第三章(3)
少し前に始まったアフィルメス国との会談。
王は病床、王子は不在と言われ、不本意ながらレイアは宰相と名乗る男と相対していた。
(危険な男……)
そう考えた後、レイアは心の中で否定した。『違う。危険なのはこの国だ』と。
アフィルメスの領地に降り立った時から感じていた負の多さ。それは、この首都に入ってからさらに増し、城の中は息苦しいほど。
レイアですら、つられて苛立ちや不快感がポロリと出てしまいそうになる。
戦争を繰り返し、大国という地位を手に入れたアフィルメス。犠牲にした命、新たに生み出された憎しみや妬みは、レイアの予想を上回って増殖していたようだ。
原初の一族はよっぽどの事態、それこそ正と負のバランスが崩れない限りは関わらない、という世界が始まって以来の掟に従い沈黙を保ってきた。
(それが……間違いだったのかもしれない)
もっと早くに動くべきだったかもしれない。いや、もっと早く世界と、命ある全ての種族と関わりを持ち、『ただの人間』として生きていれば良かったのかもしれない。伝説の一族などと謳われる前に、この世界に生きる仲間なのだ、と言っていれば良かった。
そこまで考えて、レイアは少し唇を噛んだ。
このような考えは自分の祖先を非難することになる。彼らは命がけで世界のために生きていた。それが掟と、使命という名のもとであってもだ。
おかげで今、この世界には様々な命が生きている。
レイアはそれを知っているからこそ、女王として非難することはできない。
(だから私は、私なりの方法で新しい道を)
「レイア様」
呼びかけられて、レイアは微塵も焦りを見せずに目の前の男に集中を戻す。
「我らの望み、分かって頂けたでしょうか?」
ニィッと吊り上げられた口元。嫌悪よりもそのギラついた目と笑いは恐怖を呼ぶ。
レイアは軽く息を吸い、整えていた姿勢をさらに矯正した。負の感情に飲まれてはいけない。今ここで、意志を曲げられるわけにはいかない。
「つまり、我々アレネス国と同盟を結びたい、ということですね」
何度となく送られてきた書状。右から左に流していた今の話を聞かずとも、相手の要求など見当がついていた。
大国となっても欲が尽きることはない。さらに上の力を望む。それが人間だ。本来はその欲を理性で押し留めるべきだというのに、強すぎる力はやがて破滅すら呼び込むというのに、今この国は気づいていない。
レイアは少し憤りながら、ずいぶん前から用意していた言葉を口に出した。
「お断りします」
「我々は何も貴女方の権威をないがしろにするつもりはありません。今までどおり頂点の一族として君臨して頂ければ良い。ただ、ほんの少しばかり我らに力を……」
「原初の一族は、余程のことがない限り全ての種族に不可侵。その逆もまた然りです」
毅然と言い放った言葉に、ザーグは眉間に少しばかり皺を寄せた。『生意気な小娘が』といった感情がありありと見える。
レイアが視線を逸らさずにいると、彼は額をわざとらしく押さえて溜息をついた。そのまま、一枚だけ壁に飾ってあった絵の下まで行く。美しい、湖の描かれた絵だ。
「レイア様、我らはお願いをしているのではございません」
言って、ザーグは額縁を少し左に押した。一拍の間をおいて、絵の下にあった壁が地鳴りのような音をたてて両脇に広がる。ポッカリと空いた、人が二人ほど並んで通れる穴。
「隠し通路……」
後ろにいたマルファスが小さく声を上げ、リーファは軽く舌打ちをしていた。ディルス達も、警戒色を強めている。
それに満足したかのように笑うと、ザーグはレイアを促した。貴族が女性を招く姿。
レイアはもう一度その穴を見た。地下に続く階段。暗い闇に誘う道。
(行って大丈夫? たくさん気配はするけどとても弱い……。罠?)
「行っても大丈夫だ。気持ち悪くなるかもしれないけど……」
そう耳打ちしてきたのはリーファだった。立ち上がり、より明確に聞こえるよう、リーファの口元に耳がよるようにする。
「あそこに、アフィルメスの強さがある」
そう聞いてしまえば、見るしかない。
レイアはザーグに従い、ディルスとマルファスを前に、リーファと残りの者を後ろに続かせ階段を折り始めた。
整えられた階段ではあるが、一段の幅が狭い。途中に魔法の明かりはあるが、それも極力抑えられているように見える。
(何なの、この負の量は……)
城に入ってから酷くなった息苦しさ。負の量が多くなったことを示していたが、どうやら発生源はこの地下からのようだ。
一歩踏みしめるごとに膨れ上がっていく、何とも言えない不快感。
やがて、その薄暗い階段に終わりが見えた。微かに光が増した部屋が見える。
その薄い光を背後に受けて笑うザーグ。
闇に誘うように見えるその姿。前方にいたディルスとマルファスは、警戒したままその部屋へ足を踏み入れた。そして、言葉の代わりにヒュウッという息を吸う音。
レイアは先程よりさらに気を引き締めた。少し目を伏せたまま、彼らに続いて部屋へと入り込む。そして――
「っ……これ、は……」
呻いたレイアに、ザーグは得意げに口角を上げた。
広間とも言える大きさの部屋。冷たい石でできたその部屋を埋め尽くしているのは、いくつものガラスの筒。その中に、水にたゆたう全裸の人間。いや、人間だけではない。精霊族、妖精族、獣人、果ては魔族や神族と思しき者までいる。
男も女も、老人も子供も関係ない。水は透明なものから赤や青、黒や緑と人によって違っていた。おそらく、それぞれの魔力の色だ。
「特別調合した魔法薬を使うと、生命の維持をギリギリに保ちながら生かし、魔力を放出させ続けることができます」
ザーグが、嬉々として話す言葉が耳を通り抜ける。
「レイア様ならばご存知でしょうが、命をかけた魔法は威力が大きくなる。彼らは常に命の限界にさらされているため、放出する魔力も強大なものです」
知っている。命をかけなければできない魔法もある。禁忌とも言える魔法だってある。
「彼らが浸かっているのは魔力を吸収するよう改良した水です。アレが程よい色に染まったところで取り出し、特別な結晶体に作り変える。魔石、と呼んでいますがね」
「貴方方が戦争で強大な魔法を駆使できたのは、これを使っていたからですか」
もはや、疑問ではなく確信だった。
リーファはここにアフィルメスの強さがあると言った。魔力を持つ者から、できる限り強大で濃い魔力を無理やり奪い、戦争に使ったのだ。ザーグの笑みは、肯定している。
「彼らは……アフィルメスの?」
「というより、犯罪者です。アフィルメスに逆らった者、王家の意向に反発した者」
それは、おそらくほんの少しの反発であっても、だろう。この宰相の意に反旗を翻した者達のことだ。
レイアは、気づかれぬように拳を握った。何かに力を込めねば、怒りと共に魔力が爆発しそうだった。痛みで自我を保たなければ、負の感情に引きずられてしまう。
「この魔石は、複数個使えばより巨大な魔法が使える。身に着ければ、長時間魔力の結界すら張れる。お分かり頂けますよね」
強大な魔法ならば、一瞬でもアレネス国の周囲に張られた結界を解けるかもしれない。結界を張り続けられるなら、あの迷いの霧を突破できるかもしれない。
ザーグは、暗にそう言っている。
「レイア様、もう一度言います。どうか我らに力を……」
「ザーグッ!」
彼が口を開こうとした瞬間、地下室に怒りの声が爆発した。
振り向いたレイアの目に映ったのは、白のローブを羽織った青年。まだどこか幼さの残る、けれど強い怒りを灯した瞳。
その青年が、地下室の入り口に息を切らして立っていた。