第二章(4)
アレネス国滞在七日目。リーファは中庭らしき所で堂々と座り込み、堂々と何かを描いていた。白い紙と、ここで買った色粉を固めたスティックのセット。十二色あるそれで、彼は一心不乱に城の絵を描く。
「それにしても綺麗な色粉だよな。町の人も良い奴らばかりで助かったし」
結局、ここにしばらく滞在することを決めたリーファ。だがすることといえば、この国について調べることぐらいしかない。そのために始めたのはスケッチだ。
どんなことでもまずその外見や様式を知るのが良いだろう、と思った。
紙はあれど、白黒では味気ない。彼はおっかなびっくり町へ出てみた。すると寄るわ寄るわ珍しいもの好きの原初の一族。レイアの計らいもあったのだろうが、皆リーファを歓迎してくれている。
この色粉のスティックもタダで貰った。
「へえ、天才魔導士は絵も上手い……か!」
いきなり聞こえた声と、次の瞬間噴出した殺気。突然のそれに、リーファは紙を放り出し、杖を握った。そのまま、後ろから振り下ろされた剣を受け止める。
「お見事! おらよっ」
どうやら相手はかなりの手練らしい。受け止めたと判断するや否や、すぐさま体を引きリーファをつんのめさせる。ぐらりと傾く体と、もう一度振り上げられる剣。
リーファはすぐに魔法へと攻撃を転化した。
「我が言の葉にて誘わ……」
「炎よ!」
「は?」
リーファが『意味ある言葉』を紡ぐより早く、目の前の男は炎の手に出した。リーファの目に見えたもの。それは、たった一言で作り上げられた魔法の構成だった。
防御魔法を練り上げる暇などない。咄嗟に地面を転がり炎を避けると、リーファは全力で魔力を放出した。これ以上様子見などしていてはこちらの身が危ない。
リーファの本気を悟ったのか、男はワタワタと手を振り、剣を下ろした。
「待った待った。悪いっ、調子に乗りすぎた。許してくれ客人!」
「人を殺そうとしといて許してくれだって? ずいぶんな態度だな。誰だ」
リーファは無礼者をねめつけ、観察した。
黒の衣装と緑の皮鎧。軽装だが皮はおそらく耐熱性のある魔獣の物だろう。腰に挿した大剣も竜族の牙だ。ドワーフが加工しエルフの守護がかかっているように見える。
その剣や装飾が一切音をたてない。この青年の技量がうかがい知れるというものだ。
「悪い。アフィルメスの天才魔導士が来たって聞いたんでね。ちょっと試させてもらった。俺はディルス。このアレネス国の騎士だ。よろしくな、犯罪者」
「ちょ、濡れ衣だ! アフィルメスでも、ここでも俺は犯罪なんかしてない!」
「ははは。怒ってばっかだと疲れるぞ~」
「俺は君と話してる方が疲れるよ……」
自分と同い年ぐらいの青年。精悍な顔つきに、無邪気な笑顔。嫌味で鼻につく奴なら問答無用で言葉の暴力に入っただろうが、どうにもこの手のタイプは扱いづらい。
そう、レイアもそのタイプだ。純粋で素直で、こっちが攻撃してもあっさりすり抜けてしまう。
「知ってると思うけど、俺はリーファ・エルリスト。ずいぶん物騒な騎士だね」
「許せって。それにちゃんと騎士登用試験は通ってるし、レイアも許可してるぞ」
腕は保障する、と彼は力瘤を作ってみせた。それが嘘でないことは先程の攻撃で分かる。
それにしてもずいぶん気さくな騎士だ。女王が許可しているといえ、リーファは異邦人。それを国の盾となり剣となるはずの彼があっさり受け入れるとは。
ディルスは落ちていたリーファの絵を拾い、感嘆の口笛を吹いた。
「ほんっとに上手いな。細部まできっちり。俺、絵は苦手だな」
「魔導士は魔法陣とか、魔法具の装飾も考えるからね。これぐらいはできないと」
「はぁ~。魔法具もか? 結構大変なんだな」
「そういうアンタ達はどうなんだ。見たとこ装飾もきっちりされているし。魔法陣とか描いたりもするんだろう?」
「武器の装飾はそれを売りにしている職人がいる。確か魔法陣を使う魔法は召喚ともう一個だけだ。召喚時は勝手に出てくるし、もう一個は元から書いてあるのを使うし」
「なるほど、魔法の形態が違うのか」
魔力の使い方から、おそらくその構成も成し方も違うのだろう。先程の一言で作り上げた魔法も、彼ら独特のやり方なのかもしれない。調べることは山ほどありそうだ。
リーファは絵を受け取ると、もう一度腰を下ろし最後の部分を描きあげる。城の方はこれで良い。後は自分の気づいたことをまとめ、スケッチと一緒にすれば後の資料にもなる。
終わり、とばかりに色粉スティックをしまう。その間、何やらずっと見つめられていた。
「何なんだ?」
「ああ悪い。魔法の腕はさっきの魔力見りゃ分かるけど、他はどうかと」
「ほ、他?」
困惑して彼を見ると、ディルスは非常に面白そうな顔でリーファを指した。
「とりあえず顔? まあこれは完璧だよな」
「何の審査をしてるんだ……」
「声はもうちょい低い方が良いと思うけど、あ、体格はまあまあだが背がちょっと」
「だから何の為に調べてる! それに身長のこととか大きなお世話だ!」
「いや男は高い方が良いだろ? 並んだ時に相手よりほとんど変わらないと、どうも格好がつかないというか……」
あっさりとこちらの抗議を無視するディルス。前言を撤回しよう。彼は無邪気なのでも純粋なのでもない。ただの天然だ。
「だから……」
頬をひくつかせながら、リーファは自分の怒りがそろそろ頂点にくるのを感じていた。
「「誰の隣に並ぶっていうの?」」
自分の怒り心頭の声に、高い声が被さった。前ではディルスが腹を押さえて笑いをこらえている。リーファはそうっと後ろを伺った。
「リーファって意外に短気なのね」
「レイア……」
「女性の前で怒鳴り声を上げるなんて、お前良い顔してんのに格好がつかないんだな」
「誰のせいだよ……っ!」
「うわっ、ギブギブッ!」
何かが切れる音がハッキリ聞こえた。リーファは画材を放り出すと、彼の後ろに回りこんでその首をギュウッとばかりに絞める。
無防備に戯れる男二人の様子に、最初は目を丸くしていたレイアも笑い出した。
「良かった、仲良くなれたみたいね」
「こいつ乱暴だぞ、レイア」
参ったと言うように手を挙げてリーファをはたく。リーファも脇腹を小突いてやる。
「そういえば気になってたんだけど、アンタもレイアのこと呼び捨てなんだな」
家臣なのに。と問えば二人は顔を見合わせて首をかしげた。
「親戚で幼馴染だ。今更、敬称で呼んでもな。そりゃあ民の前に出たりする時は違うけど」
「ディルスの曽祖父と私の曾祖母が姉弟だったのよ。そうね……私を敬称で呼ばないのは、幼馴染みのディルスとメラ。後はリーファ、貴方ぐらいね」
「それで良いのか? 特に俺はやっぱりちゃんと呼んだ方が……」
幼馴染みや縁者しかそんな風に呼ばないのなら、よそ者の自分は、やはりちゃんと呼んだ方が良いのではないのだろうか。このままでは町でもついつい忘れてしまいそうだ。
だがディルスはニシシと笑うとリーファの肩に手を置いた。
「レイアが良いって言ったんだろ。なら良いじゃん。特別ってことなんだからさ」
「ディル!」
顔を赤くして怒鳴るレイアに、ディルスは怖い怖いと後ずさる。
「あそこ行くのにこいつを誘いに来たんだろ? 早く行って来いよ。日が暮れるぞ」
クイッと顎で南の方を指した。リーファもつられてそちらを見てしまう。
レイアは不貞腐れたように頬を膨らますが、そのままリーファの手を取った。今気づいたが、彼女の手には大きめのバスケットが握られている。
「今日の仕事が終わったから休憩しようと思って。だからリーファも一緒にどうかな? 色々お弁当を作ってもらったんだけど」
お弁当と言う言葉にクゥ~ッと情けない音が響く。そういえば、昼を抜いてスケッチしていたことを思い出した。
リーファは苦笑しながらその申し出を受ける。その途端、レイアの顔がパアッと輝いた。
「うん、じゃああの花畑に行こう。行ってくるねディル!」
「おう、気をつけてな」
「アンタは行かないのか?」
仮にも騎士が出かける女王の護衛も見繕わないのは、問題がありすぎると思う。だがディルスは大して気にしていないようで――
「レイアは強い。で、お前がいりゃめったなことは起こらんだろ。うちの姫さんよろしく」
軽くウィンクして去っていくディルス。信頼されても少し困るのだが。
「リーファ?」
「ああ、ごめん。んじゃ行こうか」
なんだか嵐のようだったが、頼まれたものは仕方ない。リーファはレイアの手をとって花畑へと歩き出した。
※ ※ ※ ※ ※
城から出て行く二人を、ディルスは去った振りをして物陰から見ていた。
リーファに会いにいったのは言うまでもない。確かめたかったのだ。
「で、ディルのお眼鏡にかなったの? 彼」
「ん~、まあ合格。しっかし驚いたな。レイアがあいつと会うことを予知夢で見てたなんて。だからちょくちょく花畑に行ってたのか」
もう一人潜んでいたのは侍女のメラ。彼女もディルス達のやり取りを見ていたのだ。
「夢の中の人物に恋してる、なんて、私達には言い出しにくかったみたい」
「だな。何言ってんだ! って怒鳴ってたかもしれないし」
レイアが彼を想っているのは一目見て分かった。今までにない表情をしていたから。
優しくて、柔らかくて、それでいて本当に幸せそうな顔。笑顔は何度も見てきたが、以前はいつもどこか隙間があった。その隙間を全て埋めたような笑顔を、彼女は見せるようになったのだ。
そこで気になったのが相手のリーファの方だ。今のところ、恋愛対象としてはレイアを見ていないだろう。それでも、どう転ぶか分からないなら知っておきたかった。
果たして彼は、レイアの隣にいられる人物なのか、と。
「性格も悪かないし、頭は良い、顔も実力も大丈夫。ま、レイアの背負ってるものをまだ知らないっていうのはあるけど、合格点だろ」
「厳しいわね」
「大切な幼馴染みなので」
そう簡単に、しかも頼りない男には渡せない。彼女の辛い人生を見てきたからこそ、自分達が今幸せだからこそ、彼女にはより幸せになって欲しいのだ。
「さぁ、天才魔導士はどう転ぶのか、ってね」
面白そうな声は、嬉しそうな顔で出て行く二人に発された。




