第一章(1)
大陸の西側で最も先に王を立て、治世を整えた国、アフィルメス。
初めての試みであったにも関わらず、王と大臣、将軍率いる軍隊、そして摩訶不思議な力を操る魔導士を用いて一国を整えた。先の戦争では領土を拡大し、世界の中で最先端を行く国だ。
その国に建つ城の回廊を、一人の青年が走り抜けていた。見咎め、叱咤も飛ぶが彼は気にしていない。そんなことより、もっと気になることがある。
「リーファ、リーファどこだ!」
いないのだ。生まれた時からの親友が。兄と慕ったあの魔導士が。
「リーファどこにいるんだ! こんな手紙だけ置いて……出てきてよ……出てこいリーファ、これは命令だぞ!」
めったに人の入らない裏庭で、息も切れ切れに大声を張り上げた。
ここはよく彼と遊んだ場所、訓練した場所、そして、今は――
「おいおい、こんなところで職権乱用? かっこ良く行かせろよ」
「リーファ……」
大木の裏を覗けば、馬の手綱を握って笑う金髪の青年。無造作に縛られたそれは木漏れ日に光り、青紫の目は優しく細められている。
「かっこ良く? よく言う。やりかけの仕事をたんまり残しているじゃないか」
「これは失敬。あれは餞別、ってことで」
「馬鹿か! この状況じゃ餞別っていうのは普通、僕がお前に送るものだろう!」
「あれま、これまた失敬」
こんな軽いやり取りを毎日していた。毎日、続くものだと思っていた。
「あんなに慌てて走って、見目麗しい服が台無しだぞ」
確かに、白いズボンに白い上着、そして首元から足首まで覆う白のローブ。青年が着ていたそれはローブの前がはだけ、裾の方は草の汁で薄く染まっていた。
「見目麗しいのは服だけってか……」
これでも青年は、国の中でもトップクラスといわれる容姿をしている。
「いやいや、次代を担う王子だからもちろん素晴らしい容姿だ。ただ俺に比べるとな」
「お前の顔が整いすぎてるんだ!」
白いローブを纏った青年、この国の王子、カルロは体裁も何も気にせず叫んだ。それを見て、リーファはまた意地悪げに笑う。
皇太子の親友、幼馴染み、教師、国の要の一人。アフィルメスが誇る天才魔導士。
彼を表す代名詞は多い。本来ならば、その身にはカルロに似た黒のローブがついていなければならない。だが、今リーファが着ているのはどこにでもある旅服。一国で認められた者が着る服ではない。
「リーファ……」
「悪い。カルロのことも好きだし、この国も好きだ。カルロはからかいがいあるし、この国は研究費用に事欠かないし」
「おい……」
「冗談冗談。ホントに好きだよ。俺が、未来永劫の幸福を願うぐらいに……」
「なら!」
詰め寄るカルロに、リーファは首を振った。いつものような呆れ返った顔ではない。馬鹿にするような仕草でもない。ただ、悲しげに、辛そうに首を振った。
「それでも、あいつが掲げるこの国の未来に俺は賛同できない。俺は……俺達は道具じゃないんだ。生きてるんだよ、カルロ」
「分かってる! そんなの当たり前だ。僕もお前も人間だ。原始の君から器と命、知識と力を貰った同じ命だ。道具なんかじゃない!」
五つ年上のリーファ。いつも自分を弟のように子供のように扱ってきた彼。そんな彼に追いつきたくて、必死に勉強をしてきた。
それなのに、今カルロの頭には何も思い浮かばない。彼を引き止める術が、彼のためにしてやれることが何一つ浮かばない。子供のように、喚くしかできない。
噛んだ唇が、口に鉄の味を広がらせた。
「やっぱり優しいな、カルロは」
「僕が何とかする。あの部屋の使用も禁止した。だから……」
「無理だよ」
遠くを見ながらあっさり言ってのけたリーファに、目尻が熱くなった。
「カルロは頭が良い。俺が教えたんだから。だから分かるはずだ。この国の現状が」
「父上は……王はご病気、医師団が見ても回復する術がまだ見当たらない。このままではそう長くないし、そして僕はまだ十七」
「そう、王位につくことはできても、経験の少ないお前じゃ、長く王に仕えていたあの男より、信頼も薄い……」
知っている。いや、知らざるを得なかった。あの男は常に自分を政治から遠ざけ、意見もさせなかったのだから。
まだ若いから、見聞を広めてからと言い出し、自らが中心になっていった。
「父上の病気だって、あいつが……っ!」
「カルロ、口に出すな。軍にとっての戦場が他国との国境線なら、お前の戦場はこの城なんだ。よく考えて動け」
諭されるように頭を撫でられ、なぜかそれに無償に腹が立って、カルロはリーファの手を払いのけた。
「カルロ……」
「だったらリーファがいてくれれば良いじゃないか! 僕と共に、この国を立て直すために。誰も傷つかないようにするために。僕の力になってくれれば良いんだ! なのにっ……何で出て行くなんて……っ」
手に持っていた紙がぐしゃりと音を立てた。朝目覚めた時、机の上あった一枚の紙。
『この国を出ることに決めた。次代の王として、さらに励んでほしい。今までありがとう。ごめん。 リーファ』
たったそれだけの手紙が、生まれてからずっと一緒にいた者から送られていた。
心の内に沸き起こったのは、怒り、悲しみ、そして、置いていかれることへの不安。
「怖いよ……お前がいなくなったら僕はどうすれば良い? おいていかないでよ……」
おそらく――これが、本音だ。
「カルロ、お前はいつか王になる。覚えておけ。周りは味方でもあり、敵でもあるんだ。その中でお前はいくつも決断をしなきゃならない。今日が、その予行演習だと思うんだ」
「リーファ……」
「それに、俺は後数時間で反逆者になる」
「え?」
ニッと笑って言われた台詞に、返す言葉が出てこなかった。
「王とあいつしか知らないはずの秘密文書が昨日紛失したよな。一部に知らせて探してる」
「ああ」
「あれ、俺の部屋から出てきた。今朝」
「なっ!」
「今日はあいつ自身が部下の部屋の捜査に入る、って言ってたし。別のとこに隠しても俺の魔力痕が残る。どう足掻いても俺が盗んだってことになって、良くて投獄、最悪死刑」
すっと首を切るまねをして、リーファはおどけた。だがカルロにしてみれば笑っている場合ではない。腕利きの部下だったリーファを反逆者にするなど、あいつが本格的に動き出した証拠だ。
悔しかった。そのことに気づけていない自分が、あいつを止められない自分が、そして何より、彼を助けられない自分が。
「何が……王子だ……っ」
憎々しげに言ったカルロに、リーファは困ったように笑って頭を叩いた。
「カルロ、ここに来るまで俺のことどんな風に探したんだ?」
「え? 普通に、『リーファどこだ!』って」
「ふうん……ならちょうど良い」
ポンと手を叩いたリーファをいぶかしげに見ると、遊びの提案をするかのように彼は爆弾発言をした。
「良いかいカルロ。お前が俺を探してたのは、俺が反逆者だと気づき捕らえるため、だ」
「ああ、僕がお前を裏切り者だと気づいて……って、何言ってるんだ!」
「で、一人で俺を追ってたのは、長年来の親友を止め、説得するため、ほら良い案だ! これで機転が利き、時に合わせた判断をし、けど内面は心優しい王子のできあがり」
「可愛く言うようなことか!?」
先程までのしんみりした空気はどこへ行ってしまったのか。こんな状態でも、いつものらしさを失わないリーファに、カルロは尊敬より眩暈を覚えた。
「兄のような存在を……踏み台にしろと?」
「非情になること、切り捨てること、利用すること。今のカルロに足りなくて、持たなくてはならないものだ。それを教えただけ。これが、俺がお前に教えられる最後のことだ」
「…………ほんと、おまえはいつも」
ふっと笑って、カルロはリーファの胸を押した。
「もう、行って。止めても……無駄だろう? うん、ほんとは分かってたから。リーファ、決めたことは絶対覆さないし……なら、早く行った方が良い。そろそろ、皆気づく」
「うん」
俯いたまま言うカルロに、一言返し、リーファは馬に跨った。そのまま裏庭の出口を目指す。ここを出れば森が茂り、その奥は複雑怪奇な洞窟。そう簡単には追いつけやしない。
リーファが手綱を握り、馬の腹を蹴ろうとして――
「リーファ!」
名前を呼んで、きょとんと振り向く彼と、カルロは真っ直ぐに目を合わせた。
「いつか、たとえお前が僕の隣に戻ってこれなくても、僕はリーファが暮らせる国にしてみせる! その時は、絶対にこき使うからな。覚えておけ、お前は僕の親友で、幼馴染みで、教師で……僕の尊敬する魔導士だからな!」
胸を張って、曇りない眼で言ったカルロに、リーファは胸に手を当て、礼を返してきた。
「貴方がこの国の頂点に立ち、私を必要とする時は、いついかなる時でも駆けつけましょう。我が、主のために」
一瞬の、それでも初めての主従としての誓い。顔を挙げ、笑いあったのを皮切りに、リーファは馬の腹を蹴った。そうして、二度と、振り向くことはなかった。
馬の足音が遠ざかり、聞こえなくなる。それでもしばらく彼の去った方を見つめながら、カルロは拳を握った。
リーファは戦場に行っただけ。また一から全てを築き上げる戦場に去っただけ。
彼はそれぐらいでへこたれる奴じゃない。また自分の居場所を大きく作り上げるはずだ。だから、自分も負けていられない。
カルロはナイフを取り出し、自らの左腕を切り裂いた。赤い色が白い布に広がっていく。
彼は、痛みをこらえ、悲しみをこらえ、息を吸った。
「宰相のザーグはどこだ! 逃亡した部下について聞きたいことがある! お前の魔導士管理はどうなっている! すぐに我が前にザーグをつれて来い!」
ここが、今日から自分の戦場だ。敵でもない、味方でもない者が集う、自分が戦っていくべき、戦場だ。




