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保健室の恋人  作者: 実月アヤ
ep.4 キスを贈る場所
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誘惑と疑惑と困惑

「先生ぇ、アタシ先生のことスキなのー」


 甘ったるい口調で、女子高生が言う。

 言われたのは白衣を着た養護教諭――いわゆる“保健室の先生”、冴木玲一だ。

 実際より若く見え、モデル経験がある程の整った容姿。無表情で黙っていると少し冷たい感じのする顔はクールで格好良いと言われ、保健室の先生らしく穏やかに接すればやれ落ち着いていて素敵だなどと、女生徒にも保護者にも、果ては他の教師や理事達にまでも評判だ。

 けれどそれも、きちんと節度を保ってこその評価なのだと、彼はちゃんと認識していた。呆れた表情で、抱きついてきた女生徒を押し返す。


「子供は子供らしく勉強しなさい」

「何よ、もうっ」


 憤慨して女生徒は保健室を出て行く。その途端、閉まっていたカーテンの向こうーーベッドから、クスクスと笑い声が聞こえた。


「そりゃ先生程のイケメンなら、わざわざ子供に手を出すほど女性に不自由してないわよね」


 愉しげに降る声に、玲一はため息をついて頷く。


「発展途上のガキに、どうやって欲情しろっていうんだ」

「面倒だしね?」


 シャッと音を立てて開かれたカーテンの奥から現れたのは、一人の女生徒だった。儚げで白い肌と色素の薄い髪の、大変な美少女だ。しかしその折れそうな可憐な容姿とは裏腹に、その目は冷たく、さらりと毒を吐く。


「馬鹿よね、こんな狭い場所で可愛いだのもてはやされても、所詮社会的にはただの子供なのに。あの自信はどこからくるのかしら。みんな勘違いしちゃって可哀想。悪い男ね、先生?」

「俺のせいじゃない」


 玲一は彼女を見た。

 水樹桜――まあ彼女くらい美人であれば、高校生の子供でも欲情する男も居るだろうなとは思うが、しかし玲一は彼女を生徒としてしか見られなかった。その彼女はつまらない男につかまって、酷い目にあわされ、未だ傷を抱えている。

 こんな風に毒を吐くような一面も、見た目からは想像できないけれど、彼女は決して脆くはなかったと思っていた。けれど、強くもなかった。

 その日も青い顔をして朝から保健室で休んでいたっけ。

 気づいていたのに、何も出来なかった。微笑みの裏に、どれほどの痛みを抱えていたのかなんて、知らなかった。

 すぐ後に、彼女が命を絶ってしまうなんて。



「懐かしい夢を見たな」


 玲一は瞳を伏せた。まだ夜明け前の薄暗い、彼自身の部屋。


『きっと先生は気に入る』


 桜の言葉を思い出す。


「アイツの言うとおりだったな」


 その腕のなかには、何もかも預けて眠る少女。桜の妹、高嶋遥がいる。桜に少し似た、やはり美しい容姿の少女。けれど桜とは違うのは、玲一が愛してやまない唯一の恋人だということ。


「まさか生徒に手を出す羽目になるとはね……」


 玲一は呟く。医者として働いていた時でも、教師になってからも、仕事で接する相手に恋愛感情など持ったことは無い。万が一持ったとしても、生徒に手を出すなんてもってのほかだ。大人としてのモラルは持っているつもりだった、のだが。

 けれどいつの間にか遥から目が離せなくなり、見ているだけでは飽き足らずに彼女だけはどうしても手に入れたくなった。事件に巻き込まれた状況もあったが、そうでなくてもきっと、玲一は何をしても遥を手に入れていたに違いない。

 玲一は毛布に手をもぐりこませ、遥の柔らかな肌に手を這わせる。すべらかでひんやりとしたそれを辿っていって。ふとその手が胸の上で止まった。


 生きてる……。


 規則的に鳴る心地よい心臓の音と、じんわりと伝わる熱。

 何度こうして、遥の鼓動を確かめたことか。


「ん……」

 

 遥が身じろぎをした。


(情けないな)

 玲一は苦笑する。

 桜の死を目の当たりにしたせいか。遥を失うのが怖い。眠る彼女を見る度に、その息を確認しなくては落ち着かないほどに。

 思ったよりずっと、彼女に溺れている自分。


「遥……好きだよ」


 少女の耳元に、そっと囁く。聞こえないと、知っていても。


「んー……れ、いち……」


 遥の頬が緩んだ、気がした。



 遥に初めて会ったのは、新緑の裏庭だった。桜の死んだ場所。


「なんで死ぬかな、水樹……」


 葉だけになった桜の木の下で、一人、玲一はやりきれない気持ちで煙草をくゆらす。彼女の死因について、表向きは事故とされていたが、玲一は彼女が彼氏の指図で乱暴されたことを知っている。彼女の誇り高さも、脆さも知っている。


 自殺。おそらくはそうなのだろう。

 自分が話し相手になったくらいで、癒える傷ではなかった。それは気付いていたが、あまりにも……やるせなかった。自分がもっと早く着任していたら。事件についてもっと早く対応できていたら。どうしようもなかったことと分かってはいるが、後悔せずにはいられなかった。


 ふと、桜の木の下に、女生徒がいるのに気付く。髪の長い少女だ。木の陰にいる玲一に気付かず、屋上を見上げ――葉桜の木を見て、そしてその下で足を止める。その横顔に見覚えがある気がして、玲一は彼女に近づいた。


 その瞬間、彼女が躓いた。ぐらり、と揺れた体へとっさに手を伸ばす。その体を受け止めた。


「危ない」

「す、すみませんっ」


 玲一を振り仰いだ、その顔。ぱらりと溢れた綺麗な髪の隙間からこちらを見る瞳。


 ーー水樹?


 次の瞬間、誤りだと気付く。雰囲気も顔立ちも違う。けれどどこか、水樹桜に似ていて。なぜか目を見開いて、こちらを見ていた少女が我に返る。


「あ、ありがとうございます」


 玲一は彼の手から離れた少女をじっと見つめた。

 もしかして。彼女と別れて校舎へ向かいながら、玲一は思い当たる。確か今朝、二年に転入生が来るとか聞いていた。彼女がそうだろうか。保健室に戻って、書類を探す。


高嶋遥(タカシマハルカ)


 “遥”


 水樹の両親は離婚し、妹は母に引き取られている。

 あの子が、遥。 水樹桜の妹。

 桜の死は、事故か自殺かとハッキリ断定されていないと聞いている。彼女が自ら死を選ぶ動機を知っているのは、原因を作った本人と玲一だけだ。理由もわからず家族を失ったなら、きっとやりきれない。桜から聞いた妹は、姉を大層慕っていたと聞いた。であれば、転校してまでここに来たのは姉のため。玲一の考えが確かだとしたら、姉の死因を突き止めるためだろう。

 関わらないほうがいい。 桜のためにも、妹のためにも。関わるべきではない。関わればいつか、桜の身に起こったことを遥が知るかもしれない。それは絶対にあってはならない。


 だけど。

 玲一はクシャクシャと髪をかきあげた。瞼の裏に、遥の顔がチラつく。桜でさえ、心は動かなかったというのに。相手は高校生――子供だ。なのに。


 女の顔に見とれたのは初めてだった。

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