EP9《放課後の理科室で、ギャル神は君の優柔を切り分けた。》──優しさの重さに怯えて、選べない心が揺れた話──
早瀬ハヤト
→ 他人の“心のバグ”に触れると、その代償を肩代わりしてしまう体質の男子。
星野アカリ
→ 明るさに依存する繊細ギャル。誰にも言えない“欠けた時間”を抱える。
神奈カナ
→ 一年前に死んだ “ギャル神アバター”。放課後の怪異を儀式で修正する存在。
◆1 グループ分けの黒板で止まる気配
放課後の廊下には、湿った空気が残っていた。
理科室前の黒板には、チョークで太く書かれた文字。
「化学レポート 実験グループ決め」
友達同士が集まり、あとは名前を書くだけ。
本来は軽いイベントのはずだ。
「ハヤトはAでいっしょね」
アカリが迷いなく書く。
「……あ、うん」
僕も反射的に頷く。
そのすぐ横で——
「……直、どっち来る?」
声をかけられたのは枝川 直。
同じクラスの女子。掃除当番でよく話す“感じのいい子”だ。
Aにも仲のいい子が二人。
Bには部活の友達。
「どっちでもいいよ〜」
「直はこっちでしょ〜」
軽い押し付けが飛ぶたび、
直の肩がぴくっと跳ねる。
笑おうと口を動かしても、目がついてこない。
その瞬間。
理科室の曇りガラスが、一秒だけ白く“曇った”。
カチッ。
奥から小さな金属音。
僕の耳の奥にも同じ痛みが走る。
(……まずい)
平穏スロットがきしむ。
アカリが口を開いた。
「直、どっち入っても怒る人なんていないって。ね?」
軽い声——のはずなのに、
空気がピン、と張る。
直の瞳の奥に、
赤と青のマイナスの数字みたいな影が灯った。
AにもBにも、損がある。
理科室の窓が微かに震える。
怪異はまだ姿を見せていない。
でも、確実に息をし始めていた。
◆2 理科室の揺れは、迷いの形
授業後、グループ調整の続きを理科室でやることになった。
古い木の机と薬品の匂い。
いつも通りのはずなのに、今日は音が違う。
教卓の上の天秤が、コト……と揺れた。
左右の皿が勝手にわずかに傾く。
ビーカーの水面は片側に寄り、
試験管が一本だけコトンと震える。
「直」
アカリが覗き込む。
「天秤ってさ、素直なんだよ。
どっちが重いか、一瞬で出すもんね」
言葉は軽い。
でもその芯が妙に冷たくて、
理科室から一瞬だけ音が消える。
僕はアカリの横顔を見る。
アカリは笑っている。
完璧に“明るい役割”を貼りつけた顔で。
だけど、その笑顔を作る前に、
ほんの一瞬だけ——息がうまく吸い込めていない“空白”があった。
(……ひび)
昨日、中庭で見た、生の“笑顔フィルター”に走ったひびが、
今度はアカリ自身の輪郭にうっすら映っている気がした。
「……私さ」
直がぽつりと言う。
「人の“重さ”が、見えるんだよね」
ビーカーの水面が、ふたつに分かれる。
透明と、薄く濁った層。
試験管が直の足元へ転がり落ちた。
アカリの眉が揺れる。
「……ハヤト」
「うん、これ……」
言い切る前にアカリがうなずく。
「怪異だよ」
喉が詰まる。
「……呼ぶ?」
「呼ぶよ。直が壊れる前に」
アカリは息を吸い込み——
「カナ!来て!」
声がガラスの表面で砕けた。
◆3 天秤の上に降りるギャル神
蛍光灯が明滅する。
教卓の天秤の上に、
光の粒がふわりと降りて、人の形を成す。
金髪ゆる巻き。逆光完全対応。
太もも全開。
ギャル神だった。
「ども〜。呼ばれたから来たで」
天秤の皿に片足をのせ、軽く腰かけている。
この世の理不尽が人型になったような存在。
「ウチ、神奈カナ。
第七十三代ギャル神。放課後限定、心バグ修正サービスや」
直は呆然とする。
カナは天秤から降り、ヒールをコツンと鳴らす。
「枝川直。
あんた今、“どれ選んでも自分が悪い気がする体質”になりかけとるで」
天秤が浅く揺れる。
◆4 直の本音:優しさと臆病の境目
カナが腕を組む。
「なんで選ばれへん?」
直は目を伏せる。
アカリが言う。
「直、どっち選んでも誰か少しは傷つくよ。
でも“選ばない”のが一番傷つくんだよ」
直は唇を噛む。
「……分かってるよ」
声は震えていた。
「“誰かが泣く”のが怖いんじゃない。
“泣かせたのが私だ”って思うのが——ほんとに嫌なの」
試験管がピシッと鳴る。
カナは静かに言った。
「このまま迷えば、全部にヒビが入るで」
直は次の言葉を探すように、胸の前で手を握りしめた。
「……どうしたらいいの」
「儀式でズレは直せる。
ただし——痛い。心の奥の“さわられたくなかったとこ”まで行く」
直の指先が震える。
「触られたら、どうなるの」
「もう、元の“優柔な直”には戻らん。
代わりに、一個“偏り”を背負うて生きるだけや」
アカリが息を呑む。
そして——ここからが本題。
◆5 儀式承諾
アカリが、小さく息をのむ。
直はしばらく黙ったまま。
その沈黙は“逃げ”ではなく、胸の底で揺れる気配そのものだった。
両手を胸に当てるように握りしめ、ぎゅっと目を閉じる。
「……選べないままの私でいるの、いちばん嫌なんだよ」
ぽつりと落ちた声。
「どっち選んでも誰かちょっと傷つくし、
選ばなかったら……もっと壊れるって分かってるのに」
ビーカーの水面が震える。
「でも……」
直は息を震わせて続ける。
「誰かに嫌われるのが怖かっただけなのかなって思うと……
自分で、自分が嫌になる」
アカリの瞳が静かに揺れた。
直は胸に押し当てた手をゆっくり開き、
天秤を見つめた。
「このまま迷ってたら……
私、全部にヒビ入れちゃう。
それが一番怖い」
そして、小さく吐息を吸う。
「……怖いけど。進みたい」
震えているのに逃げていない声だった。
「お願いします。
——儀式、やってください」
カナは「そやろ」と囁くように頷いた。
天秤がコトンと揺れた。
◆6 儀式:未来の断片が静かに責める
カナが指を鳴らす。
ぱきん、と世界が割れる音。
理科室が塗り替えられ、
床は漆黒の板に、
壁はぼんやりとした闇の幕に。
天秤だけが浮かび上がる。
「左の皿に“押し付ける未来”。
右の皿に“あんたが損する未来”。
ぜんぶ見とき」
光の粒が落ちて、映像になる。
■左皿:押し付けた未来
左の皿には、“Aを選んだとき”と“Bを選んだとき”の未来が、交互に映った。
Aを選べば——
「直、悪いけど、なんか空気変わんだよね」
笑いながら言われる。目だけ笑ってない。
背中を向けた瞬間、
小さな沈黙が生まれる。
誰も何も言わない。
その沈黙が直の胸だけを刺す。
Bを選べば——
誰も責めない。
でも“いない直”の席だけが、空気の重さをつくる。
先生が「……またやり直しか」とため息。
その一言は誰にも向けてないのに、
直だけが責められた気分になる。
天秤の左皿が沈む。
カナが言う。
「誰も怒らん。せやけど、
あんたは“全部自分のせい”って思うタイプや」
■右皿:自分が損する未来
勉強会で一人だけ作業が多い。
LINEは「明日頼む〜」の一言だけ。
下校路、
夕焼けの中をひとり歩く。
誰も直を責めない。
でも、“自分だけが損してる”という事実が静かに積もる。
右皿も沈む。
天秤がぶるぶる震え、
僕の耳の奥で“今と未来の音”が重なった。
(……時間がズレてる)
中庭で、叫んで時間をねじ曲げたときのことを思い出す。
耳から血が垂れて、世界の音が遅れて聞こえた、あの感覚。
儀式のあと、カナにきつく言われた。
——「もう二度とあんな真似すんな。命、持ってかれるわ」
(あのやり方は、もうダメだ)
僕は叫ばず、歯を食いしばる。
カナが言う。
「直。
どっちが正しいとかない。
どっちも傷つくし、どっちも楽する」
カナは直の目を見る。
「せやから——
どっちが“あんたの臆病さ”に一番正直かで選び」
直は、右を見た。
「……私が、傷つく方がいい」
天秤の右皿がストンと落ちた。
◆7 代償:優しさに混ざる“逃げ”
世界が戻る。
ただ一つ違うのは——
天秤がもう揺れないこと。
直は胸を押さえる。
「……っ」
ズキン。
迷うたびに痛む場所。
カナが言う。
「それが代償や。
これからあんた、迷ったら必ず“自分が損する方”選んでまう」
直は笑った。
「……最悪」
涙のにじむ笑い。
「でも……そのほうがまだ楽。
誰かを責めなくて済むから」
カナは鼻で笑う。
「優しさってより、ただの逃げ腰やけどな」
直がはっとする。
「……ひどい」
「ひどいで。
でも事実や」
カナは続ける。
「“自分が損したから許されるやろ?”っていう計算。
それも含めて——
あんたは右の皿を選んだんや」
直は胸に手を当て、小さく息を吐いた。
「……それでも、選んだよ」
どこか清々しかった。
◆8 余韻:アカリの輪郭に、透明なヒビ
グループ分けは驚くほどあっさり決まった。
直は軽く笑いながら、
“自分の方が損する組”を迷わず選んだ。
胸を押さえながら。
放課後、別れたあと。
アカリがぽつりと言う。
「……直、優しすぎ」
そして小さく続けた。
「優しい人って、一番最初に壊れるのに」
その言葉は自分にも向いているようだった。
アカリが振り返る。
ミルクティーベージュの髪、
完璧な笑顔。
——ただ、その“輪郭”に。
ほんの一瞬だけ、
透明なヒビが走った。
音もなく。
色も変わらず。
でも確かに、
笑顔の外側がピキッと割れた。
僕の耳の奥で、
“時間がきしむ音”がした。
「アカリ……?」
「ん?」
何も知らない顔で振り返る。
「どしたの?変な顔」
「……いや、なんでもない」
アカリは笑う。
貼り直したような完璧な笑顔で。
「ねえハヤト、合唱の授業あるじゃん。
“全員そろってます〜”ってやつ。
ちょい苦手なんだよね」
言葉は軽いのに、その一部だけ重く沈む。
「ひとり欠けたら欠けたで、
“そいつのせい”ってなるし……なんかムカつかない?」
冗談みたいに言ったあと、
「ま、忘れていいけど!」
アカリは笑って先へ歩く。
僕はついていきながら、
さっきのヒビと耳のズレを言葉にできずにいた。
誰もいない理科室で、
天秤が最後に一度だけ——
コト。
それはこれから始まる音楽室の崩壊を、
遠くから知らせる音だった。
──放課後の闇は、また一段深く沈んだ
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