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甘味団子が売れ始めて七日目。
砦の朝は、湯気で白かった。
「もう並んでるぞ!」
門番の声が飛ぶ。
遼は振り向かない。団子を丸める手は止めない。掌の中で白い生地を転がし、指先でわずかに水を足す。ひび割れを消す。
ひとつ、ふたつ、三つ。
湯へ落とす。
ぽちゃん、ぽちゃん、と音が続く。
沈む。
静かに底へ。
やがて――ふわり、と浮く。
その瞬間を逃さず、すくい上げる。
遅れれば水っぽくなる。早ければ芯が残る。
木桶へ移す。
煮詰めたタレを流しかける。
とろり。
艶が走る。
甘い匂いが爆ぜる。
外の列がどよめいた。
「来た!」
「今日も売り切れるぞ!」
兵士が笑う。
昨日まで黙って飯を食っていた連中が、今は鍋を覗き込んで急かす。
甘味は空気を変えた。
黒豚の薄切り肉を鍋へ落とす。
じゅ、と脂が弾ける。
甘辛い蒸気が立ち上る。
発酵の深みが砂糖で丸まり、鼻腔を撫でる。
遼は味を見る。
ほんのわずか、砂糖を減らしている。
誰も気づかない。
壺の底は、もう近い。
木匙でかき混ぜるたび、残量が脳裏に浮かぶ。
売れるほど、減る。
減るほど、焦る。
「今日も二本!」
昨日の少年が銅貨を握って立っている。
団子を受け取り、かぶりつく。
口の端にタレがつく。
ぺろりと舐める。
その顔を見て、後ろの母親がもう一本買う。
連鎖だ。
匂いと笑顔が、銅貨を動かす。
昼前には完売。
兵士が空鍋を覗いて舌打ちする。
「もうねえのか」
「明日な」
遼は壺を持ち上げる。
軽い。
蓋を開ける。
底が見える。
しゃり、と木匙が空を削る音。
その音だけが、静かに重い。
リシアが言う。
「王都から追加で買うか」
「それは相手の土俵だ」
「じゃあどうする」
答えは決まっている。
夜。
森の実を煮る。
赤い実が鍋の中で弾ける。
酸っぱい蒸気が立ち上る。
目に染みる。
そこへ、ほんの少し砂糖を落とす。
色が変わる。
濁った赤が、透き通る深紅へ。
木匙で持ち上げると、糸を引く。
団子にのせる。
白と赤。
兵士が口へ入れる。
一瞬、顔をしかめる。
次の瞬間、目が丸くなる。
「……これ、いい」
「酒持ってこい!」
笑いが起きる。
砂糖が少なくても、満足は作れる。
だが。
列は日に日に伸びている。
甘味を知った舌は、もう戻らない。
遼は森を見る。
闇の奥。
シェルフィが小さく言う。
「甘い匂いの草がある。奥に」
「確かか」
「噛んだ。硬い。でも、甘い」
風が止む。
森の奥が、わずかにざわめく。
赤い線が、薄く揺れた気がした。
壺の底。
森の奥。
どちらも、避けて通れない。
遼は鍋の火を消す。
甘い残り香が夜に溶ける。
「……明日、森に入る」
誰も反対しなかった。
翌朝。
まだ霧が地面を這っている時間に、三人は砦を出た。
遼は背に小さな籠を負う。中には刃物、縄、布袋、水袋。武器らしい武器は持たない。
リシアは槍を担ぎ、鎧を最小限に抑えている。
シェルフィは何も持たない。ただ、森を見る目だけが鋭い。
「奥までは行かない」
リシアが言う。
「様子を見るだけだ」
「原料が見つかれば十分だ」
遼は短く返す。
森へ一歩踏み入れた瞬間、空気が変わった。
砦の外とは匂いが違う。
湿った土。腐葉土。青い樹液の匂い。
そして、かすかに――甘い匂い。
シェルフィが立ち止まる。
「こっち」
迷いがない。
枝を払い、根を跨ぎ、進む。
足元の落ち葉が沈む音がやけに大きく感じる。
遼は周囲を見渡す。
木々の幹に、うっすらと赤い筋が走っている。
以前より、濃い。
「気づいてるか」
リシアが低く言う。
「ああ」
森は静かすぎる。
鳥の声がない。
風も弱い。
何かが息を潜めているような静けさ。
その中で。
「……あれ」
シェルフィが指差す。
低木の群れ。
細長い茎が束になって生えている。葉は細く、光沢がある。
遼が近づく。
手で折ろうとする。
硬い。
思った以上に繊維が強い。
「これか」
「うん。噛むと甘い」
遼は短く切り取り、端を齧る。
最初は青臭い。
次に、じわりと甘味。
強くはない。
だが確かにある。
舌の奥に残る。
目を細める。
「煮出せば出る」
「確証は?」
「ない。でも、ある」
籠に詰める。
量はそれなりにある。
もしここ一帯に群生しているなら――。
そのとき。
ばきり、と枝が折れる音。
三人が同時に振り向く。
低い唸り声。
茂みの向こうで、影が揺れる。
猪型の魔獣。
肩まで人の腰ほど。牙が長い。目が濁っている。
「……来るぞ」
リシアが前に出る。
槍を低く構える。
魔獣が地面を蹴る。
突進。
速い。
遼は反射的に横へ跳ぶ。
リシアの槍が正面から受け止める。
鈍い衝撃音。
地面が抉れる。
「重い……!」
押し込まれる。
牙が槍の柄を軋ませる。
シェルフィが横から回り込む。
足首に短剣を突き立てる。
血が飛ぶ。
魔獣が悲鳴を上げ、体勢を崩す。
「今!」
リシアが槍を深く押し込む。
喉元を貫く。
低い断末魔。
やがて、沈黙。
森はまた静かになる。
遼は荒い呼吸を整える。
「……増えてるな」
リシアが槍を引き抜く。
「前より攻撃的だ」
シェルフィは森の奥を見ている。
「奥で何か動いてる」
甘草の束を握る。
原料はある。
だが守られているようにも感じる。
偶然か。
それとも。
「今日はここまでだ」
遼が言う。
籠は半分ほど埋まっている。
試作には十分。
「次は人手を増やす」
「兵を連れてくるか」
「畑にできれば、森に入らなくていい」
砦へ戻る道すがら、遼は考える。
煮出し。
濾過。
結晶化。
上手くいけば、王都に頼らない甘味が手に入る。
だが森は黙っていない。
赤い線は、確実に濃くなっている。
砦が見えたとき、遼は籠を握り直す。
この茎が砂糖になるかどうか。
それで、次の一手が決まる。




