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保健室の恋人  作者: 実月アヤ
第一部 ep.1 桜の下で
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プロローグ



 彼女は一人、桜の木の下に横たわっていた。

 視界には一面のピンクの花。空の蒼。


 ひらひらと舞い落ちる花びらを見つめながら、ただ黙って、その手を伸ばそうとして。


 指先すら動かないことに気付く。


「……ごめんね……」


 彼女の瞳から涙が零れ、桜の花びらへと落ちていった。





高嶋遥たかしまはるかです。宜しくお願いします」


 真っ直ぐな深い栗色の長い髪をさらさらと肩から零れ落としながら、遥は頭を下げた。

 好奇に満ちたクラスメイトたちの目。確かに、高校2年の5月も終わる頃、中途半端な時期の転校生は珍しいのだろう。

 それに何より、遥は美少女だ。

 黒目がちの大きな瞳でじっと見つめれば、相手は大抵顔を赤くしてうつむく。

 だが遥自身はあまり自分の容姿が気にならない。クラスの男子(女子もだが)の大半が、好意的な目で見ていることにも気づかない。今までの周囲の扱いから、自分がおそらくは可愛い部類に入るのはなんとなくわかるが、身近に掛け値なしの美人がいるせいだろう。


 ……いや『いた』というべきか。

  遥がこの世で一番綺麗だと思っていた人は、今はもういないのだから。


「かわいい!」

「高嶋さん、カレシいるー?」


 男子たちのあからさまな歓声にも、遥は動じない。ただ困ったように、曖昧に微笑んで躱す。

 彼らは知らないのだろうか。この学校には、もっと、もっと、本当に綺麗な人がいたこと。

 もう何もかも無かったかのように、忘れられてしまった彼女を思う。

 痛みを隠して、挨拶を終えた。



 休み時間になって、遥が他の生徒に取り囲まれそうになっていると、それをくぐり抜けて一人の女生徒が寄ってきた。


「高嶋さん、校内を案内するね。私も1年通ってもまだ覚えきれてないけど」

「え?うん、ありがとう」

「おい槙原ズルいぞー美少女独り占め!」

「悔しかったらクラス委員になってごらんなさい、おほほほ」


 なかなか良い性格をしているのか、男子にイーッと歯を剥き、遥にはにこやかに話しかけてくるクラス委員ーー槙原ユミに頷き、彼女に続く。

 食堂や、特別教室を教えてもらいながら、遥はふと気付いた。どの棟も、上に続く階段が封鎖されている。


「屋上は……出られないの?」


 途端にユミは顔を曇らせた。


「今は立ち入り禁止なんだ。事故があって、先輩が落ちたんだって」

「……そう、らしいわね」


 遥は呟く。


(だから来たんだもの)



「ではでは!高嶋ちゃんとのランチデートを賭けて勝負!」


 昼休み、群がるクラスメイト達は本人の希望そっちのけでじゃんけん大会を始めた。何のことはない、ただ何人かが彼女を学食に誘おうとしただけなのだが、ノリの良すぎるクラスなのか男女入り交じってお祭り騒ぎになっている。どうしてだろう。


「ごめん、私ちょっと……」


 遥はその場をユミに任せて何とか抜け出すと、一人で裏庭へ来た。賞品が消えてしまうのもどうかと思うが、そもそも遥自身の意志はまるまる無視なのだ。これくらい抵抗しても良いだろう。


 ここだけは誰の案内も必要ない。なぜならここに編入する前から、何度も訪れている場所だからだ。

 そこには大きな桜の木がある。もっとも今は桜の季節ではないから、青々と葉っぱが伸びているだけだが。近づいて、上を見上げると、枝の隙間から屋上の手すりが見えた。


「桜ちゃん……」


 水樹桜みずきさくら

 遥の一歳上の姉だ。

 遥と桜の両親は5年前に離婚していて、遥は母に、桜は父に引き取られていた。離れてからも、桜は何かと遥を心配し、ちょくちょく会ってくれていたのだ。

 なのに。

 ほんの2ヶ月前、春休み直前に突然桜は死んだ。

 屋上から、この桜の下に落ちて。満開の、桜の下に横たわって。


 事故だとも、自殺だとも散々に噂され、結局は警察は事故だと結論づけた。けれど遥には納得ができなかった。小さい頃から評判の美しい姉は、優しくて、頭も良くて、皆から好かれていた。

 姉が自殺などするわけがない。だからといって、なぜこんな事故が起こったのかもわからない。警察の発表なんて実感の湧かない報告などではなくてーー真相が知りたかった。


 だから、ここに来たのだ。

 姉の居た場所に、死んだ場所に来れば何かわかるんじゃないかと思ったから。


 もともと遥の通っていたのは市内の公立高校だったが、なんとか母を説き伏せ、姉の通っていた私立高校へ転入させてもらえた。


 私立泉学園ーー母子家庭の遥の家には多少負担のかかる、名門校。

 研究文化芸術など様々な分野で活躍する在校生、卒業生も多い人気進学校であり、保安上その実態はあまり知られていない。転入するしか、調べる術が無かった。死に物狂いで勉強して、転入試験に備えて。


「ちゃんと、知りたいの」


 そんな言葉を向けた遥に、母は黙って頷いてくれた。母も桜の死を悲しんで、認めたくなかったのだろう。

 遥は上を見上げたまま、進む。桜の向こうの空が眩しい。


「桜ちゃんてば、自分の名前の花だからって、桜が好きだったもんね……」


 けれどまさか、下の桜の木を見ようとして屋上から落ちたとも思えない。


ーー何か手がかりはないの?


 遥は首を振ると、桜の木に近づく。一応は変死として鑑識も入ったはずなのだから、今更何かが見つかるとも思えないが、居てもたってもいられなくて。しかしその途端、何かに躓き、彼女は前にがくんと倒れかけた。


「あ」


 桜の一際太い根に足をとられて、地面にぶつかる、と思った瞬間ーー



「危ない」



 低い、だけど不思議と響く声と共に。

 後ろから腕が伸ばされ、遥を抱き止めた。


「……っ!」


 その力強さに、遥は一瞬息を呑む。


「す、すみませんっ」


 慌てて振り仰いだーーその先には


「さ、く、、」

 

 桜ちゃん……?


 一瞬姉の幻を見た気がして、まばたきをする。

 ーー違う。


 深い色をたたえた瞳が、間近にあった。吸い込まれてしまいそうな、不思議な感覚。

 額に、相手の柔らかな髪の感触。かすかに甘い香りがした。

 ーーそのひとの。


「……っ」


 近過ぎるほど近い、その距離に遥は慌てて身を離す。


 そこにいたのは、若い男性だった。

 背が高く、“綺麗”と言えるくらいにとても端正な顔をしている。思わず見惚れてしまうほどに。

 遥を受け止めた腕を軽く上げたまま、彼は遥の呟きに怪訝な顔をした。その顔で、遥は自分の間違いに気づいて、慌てて首を横に振った。


「な、何でも無い……です」


どうして見間違ったりしたんだろう。桜とは似ても似つかない……第一、相手は男性なのに。


「気をつけろよ」


 彼は気にした様子もなく、目だけで微笑んで。その視線に彼女はどきりと心臓が跳ねた。そんな遥の頭をぽんと軽く叩き、男性は校舎に向かっていく。


「はい……」


 先生、だろうか。先輩と言ってもいいくらいの若さだったが、着ているのは制服ではなく、私服だった。それにさすがに“大人”の雰囲気を感じたし。


「誰……なんだろう」


 遥は何となく、頬が熱くなるのを自覚していた。

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