野呂平助
世界はいつも、彼を最後に選ぶ。
野呂平助は、いつものろまだった。
子供の頃から、そう呼ばれ続けた。走るのが遅いのではない。運命が、いつも彼を最後に選ぶのだ。
いたずらをして皆で逃げても、平助だけが捕まった。蜂の群れから逃げても、平助だけが刺された。野犬に追われても、平助だけが牙にかけられた。
まるで世界が、彼を嘲笑うための生贄として定めているかのように――
そんな平助の前に、ある日、牛島鈍平という男が現れた。鈍平は平助よりもさらに動きが鈍く、表情も思考も遅かった。
平助は内心で優越感を抱いた。この男となら、自分は「一番下」ではなくなる。だが、はっきりと順位をつけるのが怖かった。
彼は確かめなかった。ただ、初めて心から笑い合える相手ができた気がして、それを「親友」と呼ぶことにした。
だが、運命は、皮肉なほどに残酷だった。
その夕暮れ、二人がいつもの道を帰っていると、路地から一匹のポメラニアンが飛び出してきた。
小さな犬だ。普段は大人しく、毛並みも美しい。だがその目は、赤く濁り、口からは異様な唸りが漏れていた。リードから放れ、飼い主の姿はどこにもない。
二人は本能で逃げた。長年、逃げ続けてきた体が、無意識に動いた。
平助の足が、わずかに速かった。風を切り、地面を蹴る。背後で鈍平の荒い息遣いが聞こえる。重い足音が、徐々に遅れていく。
平助は振り返った。鈍平が必死にアゴを上げ、険しい顔で何かを叫んでいる。その表情が、滑稽に映った。
いつも自分を見下ろしていた世界が、今は鈍平を貪ろうとしている。胸の奥に、甘い優越感が広がった。
初めて、自分が「上」であることを、はっきりと実感した瞬間だった。
そのとき、彼は前を見ていなかった。顔を後ろに向けたまま、笑いながら走っていた。突然、視界が暗転した。
何か硬いものが、胸の真ん中に突き刺さった。鋭い痛みとともに、骨が軋む音がした。
平助の体は勢いのまま前方に投げ出され、地面を転がった。息ができない。口から熱いものが溢れ出す。彼はゆっくりと顔を上げた。
そこにあったのは、古びた木の枝だった。折れて尖った先端が、胸を貫いていた。まるで、運命があらかじめ用意していた槍のように。
背後から、鈍平の悲鳴が聞こえた。
ポメラニアンが鈍平に飛びかかる音、小さな牙が肉に食い込む音――そして、鈍平は重い響きとともに地面に倒れた。
平助は血の泡を吐きながら、薄れゆく意識の中で思った。もし、あのとき、鈍平を本当の親友だと思えていたら。
嘲りなど生まれず、ただ一緒に逃げようと前を向いていたら――
しかし、彼は最期まで、平助であった。薄暗い路地に、ポメラニアンの小さな足音だけが、静かに遠ざかっていった。
まるで、用が済んだと言わんばかりに。
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