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短編

一時間な彼

作者: 魔桜

 私が働くクラブは他の店に比べて室内は明るい。経営者によると、その方がお触りされる可能性が減るからだそうだ。私としてはありがたい配慮だ。それでも執拗に触ってくる客には、強制的にお帰りをお願いしている。

 私の主な仕事内容は酔っ払いの話し相手。客層は中堅サラリーマン。飲み会の二次会か三次会の後にこのクラブに足を運ぶ人が大半で、あまり楽な仕事とはいえない。

 働いている年齢層は平均で二十五歳くらい。年齢を偽証している人もいるが、私は偽っていないし、みんな見た目や肌つやは凄い。やっぱり、若くないと夜の仕事で指名されるのは厳しくなっていくから、このぐらいの年齢になる。その若さでこんな夜のお仕事をしているってことは、訳アリな人達の集まりってこと。それでも不思議なくらい、みんな明るい。そうじゃなきゃ、生きていけないこの世界。

 そんな辛い状況で、私が頑張れる理由がある。一か月に一回、頑張った自分へのご褒美。私が私でいられるたったの一時間。張り付いた笑顔を取っ払うその時が来るのを、今か今と待ち焦がれる。

 ご指名です。

 今日もきてくれた。

 指名を受け、私は年甲斐もなく顔を綻ばせる。

 脂ぎった中年男性の制止を振り切る。横に居た同僚が抑えるのを見て、私は同僚に向けてウインクする。彼女には大きな貸しが出来た。

 私はそのまま、少女が草原を駆けるように、軽やかな身のこなしで彼の元へと急ぐ。

 じゃあ、今日もよろしく。

 仕事終わりの彼は疲弊していて、とても危なかっしい。そんな彼の姿に母性本能を擽られる。

 彼はいつも通り焼酎のロックを頼む。

 私は急いでグラスに焼酎を注ぐ。クラブの焼酎は既に水で割られていてアルコール度数が低い。酔っ払いが店内で暴れない為の処置。泥酔状態の客は水ですらアルコールと間違えるからそれで充分騙せる。

 私と彼の分の焼酎を作ると、乾杯する。

 自分から客の素性を詮索することは店側から禁じられている。だから、眼前に居る愛しい彼が、どんな人なのかも分からない。ただただ、客の愚痴や相談事を聞くことに徹する、それが私の仕事で、それ以上は踏み込んじゃいけない。もどかしくて、悲しい。

 何より一番辛いのは、彼がふとした拍子に見せる横顔。それは、自分の大切な人間を思い出した顔で、私には一度も向けたことのない表情。

 それは、とても優しい顔。

 彼にそこまで慮ってもらえる人間に嫉妬している。

 どうして、報われないと分かっていながらもこんなに彼に心惹かれるのだろう。彼のあどけない横顔を見ていると胸が張り裂けそうになるぐらい愛おしい。

 ねぇ、私のことを好きになってよ。

 私の方が奥さんよりもずっと、ずっと貴方のことを思っている。だから、私だけを見て欲しい。

 そう言えたならどれだけ楽になれるだろう。

 それはお互いの状況が決して許さない。

 もしも、もっと早く彼に会うことができていれば。

 もしも、この場所以外で出会っていれば。

 もしも、私がこんなに貴方に心惹かれなければ。

 どんなに、『もしも』を重ねても、どうにもならない。時間を巻き戻せない。今の過去を、よりより過去になんてできない。けれど、私は――。

 どうしたの? 元気ないね。

 彼はいつだって空気が読めない。

 彼に好かれる為に、髪形やマニュキュアを変えても無頓着の癖に、私が少しでも苦しいと思ったらすぐに気付く。彼にだけは、そのことを気付かれたくないのに。

 なんでもないの。

 いつからだろう。作り笑いが板についてきたのは。こんな仕事をしているからだろうか。それとも、彼と出会ってからなのだろうか。今となってはもう、思い出せない。

 そして、彼とのひと時が終わりを告げる。

 一日千秋の想いで待ち続けて、逢瀬の時は、たったの一時間。それだけでも、胸が張り裂けそうなくらい辛い。それに、彼がいつまで通ってくれるか分からない。そんな、脆く、虚構のような私たちの関係。そんなことを思うと憂鬱な気分になるのは分かっていても、止められない。それは私の癖だ。最悪なことを想定していいれば、その先に待っているのは、良い事しかないから。

 エレベーターまで、彼と腕を組みながら送っていく。

 この腕を離せば、彼は遠くに行ってしまう。でも、離さないって、我が儘を言って、彼に嫌われることが一番怖いんだ。だけど――。

 また、来るよ。

 エレベーターの扉が閉まる直前に、確かに聞こえた彼の声。いつも無言で帰る彼から、初めて発せられたその言葉は、幻聴なんかじゃない。

 これって、期待していいのかな。して、いいよね。

 今度彼が来たときは、必ず延長させてやる。そして、絶対魅了させてやる。

 そう思える程、私が前向きになれるのは、彼のたった一言だ。良くも悪くも、私はいつだって彼に振り回されている。

 でも、それでいいんだ。

 だって、彼に振り回されるのは、そんなに嫌いってわけじゃないから。


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