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保健室の恋人  作者: 実月アヤ
ep.3 秘密の約束
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お悩み相談室

 教室で遥は手早く帰り支度をしていた。

 保健室を訪れる頻度は変わらないが、午前授業で終わりの日は玲一の部屋に寄ることにしているのだ。鞄と着替えの入ったバッグを掴み、教室を出ようとすると、携帯電話のバイブが鳴る。周りからは見えないようにこっそり操作して、画面に表示されたのは、玲一からのメールだった。


『職員会議。先に帰っててくれ』


 "帰ってて"の表現がくすぐったくて、顔が緩む。

 一人で学校を出て、玲一の家へ向かう。駅のトイレで着替えて、制服をバッグにしまいこんだ。もう一人でも覚えた道。車通勤の玲一ですら知らなかった近道だって知っている。浮き足立つのを止められなくて、我ながら単純だと思う。


 マンションに着き、エントランスから入ると、後ろから背の高い女性がやってきて、一緒になった。サングラスで顔はわからないが、パーツをみればおそらくはかなりの美人。エレベーターのボタンを押して、遥がどうぞ、と会釈すれば、彼女が

「ありがとう」と微笑んだ。ふわりと漂う甘くて上品な香りが遥の鼻を掠める。


(あれ……?)

 この香り、よく知ってるような……。


 降りたのは同じ階で、女性が携帯を出して操作している間に、遥は通り過ぎて玲一の部屋の前に立つ。ドアに鍵を差した瞬間、


「あなた、玲の知り合い?」


 先程の女性が驚いたように声をかけてきた。

 

 「れい?って……玲一……さ、ん?」


 遥が目を丸くして彼女を見ると、女性は顔半分を覆っていたサングラスを外した。やっぱり凄い美女だ。華やかな容貌と、バランスの良い、女性にしては高い背。全体的に迫力がある。

 どこかで見たことがあるような……。というか、もの凄く最近見たような。


「私、玲一の姉。冴木玲奈サエキレナよ、初めまして」


 あ!

 遥はふと思い当たって、マンションの廊下から下を見下ろす。そこには時計ブランドの看板があり、女性モデルがこちらを見ていて……まさに今、遥の目の前にいる女性だ。ついでに言えば今朝だって、自宅のテレビでも見かけたばかり。


「モデルの……?」

「そう、モデルのレナです」


 遥は一瞬呆然として、それから慌てて頭を下げた。


「はじめまして、高嶋遥です」


 レナと言えば、パリコレにも出るようなスーパーモデルだ。最近は映画で女優デビューも果たしているし、雑誌やテレビで引っ張りだこの、かなりの有名人。今知らない人はほとんどいないだろう。


(モデルのお姉さんってレナだったんだ。玲一ってば、何で黙ってたのよ……)


 茫然としたままの遥を見て、レナはニヤニヤ笑う。携帯が相手先につながったようだ。


「ああ、玲?あたしよ。今ねぇ~、あんたのうちの前。可愛いお嬢さんと一緒なのぉ」


 その途端、電話の向こうで玲一の怒声がした。彼が大きな声を出すなんて珍しい。遥は何も言えずに立っていたが、玲奈はそれだけを弟に伝えて、一方的に電話を切った。強者だ。そのままニコニコと遥を促す。


「多分す~ぐ飛んでくるわよ。中で待たない?といっても、私は合鍵持ってないのよね」


 遥は困惑しながらも、鍵を開けた。手元を見つめる彼女の視線が痛い。けれど玲奈は何も言わない。彼女を入れ、続いて自分も部屋に入った。


「あなた相当若いわよね、もしかして、高校生?玲一の生徒さんかしら」


 リビングまで進んで、やっと振り返って玲奈が聞いてきた。遥は思わず頷いてから、おずおずと聞く。


「やっぱり私、玲一……さんに釣り合わないですか……?」


 玲奈はきょとんとしてから、にこりと笑って言う。


「いいえ。そういうことじゃないの。けどまわりからの評価なんて気にすることないわ。大事なのはあなたが彼をどう想うか」


 ああ、やっぱり玲一のお姉さんだ。なんの違和感無く、遥は感じる。声は違うけれど、ふとした柔らかな言葉の繋ぎ方や息づかいがとても良く似ている。相手を安心させるそれ。


「私が言ったのはね、あいつめ、生徒さんに手を出すなんて、なんて奴なのって意味よ。……まあそれも、あなたみたいな美人さんじゃ仕方ないかもしれないけど」


 玲奈はニコニコと続ける。けれど遥は言葉に詰まった。彼女の曖昧な表情に気付き、玲奈がどうしたの?と聞く。


 言っても、いいのかな。玲奈さんなら、わかってくれるかもしれない。会ったばかりだけど、玲一のお姉さんなら。


「……私が生徒であることで、玲一さんには要らない面倒をかけているのかも」


 ぽつりと遥が言った。


 ずっと気にかかっていた。

 玲一と遥の関係が公になれば、世間一般では矛先は玲一にいく。責められるのは彼。どんなに遥が望んでも、彼が彼女だけを見ていても、立場や年齢差からくる偏見はどうにもならない。


「私、たまにわからなくなるんです。バレてもいいって、玲一の本心なのか。彼は私に負担を掛けさせないし、自分の負担も私には見せないから……。どこまでも甘えてしまう」


 遠くを見るような静かさで、ただ落とされた遥の言葉に、玲奈が微笑む。


「そんなリスクを背負っても、玲はあなたと付き合いたいんでしょう。それはあいつの意志よ。大人であるがために責任が伴うのは仕方ないことだわ。遥ちゃんが気にすることじゃないのよ」


 穏やかな玲奈の言葉に、遥は微笑む。

 突き放さず、けれど誤摩化さない、その距離はさすが姉弟だ。同じ。


「ありがとうございます。弱音なんて恥ずかしいですね」

「あなた素直ないい子ね。玲一にはもったいないわぁ……」


 しみじみと彼の姉が呟いたその時、ドアがガシャンと音を立てて開いた。


「玲奈!来るときは電話しろって言っただろ」


 やたら不機嫌な形相で、玲一が入って来る。いつもならちゃんと寝室に片付ける上着も、乱暴にソファの背に放った。


「したじゃない」


 玲奈はケロッと返す。


「部屋の前からは事前連絡とは言わねーんだよ。遥、変なこと言われなかったか?」


 後半は遥に聞いてくる。少女は笑って首を振った。


「素敵なお姉さんだね」


 玲奈がほらね、と玲一に一瞥をくれ、彼はふん、と鼻を鳴らした。


「何しに来た。金と時間なら無いからな」

「ま~それがお姉様に対する態度なの?」


 玲奈は顎をつんと上げて言い返し、腕組みをした。


「すみませんねぇ。お姉様がトラブルばかり持ち込むものですから、警戒心が鍛えられて」


 嫌みたらしく、玲一が言う。


(……って、一体どんな目に会わされてきたのかな)


 なんだか遥は妙な好奇心を持ってしまう。

 こんなに口調が乱暴な彼を初めて見る。ある意味、気を許している姉相手だからなんだろう。けれどーー不思議とそんなに嫌な空気はしないが。


「だいたい、何をしてたわけ?」


 弟の冷たい質問に、姉はニヤリと笑う。頭を傾けて、隣の遥にくっつけた。


「えぇ~美人お姉様による、遥ちゃんのお悩み相談室よぉ~?ねぇ、遥ちゃん」


 思わず頷いた遥を見て、玲一が眉を上げた。


「何、悩みって。遥に悩みがあるなんて初耳」


 遥が答える前に玲奈が遥を抱き締めて、勝ち誇ったように笑ってみせる。


「ふふん、お姉さんだけに教えてくれたのよねーッ。玲の“困ったちゃん”なとこをアレコレっ!玲には教えてあげないもんね~」

「はん、遥に俺への不満があるとでも?そんなものはないし、あっても俺が手取り足取りじっくり全身でカウンセリングするから、レナは必要ありません。てめ、年考えろよ。んで、俺の彼女を離してくれませんかね、お姉様」


 なんだかドサクサ紛れにすごいこと言われた。これからは玲一相手には、迂闊に悩んでるとか言いづらい。本当に。

 睨みつける弟に、べ~と舌を出す姉に……挟まれた女子高生。なんだろうこれ。

 遥は訳もわからないまま、二人を見比べていた。


「で、本題はなんなの」


 疲れたように玲一が聞いた。遥は玲奈の顔が一瞬固まったのに気付く。


(あれ……?)


「雑誌の撮影を予定してたんだけど、相手モデルが急病で倒れたの。んであんたにまた代理を頼めないかって社長が」


 玲奈が一気に言って、玲一に向き直った。


(モデル?しかも“また”?)


 遥は驚いて玲一を見る。しかし彼は一考もせずに瞬殺した。


「断る。前に二度とやらないって言っただろ。それに今は教師なんだ。面倒起こしたくない」


 その声は更に冷ややかさを増して投げられる。頑なな玲一を見て、玲奈はしばし考え、ニヤリと笑った。視線が遥を捉える。その顔に浮かんでるのは、“いいの見っけ”だ。


「ねーぇ遥ちゃん、モデルの玲も見たくなあい?すごくカッコいいのよ~」


 搦め手攻撃だ。外堀から埋めちゃえ。泣かぬなら、代わりに泣いてくれちゃうホトトギスちゃんを捕まえちゃえばいいんじゃないの、ってなものだ。

 いきなり話を振られた遥はビックリして玲奈と目を合わせる。


「玲奈!」


 玲一は姉のズルイ手口に抗議しかけ、恋人の様子に気付いた。遥は玲一と玲奈を見比べていて、その両手が胸の前でぎゅっと握りこぶしを作る。期待をこめたキラキラした瞳を向け、コクリと頷く遥を見て、玲一は絶句し、玲奈は勝ち誇った顔で笑う。


「スッゴく見たい、スッゴく見てみたい……!」


 あああ、完璧に玲奈の手口にやられてる。大丈夫か、この子。悪徳通販とかに騙されるタイプじゃないだろうな。玲一は見当違いにちょっと心配になった。


「玲奈、目的はお前の悩み相談か」


 冷たく言い放つ彼を、玲奈が横目で睨む。


「いいじゃない、お姉様の言うことくらい聞いてくれたって。学校なんて絶対わかりっこないわよぉ~」


 ひらひらと手を降って気のなさそうに言う。


「てめ、それが人にモノを頼む態度かよ。とにかく俺はやらないからな」


「遥ちゃんの頼みでも?」


 姉の一言に凍りつく。……しまった。一番マズい弱みを握られた。


「玲ってば日頃遥ちゃんを振り回してるみたいだし?たまには彼女を喜ばせてあげたらあ?」


 ニヤニヤ言う姉を見て。……心底殴りたい。

 遥をチラリと見れば、更に期待に満ちた目で玲一を見つめている。ハッキリ言って、もの凄く……可愛い。慎み深い彼女はいつもなら恥じらってばかりで、こんなに熱っぽく見つめられることなんてそうそうない。これを一刀両断して潤んだ目をさせるのもそれはそれでイイのだが。今のレアショットも見逃せない。ああ、写メりたい。しかし姉の前でそんな真似をすれば、今後の人生は彼女に膝を付く屈辱を味わわされる。理性と欲望との戦いとは良く言ったものだ。


「あ、あの、玲一……なんだか怖いよ?そんなに深刻な顔して」


 何も知らない遥は首を傾げる。まさか彼女が可愛い過ぎて、おねだりさせるか泣かせるか悩んでいますとは言えない。黙ってしまった玲一が、もう断れないと確信して、玲奈が高笑いする。


「そうと決まれば明日、青山のスタジオに9時ね。遥ちゃんも見学にいらっしゃい」


 言うべきことを言ってしまうと、さっさと彼女は帰ってしまった。それでやっと遥が正気に返る。


「玲一……?あの、ごめんね。私、つい見てみたいなんて言って。やりたくないんだよね」


 おずおずと聞く遥に、頭を抱えていた玲一が顔を上げた。今度は彼に軽く上目遣いをされて、遥はうっと息を吞む。ああ、お色気攻撃が始まっちゃった。


「頑張ったら、ご褒美くれよな……とりあえず前払い」


 彼はそう言って、遥にキスをして。


「あ、あの、前払いって半分よね、確か」

「そうだよ。まだまだ足りませんよ、こんなもんじゃ。利率はトイチだからね」

「……十日で一割?」

「十分で一割」


 そのまま更にエスカレートした“前払い”に、総報酬はどれほどのものなのかと、少女はこの年上の恋人に悩まされる羽目になる。

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