第二章(1)
「疲れた……」
リーファは勢い良くベッドに突っ伏した。
三ヶ月ぶりの寝心地良い布団。すぐに眠りたいが、頭の中を整理しておきたい。
広い部屋と豪華な家具を見ながら、リーファは今まであったことを反芻してみる。
「指名手配になって、アフィルメスから出て、放浪の旅を続けて、ようやく山脈下の樹海まで来て……そうだ魔族に会ったんだ。で……」
よもや魔族があんな風に暴走するとは思わず戦い、お互いの魔力で時空が歪み、放り出されたのが、良いのか悪いのか。
「未知の国、アレネス国にたどり着いた、と」
結局あの後、レイア達と共にアレネス国の城に入った。帰ると言ったが、ここから外界に戻るには、かなり険しい道を進まなければいけないと言う。それも十日ほど。
城で休んでくれてかまわないと言うから、好意に甘えてついて来た。
リーファは起き上がると、荷物の中から紙とインクを取り出す。
「街の様子はにぎやか。どうやら農家もあるらしく国の食糧は自給。売られている道具などは日用品から、魔道具まで様々、と」
通り過ぎただけだが、知り得たことをメモしていく。昔からの研究癖だ。
「今代は女王が治める国。名はレイア・フィル・ジ・アレネス。年齢は十代後半……」
「十八歳だよ」
「っ! っと、レイア……様」
突然聞こえた声に振り向けば、入り口の所にレイアが立っていた。あれだけマルファスに注意されたにも関らず、護衛がいない。
「ごめんね。何度か扉を叩いたんだけど……邪魔しちゃったかな?」
「そんなことないですよ。ああ、俺、集中しだすと周りを遮断してしまうんです。どうぞ、入ってください」
「敬語なんて使わないで。敬称もいらないわ」
「いや、でも……」
「貴方はこの国の民ではないのだから。私を敬う必要はないでしょう?」
(それでも、君は最も尊いといわれている一族の女王だろ)
などと思いはしたが、きっと彼女は認めないだろう。なかなかに頑固そうだ。
「これ、この国のこと?」
「ああ……うん。でもダメならやめる」
今まで外界を遮断してきたのだ。外側の人間に知られるのは避けたいのかもしれない。
「別に良いよ。アレネス国は外側が嫌いなわけじゃないし」
「そ、そうなのか? その割には……」
「どうして結界を張ってるのか?」
椅子に腰掛けて、レイアはリーファの心を読み当てた。
国土の周りに結界を張り、一族が暮らす場所を覆う森には迷いの霧。決して、誰も入ってこられないようにと。
「外側が嫌いなわけじゃないなら、国交だってしても良いはずだ。でも、君達はその要求も断り、長年ここで孤高の生活を送ってる。言動と行動が一致してない」
嫌いじゃないのなら、外とも交流を持つべきだと思う。
「そのせいで、今は君達の存在を危険視している者もいるんだぞ」
「そうね。私達の力は脅威だ、と。貴方もそう思ってるでしょ、リーファ。未だに貴方は魔力と気を張り詰めているもの」
普段と何も変わらない視線でリーファを見るレイア。
「気づいてたのか……そうだ。俺はまだ、君達に心を許してない」
目を細めて、リーファはレイアを見つめる。気を許したわけではない。できることなら、すぐにでもここから去りたいとも思っている。
レイアはこちらを見て少し悲しそうな顔をすると、膝の上で手を組んだ。
「外界が嫌いなわけじゃないの。でも、貴方達は私達を受け入れられる?」
「え……」
「私達の力は、貴方達が危惧するとおり強い。個人の魔力も強い方よ。召喚という高位魔法も普通に使える。あまつ、私は原始の王との邂逅も許される身。もし、私達が外の世界に出たとして、その立場はどうなると思う?」
浮かぶ答えに、リーファは眉を顰めるしかなかった。
おそらく皆、彼女達を受け入れない。正確には、国の中枢を担う者達が、だ。
強大な力は二つの考えに基づいて位置づけられる。手に入れて利用するか、脅威として排除するか。
まずは前者だろう。だがそうなれば国の間で戦争が起きる。誰よりも頂点に立つために、各々がレイア達を利用しようとする。アフィルメスとてそうやって戦争を繰り返し、強い力を持つ者を集め、今の地位を築いたのだ。
しかし、レイア達も利用される気などないはずだ。一つの国としての主張をするだろう。幸い彼女に他国と敵対する意志はないようだが、他はどうか分からない。
「外で一国として立てば、他の国々、特にアフィルメスは脅威と思うでしょう。私達が望まなくても、強すぎる力は自然と他国を抑えてしまう。図らずして頂点に立ってしまう」
「やがて、それを窮屈に思い始めた他国は、力を合わせ君達の排除に乗り出すかもしれない。そして君達は支配される気も、排除されるつもりもない」
「私だって、自国の民を守るためなら戦うわ」
実際、外側の国と彼女達が戦ってどちらが強いだろうか。兵士や魔導士の数でいえば圧倒的に外側の国だろう。だが、アレネス国には強い魔法と、原始の王を召喚できるレイアがいる。
「聞いても良い?」
リーファは頭の中で考えをまとめ、レイアに問うた。
「原始の王を召喚すれば、間違いなく君達が勝つのか?」
彼らと邂逅ができるのは原初の一族。その中でも女王たるレイアのみだと聞いた。
彼女は膝の上の手を握り締め、自嘲するように笑う。
「完璧なものなどないわ」
「それじゃあ……」
「原始の王が一人でも現れれば、間違いなく私達が勝つわ。それぞれの王は器、命、力、知を与えた者。その力を持ってすれば逆に奪うこともできる」
器、命、力、知、どれを奪われても、軍どころか国も機能しなくなる。問答無用でレイア達の勝ちということだ。
「はぁ……なら、どうあったってこの世界を牛耳るのは君達じゃないか。外に出ようが出まいが必ず脅威になる。不公平なものだな、原始の王も」
それが異なる種族の魔族や神族なら、まだ納得もできるが、なぜ同じ人間にこうも差をつけたのか。えこひいきではないかと思う。
不貞腐れた顔をするリーファに、レイアはくすくすと笑いを漏らした。そして、やはり自嘲した笑みで言葉を続ける。
「そうでもないわ。私は原始の王を呼び出せるけれど、それには条件がある」
「条件?」
「……滅ぼすとか、戦争とかの理由において、私は人間に向かって原始の王を召喚することは許されない。そんなことをしてしまえば、私は逆に彼らに命をとられてしまうわね」
「どうして?」
「言ったでしょう? 完璧なものなどない。私達には役目があって、その役目の過程で必要にならない限り、原始の王を召喚することはできないの。私達は確かに強い力がある。でも同時に、強い制限もあるのよ」
そう言って笑うレイアはホッとしているようにも見えて、リーファは目を丸くした。
力があるのなら、それを当たり前のように使うのだと思っていた。アフィルメスがそうしてきたように。強い力によって国を強固にしてきたのだと。
「なあ、その役目って……いや、言えないなら別に良いんだけど」
この未知の力を持ち続けた一族に課せられた制限。どうしてもそれが聞きたくなった。
ただ、リーファはいきなり現れた、しかも最もうるさく書状を送っていた国の魔導士だ。簡単には説明してくれそうもない。そのためダメもとで聞いたのだが――
「世界を守ること」
「は?」
レイアは何の気なしにそう言って笑う。リーファはそれをしばし見つめ、ハァッと重い溜息をついた。
「言いたくないなら、言わなくて良いから」
ここはアレネス国の中心。無理やり聞こうとしても、リーファはすぐに捕らえられるだろう。だから本当に興味本位で聞いたのに、こういう返しは少し疲れる。
(何か彼女のペースにはまってるな……)
普段人を手玉に取るリーファ。そのせいか、この状況は面白くない。
彼はフムッと顎に手を当てると、ニッと口を吊り上げた。
「あ~……俺、今聞いた話を手土産にアフィルメスに戻るかもよ?」
意地悪そうに笑ったリーファに、レイアもこれまた意地悪そうに口を歪める。
「どうぞご自由に。女の子の信じる心を踏みにじるなんて、貴方最低な男ね~。国中に言いふらしちゃお」
「ああそうご勝手に……って、ちょっとそれ待て! 女王を傷つけたなんて、俺この国から生きて出られないじゃないか!」
「それは残念ね~。でも私は一生ここにいてくれてかまわないって思ってるわよ」
ふふふ、と笑顔を振りまいて、レイアは扉の方に向かう。
「分かった、分かったよ! 言いふらしませんっ、俺の心の内に留めときます!」
「ありがと。でも最初から言いふらす気ないでしょう? 貴方の目、とても真っ直ぐだもの。この国を脅かす目的でないのなら、いくらでも自由に歩いてくれてかまわないわ」
じゃあお休み、とレイアはドレスを翻して行ってしまった。
「いくらでも自由にって。ほんっと警戒心ないな……」
まったくもって自由な女王に苦笑が浮かぶ。
同じ国でも、アフィルメスとは違う。誰もが権力を持とうと暗い謀をしているわけではない。レイアの笑顔がそれを物語っている。
「ここなら安全そうだし、しばらくご厄介になるかな」
再びベッドに転がり、リーファは襲ってくる睡魔に身を任せた。