悪意の正体
それから半月後、遥たちの載った雑誌が発売された。
最近では“20代の女性がターゲットのキャリアファッション誌”と認識されているにもかかわらず、すいぶんと広い世代から話題となり、連日メディアで紹介もされ、爆発的に購買数が伸びたのだという。
なんでも海外で人気のある「エアリエル」というブランドを日本で紹介し、その反響が大きければ、エアリエルの日本初出店が叶うという、一種の賭けを孕んだもので、ある日本出身の専属モデルの発案で始まったものだ。海外のショーで玲奈と仕事をした時に彼女にその話を持ちかけ、日本でのモデルを玲奈に頼んだのだという。
結果的には日英両方で大きな話題となり、アパレル、出版、マスコミと色々な業界を巻き込んだビッグプロジェクトになった。その分、モデルについての問い合わせは多かったが、雑誌社は頑として玲奈以外のモデルの素性は明かさなかった。
だから秘密は完全に、守られてはいたのだが。
「ねぇねぇ遥、このモデル遥に似てない?」
クラスメイトが姉が購入したという雑誌を持って寄ってきた。ギクリとするが、玲一には『何を言われてもしらばっくれろ』と言われている。
やはりテレビなどでも紹介されているために、遥との相似に気付いてしまう人も居るだろうとは思っていたが。幸い誌面に載った写真は、絶妙に髪や小道具で隠していたりと、顔が完全に分かるようなものは少ない。
「そう?そうかなあ、よくわからないけど」
首を傾げる遥に、クラスメイトは次のページをバッと開く。
「!」
男性モデルが彼女を引き寄せてキスしようとしている――玲一と遥だ。こればっかりは弟とはやりたくないわ~と玲奈が指定した、ポーズ。撮影時は妙なテンションと緊迫感で照れてる暇なんてなかった。けれど改めて冷静に見ると……恥ずかしい。
「ほら、遥に似てるよね~すっごく綺麗。こっちもイケメンだし~」
さすがにその“イケメン”が自分の学校の保健室の先生だとは思い当たらなかったらしい。確かに彼の白衣姿しか見たことの無い生徒なら、どこからどう見ても玲一には見えないだろう。
そんな中、バタバタと教室に飛び込んできたのは隣のクラスの松本拓海だった。
「たっ高嶋さん、ちょっとコレ」
「松本くん、ファッション誌読むの?」
遥の惚けた反応に、拓海はパクパクと口を開けた。
「や、これはクラスの女子ので……そーじゃなくて」
顔を寄せてひそひそと囁く。
「コレ高嶋さんと冴木だよな!?どーゆーこと?」
さすがに玲一の本性を知っている彼は、その顔も見抜いたらしい。というか、遥と気付いて、ならば隣の男は玲一かと思い当たったのだが。
遥はしーと人差し指を立てる。しかし後ろから拓海の持つ雑誌を取り上げた手があった。ついでのように拓海の頭を掴んで、遥から引き離す。
「げ。冴木……」
そこには玲一が立っていた。
「松本、保健委員の仕事を頼んだだろう?」
にこやかな表情に冷ややかな瞳で、玲一は拓海を引きずる。
「えええ、俺は高嶋さんに話が!」
「お前は接近禁止。半径30メートル以内に入らないこと」
「それ同じ学校内で無理!!」
遥は苦笑いで見送った。事情説明は玲一がしてくれるだろう。それよりも……。
彼女は手元の携帯に目を落として、軽く溜息をついた。
放課後、一人で学校を出て向かった先で、遥は携帯のメール画面を開いた。内容は17時、あの青山のスタジオで遥一人で待つようにと。知らないアドレス、だけど内容は無視できなかった。
スタジオの鍵は空いていて、扉を開けて中に入ると誰もいない。先に着いてしまったかと部屋の中で待つ。
やがてドアが開く音がして、スーツを着た若い男が入って来た。
「本当に独りで来たんだ。勇ましいね」
声を掛けてきたのは、玲奈の仕事相手、雑誌編集部の若い社員の一人だった。確か……三上といったはずだ。撮影時にずっと遥をジッと見ていたからよく覚えている。その視線が少し怖かったことも。
「あなたがメールをよこして来たからでしょう?一人で来なきゃ私と玲一のことを学校にバラすって。大事な情報をリークしたっていうのもあなたですか?」
遥の厳しい視線に、三上は首をすくめた。
「そうだよ。15周年記念号をぶっ潰せば、ライバル社に破格の待遇で引き抜いてもらえるはずだったんだ」
ゆっくりと、彼は遥に近づく。
「それが君と玲一君のおかげで台無し。企画は大成功。日本出店を渋っていたエアリエル本社まで動いちゃって、あと2、3年は独占企画で会社は安泰。ぜーんぶパアになっちゃった」
彼の含みのある笑みに、じりじりと後ずさりしながら、遥は問う。
「で?……仕返しでもしようっていうの?」
何故わざわざ遥にコンタクトを取るのか。遥を舐めまわすように眺め、三上はニィと笑う。
「君は極上の素材だ。最高のビジュアルを持ちながらまだ未完成。磨けばメディアで必ず売れる。……君を手土産にすることにしたよ」
三上の笑みに遥は悪寒が走る。思った通りだ。彼は遥を利用したがっている。それでも気丈に、少女は挑むような視線を向けた。
「そんなこと、私が了解すると思う?」
「別に君の許可は要らないよ」
三上の笑みに残忍なものが混じる。
「思い通りにならなきゃ脅せばいい」
何を、と問う間もなく。遥へ三上が近寄って来た。
「やっ……」
抵抗する遥の腕を掴む。振り払おうとしたが、三上は彼女を引きずるとセットのソファへ投げ出した。
「痛っ」
思ったよりも強い衝撃に、背中に痛みが走り、遥は思わず目をつぶる。
「まずは俺が綺麗に撮ってやるよ。……玲一君が見たら何て言うかな」
三上はネクタイを緩めながら、手元の小さなリモコンを操作した。ピッという音がして、あらかじめ用意していたのか、ソファの前にセットされていたビデオカメラに、録画中の赤ランプが点灯する。そのレンズに遥と三上が映っていた。
この人は。
遥は怒りに彼を睨みつける。どこまでも卑怯な手でのし上がるつもりか。どこまでもくだらない手で思い通りにしようとするのか。ーー許せない。
「やめて!」
暴れる彼女の上に三上がのしかかり、制服のリボンを無理矢理引き抜いた。
「や、だ……っ!!」
遥が叫ぶ。顔を歪める彼女を見下ろして、三上が勝ち誇ったように笑った。
胸を、腿を這い回る男の手。吐き気がする。少女は顔を背けるが、三上は暴れる遥の髪を掴んで上を向かせた。
「このビデオさえあれば、一生あんたは俺のもんだな」
彼女へ口づけようとした瞬間――
「あ~あ。そういうセリフは、俺が言うものなんだけどなあ」
冷たい声が三上を止めた。
「!?」
彼が顔を上げると、玲一と玲奈、編集部の人間だろう、何人かの人間が立っていた。当然ながら、みな一様に厳しい顔をしている。
「そこまでよ、三上さん。全部聞かせてもらったわ。なんて人なの」
玲奈が玲一そっくりの氷の声で言い、残りの人間が三上を取り押さえる。
「大丈夫か、遥」
その間に玲一が遥を抱き起こした。それを横目で見て、三上は遥へ言う。
「あんた、一人で来たんじゃなかったのか。俺を嵌めたな」
玲一が三上を一瞥した。
「当たり前だ。俺が遥を一人で行かせるわけないだろう」
本当ならこんな役もやらせたくはなかった。三上の遥を見る目は高校生に対するものではなかったし、彼は今までにもモデルに手を出していたと噂があって、会社の中でも目を付けられていたのだ。証拠は無かったが。
だから遥に接触してきたことは、見事に予想通りだった。いつかの、傷ついた遥を思い出して、玲一は彼女の傷を開くのでは無いかと心配だった。あんな思いは二度とさせないつもりだったのに。だけど遥は「やる」と言ったのだ。玲奈が頼んだ“手助け”は単にモデルだけではないと気づいていたのか。
「玲奈さんは自分の仕事に誇りを持ってる。卑怯なことしか出来ないあなたなんかに、どうこうできるわけないのよ」
遥は静かに言って、玲一の手を借りて立ち上がる。その顔にはまっすぐな意志があって、三上ごときに傷つけられはしないと証明していた。恋人の強い姿に、玲一は微笑んだ。玲奈も安心したように微笑んだ。一件落着かに思えたが。
しかしーー玲一の気は済まない。それとこれとは別だ。
「……で。人の女をベタベタ触りやがって」
玲一が笑顔のままで言う。遥は不穏な空気に凍りついた。
「ーー死ぬ覚悟、出来てるよな?」
彼の表情を目にした三上の喉がヒッと鳴る。
「れ、玲一?過剰防衛って言葉、知ってるよね?」
しかも相手はすでに拘束されている。おずおずと遥が聞くが、多分恋人の耳には入っていない。入っていても止まりそうも無い。玲一の美しい微笑みが、三上には悪魔にしか見えないだろう。
「ねえ“いっそ殺して下さい”って言わせてみせようか。それとも“生まれて来てごめんなさい”にしとく?」
こ、怖いこと言ってる!!ああ、だ、大丈夫かなあ……。
「玲、生かしておきなさいよ。あんた一応教師なんだし」
玲奈が無責任に煽り、スタジオは恐怖の悲鳴が響き渡った。危うくご近所さんに通報されかけたり、後で怪談屋敷として観光名所になったりもしたらしいが、とりあえず今はそれどころではない。




