EP7《放課後の保健室で、ギャル神は君のサボりを診断した。》──サボりに見えた涙は、誰にも言えない限界だった──
早瀬ハヤト
→ 他人の“心のバグ”に触れると、その代償を肩代わりしてしまう体質の男子。
星野アカリ
→ 明るさに依存する繊細ギャル。誰にも言えない“欠けた時間”を抱える。
神奈カナ
→ 一年前に死んだ “ギャル神アバター”。放課後の怪異を儀式で修正する存在。
◆1 サボり女王と、遅れてくる足音
放課後の廊下は、白すぎた。
蛍光灯の光が床に反射して、世界の輪郭だけ無駄にくっきりしている。
僕の足音が、半拍遅れて背後から追いかけてくる。
――ギャル神カナの儀式に巻き込まれてからずっと、
僕の影と足音は、世界とほんの少し“ズレたまま”だ。
(……まただ。遅れてついてくるやつ)
自分じゃない誰かがついてきているみたいで、背筋がぞわっとした瞬間、肩をぱん、と叩かれた。
「びびってんね、ハヤト」
振り返る前から、声でアカリだと分かった。
クラスメイトでギャルで、この学校の怪異との窓口係。
そして僕の“平穏スロット”を容赦なく削ってくる張本人だ。
スマホの画面が目の前に突き出される。
《真島紬、また保健室w》
《サボり年間王者更新》
軽い文面に、クラスの笑い声まで聞こえてくる気がした。
「……また?」
思わずこぼれる声は、自分で思っているより暗かった。
「“また”ね。けど今日のはちょい違う感じ」
アカリは画面を消して、廊下の奥をあごでしゃくる。
「あんたの“遅れてくる足音”も鳴ってたしね。
こういうときだけ感度いいんだわ、アンタのバグ」
冗談めいた調子で言いながらも、目は少しだけ真面目になる。
「さっき廊下から保健室の中見えたけどさ。真島、今日の顔色マジでやばかった。
“サボりたい子”じゃなくて、“もう限界の人”の顔」
胸の奥が、少し痛んだ。
保健室のドアが、他の教室より一段白く浮き上がって見える。
ギャル神カナの儀式は、
“心のバグ”を直す代わりに、必ずどこかの平穏を削っていく。
怪異の匂いがするとき、だいたい僕のスロットは減る。
「行こ。これは仕事」
アカリは迷わず歩き出す。
僕は、遅れてくる足音を引き連れながら、その後を追った。
◆2 増えるカーテンと、本物の発熱
保健室の小窓から覗くと、薄緑のカーテンが三枚……いや、四枚に見えた。
(さっき通ったとき、三枚だったよな)
目の錯覚かもしれない。
でも、さっき感じた足音の遅れと繋がる感じがして、胃がきゅっとなる。
ドアを開けると、先生が不安そうな顔で出迎えた。
「真島さんの友達? 今日は特にぐったりしてて……」
奥のカーテンを開けると、寝癖のついたポニーテールが、枕に沈んでいた。
「……来たの、アカリ。うざ」
真島 紬。
“サボり女王”“保健室住民票常駐”とか言われている子。
声はいつも通り“だるそう”なのに、顔色はコピー用紙みたいに真っ白で、布団から出した手がかすかに震えている。
「またサボり?」
アカリが敢えていつも通りのトーンで聞く。
「サボり来たつもりだったんだけどさ。ここのベッド乗ると、ガチで熱出るんだよ。意味わかんね」
体温計の表示は三十八度を超えていた。
仮病にしては笑えない数字だ。
その瞬間、アカリが僕の袖をつまんで、小声で囁く。
「ねぇハヤト。カーテン……増えてない?」
喉の奥がひゅっと鳴る。
さっきの小窓の記憶を引っ張り出しながら、改めて数える。
一、二、三……四枚目のカーテンが、奥にぴたりと立っていた。
(……怖っ)
僕の耳の奥で、まだ鳴ってないはずの足音が、“トン……トン……”と二度先に響く。
アカリの表情が、完全に“仕事モード”になる。
「決まり。これは怪異」
先生をうまく外へ誘導し、扉が閉まる音を確認してから、アカリは誰もいないはずの隣のベッドのカーテンをつまんだ。
「起きて、カナさん。保健室出勤ですよ」
カーテンの中から、間の抜けた声が返ってきた。
「……んあ?」
◆3 寝起きギャル神、隣のベッドから
カーテンが少しだけ開いて、金髪ゆる巻きが顔を出す。
盛りカラコンに完璧なアイライン。ネイルもばっちり。
なのに表情だけ、完全に寝起きだ。
「寝てたんですか……」
「ギャル神にも休息権あるんやで。ブラック勤務はもう卒業や」
布団からそっと上半身を起こしながら、第七十三代ギャル神・神奈カナはスマホを顔の前に掲げてスワイプする。
画面に、一瞬だけノイズが走った。
(今……画面、揺れた?)
「ふぁ……はいはい真島紬。サボり常習犯扱い、家では限界ケアラー。ハヤトの平穏スロット二十五、危険度六十五。あー、寝起きに見る数字ちゃうわ」
瞬き一回。
寝ぼけ顔から“仕事中のギャル神”の顔に切り替わる。
「改めまして。ウチ、神奈カナ。ギャルで神で、元・女子高生。青春と怪異のお直し担当しま〜す」
お約束の自己紹介を挟んでから、カナは紬の枕元へしゃがみ込む。
「主訴、“サボりに見える自分、マジむかつく”。合っとる?」
「……合ってるからやめろって」
紬は枕に顔を半分うずめた。
その声が、僕の耳にはわずかに遅れて届く。
鼓膜の内側で、時間が二重に重なるような痛みが走る。
◆4 本音の投影と、ベッドの底の気配
「ま、まずは現状把握やね。“普通の一日”見よか」
カナが指を鳴らすと、蛍光灯の光がにじんで、保健室の天井に映像が浮かびあがる。
狭い台所。
制服姿の紬が、エプロンもつけずにフライパンを振っている。
ソファでは、毛布にくるまった母がうずくまり、弟がプリントを抱えて駆け寄ってくる。
『ねぇね、ここ分かんない』
「マジだる……はい、ここな」
口調は軽くても、鉛筆を持つ手つきは慣れている。
『ごめんね、紬……今日も行けない……』
毛布の中から、母のかすれた声。
紬は冷蔵庫のドアに額を押しつけるようにして息を吐いていた。
『学校、行きたくないな……』
その呟きが、僕の耳には少し遅れて届き、同時にズキンと耳鳴りがした。
(……これ、僕の“遅延”のせいなのか?)
『サボるなよ、私』
もう一つの声が、映像の外から落ちてくる。
自分で自分を殴るみたいな、冷たい声。
映像が切り替わる。
布団に顔を埋めて、声を殺して泣いている紬。
スマホには、クラスの軽口。
『また休み?』『仮病プロかよ』
紬の指が、発信画面を開いては閉じる動きを繰り返す。
カナは淡々とまとめる。
「家で限界まで動いても、それは“当たり前”。
学校で少し休んだら、それは“サボり”。
アンタの中の自己判定が、そのルールで固定されとる」
ギ……ギ……。
ベッドの脚が、不自然に沈んだ。
金属がきしむ音が、時間差で二度、耳に刺さる。
視界が一瞬ぐらりと歪む。
まだ起きていない揺れが先に身体を通過したみたいで、気持ち悪い。
(うわ……これ、キツ……)
こめかみを押さえた僕を横目に、カナが短く告げる。
「来るで」
その言葉と同時に、シーツの下から灰色の腕が伸びてきた。
◆5 ギャル神儀式:休息の資格を切り分ける
灰色の腕は、冷たくも温かくもない。
ただ、重さだけがある。
それが紬の足首を掴む。
「っ……やめ……!」
ベッドが大きく揺れ、その揺れる未来の音が、先に僕の耳に飛び込んでくる。
(痛っ……!)
頭痛がズキンと脳を締めつけた。
視界の端が白くフラッシュして、一瞬だけ何も見えなくなる。
それでも僕は、本能的にベッドへ手をかけていた。
「ハヤト、離すな!」
「離す気ないけど叫ばないで!!」
アカリも反対側から紬の手を掴む。
三人分の体温が、シーツの上で一点に集まる。
灰色の腕は、一本、二本と増えていく。
ベッドの下から、天井近くまで伸びて、まるで紬の影がちぎれて増殖しているみたいだった。
「甘えんな」
「倒れた方が楽やろ」
「サボりじゃんか」
降ってくる声は、全部、紬の声に似ている。
「……うるさい!!」
紬が吠えた瞬間、灰色の腕にビリッとひびが入った。
「私だって、頑張ってんだよ!! 家のことやって、学校行って、誰も『休んでいいよ』なんて言わないから、自分で自分殴るしかないんだよ!!」
声が反響する。
未来と現在で、同じ叫びが二重に聞こえて、僕の頭の中でぶつかり合った。
カナの視線が、少しだけやわらぐ。
「――よろしい。ならウチが線引いたる」
カーテンがばさっと閉められ、世界が白く密閉される。
床に、二つの円が浮かび上がった。
淡い水色の円。
深い紺色の円。
「水色が“逃避のサボりベッド”。『今日だる〜、サボりて〜』だけの日の場所。
紺色が“本気の限界ベッド”。『ここで倒れなきゃ壊れる』って身体だけ受け止める」
紺色の円が、紬のいるベッドの下で静かに脈打つ。
「真島 紬。今アンタが乗っとるんは紺や」
カナが紺色の中心に足を踏み入れた瞬間――
光が一気に消えた。
音もない。
心臓の鼓動だけが、自分の耳の中でドンドンと鳴る。
「診断開始」
闇の中で、カナの声だけがはっきり響く。
次の瞬間、紺色の円がベッドの底へ沈んでいき、水色の円はガラスみたいに割れて光の粉になって消えた。
灰色の腕も霧のようにほどけて消える。
カナが、はっきりと言い切る。
「今日からアンタは、“本気の限界”の日だけ、このベッドが効く。
“ちょいだる〜”の日は何も起きん。むしろ『まだ限界ちゃう』って分かる」
紬は、震える息を吐き出す。
「……それでいい。ちょいサボり効いちゃったら、たぶん私、また自分殴るから」
カナは満足げに頷いた。
「診断――完了」
◆6 本気の回復と、三台だけのベッド
カーテンを開けると、保健室は静かだった。
さっきまでうごめいていた気配が嘘みたいに消えている。
ベッドは、三台だけ。
「……四台目、なくなってる」
思わずつぶやくと、カナがあっさり返す。
「最初から三台やで。増えとった一台は、この学校の“サボりたい気持ち”の水増し分。
今日はそのうち一人だけ、本気で限界超えてた。それが真島 紬」
紬はゆっくり上体を起こした。
さっきより、顔色に少しだけ血の気が戻っている。
「……普通にしんどい、くらいになった」
「それが正しい疲れやで」
アカリが、紬の背中を軽くこぶしで叩く。
「“普通にしんどい”って口に出せる方が、大人だからね」
紬は、少し照れくさそうに笑った。
「……早瀬」
「なに」
「もしさ、また“本気の限界の日”が来たら。その日、ここで寝てたらさ。プリントとかノートとか……持ってきてよ」
ほんの少しだけ視線をそらしながら、そう言う。
「もちろん。いくらでも」
「言い方よ」
アカリが即ツッコミを入れ、三人とも、一瞬だけ笑った。
カナは隣のベッドにひょいっと戻り、布団を半分かぶる。
スマホの画面を見た彼女の眉が、一瞬だけ、僅かに寄った。
「……ログ、また微妙にズレてんな。ま、今はええか」
その違和感をごまかすように小さく笑って、カナは枕に顔をうずめる。
「ほなウチ、続き寝るから。次の予約入ったら起こして〜」
寝息に切り替わるギャル神を横目に、僕は、さっき耳の奥を刺した痛みが、まだうっすら残っているのを感じていた。
◆7 効かないベッドと、続いていく日常
翌日。
教室のドアがガラリと開いて、紬がふらっと入ってきた。
「チャリこぎすぎてマジで死ぬ……」
「生きてるから大丈夫」
僕が言うと、紬はあっさり頷く。
「最近、保健室行ってないんだよね。“ちょいだる〜”くらいの日に行っても、どうせ効かないって分かってるからさ。だったら教室でだるだるしてた方がマシ」
「それもどうなの」と笑うと、アカリがくるっと振り返る。
「でも、“なんでもない日”に逃げ込まなくなっただけで進歩じゃん。
限界の日にちゃんと休めるなら、その方がいいよ」
放課後、なんとなく二人で保健室の前を通った。
小窓の向こうでは、三台のうち一台だけカーテンが閉まっている。
「……誰か、今日は“限界の日”なんだね」
僕がぽつりと言うと、アカリは小さく笑った。
「真島かもしれないし、違う子かもしれない。どっちでも、今は入らない方がいいよ。
あそこは今、“休む資格のある日”の子の場所だから」
カーテンから目を離しながら、僕は胸の真ん中あたりが、少しだけきゅっとするのを感じていた。
(僕の“限界の日”って、いつ来るんだろう)
◆8 小さな痛みと、次の予兆
夜。
机に向かってペンを握ると、肩と目の奥がじんわり重かった。
(……普通にしんどいな)
別に怒鳴られたわけでも、誰かを失いかけたわけでもない。
ただ、ちゃんと一日を過ごしただけの疲れだ。
スマホが震える。
《真島:今日、ベッド使った。倒れるみたいに寝て、ちょっと息しやすくなった。プリント明日ちょうだい》
《了解》
数秒おいて、もう一通。
《真島:早瀬はさ、限界来ても星野が先に気づくと思う》
その文字列を見た瞬間、笑い声が喉の手前まで出かかった。
「……だろうね」
アカリなら、たぶん僕の限界なんて、僕より先に嗅ぎつける。
窓の外で、遠くの校舎が一瞬だけ光った気がした。
視聴覚室棟の窓にだけ、短く灯りがともって、すぐ消える。
そのガラスに、誰かの影が、時間から取り残されたみたいに貼りついていた。
耳の奥で、寝ぼけたギャル声が、遠くから響く。
――次の予約、入っとるで。
僕はペンを置いて、深呼吸をひとつした。
サボりたい気持ちも、ちゃんと行かなきゃって思う気持ちも、どっちも“僕”だ。
今日はそれを、少しだけ許してやろう。
その小さな許しが、明日もなんとか立っていられるための、
いちばんミニマムな平穏スロットなんじゃないか――そんな気がした。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
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