恋敵出現
声の主は生徒ではない。振り返ると、二人の視線の先に居たのは長身の青年だった。私服の、おそらく大学生だろうか。ラフそうで、けれどそう見えるようにセットされた茶色の髪、片耳にピアスをしていて、服装もファッション誌に載っていそうな、さりげなく流行を押さえているようなもの。いわゆる今時のモテるタイプのイケメンだ。手には小さな花束を持っている。
「……悠君?」
遥が記憶を辿るように名を呼ぶ。
「遥ちゃん、久しぶりだね。すっかり綺麗になっちゃって」
ユウと呼ばれた青年は、遥へと近寄って、躊躇いも無くその手を伸ばして彼女の頭を撫でた。……ピクリと玲一が眉をあげる。
「本当に、久しぶり……あ、先生、こちらは水樹悠君」
「ミズキ?」
玲一がその名字を問い返す。
「桜ちゃんの、血の繋がらないお兄さん」
遥が懐かしい、と彼を見た。そして玲一のことも悠へ紹介する。
「悠君、こちらは養護教諭の冴木先生」
悠は玲一を見て、にこりと微笑んで。
「水樹悠、大学3年です。事情をご存知なのかな。うちは子連れ同士の再婚なんです」
「悠君は大学の寮に入ってるから、めったに会わないんだけど……」
そう付け足して、遥が悠の持つ花束に目を留めた。
「桜ちゃんに?」
悠は頷いて、目を伏せた。
「血が繋がらないとはいえ妹が死んだのに、留学中で葬式にも出られなかったからね。遅くなったけど」
派手な外見からは意外なほど、真面目な様子で悠は言う。しかしその手を遥の肩に回すのを見て、また玲一の眉が上がった。
「案内してくれる?遥ちゃん――じゃあ先生、失礼します」
そのまま有無を言わさず遥を連れて行く。玲一は一瞬迷うが、まさか死んだ妹に花を手向けにきた高校で、真っ昼間からやましいことをするわけもないか、とそのまま校舎へと戻る。
……面白くはないが。
「あれ先生、高嶋さんは?」
保健室に未だ残っていた拓海に、八つ当たりしてみる。
「後から来る。ベッド空けとけ、仲直りするから」
「何する気だよ、先生!?」
涙目で叫ぶ拓海を放置して、玲一は考えていた。
水樹桜からは遥の話ばかりで、兄が居るとは知らなかった。水樹桜を悼む兄と妹。なら、間違いなく玲一は部外者だ。
ただ何となく、水樹悠の遥に向ける目が、気に入らなかった。慣れた様子で彼女の肩を抱く手も、連れ去る手際も。
ーーああ、要注意かな、あれは。
「ねえ、しばらく入室禁止の札下げといて。声がしても入るなよ」
「だから、学校で何するつもりだよ、先生!!!」
*
手を合わせて目を伏せていた悠は、ふと遥が校舎の方を見ているのに気づいた。
「何か、用事があった?そういえば先生と話をしてたもんな」
彼女へ問いかければ、遥は慌てて首を横に振る。
「そうじゃないの、冴木先生とは……また後で話すから」
柔らかく微笑む遥を見つめて、悠は軽くまばたきをした。
「……そういうこと」
小さな呟きは、遥の耳には入らなかった。悠が持って来た花束に目をやって、微かに微笑む彼女。悠は思わずその横顔を凝視してしまう。艶やかに揺れる髪、長い睫毛に縁取られた目、赤い唇。華奢だが女らしい身体。
それからーー制服の隙間から見える白い首筋に、赤い跡。
「遥ちゃん、前にうちに来たとき、桜が言ったの覚えてる?」
「あ、去年の秋だよね」
思い出話を始めれば、遥は目を輝かせて、嬉しそうに乗ってくる。桜の兄、というだけで、遥の警戒心は無くなるらしい。悠が遥にさりげなく体を寄せても、頭を撫でても、彼女に拒まれる様子はなかった。
(ふうん……)
悠はゆったりと、微笑んだ。
*
「お邪魔します」
保健室の扉を開けたのは悠だった。
「先程はどうも」
玲一は軽く驚きながらも、会釈を返す。彼が来るとは予想してなかった。
「は……高嶋は」
遥と呼びかけて、言い直す。玲一の様子に気付かず悠は笑った。
「教室に帰しました。実は俺ここの卒業生なもんで、つい懐かしくて」
「……そうですか」
コーヒーを淹れる玲一をじっと見て、不意に悠は言う。
「先生は桜と遥、どっちが好み?」
一瞬、反応が遅れーー手を止めて、玲一は悠を見た。
「……は?」
彼は先程までの真面目な顔など欠片も残さず、唇を歪めて笑う。
「桜は儚げな美人だったけど、なにぶん病弱だし、実は腹黒いし、俺的にはあまりタイプじゃなかったんだよね」
まああんな綺麗な女はそうそういないし、間近で見られてラッキーだったけど、と悠がつぶやく。
「その点、遥は、芯の強いタイプ。純粋培養のクセになんだか色気があってそそる。一、二年前はただの子供だったのに女は変わるよな」
悠が愉しげに評して、言った。
「もう男を知ってるって見ればわかる。誰のおかげかな」
その目が玲一を射抜く。 玲一もまっすぐに悠を見返し、口を開いた。
「……あいつに手を出したら、許さないよ?“おにいさん”」
ふ、と不敵に微笑む。悠は意外そうに答える。
「正直に答えちゃいます?俺が学校に密告するとか思わない?」
玲一は彼の言葉に薄く笑った。
「生憎俺はこの仕事に未練はないし……。そうしたところで遥は手放さない。君に何かメリットが?」
玲一の動じない様子に、つまらなそうに悠は言う。
「ふうん。つまんね。やっぱりあんた桜と同類だな。遥チャンのほうがからかい甲斐がある」
その言葉に、玲一が咎めるような目で悠を見た。
「成人したいい大人が何を言ってるんだ」
「大人だからあ、余計イケナイことが楽しいんじゃん、先生?」
悠はニヤリと笑って保健室を出て行く。玲一は厄介事の予想に、溜め息をついた。彼と入れ替わるようなタイミングで、遥が保健室へと顔を出した。
「先生、今日は私、もう帰るね」
いつもなら放課後は玲一と過ごすのだが。
「何か、用事?」
玲一が彼女に聞けば、遥は嬉しそうに笑う。
「悠君が、誘ってくれたの。お父さんのうちで夕食を一緒しようって。だからこのまま悠君と帰る」
「……ふぅん」
嬉しそうなのは、父親と会えるから?
悠が、誘ったから?
(……うわ、俺、マズい)
いつになく余裕のない考えに頭が占められてしまう。あんな男に、彼女を奪われるなんて思わない。だけど。
「ねぇ。今回お前、警戒心無さすぎじゃないの」
言ってしまってから、気付く。
(あ、それが気に入らないのか、俺は)
遥が無防備に、あんな笑顔を悠に見せるから。簡単に、その距離を許してしまうから。
「え?……だって、桜ちゃんのお兄さんだよ?」
キョトンと聞き返す遥から、目を逸らしてしまった。ーーそりゃそうだよな。
散々な目に遭って来たくせに、ひねくれず人を疑いもしないそのまっすぐさは可愛いと思う。相手が悠で無ければ。
「ごもっともで」
だけど俺は、そんなに心広くないんだ。
「玲一……?」
覗き込む遥の顎を掴んで、無理矢理引き寄せた。噛みつくように、遥に唇を押し付ける。
「……ッ、痛っ」
遥の小さな悲鳴。もしかしたら本当に噛んだのかもしれない。反射的に、彼女は玲一を押し返す。意外にも彼は、あっさりと手を離した。
「……な、何、どうしたの……?」
「……俺が聞きたい」
「は?……え?」
遥は怪訝な顔で、それでも玲一に笑いかける。
「帰ったら、電話するね」
遥が保健室を出た後、玲一は眉間を押さえてベッドに倒れ込んだ。どうにも制御できないイラつきに戸惑う。遥の無防備さは愛おしいけれど、同時にめちゃくちゃにもしたくなって。ああ、前にもこんなことを思ったな、と頭の片隅でちらりと考えた。自分だけを見ていろと、彼女を閉じ込めたくなってしまう——実際にそんなことをしたら、お互いに傷つくのはわかっているくせに。
「あ~……いい歳して、格好わる……」




