ホナミちゃん
大学3年生になった私。2年の夏に就職合同説明会が始まって公共交通機関移動がこんなに大変だと思わず、とうとう車を購入した。親に急ごしらえしてもらった資金と貯めていたバイト代でなんとか間に合わせた中古の軽自動車。結構年数が経っている物だからか、シートが硬くて座りっぱなしはつらい。だけど一時しのぎだから我慢する。が、カーオーディオが使い物にならないのは流石に想定外だった。
ラジオはほぼ雑音しか流れないぽんこつで、CDの入口もディスクが詰まって上手く入らなかった。あとはカセットテープを入れる所が残されているだけ。CDも数枚しか持っていないのにカセットテープなんて尚更ある訳がない。でもラッキーなことに、偶然試せる物が見つかったのだ。それもこの運転席の下に。この車を使っていた人の物なのかもわからないけど、勝手に使わせてもらうことにした。ばれることはないだろうし、試してみて最悪戻って来なくても他人の物だからなにも言うまい。
最近凄い量の花粉と黄砂が飛んでいてマスクを外せない。オーディオもそうだけどエアコンはもっとぽんこつ。でも窓を開けるのもつらいし車内は思った以上に暑いから、ぽんこつエアコンをつけた方がまし。それに、今日はこのカセットテープがついてる。ここからだと30分くらいで大学に着くからある程度は聞けるだろう。エンジンをかけてカセットを差し込むと滑らかに吸い込まれていく。上手くいくか。頼むなにか流れてくれ、祈りながら駐車場を出た。
路面に出た頃にボソボソと音楽が鳴り始めた。平成初期のJ-popだろうか。聞いたことはないけど複数名の女性の歌声がくぐもった感じで流れる。若干音痴というか、おっさんが好きな女の子を揃えているのか歌詞も媚びた感じで気色悪い。この歌と道中過ごすのか……嫌だ……。
大きい交差点に入り右折待ちしている最中、媚びた女の子集団の歌が雑音に搔き消されていく。え、やっぱ壊れてるの?ちょっと待ってよタイミング悪すぎるんだけど。右折し終わった頃には「サー」という音だけが残った。他人のプライベートを覗き見ようとしたバチが当たったのかも知れない。正直ちょっとよこしまな気持ちはあったから。
「あー……あー……」
……え?
「うたいまーす」
唐突に始まったんだけど、録音か?女の子の声……アイドルじゃなくてそこら辺にいそうな感じの。
♪ 踊ろうよ ロマンチックな人生 さあ 踊ろうよ Fu Fu
歌おうよ ロマンチックな運命 さあ 歌おうよ Wow Wow ♪
♪ わたしのパワーが 世界をまわす I can fly I can fly イエーイ! ♪
ブツッとした音がして無音になった。え……これは何?聞いて良かったやつ?
「えーとー」
また録音が始まってしまった。今止められないんだけど。
「自己紹介します。サクライ ホナミです。中1です。好きな食べ物はパンです。嫌いな食べ物はー……レーズンです」
さっきと同じ声の女の子だ。ホナミちゃんっていうんだ。
「最近あった面白いことは、ツボカワくんが声変わりしたことです。小5の時はソプラノで凄い声が高かったけど、中1ではテノールになってました。一昨日、小5の時に合唱で歌ったのを歌ってとお願いしたら、嫌々だけど歌ってくれました。前は『あーしーたー』って出てたんだけど一昨日は『あー』――」
堪え切れず爆笑しだすホナミちゃん。
「めちゃくちゃ面白かったです。終わります」
これはなんのための録音なんだろう。なにかに応募するやつ?でもなんか楽しそう。THE リア充って感じ……盗み聞きしてるこっちが惨めになるわ。外からカンカンと音がして踏切のバーが降りて来る。ここは待ち時間が長い。
「おじいちゃん押したよ」
「あー。あれえ」
「録音してるしてる」
ホナミちゃんと、今度はおじいちゃん。ホナミちゃんは録音が好きなのか?
「まあ、綺麗なお花よデニー。ほら見て」
「本当だ。ハハハ、これは満開だな」
急に始まった洋画アニメの吹き替えもどき、しかも棒読み。……デニーおじいちゃん……。
「この美しさはまるで君そのものさナンシー」
「もう。デニーったらいつもそうなんだから」
ナンシーホナミちゃん、ノリノリですね。
「そうだわ。私たち結婚したらこの街で暮らさない?」
「ワオ。ナンシー、僕にプロポーズしてくれているのかい?」
急な展開だな。
「そう。昨日食べたチゲ鍋ですわ……あ間違えた」
ナンシーがホナミちゃんに戻ってしまった。痛恨のミス。2人でボソボソ紙をめくりながら相談している。
「あーあらら」
あららどうするといいかいねー、おじいちゃんの言葉を遮るようにして棒読みのドラマは終わってしまった。デニーおじいちゃん……。あと1キロ程走って大きい橋を越えたらもうすぐ到着。このまま流しておくか、またなにか流れてくれないかな。無音よりやっぱり移動が楽しくなる。
「ホナミちゃん。おばあちゃんです」
次おばあちゃん来た。
「ホナミちゃん。お母さんへのプレゼント、コンソメスープの、作り方です」
多分レシピ用の原稿を書いて読み上げているのだと思う。さっきの吹き替えもどきよりもずっと棒読みだ。
「材料は、水とサラダ油、玉ねぎ、にんじん、ベーコン、おなべ、です。なべにサラダ油を少し入れて、切ったベーコンを炒めます。玉ねぎとにんじんを細かく切って、一緒に炒めます。しんなりしたら、お水を入れて、コンソメ……あ、さっきコンソメ言ったかや?コンソメの四角いのを2つ入れて、玉ねぎとにんじんが柔らかくなるまで煮込みます」
……言ってないですね。それでも止めずに続けるおばあちゃん、流石です。
「味見をして薄かったら、お塩とかコンソメを入れてください。完成です。ホナミちゃんスープ美味しく出来るといいね。お母さん喜んでくれますように。ホナミちゃーん頑張ってねー。おじいちゃーん。おじいちゃんホナミちゃんになんか言わんかいねー」
「あー?……あえー?」
遠くにおじいちゃんの鳴き声みたいなのがした。今日授業終わったらコンソメスープ作ろうかな、凄い目分量レシピだったけど。ホナミちゃんは美味しく作れたのかな。なんかあったかくて羨ましい。センチメンタルな気持ちに浸っていたら中途半端な部分からロックじみたジングルが流れ始めた。男性2人の豪快な笑い声がする。これは本物のラジオだろう。
「えーさっきの続きね。あれやばない?マナちゃんよく付き合うたで」
「そうですねぇ確かに」
「トガシがなあー……なぁー、トガシなぁ……」
そしたらまた下品なくらいに男が笑い出した。深夜ラジオみたいな感じかな、これもきっと古い時代のやつ。
「んなん俺が変わりにゆうたる。トガシ。おいお前やでトガシ。あれはやりすぎとちゃうか?」
「まあそうですけど。トガシさんの気持ちもまあ、分からなくもないすけどね」
キレてるというよりいじってるのかな、楽しそうなやり取りではあるけど。
「トガシ、聞いとんのか?正しさはなあ、いいもんかもやけどなあ、俺に言わせ――」
砂嵐に掻き消されるように終わった。……今のが一番意味不明だった。
「えかきうた」
ホナミちゃんの声、来ました。
♪ ある日 ある所に ハムがありました 上の方に ワカメがありました
ワカメの下に アスパラ2本 と ぼうつくねを 置きました 真っ赤なプチトマトがひとーつ
下からボートがにっこり見上げてる
ハムの両端に ワカメが どーん どーん はい できあがりー ♪
……描けない。もうすぐ駐車場に到着する。大学の裏口の段差を乗り上げた。
「は。え……トガシが?」
「そうらしいっす。……いやぁーもう」
「は?嘘やろ?はあ?」
深夜ラジオだ。トガシの話続いてる。なにがあったんだろう。
「ちょっとこれはもう」
「お前―なんなんやぁ?結局なんやったんトガシー」
男2人が深いため息をついた。
「トガシ、なんやったん?誰?」
ロック調のジングルが掻き消されていく。トガシ……。もう出ないと。
エンジンを切って鞄を肩にかける。ホナミちゃんごめん、どうしてもトガシが気になる。許して。そう思いながら私は扉を閉めた。




