヒーなんぞ淹れたことは無いから助かった。隣に立つ横顔を見下ろせば、遥はやはり桜に似ている。けれど、パーツ一つ、表情ひとつ、こんなに胸をざわめかせるのは何なんだろう。


「悠君、おばさんお仕事?」


 自分の母のことを聞かれ、「そう」と答えた。

 悠の母は桜を可愛がっていたし、遥にも好意的だ。桜が亡くなった時には自分との関係のせいかと密かに悩んでいたのは知っている。けれど遥が何度か母と話し、そうではないと説明してくれた。桜の自殺の理由は後から聞いたが、悠は自分勝手な女だなというのが正直な感想だった。けれど母はそうは思わなかったようだから、遥の言葉は彼女の心を随分軽くしてくれたのだろう。

 一応、遥が来ているとメールをしたから、早く帰ってきてしまうかもしれない。


「遥ちゃん」


 甘い声で、耳元で囁いて。にこりと微笑めば、大抵の女は落ちる。

 ……のに。


「悠君?そんな近くにいたら、熱湯危ないよ」


 キョトンとこちらを見上げる遥。


(……そうか、あのお色気全開の先生に鍛えられてるんだもんな……)


 ちょっとやそっとじゃ動じそうにない。ならば別方面から攻めるまで。


「冴木先生って、モテるでしょ。遥ちゃんたちの年頃なら、一度は憧れるような人だもんな」


 悠の言葉に遥の瞳が、揺れる。


「そう、ね」

「女性経験も豊富そうだし、不安になることないの?」


 ワザと不安を煽る言い方をして、彼女の反応を窺った。

 遥は何か思い当たることがあったのだろう。視線を落とした。


(泣く、かな?)


 しかし遥は首を横に振って、ふわりと笑う。


「信じてるから」


 あ。


 悠はジリ、と胸が熱くなるのを感じた。この絶対的な信頼は何なんだ。

 遥にとっての悠は『桜の義兄』でしかない。

 桜や冴木のように、ただ真っ直ぐな愛情を注がれるわけではない。桜の存在がなければ、遥は悠を受け入れはしない。


(なら、そこにつけこむまでだ)


 遥の肩に手をかける。


「?」


 こちらを見上げる大きな瞳に、呟いた。


「遥ちゃん……」


 顔を、近付ける、と――


「たっだいまあ!遥ちゃ~ん、久しぶり!!」


(クソババア!!)


 あまりにも早い、母の帰宅。


「いや~色ボケ息子が遥ちゃんにおいたをしてないか、気になって早退しちゃった!」


 まさに当たりだ。母の勘恐るべし……。

 悠はがっくりと肩を落とした。

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