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第五章(2)

少し長くなりました。切る場所がわからなかったんです(泣)

 風に乗って、多くのざわめきが聞える。

 レイアは、目の前に開いている扉を見つめながら、膝の上で組んだ手を硬く握った。

 扉は城の広場へと続いている。円形に作られた巨大な広場。本来は兵士の訓練や祭事に使われるそこに、今は成人した全ての原初の一族がそろっている。


 アフィルメスに書状を出してから二週間。返事らしきものはなく、アレネスに近づく軍も止まる気配を見せない。アフィルメスに待機させている召喚獣からは、王子カルロの姿が消えたという報告も入った。最悪の可能性も、頭をよぎる。


 こちらに向かってくる兵達の様子を秘密裏に窺っていたが、もうすぐ樹海は攻略されるだろう。そうなれば、多くの軍勢が結界前まで来てしまう。


(あの魔石を最大威力で活用すれば、結界を越えるまで一日あるかないか。迷いの霧とあの森を抜けるのにも同じぐらい? 樹海と合わせばあと一週間。いいえ。五日あるかないか)


 先程、会議で導き出された結論をもう一度反芻し、レイアは唇を噛み締めた。


 アフィルメスの進軍に対してレイアが取ろうとしている行動に、大臣を含め多くの者が反対した。だが、レイアは無理に自分の意見を押し通した。最善策だと思ったことでもあるし、自分が心から望んだ方法だったから。


 レイアの気持ちと決意を知っているマルファスは何も言わなかった。ディルスにいたっては、苦しむように目を閉じていただけだ。


 目の前に続く光の道は、自分が守る民のもとへと続いている。今から、彼らに全てを話し、レイアの出した結論を受け入れてもらわなければならない。

 できるかどうか、不安だ。


 女王として、民に好かれているとは思っている。彼らが自分を立て、敬い慕っていてくれたからこそ、レイアは今まで女王であり続けられた。その自分が出した身勝手な答えを、果たして彼らは受け止めてくれるのか。

 めったに覚えない緊張と不安で、手の甲に爪が食い込んだ。


「そんなに握ったら、血が出るぞ」


 フッと目の前に影が差して、握っていた両手が暖かなものに包まれる。自分より大きくて、少し杖だこのある優しい手。


「リーファ……」


 視線を上げたレイアに合わせるように、リーファは目の前で片膝をついて微笑んでいた。


 アフィルメスの侵攻を聞いてから、リーファは極力部屋から出ないようにしていた。今はアレネスに身をおいているとは言え、彼はアフィルメスの上級職についていた人間。大臣達の反発を招くことがないよう、彼は自ら顔を出さないようにしていたのだ。


 ちらりとマルファスに目をやれば、彼はそ知らぬふりをして部屋の片隅に直立している。きっと他の者の目を盗んで連れて来てくれたのだろう。


「リーファ、貴方が望むなら、すぐにアフィルメス近くへの転移魔法陣を準備するわ。他の者達に知られない内に外に出すことはできるから。だから……」


 言いかけたレイアの唇を、リーファは人差し指を置くことで止めた。

 アフィルメスの現状――カルロの姿が消えたことも彼に伝えた。聞いた時の表情はよく覚えている。叫びだすのを寸でで止めたような、それと聞いても、理解したくないというような顔。


 たとえカルロに拒絶されたとしても、リーファにとっては弟のような存在であるはずだ。その彼が、命すら危ういかもしれない。心配だろう。今すぐアフィルメスへ帰りたいだろうに、リーファはなぜかこの国に留まっていた。


「それで、俺はアフィルメスを出た時と同じように、何もせず君を置いていくんだ」

「そ、そんなこと思ってないわっ。リーファは危険を冒してアフィルメスに一緒に行ってくれたし、今だって……」


 傍にいてくれるだけで、どれだけ力になっているか分からない。あの夜、花畑で話してからというもの、レイアはリーファの前でだけ自分をさらけ出せるようになってきた。

 女王の顔という仮面の下に押し込めてきた不安や葛藤。それが、リーファといる時だけは隠さず、素直に吐露できる。


 彼の傍はとても居心地が良くて、安心できて――心の奥底に何重にも鍵をかけてしまっているあの夢のことすら、話してしまいそうになる。

 レイアは体を強張らせた。それだけは、何があろうと言ってはいけないことなのに。

 動揺を誤魔化すように、レイアは微笑んで見せた。青紫の綺麗な瞳が目の前にある。


「今だって、貴方はこうやって私を勇気付けてくれる。もう十分だわ。私は大丈夫。だから、カルロ殿下のもとへ行ってあげて。きっと貴方を待ってる」


 本音を言えば、ずっと傍にいて欲しい。最後まで。最期まで。自分がなすべきことを果たし終えるその瞬間まで、誰よりも近くにいて欲しい。けれどそれは、あまりに我侭だ。

 レイアの微笑を見ながら、リーファは首を振った。そして、大きな両手を今度は頬へと移動させ、包み込んでくれる。


「またその顔だ。俺の前ではするなって言ったのに……」


 じんわりと広がる温かさに、涙が出そうになる。


(お願いっ、これ以上弱くさせないで……)


 彼の優しさが欲しい。彼にすがりつきたい。でも、そんなことをすれば決意が鈍ってしまう。ずっと昔から決めていたあの決意が壊れてしまう。


「カルロは心配だ。もうダメかも、って思ってる気持ちすらある」

「リーファ!」


 何を言い出すのかと声を荒げれば、彼は珍しく泣きそうな顔で笑った。きっと、今レイアがしている顔とそっくりなのだと思う。


「分かってる。そんなこと考えるなって、今すぐ安否を確かめに……今度こそあいつを助けに行ってやらなきゃって、そう……思ってもいるんだ」

「だったら今すぐっ」

「でも無理だ」


 きっぱりと言い切り、リーファはレイアと額をあわせた。


「俺は、今君を置いていけない」


 トクンッと、レイアの胸が一つ高鳴る。


「カルロを助けに行きたい。これは俺の本心だ。でも、無理なんだ……その気持ちを上回って、俺は君の傍にいたいと思ってる」


 レイアはこみ上げてくる気持ちを抑えるように、リーファの肩口に顔を埋めた。


「カルロに責められたのも仕方ないな。俺は……最低な人間だ」


 リーファが自嘲気味に言うのを聞いて、レイアは激しく首を振った。

 嬉しい。怖いぐらいに嬉しい。

 カルロが大変だと知っているくせに、リーファを送り出してやることが必要だと分かっているくせに、傍にいたいと言ってくれた彼を突き放せない。


(私の方が……最低だわっ)


 レイアが一言『貴方は必要ない』と言って彼を切り離せば、リーファはすぐにアフィルメスに行くだろう。そこまで分かっていて、それでもその一言が出てこない。


「レイア……」


 埋めていた顔を持ち上げられて、目尻に一つ口付けが落とされる。ほんの一瞬、それでも、レイアにとって何より幸せな感触。


「俺が君を、守るから」

「リーファ……」


 彼はどう思うだろうか。自分が持っている決意を知ったら。

 彼はどうするだろうか。夢で見たその時が来たら。

 もう、時間はあまりない。


「レイア様、お時間です」


 静かな声に、レイアは立ち上がった。広場から聞こえる声に、少し足が竦む。

 一歩目を踏み出す前に、背中に触れた温かな手。見上げれば、笑ったリーファがそこにいる。

 言葉は交わさなくて良い。交わった視線から『行っておいで』と聞えるから。


 レイアは背筋を伸ばし、ゆっくりと歩き出した。扉をくぐると、部屋とは違う光が目に届く。ほんの少し眇めることで痛みをやり過ごし、レイアは眼下に集まった民を見下ろした。


 自分が守るべき民の顔。不安と焦燥、困惑。負の感情に包まれた原初の一族。

 そう、原初の一族だって他の人間と変わりない。どれだけ強い力があっても、迷いや不安を抱く。泣いたり、怒ったり、笑ったり。何も変わりはない、ただの人間だ。


「皆様、突然の召集にも関わらず、お集まり頂いたこと感謝します」


 目礼だけの感謝の意。頭を下げることは王にあってはならない。


「本日集まって頂いたのは他でもありません。今、このアレネス国に緊急事態が起こっているからです」


 魔法陣による拡声器で、広場どころか国中にもレイアの声は響いているだろう。きっと、原初の一族全てがこの声を聞いているはずだ。

 緊急事態という言葉にざわつく民達。その顔は、初めて知ったという者もいれば、ある程度予期していた者、知っている者もいるようだった。


「今、このアレネス国に向かって、アフィルメスの軍が侵攻してきています。おそらく、あと一週間以内にこの国に到達するでしょう」


 静かな声に返されたのは、怒号や悲鳴に近い声だった。広場だけでなく、国の各所から似たような声が上がっている。

 その音の本流に混じって、『軍は展開されたのか?』『なぜすぐに言われなかった!』などといった言葉が聞こえてくる。

 レイアはその一つ一つを拾うように目を閉じ、大きく息を吸った。


「我々の軍は、未だ展開していません。そして、する気もありません」


 今度こそ、明確な怒号があがった。信じられないと叫ぶ声。レイアを責める声。それに震えそうになりながらも、レイアはさらに声を張り上げた。


「私達、原初の一族は、世界の均衡を保つために創られた一族です。全ての命ある者が、幸せに暮らせるように。この世界が円滑に動くように。そのために原始の王達に生み出された一族です。その我々が、争いを起こすことは許されません」

「なら貴女は、我々に滅びろとおっしゃるか!? この国が攻められるのを、死ぬのをただ待っていろとおっしゃるのか!」


 民の中からあがった言葉は、ディルスからも聞いた言葉だ。役目と使命のために、死ねと言うのか、と。


「いいえ」


 そんなこと、レイアだって望んでいない。役目のために死ぬ。そんな風になくなって良い命は、このアレネス国にはない。


「貴方方の命は、そんなに軽いものではありません。争いをしてはいけないからと、死を待てとも言いません。ここに皆様を集めたのはただ一つ……」


 彼らは受け入れてくれるだろうか。自分が導き出した答えを。


「今すぐ、この国から出て行ってください」


 短く、きっぱりと告げた言葉。なぜか、ざわめきではなく沈黙が訪れた。

 顔を見合わせ、今レイアの言った言葉を互いに確かめているようだ。そして、頭上のレイアを見上げ、何か言おうとしてはまた顔を見合わせる。

 その中で、一人の男性の声が響いた。もう老いた古き原初の一族の一人。


「女王陛下、貴女は……我々に国を捨てろとおっしゃるか?」

「はい」


 言いかえられた言葉に、レイアははっきりと頷いた。それに沈黙が解かれたのか、その男性の周りから次々に声が沸き起こる。


「そんなっ、なぜ!」

「ここは代々一族が守ってきた場所! どの人間の国より歴史と意味がある場所です!」

「アフィルメスのためにっ、なぜ私達が国を捨てねばならないのですか!」


 下から次々に聞こえる声は、レイアを責めているというより、この国への愛情を顕にしているようだった。めったに外へでることを許されなかった一族。だからこそ、生まれ育ったこの国に対する愛情は一入だろう。

 その国を今捨てろと、レイアは言ったのだ。


「捨てるぐらいなら争った方が良い! たとえ役目に反してもっ、この国を……」

「国は、ここでしか造れないわけではありません!」


 レイアは声を張り上げた。


「国は、貴方方がいれば、どこでだって造れます。一から始めなければならないでしょう。大きな国にはならないかもしれない。それでも、貴方方がいれば、どこでだって造れます」

「しかし!」

「私はっ、皆に生きて欲しいの!」


 言い募る声に、レイアは仮面を脱ぎ捨てた。全ての人の耳に届くように、嘘偽りない言葉が、大切な人の心に届くように。


「ひどいことを言ってるって分かってる。長年この国で暮らしてきた人達に、酷なことを言ってるんだって、ちゃんと分かってる。それでもっ、私は、この国にいる全ての人に生きて欲しいの。幸せになって欲しいの!」


 胸の内を吐き出すように、レイアは手を組み一歩前へと進み出た。

 今まで見たこともないレイアの姿に、怒鳴っていた者達も息を呑んで見上げている。


「争えば必ず犠牲は出る。もともと原初の一族は他国に比べて民の数も余りに少ない。いくら力があっても、その力を押し潰すぐらいの人数と争いに持ち込まれれば、ここにいる皆のどれだけが血を流すか分からない……」


 いつも笑いかけてきてくれていた顔。レイア様、と慕ってくれた優しい人達。その人達の顔が血色に塗りつぶされてしまう。そう考えただけで、言い知れない恐怖がわいてくる。


「外の世界へ出て、無事でいられるという保障があるわけじゃない。私達は、どこにも受け入れてもらえないかもしれない。けど、私達だって幸せになる権利はあるでしょう?」


 レイアは、眼下にいる民の顔を一つ一つ見るように首をめぐらせた。

 愛しい人達の顔。守りたい人達の顔。この人達のためなら、今後ろで見守ってくれている彼の幸せのためなら、きっと自分は何でもできる。


「原初の一族だからって、他の人間と変わらない。争っちゃいけないからって、ただ死ぬのを待つ必要なんかない。この国だけに、閉じこもってる必要もない」


 震える声音。涙で滲みそうになる視界。それを上回るような気持ちで、レイアは笑って見せた。偽りの笑顔じゃない。ただのレイアとしての、心からの笑顔。


「同じ人間なら、この世界のどこでだって笑っていて良いし、幸せになって良いはずなの。ここだけが、私達の生きる場所じゃない。そして私は、この国にいる皆に笑っていて欲しいし、幸せになって欲しい」


 叫んでいた者達の顔から、気が抜けていくのが分かった。涙を耐える老人や、何かを耐えるように歯を食いしばる者。それぞれこの国に思いがあって、大切な人を持っている。

 せめて少しでも彼らに近づけるよう、レイアはギリギリの境界まで進み出た。


「これは、女王レイアとしてではなく、ただのレイアの願いです」


 全ての民の目がこちらに向く。今の自分は女王ではない。だから――


「どうか、私の最後の我侭を……聞いてください」


 ゆっくりと、誰よりも深く頭を下げたレイアに、責める声は一つも上がらなかった。


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