遥の想い
遥はしばらく保健室には行くのを止めた。
朝はギリギリに登校し、昼休みも教室で、友達とお弁当を食べた。玲一と顔を合わせれば、様子がおかしいのを気付かれてしまうと思ったからだ。急に避けることこそが不自然だとは分かっていたが、玲一には「友達とテスト勉強をしてて」とどうにかごまかした。泉学園は進学校だけに小テストも多い。
彼は納得してくれた、と思っているが、「ふうん」と何か言いたげなまなざしで見られた時には顔が引きつった。あのふうん、が怖い。
ーー先生に気づかれたら、誤魔化せない。
実際彼女は動揺していた。キッパリ拒否したつもりだが、松本拓海がどんな考えかわからない。遥が要求を呑まないとなれば何かしら言ってくるかもしれない。
「そうしたら、私のせいで先生に迷惑がかかる。そんなの、ダメ」
玲一の立場を守らなくては。
放課後も、足早に教室を出る。モタモタして、もし玲一に会ってしまえば……遥には拒めない。あの人の傍にいることを、拒否なんてできない。そしてまた誰かに見られたら……?
「高嶋さん」
彼女を呼び止めたのは、拓海だ。遥は警戒を剥き出しにした目で拓海を見る。彼は戸惑ったように言った。
「この前は……無茶な事言って悪かったよ。つい何か……驚かせてやりたかったっつーか」
「……」
意外にも愁傷な彼の態度に、遥は気が抜けた。
そういえば、松本拓海の評判はそんなに悪いものではない。明るくて人気者だ。遥の友人にも彼に憧れている子はいる。あの発言は気まぐれだったのかもしれない。
「……わかってくれたなら、いいの」
「ここじゃ、話しにくいだろ、上行かねぇ?」
拓海は遥を促して歩き出す。遥は一瞬迷ったが、確かに他の生徒に聞かれたくない話ではある。拓海の後について、あの視聴覚室へやって来た。彼はさっさと自分から入り、机に寄りかかって立つ。遥は念の為入り口のそばに立った。この位置なら何かあってもすぐに逃げられる。遥の警戒っぷりを見て、拓海は苦笑いした。
「ホントに他の男ダメなんだ。冴木ならいいの?」
遥が頷く。
「冴木先生は私を救ってくれたの」
ゆっくりと話す彼女を、拓海はじっと見つめる。その前で遥は、ふわりと微笑んだ。その表情を見て、拓海は目を見開く。
「玲一は、いつだって私の大事なものごと、私を守ってくれる」
与えられてばかり。包まれてばかり。だけど、遥には傍にいることしか出来ない。それしかできないからこそ、傍に居るんだ。
「わからなくていい、あなたとは付き合えない。ごめんなさい」
視線を落として言う。
「俺、高嶋さんに憧れてるよ。全然望みないの?」
真摯に言ってくれる拓海に、遥は迷い無く頷く。それが妙に気に障った。
無意識のまま拓海は遥へと近づき、その距離に彼女はビクンと身を震わせる。
「……俺だって冴木みたいに出来るぜ」
立ちすくむ遥の髪に手を伸ばし、拓海が撫でた。遥が嫌がり、首を横に振る。その顔に拓海は被虐心を刺激された。
何で?
何で俺じゃなくてあいつなの?
「冴木はただ女子高生とやりたいだけなんじゃないの」
遥を諭すように言うが、彼女は首を振る。
「何で、わからないんだよ」
遥を想う気持ちと、伝わらない苛立ちがせめぎ合う。
眉根を寄せる彼女を、なんだか凄く壊したくなって。もう一歩彼女へ近づいた。遥は拓海を見ない。それに不満を感じ、拓海は遥の髪から肩へ手を滑らせる。そして柔らかな膨らみに力を込めて……。
「止めて」
ハッキリとした遥の声が響く。
「へ?」
拓海は我に返り、自分の手を見てーー
「うわっ!ゴメン!!」
彼女から慌てて手を離した。飛び退くようにしてガバッと頭を下げる。
「うわああ!犯罪者か、俺は!!や、ごめん!出来心で!うわ、ますます犯罪者的な言い訳!!」
拓海が真っ赤な顔で叫んだ。慌てた拍子に後ろの机にガン、と足を当ててしまって「うああああ」などと悶絶している。相当痛かったのか、涙目で「かっこわるい……」などと呟く始末。その様子に構えていた遥のほうが呆気にとられていた。
なんだか……そんなに悪い人じゃないのかな?
今までされていたことなど忘れ、遥はクスクスと笑った。その顔に拓海は安心したように息を吐いて、頭を下げて謝る。
「やべ、ヘンな気持ちになってた。ホントごめん」
ここで見た二人の姿に対抗心でもあったのか……拓海は素直に己を恥じる。
……このへんが、後々健吾に、妙に優しい笑顔で「ヘタレ☆」とか言われてしまうところなのだが。
「気長に待つよ。イイ友達でいて」
拓海は内心ただ諦めきれなかっただけだが、こんな自分も割と好きだ。
ていうか……教師と生徒なんて障害だらけだ。オマケに冴木は恐ろしくモテるし。……いざとなったらつけこめばいいんじゃね?
姑息なことを考えて、遥へ笑顔を返す。拓海の思惑なんて、全く気付かず、彼女は微笑んだ。
「……うん」
でもやっぱり、本音は遥の笑顔が見たかった。
玲一のことを話すときの、あの綺麗な笑顔を。
*
「遥ぁ、何を隠してるの?」
その日やっと保健室にやってきた彼女と、顔をあわせて開口一番、玲一は言った。遥は思わずまじまじと彼を見てしまう。
「何それ……」
「お前のクセ。俺に言えないことがあるとそうやってまず目を逸らす」
私ってそんなクセあったんだ。
遥は冷や汗をかきながらも、彼が自分をよく見ていてくれていることがちょっぴり嬉しく思ってしまった。いやいやいや、そうじゃなくて、しっかりしなきゃダメよ私!今はこの場をどうごまかすかが問題だ。
「そんなことないよ?」
ああ、しらじらしい。自分でも分かってる。だからそんな目で見ないでよ。
「遥」
ああ、この呼び方。彼女の瞳を覗きこみ、玲一の唇が遥に触れる直前で止まる。
「最近、顔見せなかったな……ねぇ、何してたの」
「さ、冴木先生っ、近い、近いです!」
「遥」
揺るがずにキッパリと呼ばれ、おまけにこんな状態では嘘などつけそうにない。触れそうで触れない唇に、嫌でも意識が集中する。けれど視線を上げればその少し色素の薄い綺麗な茶色の瞳がこちらを射抜いていて、そこに映る自分まで見える。吸い込まれてしまいそうなのに、目を閉じることも逸らすことも出来ない。
このままでいたら、触れて欲しい、とかとんでもないことを口走ってしまいそうな気がする。
「ねえ……教えてよ。俺に言えないこと?」
「ーーっ!!!」
いっそう低く艶を増して言われた言葉に、ぞくり、と肌が粟立った。
何これ!色仕掛け!?なんでこの人はこう、必殺技だらけなんだろう。
……遥はもうなんだか泣きそうだ。
ーー結局全て話す羽目になってしまった。
「でもね、彼なんだかイイ人だし、大丈夫そうよ?」
「胸揉まれたのに?」
玲一は、冷ややかな目で聞く。
「う。でも、謝ってくれたし」
玲一の無表情が怖いんですけどっ……何て思ってるのかな。危機感が足りないと呆れられたり、愛想を尽かされたらどうしよう。冷ややかな視線を落とす彼に、だんだん不安になってくる。
玲一はしばらく遥の話をジッと聞いていたが、急に立ち上がった。
「れ、玲一?」
遥の焦った声を聞き流して早足で出て行く。彼女は慌てて後を追った。
ど、どうしたのーー?




