表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月下の台所ー異世界辺境食記ー  作者: おこげ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/15

11

 門前には、見慣れない紋章入りの馬車が止まっていた。

 深い紺の布に、金糸で縫われた秤の意匠。

 商業ギルドの正式章だ。

 御者台から降りてきた男は、灰色の外套を羽織り、白い手袋をはめている。足元は泥一つない革靴。

 辺境の土を踏むことに慣れていない歩き方だった。

「誰が責任者だ」

 低く、通る声。

 リシアが一歩前に出る。

「私だ。用件は」

 男の視線が砦を一巡する。屋台。団子の残り香。兵士の手に残った赤実蜜。

「甘味の無許可販売について、確認に来た」

 空気が張る。

 兵士の一人が小さく舌打ちする。

 遼はゆっくり前に出た。

「確認とは?」

 男は視線を向ける。

「王都より供給された砂糖は、用途と量が管理下にある。辺境における大規模販売は、申請が必要だ」

「仮契約はある」

 遼は書類を差し出す。

 男は目を通す。

 表情は変わらない。

「確かに、試験販売の許可はある。しかし“規模”が想定を超えている」

「売れただけだ」

「結果が問題だ」

 言葉が冷たい。

 門の内側で、兵士たちがざわつく。

 団子を手にした少年が、母親の後ろに隠れる。

 甘い匂いが、場違いに漂っている。

「砂糖の消費量は?」

 男が問う。

 遼は一瞬だけ迷い、正直に答える。

「増えている」

「王都の在庫が逼迫し始めている。価格も上昇傾向だ」

 兵士の一人が声を荒げる。

「こっちは銅貨で売ってんだぞ! 何が悪い!」

 リシアが制す。

「静かにしろ」

 男は淡々と続ける。

「甘味は本来、限られた者の嗜好品だ。無秩序に広げれば、市場が乱れる」

「乱れて困るのは誰だ」

 遼が言う。

 一瞬、男の目が細くなる。

「全体だ」

「それとも、一部か」

 沈黙。

 風が吹く。

 甘い残り香が揺れる。

 男はふっと息を吐いた。

「……あなたが発酵液の開発者か」

「そうだ」

「上は、あなたを“有用だが危険”と評価している」

「光栄だな」

「皮肉ではない」

 男は一歩近づく。

「取引を提案する。砂糖の追加供給を認める。ただし、販売価格の調整と、流通経路の報告を義務付ける」

 兵士たちが顔を見合わせる。

 値上げ。

 つまり、団子は高くなる。

 列は減る。

 甘味はまた遠くなる。

 遼は黙っている。

 頭の中で数字が走る。

 壺の残量。

 甘草液の試作。

 需要の伸び。

 価格を上げれば利益は増える。

 だが――。

「断った場合は?」

 遼が静かに問う。

「供給停止」

 即答。

 王都の砂糖は止まる。

 だが今、砦には別の甘味がある。

 未熟で、手間がかかる。

 それでも、芽は出た。

 遼は男の目を見る。

「一つ、見せたいものがある」

 作業場へ案内する。

 まだ温かい鍋。

 甘草液が残っている。

 小皿に取り、差し出す。

「王都の砂糖ではない」

 男は怪訝な顔で舐める。

 眉が、わずかに動く。

「……甘い」

「森にある」

 遼は言う。

「量はまだ少ない。だが増やせる」

 男は皿を見つめる。

 理解が追いつくまでの、短い沈黙。

「王都の管理外で、甘味を生産するつもりか」

「生きるためだ」

 門の外で、風が強くなる。

 森の方から、ざわり、と音がした。

 赤い線が、遠目にもわずかに濃い。

 男は皿を返す。

「……報告する」

「好きにしろ」

「だが忠告しておく」

 男の声が低くなる。

「甘味は人を笑顔にする。だが同時に、争いの種にもなる」

「知っている」

 男は踵を返す。

 馬車が軋む音を立てて去っていく。

 門が閉まる。

 静けさ。

 兵士が息を吐く。

「どうする」

 リシアが問う。

 遼は森を見る。

 鍋を見る。

 壺を見る。

「両方やる」

「両方?」

「王都の砂糖も使う。森の甘味も育てる」

 依存はしない。

 切りもしない。

 時間を稼ぎ、量を増やす。

 赤い線が揺れる森の奥。

 甘い匂いの残る砦。

 どちらも、もう無関係ではない。

 遼は火を入れ直す。

 鍋が、再び静かに鳴り始めた。

 王都の馬車が去ったあとも、砦の空気は落ち着かなかった。

 兵士たちは表向きはいつも通りに見回りに戻ったが、誰もが森の方を気にしている。

 遼は作業場で甘草液の鍋をもう一度火にかけた。

 今度は実験ではない。

 本気だ。

「さっきの男、戻ってくると思うか」

 リシアが壁にもたれて言う。

「戻る」

「早いか、遅いか」

「早い」

 甘味の匂いは、隠せない。

 火を強める。

 甘草の繊維をさらに刻み、石臼で潰す。

 ぎり、ぎり、と重い音。

 汁が滲み出る。

 それを布で絞り、鍋に足す。

 色が少し濃くなる。

 煮詰める。

 焦げないように、絶えず混ぜる。

 額から汗が落ち、鍋の縁に弾ける。

 甘い匂いが、昨日よりはっきりしている。

「濃くなってる」

 シェルフィが呟く。

 舐める。

 目を細める。

「うん。前より強い」

 遼は団子を茹でる。

 白い球が浮く。

 甘草液を使った新しいタレを作る。

 発酵液を少し多めに。

 王都の砂糖は、ほんのひと匙。

 混ぜる。

 香りを嗅ぐ。

 青さが減った。

 代わりに、深い甘さが残る。

 団子に絡める。

 最初に食べたのは、昨日の少年だった。

 一口。

 噛む。

 眉が寄る。

 遼の心臓がわずかに跳ねる。

 少年はもう一口、噛む。

「……きょうの、ちょっとちがう」

「まずいか」

「ちがう。でも、あまい」

 飲み込む。

「なんか、あとにのこる」

 母親も食べる。

 ゆっくり噛む。

「悪くないよ。前より、あったかい感じがする」

 兵士も食べる。

「砂糖だけのより、腹に残るな」

 遼は小さく息を吐く。

 いける。

 完全な代替ではない。

 だが“別の甘味”として成立する。

 列は今日も伸びる。

 甘味は止まっていない。

 だが昼を過ぎたころ、森の方角から低い振動が伝わった。

 地面が、かすかに揺れる。

 リシアが即座に立ち上がる。

「来るぞ」

 門番の叫び。

「魔獣だ!」

 森の縁から、黒い影が三つ飛び出す。

 昨日より大きい猪型。

 目が赤い。

 まっすぐ砦へ向かってくる。

「速い!」

 兵士が槍を構える。

 だが動きが乱れている。

 腹は満ちているが、緊張が追いつかない。

 遼は団子の串を握りしめる自分に気づき、投げ捨てた。

 リシアが前に出る。

 槍が閃く。

 一体目の突進を受け止める。

 衝撃。

 土が跳ねる。

 横から二体目が回り込む。

「右!」

 遼が叫ぶ。

 兵士が飛び込み、槍を突き立てる。

 浅い。

 魔獣が暴れ、兵士を弾き飛ばす。

 シェルフィが地面を蹴る。

 木の幹を使い、高く跳ぶ。

 背中に短剣を突き立てる。

 血が噴く。

 絶叫。

 リシアが槍を引き抜き、喉を貫く。

 一体、沈む。

 残り二体。

 だが動きが荒い。

 目が焦点を結んでいない。

 理性がない。

「おかしい……」

 シェルフィが呟く。

 最後の一体が、砦ではなく作業場の方へ突っ込む。

 甘い匂いの方へ。

「鍋だ!」

 遼は走る。

 魔獣が鍋をひっくり返す寸前、横から兵士が体当たりする。

 鍋が倒れ、甘草液が地面に広がる。

 甘い匂いが一気に立ちのぼる。

 魔獣がその液体に顔を突っ込む。

 一瞬、動きが止まる。

 その隙に、リシアの槍が貫いた。

 静寂。

 荒い息だけが残る。

 甘い匂いと血の匂いが混ざる。

 遼は倒れた鍋を起こす。

 中身は半分以上こぼれている。

 兵士が呻く。

「怪我人は三人。命に別状なし」

 リシアが短く報告する。

 シェルフィは森を見ている。

「……甘い匂いに寄ってきた」

 遼も気づいていた。

 偶然ではない。

 森の魔獣が、甘味に反応している。

 赤い線が濃くなっている理由。

 甘味を広げることが、森を刺激しているのか。

 地面に広がった甘草液を見つめる。

 甘さは人を呼ぶ。

 だが人だけではない。

 砦の外、森の奥で、また何かが揺れた。

 甘い風が、血の匂いを運んでいく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ