第一章(3)
大き目のバスケットを抱えながら、レイアは城門を抜けた。門番も見咎めることはない。ここ数ヶ月、この行動は日課になっているし、宰相のマルファスも止めないからだ。
「レイア、また南の花畑に行くのか?」
「あら、ディルス。いつものことでしょう?」
呼びかけられ、振り向いた先には、黒の衣装と緑の皮鎧で身を包んだ青年。レイアよりは若干年上だろう。そして、腰に挿した剣は長剣よりも一回り大きな大剣。その柄に彫られた文様で、彼がこのアレネス国の騎士だと分かる。
「毎日服を汚して、ってメラが泣いてたぞ」
「ごめんなさい。でも相変わらずディルスはメラの味方ね。やっぱり愛しい恋人は大切?」
クスクス笑って下から覗き込むように茶化すレイア。メラとは自分の侍女で、彼女とディルスを含めた三人は幼馴染みだ。いつのまにか、その内の二人がくっついたけれど。
「馬鹿、からかうのもいい加減にしろ! そういうお前も、そろそろ将来のこと考えろよ」
「良いんです~。私は皆の未来を守るのが最優先だもん」
ベーっと舌を出して反発するレイア。そんな彼女の頭にディルスはポンと手をおいて皮肉げに笑った。
「んなこと言ってると、貰い手ないまま婆さんになるぞ。良い出会い探せよ」
「だから、毎日花畑に行ってるじゃない」
「はあ? あんなとこ人来ないじゃないか」
「さあ、それはどうでしょう?」
にっと笑ってレイアは駆け出した。その足取りはとても軽く、少女然としたもの。
「あ、おい、魔獣には気をつけて、日暮れまでには帰れよ!」
「分かってるー。ディルスの小姑!」
「うるせー!」
怒ったディルスの声を背に聞きながら、レイアは緩みだした頬を止めもせず駆け出した。
※ ※ ※ ※ ※
パタパタと去って行く彼女の背を見ながら、ディルスは息をつき、上げていた拳を下ろした。先程までとは違う、真剣で、物悲しい顔。
「恋愛ぐらい……自由にさせてやりたいんだけどな……」
「ディル?」
後ろから声をかけられ振り向けば、見慣れた大人しそうな侍女姿の女性。
「レイア、行ったの?」
「メラ。ああ、たった今。小姑とか言われた」
参ったね、と腕を挙げれば、ふわりと笑うメラ。けれど、その顔もすぐに伏せられる。
「最近、頻繁に書状が届くでしょう?」
「ああ、近辺にも色んな軍が姿を見せてる。アフィルメスや、最近まとまりかけてる小国。このあれネス国も、閉鎖された国のままじゃいられないのかもしれないな。レイアも責任が重いだろう……」
「それだけ……なのかしら」
顔をふせ、手を前で組みながら、メラはディルスの腕に頭をもたせかけた。眉は不安そうに下がり、体は微かに震えている。
「レイアもマルファス様も何も言わないけれど、最近、魔王と神王がお目見えになるの」
「何だって!?」
ディルスは目をむいた。
魔王アウリュルシード。神王アーストレリアダイジェリオ。それは、魔族と神族を司る最強の闇と光の使者。
確かにレイアは十に満たぬ時に王となり、幼い彼女と謁見した二人もレイアを気に入った。それからあの二人は、時に友人に会いに来るように姿を見せることがある。だが――
「その様子じゃ、ディルも知らなかったのね。私も直接は聞いていないの。ただ、たまにお二人の魔力がレイアに残っていたから」
アレネス国の民は皆、程度に差はあれど魔法を使える。魔力痕を見極める目は誰でも持っているのだ。
「今までのレイアなら、二人に会ったって、いつも嬉しそうに報告してきてたのに……」
それがお茶での話の種になることもざらではなかった。それなのに、来たことすら隠しているなど、いったいどうしたというのか。
「何も……起こらなければ良いのだけど」
メラの小さな言葉を聞きながら、ディルスは空を見上げた。
晴れている。これ程にないぐらいに晴れている。
(どうか、あいつの未来がこの空のように澄み切っていることを……小さくても、かけがえのない幸福を……どうか守りたまえ、原始の王達よ)
メラの体を引き寄せながら、ただ、願った。
※ ※ ※ ※ ※
迷いの霧が渦巻く森。外の国では、この霧に巻かれると二度と出られないと言うが、実は逆だ。
外から来た部外者は、いつの間にか元の位置に戻されてしまう。そして、国の中に住む者だけが目的の場所に行けるのだ。
周りの霧がレイアを避ける。大地に干渉すれば距離も変えられる。大して長くもない道を歩き、レイアは一歩踏み出した。
途端に消える霧と木々。そして、代わりに目の前に姿を見せるのは、豪華絢爛に咲き誇る花々。
ここはアレネスの南側に位置する。外の国からここに到達するまではかなり険しい道のりだが、もしこの花畑より外に張ってある結界を越えられたなら、アレネスの民でなくても来られる場所だ。
その『もし』が起こることは、ほぼあり得ないことだが。
「良い香り。やっぱり、ここは素敵な場所ね」
この花畑に花が絶えることはない。この地一帯の魔力と、住み着いている精霊族がそうさせているのだろう。
レイアはこの場所が好きだった。小さい時、何度も両親と来た思い出の場所でもある。
それに、あの日から見続けている夢があるから。
「……? この感覚……空間の歪みでもできたのかしら?」
若干、いつもと雰囲気が違った。雰囲気というよりも空気が違う。この場にある魔力とは違うものが混じっている。
と、小さく馬の嘶きが聞こえた。見れば一頭の綺麗な馬が樹木の下で何かを探っている。
「お前、どうしたの? 歪みにのまれたの?」
馬を怖がらせないように近づきその身を撫でる。温かい体になぜかホッとした。馬の方もレイアに安心したのか身を摺り寄せてくる。だが、すぐに離れて再び下を探り始めた。
「なぁに?」
馬の視線を追って下を見る。
「っ、あ……」
一陣の風が、花畑に吹きぬけた。
色とりどりの花に埋もれるようにして眠る金の青年。その顔を、馬が心配そうに突いていた。そのひどく美しい青年は、この花畑によく似合う。
レイアは青年の傍らにしゃがみこみ、そっと、その髪を撫でた。
無意識に、彼女の頬を透明な雫が伝う。流れ落ちたそれは、花びらにはじけて、消える。
「やっと……やっと、会えた……」
小さく、風に吹き消されてしまいそうな弱々しい言葉。
聞くことができたのは、二人の出会いに立ち会った、一頭の馬だけだった。