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外伝:君を見つけるその日まで(前)

あれから十五年後の話。

 穏やかな春風が流れるある日、リーファはあの花畑の木にもたれかかり、緩やかな時間を過ごしていた。


 あれから何年経っても、ここの穏やかさと心地良さは何も変わらない。

 花の香しさも美しさもあの日のまま。きっとこの先、リーファが死んでも、その後どれだけの時が流れようとここは変わらないのだと思う。


「…………リー、ファ?」


 穏やかな風に紛れて聞こえた自分の名前。

 リーファはうっすらと青紫色の目を開け、そちらの方に首を曲げた。黒毛の馬を引き連れた精悍な顔の男。茶色の髪にそれより少し濃いこげ茶の目。

 その目が今、驚きに見開かれている。リーファもまた、同じように目を見開いた。


 決してあの時と同じ顔ではない。あの時よりも落ち着きが増し、最後に別れた時のような苦しさなどなく、長い年月を越したのだと分かる一人の男。


「君は……ディルスか?」


 リーファは、記憶の中からその男の名前を引き出した。

 アレネス国の王族の血縁であり、女王を守る騎士を勤めていた男の名前だ。


「やっぱり、お前リーファなのか! いや、顔は変わってないけど、え?」


 少しばかり混乱しているディルスに、その慌てようや口調は相変わらずだな、と苦笑する。

 彼はこちらに近づいてくると、馬をくくりつけてリーファの前に立った。


「リーファ……」

「十五年ぶりだな、ディルス。まさかここで君に会うとは……」

「ああ、俺も思ってもみなかったよ。……元気そうだな」


 笑って見上げれば、彼はそう言いながら腰を下ろした。

 当時リーファと同じ年代だったディルス。その彼が今は、四十前。その過ごした年月と苦労や幸せが、一つ一つ顔に刻まれていた。


「老けたな」

「煩い、当たり前だろう。っていうか……お前、なんで」

「あの時と変わらないのか?」


 先回りして言えば彼は頷いた。

 そう、リーファの姿は変わっていない。十五年前と同じ、二十二歳の姿のままだ。服装は多少変わっているし、口調は雰囲気も違うかもしれない。

 それでも、外見は髪が伸びたぐらいで、昔と何も変わっていなかった。


「魔力を使って、昔の姿を保ってるんだ。外見が変わってないだけで、体力や中身は多少衰えてるとは思うけどな」


 魔力を多く持つ者は、持たない者より寿命も長い。老けるのも遅い。ディルスとて、見た目は三十に入ったぐらいにしか見えない。意識的に魔力を使えば、若い姿を保つぐらいは可能なのだ。


「何でそんなこと……」

「変わらない方が、レイアが見失わないと思ったから」


 あっさりと口に出せば、ディルスは少し息を呑んだようだった。後ろめたそうな表情と、引きつった頬を何とか隠そうとしている。


「彼女、どっかで見てるとは思うけど、何か変わったことがあると目移りしてそうだろ。その間に俺が老けてたら分からなくなるんじゃないかと思って」

「いや……まあ好奇心旺盛ではあったが……お前そんな目でレイアを見てたのか?」


 呆れたように言うディルスに、リーファは笑う。本当は自分が見失って欲しくないからこの姿をとっているのだ。レイアがそんな薄情でないことぐらい分かっている。

 こちらの表情に何を思ったかは分からないが、ディルスは辺りを見回し、濃い霧の立ち込める森を見て少し眉をしかめた。


「お前は、どうやってここに?」

「あれ」


 指を指したのは、近くにある大岩だ。人が二人ほど腰掛けるのにちょうど良いそこに、複雑怪奇な文様が描かれている。魔法陣だ。


「あれは、転移用か?」

「そ、俺が開発したもの。原初の一族が使ってたのは注ぎ込む魔力の量が多くてね、あんまり普通の人間には使えないんだ。だから新しく作った。条件と短距離移動が難点だけどな」


 原初の一族が使っていた魔法陣は、一回の転移でかなりの魔力を消耗する。彼らなら大して気にならないかもしれないが、リーファ達普通の魔導士にはきついものだった。


 そこで、リーファは最初の魔法陣を元に新たに作ったのだ。事前に魔法陣を書いておくのは変わらない。ただし、原初の一族のものより短距離しか移動できず、移動元と移動先についになる魔法陣が必要なのだ。

 しかも、それは移動する地域ごとによって異なるものにし、その地域を表すものを魔法陣に含んでおかねばならない。


 リーファは新しい魔法陣を開発した後、すぐにこの場所にそれを刻みに来た。

 繋がっているのは樹海のある場所からだ。人目につかないようなところに描いておいた。


「……よく、来るのか?」

「いや、一年に一回だけだ。そう決めてる」

「そうか……俺はここに戻ってくるまで十五年かかったのにな」


 ふっと微笑して、ディルスは空を見上げた。今日も晴天だ。


「リーファ、俺な、お前にもう一度会えたら謝ろうと思ってたんだ」

「謝る?」

「お前にもっと早く、全てを告げなかったことだ」


 言われて思い出すのは、あの十五年前の日。雪原の中で聞いた事実。聞きたくなかった真実。それを全て告げて、今にも泣きそうだった彼の顔。

 ディルスとは、あれ以来の邂逅だった。忘れていたわけではない。逃げた原初の一族が気になっていなかったわけでもない。それでも、リーファは自分が生きるのに必死だったことと、自分がアフィルメスと関わりを持っていたことで探そうとは思わなかった。


「謝らなくて良いよ」

「え?」

「君が全てを教えてくれたから、俺は何も知らないままレイアを失うことにはならなかった。あの時、君が教えてくれたから、俺はレイアの本当の言葉を全て聞くことができた」


 彼が言わなければ、自分は何も知らずにレイアを失っただろう。あの時『行ってくれ』と言われなければ、最後の彼女の想いを聞くことすらできなかったのだ。今にしてみれば、謝られる必要は何もない。


「リーファ……」

「ところで、その後どうなってるの? マルファスとかは?」


 あの宰相のことを思い出し聞けば、彼は少し困ったように首を振った。


「おそらく、死んでいると思う。俺達をかばって、雪原で一人敵を迎え撃ったからな」

「そうか……」


 あの男も何かを覚悟していたはずだ。レイアを失う覚悟を。自分の命を捨てる覚悟も。


「ただ、その他の原初の一族の一部は、俺達が作った里にいる。他の奴らは……どうだろうな。別なところで集落作ってるかもしれないし、散り散りになってるかもしれない」

「新しい帰る場所はできたんだな」


 レイアが望んだように、里はできているようだ。


「俺も三児の父親だよ。里の場所は……」

「聞かない」

「おい」


 遊びに来いとでも言いたいのだろう、だがリーファはそれを突っぱねた。


「俺は今、セルドゥガルロの郊外で暮らしてる。セルドゥガルロは分かるよな」

「ああ、元アフィルメスを中心とした新国だろ。あの王子殿下が初代国王の」


 そう、カルロの発案によって、現在大陸の西側は二大国が治めている。白魔道大国ラスラシースと黒魔道大国セルドゥガルロ。

 この二国が同等の力を持つことによって、無闇な蹂躙や侵略を回避しているのだ。その一つ、元アフィルメスと呼ばれるセルドゥガルロは、カルロが治めている。


「カルロの要望で、俺は顧問魔導士みたいなものだ。新人の講習とか、魔道の研究とかやってるし、多少国政にも口を出してる。未だにカルロは、君達に頭を下げたいと言ってるけど……俺はやめた方が良いんじゃないかと思ってる」


 あれから十五年。大陸も少し変わった。

 アレネス国という存在に代わり、人々の心に覇者と言えば今の二国が思い浮かぶようになった。原初の一族がぱったりと姿を見せなくなったことにより、少しずつだが新しい時代が動きだしたのだ。


「今、大国セルドゥガルロと関われば、穏やかな暮らしはないと思った方が良い。残念なことに、強い力が欲しいというのは昔も今も変わらないからな」

「そうか……俺も族長として、民が利用されるのはごめんだな」


 神妙な顔をして呟いたディルス。その右手に、リーファは見覚えのある物がついているのを見つけた。


「ディルス、その腕輪……」

「ああ……」


 ひょいと掲げられた右腕。そこには、あの少女が最後につけていた青い宝玉のブレスレットがあった。装飾も、間違いなく同じだ。


「ある日な、俺の家にあったんだ。命を注ぎし王・ファルゲーニスの装飾品……俺は一応、王族の血を継いでいて、一番濃いから」

「じゃあ、君の家系が……」

「次代の王を生むかもしれないな。幸か不幸か、まだ守護王をもった子供は生まれてないが……俺の所にこれがあるんだ。いずれはファルゲーニスを守護王とする子が生まれるだろ」


 原初の一族に王が生まれる。それは喜ばしいことかどうか、リーファにもディルスにも分からなかった。衰退した一族の王。その誕生は一族に活気を与えるだろうが、同時に、またレイアのように全てを背負わせるかもしれない、と思うとやるせなかった。


「なあ、リーファ。お前、本とか書くか?」

「え? ああ、今色んな魔道書を書いてるよ。後世に必要だと思ってな」


 突然、何を聞くのかと思えば、ディルスは真剣な表情で頷いた。


「なら、俺達のことも書いてくれないか」

「は?」

「基本的なことは俺が教える。あとは、お前が見て、聞いたこと、あの時知ったことを書いてくれれば良い。もちろん、レイアのことも」


 ずいぶん熱心に勧めてくるものだから、リーファは眉根を寄せた。ディルス達にしてみれば、もう厄介なことに巻き込んで欲しくないだろうと踏んでいたのに。


 そんな思いが伝わったのか、彼は苦笑した。

 それは、昔のような晴れやかな笑いでも、辛そうな顔でもない。父親のような、自分の人生に誇りを持っているような顔だった。


「忘れられた方が良いとも思う。でも、忘れて欲しくないとも思う。特に、レイアのことは」


 霧の立ち込める森。そちらに向かって腕を突き出し、何かを掴むように拳を握る。その手を目の前まで持ってきて、リーファに突き出した。


「この世界を救った者がいたことを、全ての者の幸せと未来を願った者がいたことを、忘れないでいて欲しい。俺はその思いを、お前を通して後世に伝えたい。いつか、生まれてくるかもしれない新たな王の、支えにもなればって……思ってるから」


 原初の一族であった者の視点ではなく、全てを外から見、中に関わったリーファだからこそ、書いて欲しいのだと言う。役目や使命を負わない、それら全てを否定したリーファの言葉が良いのだと。


 リーファは真っ直ぐディルスの目を見つめた。昔と同じように。けれど、あの時のような隠し事も迷いもない。心からの思いが伝わってくる。


「分かった」


 リーファはディルスの拳に自分の拳を当てた。


「引き受けるよ、ディルス」

「ありがとう」


 それからしばらく、リーファはディルスから原初の一族のことを聞き続けた。


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