表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月下の台所ー異世界辺境食記ー  作者: おこげ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/16

7

出立は、静かだった。

 砦の門が軋みを上げて開く。朝靄の向こうに、灰哭の森が薄く揺れている。あの奥に“止まろうとする力”があるのなら、その反対側には“流れを独占する力”があるはずだ。

 王都。

 甘味の門。

 遼は荷車の縄を引き締める。積まれているのは壺が三つ。ひとつは黒い欠片を沈めた培養。ひとつは通常の発酵。もうひとつは、ただの水。

「比較する」

 遼はそれだけ言った。

 リシアが馬を寄せる。

「護衛は私と兵が四名。森を抜ければ街道だ。王都までは三日」

「三日か」

「不満か」

「いや」

 遼は森を見た。

「三日あれば、壺は動く」

 シェルフィが荷車の後ろに立つ。

「森は静かだ。だが“止まり”は消えていない。気をつけろ」

「止まる前に、動かす」

 遼は荷車を押した。

 車輪が回る。

 それだけで、少し安心する。

 動いている。

 止まっていない。

 森を抜けた先、街道は白い石で固められていた。往来がある。荷馬車、商隊、巡礼。

 甘い匂いが、風に混じる。

 遼は鼻を上げた。

「……焦がしてるな」

「何がだ」

「砂糖」

 遠くに塔が見える。王都の外郭。門の上に掲げられた紋章は、金色の穂と秤。

 流通と計量の象徴。

「甘味の門だ」

 リシアが低く言う。

「ここを通る甘味には、税がかかる」

「専売か」

「貴族の管理だ。精製所は王都内にしかない」

 門前は長蛇の列だった。荷を改める衛兵。帳簿を持つ役人。秤にかけられる白い塊。

 砂糖。

 拳大の塊が、布に包まれている。

 商人が声を荒げる。

「湿りで減った分は勘弁しろ!」

「規定は規定だ」

 役人の声は冷たい。

 遼はそのやり取りを眺め、呟いた。

「値段が動いてないな」

「どういう意味だ」

「減っても増えても、同じ帳簿。流れを止める仕組みだ」

 列が進む。

 やがて彼らの番が来た。

「積荷を見せろ」

 衛兵が荷車を覗く。

「壺だな。中身は」

「豆の煮汁だ」

 遼はあっさり言う。

「食品か?」

「そうだ」

 役人が帳面をめくる。

「甘味は含むか」

「今は含まねえ」

 役人の眉が動く。

「“今は”?」

「これから買う」

 リシアが小さく息を吐いた。

 衛兵は壺の蓋を開ける。湯気はない。だが微かな香り。

「……苦いな」

「そうだ」

「腐ってはいないか」

「腐らせてる」

 衛兵の顔が引きつる。

「何?」

「良い腐りだ」

 役人が口を挟む。

「発酵か」

 遼は目を向ける。

「知ってるのか」

「酒と酢だけはな」

「なら話は早い」

 遼は壺の一つを指す。

「これは普通。こっちは黒を混ぜた。こっちは水」

「黒?」

「森の残滓だ」

 場の空気がわずかに硬くなる。

「危険物の持ち込みは禁止だ」

「危険を制御するための実験だ」

 遼は静かに続ける。

「砂糖を買う。その場で混ぜる。結果を見せる」

「門前で実験だと?」

「動きを見せるだけだ」

 役人は遼を値踏みするように見た。

「お前、商人か」

「これからなる」

 短い沈黙。

 背後の列から苛立ちの声。

「早くしろ!」

 役人は小さく舌打ちし、紙片を差し出す。

「入市税。壺三つ分」

 遼は払う。

 門が開く。

 王都の空気は、森よりも重かった。

 通りは広い。石畳。白壁。看板が並ぶ。

 甘い匂いが強くなる。

 菓子屋。飴細工。砂糖菓子の塔。

 だが客は選ばれている。

 衣服で分かる。

 貴族。裕福な商人。

 兵や庶民は、窓越しに眺めるだけだ。

「止めてるな」

 遼は言う。

「何をだ」

「欲を」

 シェルフィが周囲を観察する。

「森と同じだ。形が違うだけ」

 広場の中央に、白い建物がある。

 看板には金の秤。

「王都料理ギルド」

 リシアが低く言う。

「行くのか」

「ああ」

 遼は荷車を押す。

「まずは相場を聞く」

 扉を押し開ける。

 中は静かで、甘い。

 長卓。白衣の男たち。磨かれた銅鍋。

 ひとりが顔を上げる。

「何用だ」

 声は冷ややか。

 遼は壺を一つ、卓上に置いた。

「甘味を買いに来た」

「小売は門前で済ませろ」

「大量にだ」

 男の目が細くなる。

「用途は」

 遼は壺の蓋を開ける。

 苦味の香りが広がる。

「動かすためだ」

 空気が、わずかに変わる。

「……何をだ」

 遼は笑わない。

「止まってるもの全部だ」

 白衣の男たちがざわめく。

 その奥、階段の上から声が落ちた。

「面白い」

 ゆっくりと降りてくる影。

 年配の男。金糸の刺繍。細い目。

「甘味を“動かす”と言ったな」

 遼は見上げる。

「言った」

「名は」

「真島遼」

「私はギルド筆頭、アルヴァン」

 男は壺を覗き込み、鼻で笑う。

「苦味で世界を回す気か」

「足りないから甘味を足す」

「庶民にか?」

「全員にだ」

 広間が静まり返る。

 アルヴァンはしばらく遼を見つめ、やがて言った。

「なら証明しろ」

「ここでか」

「今ここでだ」

 甘い空気の中に、火種が落ちる。

 遼は壺を二つ並べた。

「いいだろ」

 王都の中心で。

 流れを止める秤の前で。

 料理人は、鍋の代わりに壺を掲げる。

 広間の空気は、甘ったるく重い。

 飴を煮詰めた鍋の匂い。焼き菓子の焦げ。磨かれた銅と砂糖の粉が、白い光を反射している。

 その中央に、遼の壺が三つ。

 苦味の匂いだけが、異物のように漂っていた。

 アルヴァンは長卓の向こうで腕を組む。

「証明しろ、と言った」

「見せるだけだ」

 遼は壺の布を外す。

 ひとつ目。通常の発酵液。

 ふたつ目。黒い残滓を沈めた液。

 みっつ目。水。

「比較だ」

「何を比較する」

「流れ」

 アルヴァンが片眉を上げる。

「抽象的だな」

「甘味を足す」

 遼は言う。

「同量で」

 ざわめき。

 白衣の男のひとりが嘲る。

「砂糖は薬だ。分量は管理される」

「だから秤がある」

 遼は中央の大秤を指した。

「同じ重さ。三つとも」

 アルヴァンはわずかに笑う。

「許可する」

 合図。

 白衣の弟子が砂糖塊を運ぶ。布を解き、白い結晶を砕く。

 粉が舞う。

 甘い。

 遼は目を細める。

「精製、強いな」

「当然だ」

 アルヴァンが言う。

「不純物は取り除く」

「動きもか?」

「何?」

「いや」

 遼は砂糖を受け取り、秤にかける。

 三つの小鉢に、同量。

 壺へ落とす。

 さらさら、と。

 まずは水。

 砂糖は溶ける。

 ただ溶ける。

 次に通常の発酵液。

 砂糖が触れた瞬間、わずかに泡が立つ。

 小さな音。

 とく、とく。

 最後に、黒を沈めた壺。

 砂糖が落ちる。

 一瞬、静止。

 次の瞬間――

 ぶく、と大きな泡。

 壺の中で、黒がゆらぐ。

 広間がざわめく。

「反応が強い」

 白衣のひとりが前に出る。

「何を入れた」

「止まりたがるものだ」

 遼は壺を揺らす。

「甘味は流れを早める。苦味は流れを整える」

 黒が溶けきらず、しかし形を失っていく。

 沈殿していた欠片が、細かく崩れる。

 アルヴァンの目が鋭くなる。

「制御できるのか」

「まだ途中だ」

 遼は水の鉢を掲げる。

「水+砂糖は甘いだけだ。腐る」

 次に通常。

「発酵+砂糖は加速する。だが暴れる」

 最後に黒入り。

「だが“止まり”を入れた場合、甘味はそれを餌にする」

 壺の中で、黒が白濁へ変わっていく。

 苦味の匂いが、甘さと混ざる。

 重たい香り。

「良い腐りが、悪い腐りを食う」

 静寂。

 アルヴァンがゆっくりと階段を降りる。

 壺を覗き込む。

「理屈はわかる」

「理屈じゃねえ」

 遼は言う。

「市場だ」

 白衣たちが眉をひそめる。

「庶民に甘味を渡せば、需要が爆発する」

 遼は続ける。

「止めてるから高い。回せば安くなる」

「価値が落ちる」

 アルヴァンの声は低い。

「貴族が許さん」

「止めるから腐る」

 遼は壺を軽く叩く。

「森と同じだ」

 広間の空気が冷える。

「森を引き合いに出すな」

「同じ構造だ」

 遼は一歩踏み出す。

「独占は止まりだ。止まりは腐る」

「……」

「流せ」

 沈黙。

 壺の中で泡が続く。

 とく、とく、と。

 生きている音。

 アルヴァンは目を閉じ、やがて言った。

「量産は可能か」

 リシアが息を呑む。

 遼は即答しない。

 壺を見つめる。

 黒は消えかけている。

「可能だ」

「条件は」

「砂糖の供給」

「価格は」

「今の半分」

 広間がざわめく。

「馬鹿な」

「半分でも高い」

 遼は言う。

「だが量は十倍売れる」

 アルヴァンの目が、計算に入る。

「利益は」

「増える」

「保証は」

「実験は続ける」

 壺の底。

 黒はほぼ溶けた。

 沈殿がない。

 流れている。

 アルヴァンがゆっくり笑う。

「面白い」

「乗るか」

「賭けだな」

「商いは全部そうだ」

 長い沈黙ののち。

「条件を出す」

 アルヴァンが言う。

「王都内での販売はギルド管理下。だが外郭――砦、辺境は自由だ」

 リシアの目が光る。

「灰哭の森周辺か」

「そうだ」

 アルヴァンは続ける。

「成果が出れば、正式に契約する」

「出なければ」

「排除だ」

 遼は笑う。

「わかりやすい」

 壺の泡が静まる。

 香りが変わる。

 甘さと苦味が混じり、重層になる。

 アルヴァンが小さく呟く。

「……確かに、動いている」

 遼は壺の縁をなぞる。

「止まらせない」

 窓の外、王都の空は白い。

 だが遠く、赤い線がまだ薄く残っている。

 止めようとする力。

 それを回す。

 流す。

 値段をつける。

 契約は成立した。

 だがこれは始まりだ。

 甘味が回れば、反発も回る。

 遼は壺の蓋を閉じる。

「次は量だ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ