第一章(4)
自分で言うのもなんだが、今まで平凡な人生を過ごしてきたと思う。
人よりは裕福で、才能もあった。親も独立して安心してから死んだ。上級職について、王子の世話もして、一国の治世に関わって。傍から見れば全然『平凡じゃない』『羨ましい』と言われるかもしれない。それでも、自分にとっては平凡だった。
まあ、最終的には反逆者に仕立て上げられ指名手配の身。いささか平凡ではなくなったけれど、きっとどこかで時を過ごしていく内に、また平凡だと思うのだろう。
どこかで職に就き、どこかの女性と出会い、どこかで家庭を築き、どこかで死んでいく。平凡で穏やかな人生。嫌いじゃない。好ましいと思う。ただ、少し引っかかりを覚える。
一緒に作る人はいるのだろうか、と。
霞がかった意識が浮上する。それをどこかで理解しながら、リーファはうっすらと目を開けた。夕暮れの光が目に痛い。
少しずつ意識は明確になっていく。そう思った直後、後頭部にずきりと痛みが走った。
「っ!」
咄嗟に手をやる。血の感触はないから酷い怪我ではないらしい。それでも少し熱を持って膨れているから、強く打ち付けたようだ。
「あ、起きた?」
「……え?」
いきなり隣から聞こえた声に、リーファは条件反射で杖を掴み、飛び起きた。
「わ!」
振られた杖をぎりぎりで避け、相手がのけぞる。ようやくはっきりと開けることのできた目に、さらりと揺れる髪が目に入った。
「あ……?」
「驚いたぁ。いきなり飛び起きるんだもの」
未だ杖を構えたまま、リーファは呆然と眼前の相手を見やった。
長い髪に、澄んだ銀灰色の瞳。青色の高そうな服を着た少女が、くすくすと柔らかく笑いながら彼を見ていた。
「さっきまでゆすっても全然起きなかったから、いきなり動いて驚いたわ」
「ああ……ああっと、その、ごめ……」
「あともう少し経って起きなかったら、火葬にしようか土葬にしようか迷ってたの」
「って、俺は死んでなかっただろ!?」
可愛らしい顔で落とされた爆弾発言に、ついついのりで突っ込んでしまった。
何だか、疲れる。
「えっと、それで……君は?」
「私? 私はレイアよ。いつもここに来ているの。今日は貴方とあの子がお客さん」
レイアという少女が目を向けた方向に自分も向く。そこにはここのところ苦労を共にした馬が、大人しく草を食んでいた。
「お前偉い! ちゃんとご主人様を追って時空の穴に入ってきたんだな」
「時空の穴?」
「ああ、ちょっとここに来るまでに魔族とはち会って。山脈下の樹海だったから魔法を使った時に時空が歪んだんだよ。俺はそれに飲み込まれ……」
そこまで言って、自分がどこかに飛ばされたのだということにようやく気づく。
リーファは脱力して座り込んだ。後頭部の痛み以外はちょっとした疲労だけだ。数日で万全の状態に戻るだろう。だが、色々あって心底疲れてしまった。
「だと思ったわ。そうじゃなきゃ、ここに一族以外の人がいるなんて変だもの」
「……一族?」
ピタリと、頭の怪我を確かめていた手が止まった。嫌な予感がする。
リーファはあらためてレイアを見た。とりあえず感想としては、可愛い。
(いや違う違う。そういうことが言いたいわけじゃなく……この子、身分高そうだよな)
レイアはその身なりなどを見ても、おそらくかなり上級に入るだろう。しぐさも綺麗だ。
そんな彼女が、なぜお付の一人もなしにこんな所にいるのか。
(どこの花畑だ? 近くに家でもあるのか? っていうかあの森にかかる霧は……)
今は夕刻、あまり霧がかかる時間ではない。嫌な予感が強くなる。
「ねえ、大丈夫?」
「っ、ああ、大丈夫。ごめん……」
「別に良いんだけど。そうだ、貴方の名前も教えてもらって良い?」
「ああ、言ってなかったっけ。俺はリーファ。リーファ・エルリスト」
「リーファ……うん、よろしくねリーファ!」
ニコッと笑った彼女は、リーファ、そうかリーファかぁ、などと何度も噛み締めるように名前を呟いていた。その様子は微笑ましい。
(大丈夫。彼女に力はない)
見た目も細く、か弱そうに見える。たとえ自分の最悪の予想が当たっていても、もし何かあっても逃げられるはずだ。
「あの、レイア。君はここで何をしてるんだ? 周り何もないけど」
関係のないところから話題を進めて行く。相手が、こちらに不信感を抱かないように。
レイアは少し目を見開くと、一瞬だけ逡巡した。
その時、強い風が二人の間を通り抜ける。彼女の表情が髪に隠れ、周りの花びらを大きく巻き上げた。色とりどりの花が宙を舞う。
やがて収まる風に、リーファは顔をかばっていた手をおろした。レイアと、目が合う。
銀灰色の瞳と青紫の瞳がかち合い、彼女は目を細め、唇に微笑を刻んだ。
その表情は、今まで見たこともないぐらい綺麗で――
「思い出作りかな」
「思い出、作り……」
穏やかな言葉を反復する間も、リーファはレイアから目が逸らせなかった。
微笑む少女に、無意識に手が伸びる。
「それって、どういう……」
「レイア様ぁ!」
意味か、と問おうとした瞬間、野太い絶叫が森の方から震えた。リーファは慌てて手を引っ込め、レイアはビクリと飛び上がる。
「やだ、マルファスだわ。いけない、いつもより城に戻る時間が遅れちゃった」
「……し、城?」
再びリーファ的に不穏な言葉が出る。アフィルメスの上級職についていた以上、他国の王族もだいたい把握している。だが、その顔ぶれにレイアはいない。ということは――
「どうしよう、マルファスきっとカンカンね」
オロオロする彼女に、リーファは恐る恐る口を開いた。聞きたくないけれど、いずれ分かるのならショックは早い内に、だ。
「あの、レイア……非常に聞きにくいんだけど……ここ、どこ?」
「え? アレネス国よ」
(やっぱりかぁ!)
へえ、そう。と引きつった顔で言いつつ、リーファは内心絶叫した。強力な力を持った原初の一族が住まう国。今まで誰も足を踏み入れたことのない国。今そこに自分がいる。
(時空の穴に入って結界を越えたんだ……あの、馬鹿魔族っ)
悪態をついても来てしまったものはどうにもならない。さて、どうやってこの場から離れるか。そう考えた時、ふと影がさした。後ろを振り返ると。
「み~つ~け~ま~し~た~よ~。レイア様」
「マ、マルファス……ご、ごめんね」
「ごめんね、じゃありません! こちらに来られることは承諾しましたが、決まった時間に帰ってくる約束でしたでしょう!?」
「ごめんなさい~っ」
がっしりとした、一見老人に見えないような男がレイアを叱りつけていた。巨体の前で焦る彼女は、まだまだ少女らしい雰囲気を纏っている。
「だいたい、一匹ぐらい護衛の召喚獣をつけても良いでしょう?」
「え~、そんなつまらないことで呼び出すのもどうかと……」
(ああほら。召喚なんて普通に使うのは、原初の一族ぐらいだし……)
二人が脇目も振らず言い合っているのを良いことに、リーファは杖を掴むとそろりそろりと歩き出した。
レイアが危険な存在だと思ったわけではない。ただ原初の一族に関わるのは避けたい。
未知数の一族。外界との関りを遮断し、アフィルメスの国交を求める書状の返事も芳しくない。そんな所に無断で入ったとなれば、どういう目にあうか。
「ですが危ないでしょう! 何かあってからでは遅いんですよ!?」
「何もないもの! 今日だって彼が一緒にいてくれたし!」
「彼?」
(ああ! 余計なことをっ)
心中で叫びつつ、リーファは四つの目がこちらを向くのを感じた。どうやら、そのまま放っておいてはくれないらしい。
「ああ……どうも~」
へらっと笑って、リーファは初めて会うマルファスに手を振った。彼は目を三白眼にすると、ジロッと睨んでくる。
怪訝に思われている。ものすごく胡散臭く思われている。
「こんな、どこの誰とも知れない男と一緒にいたですって!? 何を考えてるんです!」
「どこの誰とも知らないわけじゃないもんっ。名前はリーファ・エルリスト。魔導士でアフィルメス国の有力者だった人じゃない!」
「指名手配になった奴じゃないですか!」
「ちょ、ちょおぉっと待った!」
聞き捨てならない言葉に、リーファは逃げることも忘れて話に割り込んだ。
「俺が魔導士だっていうのは杖見れば分かると思うけど。な、何でアフィルメスの人間だって、それに指名手配って知って……っ」
全て当たってはいるが、リーファとてそう名が知れているわけではない。まして、こんな外界から遮断された国の者が、なぜ彼の指名手配まで知っているのか。
その疑問に答えたのはマルファスだった。憮然としたまま口を開く。
「我らとて、何の情報も掴んでいないわけではありません。使いを出し、定期的に外の様子を調べることもします」
「それにしたって、リーファ・エルリストっていう名が俺だけとは」
「さっき、飛び起きた時に魔力を出したでしょう?」
困惑するリーファに、レイアはふわりと笑った。
確かに、咄嗟のことで魔力を放出した。
「とても洗練された魔力だったわ。強くて、深い。そう誰もが持てる魔力じゃない。そしてその魔力を、私はある書状についた魔力痕で知っていたから」
だから分かったの、と彼女は言う。
アフィルメスにいた時は、仕事で各国の書状も作成していた。時にはそれに魔力痕が残ることもあるだろう。
だが、書状を受け取るのはその国のトップたる人物だ。そしてここはアレネス国で、彼女は原初の一族で、書状を受け取っていて。
(なら、レイアは……)
浮かび上がる答えに、驚愕と、冷たい汗が体を覆う。
そんなリーファを見て、マルファスが呆れたように溜息をついた。
「レイア様、ちゃんと自己紹介していなかったんですね?」
「ふふ、そっか、そうだったわね」
ちょっと悪戯が成功したように笑うと、レイアは美しいしぐさで立ち上がり、裾をつまんで軽くお辞儀をした。
「初めまして、リーファ・エルリスト殿。私の名はレイア。レイア・フィル・ジ・アレネス。アレネス国、第十二代女王を勤めさせていただいております」
どうか以後お見知りおきを、と完璧なまでの礼儀作法を見ながら、リーファは少女の笑顔に新たな頭痛を覚えた。