プロローグ
冴木先生の表記が「玲一」に変わります
冴木玲一はプリントを抱えて、高校の廊下を歩いていた。
彼がここに産休代理の養護教諭として赴任して、半年以上経つ。けれど実は、そんなに長くはいるつもりはなかった。
元々は大学病院の勤務医だったが、彼が医師免許のみならず教員免許をも持っていることを知っていたこの学校の理事長に、どうしてもと頼まれて“保健室の先生”になった。昨年度に起こったある事件の調査の為に、内偵じみたことをやらされていたのだ。
「まあ何が何でも医者になりたかった訳じゃないし、教師にも興味はあったわけだし、どっちでもいっか。……給料も大して変わらないし」
彼はそう言ったが、事実は彼の心中に秘められている。
そんなこんなで気が付けば、すっかり教師も板についている。それでも仕事はきちんとこなしているせいか、職員室内での評価は高い。おまけにその美貌は生徒のみならず保護者の皆さんにも非常に評価が高い。普通は高校の保健室に、若い男性の養護教諭なんてなかなか無いと思うのだが、それが名門私立と謳われる泉学園ならではなのだろう。ちなみに余談だが彼が赴任してから、保護者からの寄付金が倍額に跳ね上がったらしい。
彼をスカウトした理事長に言わせれば、
「だってしょうがないじゃないか!なかなかイイ人材が居なくて困ってたら、お前がうっかり教員免許なんて持ってるんだもの!」てことらしい。
「あんたのために取った訳じゃないんだがな!!」
などというやりとりがあったのは置いといて。とにかく彼は教師を続けている。
玲一は二十七歳だが、童顔という意味でなく若く見える。その整った顔とモデルのようなバランスのとれた容姿で、生徒にも教師にも囲まれることは多かったが、もちろん一線をひいて付き合っていた。……あるひとりを除いて。
二年生の教室が並ぶ、廊下。玲一は“彼女”を見つけて、口の端にかすかに笑みを浮かべる。
女子生徒だ。遠目でも目立つ、さらさらと流れる長い髪と、細く白い手足。近寄れば長いまつげと黒目がちな瞳、赤い唇の美少女だとわかる。
……玲一はその唇の柔らかさを知っている。
声をかけようとして、彼女が誰かと話しているのに気づいた。
男子生徒だ。赤い頬で一生懸命たわいもない話をしている顔に、明らかに彼女に気があると書いてある。“ケツの青いガキ”に彼女の気を引くことなどできないとわかってはいるが、なんとなく面白くない。
「高嶋」
彼女を呼べば、その瞳が玲一を見る。
途端に顔いっぱいに微笑みを浮かべ、高嶋遥は応えた。
「はい、冴木先生」
男子生徒にじゃあ、と言ってこちらに向かって来る。
「どうしたの?怖い顔してる」
小首を傾げて、遥が玲一にだけ聞こえる小声で聞いた。彼女に指摘されるほど、はっきり顔に出ていたらしい。自分でも大人気ないとは思うが、仕方ない。
「保健委員、プリント取りにきてくれ」
周りに聞かせるように言って、遥と連れ立って保健室へ向かう。
扉を閉めると同時に、彼女の腕を掴み、腰を抱いて強く引き寄せた。
「センセ……」
咎めるような遥の声を無視して、そのまま深く口づける。
「ん……っ、ヤキモチ?」
苦しそうに、遥が眉をひそめて言った。その頬が赤く染まっている。
……可愛い。少し意地悪く、玲一は笑った。
「そうだよ」
息つぎしながら、彼女はこちらを見上げてくる。
「……私が誰のものか、知ってるくせに……」
更に可愛いことを言う。
玲一は微笑みながら、遥を抱き締めた……。
高嶋遥が玲一と出会ったのは5ヶ月程前。
この高校に通っていた遥の姉が屋上から落ちて亡くなり、彼女は憧れの姉の死の真相を確かめに転入してきた。それは姉が交際していた教師に裏切られ、自殺したという辛い現実だったが、事件を乗り越え、遥は今もここにいる。
それは玲一の存在のためでもあった。二人は出会ったときから惹かれあい、玲一は遥を手に入れた。
「しかし……遥のやつ、急激に綺麗になったよな」
もともと美少女ではあるが。玲一に愛され、無垢な少女から艶を秘めた女性へと変化をし始めたのか。玲一は内心、そんな遥を見ているのは楽しかったし、自分のために美しくなる少女を愛おしく感じていた。
……とはいえ。
「あ~余計な虫が群がるのも面倒だな」
教師でありながら、遥に近づく男は生徒といえど虫扱いだ。
「もぅ……先生、何を馬鹿なこと……」
もう何度となく交わされたやりとりだが、遥はいまだに顔を赤くする。そんなところも、玲一を煽る一端なのだが。
「遥」
玲一は彼女の名を囁いて、鎖骨にくちづけた。
「さ、えきセンセ……」
遥はかすれた声で応えてくる。
「……いい加減に名前で呼べば」
肌を重ねているときでも、遥は先生と呼ぶ。
「やだ……他の子の前で、呼んじゃうかもしれないもん」
遥は首を振って答えた。 玲一はたとえそれで周りに二人の関係がバレても職に未練などないが、遥はそうではないらしい。
今のようにいつも傍に居られる場所を守りたいのだ。
もちろん遥がそれを望むなら……叶えてやるまでだ。
それに玲一自身もできるだけ遥の傍にいてやりたいというのが、本音だった。




