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月下の台所ー異世界辺境食記ー  作者: おこげ


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9/16

9

 甘味団子が売れ始めて七日目。

 砦の朝は、湯気で白かった。

「もう並んでるぞ!」

 門番の声が飛ぶ。

 遼は振り向かない。団子を丸める手は止めない。掌の中で白い生地を転がし、指先でわずかに水を足す。ひび割れを消す。

 ひとつ、ふたつ、三つ。

 湯へ落とす。

 ぽちゃん、ぽちゃん、と音が続く。

 沈む。

 静かに底へ。

 やがて――ふわり、と浮く。

 その瞬間を逃さず、すくい上げる。

 遅れれば水っぽくなる。早ければ芯が残る。

 木桶へ移す。

 煮詰めたタレを流しかける。

 とろり。

 艶が走る。

 甘い匂いが爆ぜる。

 外の列がどよめいた。

「来た!」

「今日も売り切れるぞ!」

 兵士が笑う。

 昨日まで黙って飯を食っていた連中が、今は鍋を覗き込んで急かす。

 甘味は空気を変えた。

 黒豚の薄切り肉を鍋へ落とす。

 じゅ、と脂が弾ける。

 甘辛い蒸気が立ち上る。

 発酵の深みが砂糖で丸まり、鼻腔を撫でる。

 遼は味を見る。

 ほんのわずか、砂糖を減らしている。

 誰も気づかない。

 壺の底は、もう近い。

 木匙でかき混ぜるたび、残量が脳裏に浮かぶ。

 売れるほど、減る。

 減るほど、焦る。

「今日も二本!」

 昨日の少年が銅貨を握って立っている。

 団子を受け取り、かぶりつく。

 口の端にタレがつく。

 ぺろりと舐める。

 その顔を見て、後ろの母親がもう一本買う。

 連鎖だ。

 匂いと笑顔が、銅貨を動かす。

 昼前には完売。

 兵士が空鍋を覗いて舌打ちする。

「もうねえのか」

「明日な」

 遼は壺を持ち上げる。

 軽い。

 蓋を開ける。

 底が見える。

 しゃり、と木匙が空を削る音。

 その音だけが、静かに重い。

 リシアが言う。

「王都から追加で買うか」

「それは相手の土俵だ」

「じゃあどうする」

 答えは決まっている。

 夜。

 森の実を煮る。

 赤い実が鍋の中で弾ける。

 酸っぱい蒸気が立ち上る。

 目に染みる。

 そこへ、ほんの少し砂糖を落とす。

 色が変わる。

 濁った赤が、透き通る深紅へ。

 木匙で持ち上げると、糸を引く。

 団子にのせる。

 白と赤。

 兵士が口へ入れる。

 一瞬、顔をしかめる。

 次の瞬間、目が丸くなる。

「……これ、いい」

「酒持ってこい!」

 笑いが起きる。

 砂糖が少なくても、満足は作れる。

 だが。

 列は日に日に伸びている。

 甘味を知った舌は、もう戻らない。

 遼は森を見る。

 闇の奥。

 シェルフィが小さく言う。

「甘い匂いの草がある。奥に」

「確かか」

「噛んだ。硬い。でも、甘い」

 風が止む。

 森の奥が、わずかにざわめく。

 赤い線が、薄く揺れた気がした。

 壺の底。

 森の奥。

 どちらも、避けて通れない。

 遼は鍋の火を消す。

 甘い残り香が夜に溶ける。

「……明日、森に入る」

 誰も反対しなかった。

 翌朝。

 まだ霧が地面を這っている時間に、三人は砦を出た。

 遼は背に小さな籠を負う。中には刃物、縄、布袋、水袋。武器らしい武器は持たない。

 リシアは槍を担ぎ、鎧を最小限に抑えている。

 シェルフィは何も持たない。ただ、森を見る目だけが鋭い。

「奥までは行かない」

 リシアが言う。

「様子を見るだけだ」

「原料が見つかれば十分だ」

 遼は短く返す。

 森へ一歩踏み入れた瞬間、空気が変わった。

 砦の外とは匂いが違う。

 湿った土。腐葉土。青い樹液の匂い。

 そして、かすかに――甘い匂い。

 シェルフィが立ち止まる。

「こっち」

 迷いがない。

 枝を払い、根を跨ぎ、進む。

 足元の落ち葉が沈む音がやけに大きく感じる。

 遼は周囲を見渡す。

 木々の幹に、うっすらと赤い筋が走っている。

 以前より、濃い。

「気づいてるか」

 リシアが低く言う。

「ああ」

 森は静かすぎる。

 鳥の声がない。

 風も弱い。

 何かが息を潜めているような静けさ。

 その中で。

「……あれ」

 シェルフィが指差す。

 低木の群れ。

 細長い茎が束になって生えている。葉は細く、光沢がある。

 遼が近づく。

 手で折ろうとする。

 硬い。

 思った以上に繊維が強い。

「これか」

「うん。噛むと甘い」

 遼は短く切り取り、端を齧る。

 最初は青臭い。

 次に、じわりと甘味。

 強くはない。

 だが確かにある。

 舌の奥に残る。

 目を細める。

「煮出せば出る」

「確証は?」

「ない。でも、ある」

 籠に詰める。

 量はそれなりにある。

 もしここ一帯に群生しているなら――。

 そのとき。

 ばきり、と枝が折れる音。

 三人が同時に振り向く。

 低い唸り声。

 茂みの向こうで、影が揺れる。

 猪型の魔獣。

 肩まで人の腰ほど。牙が長い。目が濁っている。

「……来るぞ」

 リシアが前に出る。

 槍を低く構える。

 魔獣が地面を蹴る。

 突進。

 速い。

 遼は反射的に横へ跳ぶ。

 リシアの槍が正面から受け止める。

 鈍い衝撃音。

 地面が抉れる。

「重い……!」

 押し込まれる。

 牙が槍の柄を軋ませる。

 シェルフィが横から回り込む。

 足首に短剣を突き立てる。

 血が飛ぶ。

 魔獣が悲鳴を上げ、体勢を崩す。

「今!」

 リシアが槍を深く押し込む。

 喉元を貫く。

 低い断末魔。

 やがて、沈黙。

 森はまた静かになる。

 遼は荒い呼吸を整える。

「……増えてるな」

 リシアが槍を引き抜く。

「前より攻撃的だ」

 シェルフィは森の奥を見ている。

「奥で何か動いてる」

 甘草の束を握る。

 原料はある。

 だが守られているようにも感じる。

 偶然か。

 それとも。

「今日はここまでだ」

 遼が言う。

 籠は半分ほど埋まっている。

 試作には十分。

「次は人手を増やす」

「兵を連れてくるか」

「畑にできれば、森に入らなくていい」

 砦へ戻る道すがら、遼は考える。

 煮出し。

 濾過。

 結晶化。

 上手くいけば、王都に頼らない甘味が手に入る。

 だが森は黙っていない。

 赤い線は、確実に濃くなっている。

 砦が見えたとき、遼は籠を握り直す。

 この茎が砂糖になるかどうか。

 それで、次の一手が決まる。

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