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EP5《放課後の家庭科室で、ギャル神は君の温度を片づけた。》──頑張りすぎて、私だけ冬みたいに冷えていく話──

◆1 放課後、家庭科室のすすり泣き



放課後の踊り場で聞いた、あのすすり泣きの余韻が、

僕――早瀬ハヤトの耳の奥にまだこびりついていた。


――放課後の学校は、僕みたいな巻き込まれ体質にとって、一番危ない時間帯だ。


視聴覚室で“影が遅れて”、体育館で“鏡の中の本音”が動いて、

踊り場では“完璧すぎる足音”が世界をズラした。


「今度は、どんなバグだよ……」


靴音を鳴らすたび、不安がじわじわ心臓の底から湧き上がる。

横を歩くアカリは、僕がビビっているのを分かっているくせに、当然みたいに笑った。


「ねぇハヤト、またイヤな感じしてるんでしょ?」


「……僕がイヤじゃない放課後、あった?」


「ないな」


そのたった一言で、ちょっとだけ呼吸が楽になった。


階段を下りると、夕方のオレンジに染まる廊下。

突き当たりには“家庭科室”のプレート。


あのとき踊り場に響いたすすり泣きは、ここから来ていた。


(できれば、勘違いってことにしてほしい)


一縷の希望を抱いた瞬間――


カチャ、コトッ。


家庭科室の中から、すすり泣きの代わりに、食器の音がした。


アカリがドアノブに手をかける。


「入るよ?」


「……“ノー”は?」


「ない」


はい開きます、と言わんばかりに、ドアはそのまま開かれた。


夕陽が斜めに差し込む家庭科室。

テーブルの一つだけ、布ナプキンが敷かれ、小皿が三枚並んでいた。


その前に、白石 ユイが立っていた。


クラスでは静かで目立たないけど、誰より丁寧に掃除や準備をこなす子だ。


ユイは、誰も座っていない椅子に向かって微笑み、


「……今日も、来てくれたんだね」


と言った。


その瞬間。


誰も触っていない椅子が――

ガタンッ。


勢いよく後ろへ引かれた。


「ひぇっ!!?」


僕の情けない声が家庭科室に響く。


アカリは眉をひそめ、ユイはゆっくりこちらを振り返る。


「早瀬くん……に、アカリさん」


「どうも……今の、完全に自動椅子だよね?」


「誰もいないのに、普通に動いてたね」


ユイは困ったように笑う。


「……ここ、弟の席なんです」


「弟?」


彼氏だと勝手に警戒していた心臓が、変な方向に撃たれた。


ユイは空席を見つめたまま言う。


「弟、もう……いないんです」


空気がひやりとした。


アカリが一歩前に出る。


「ここで、ご飯の練習してんの?」


「……はい。あの日も、ここで作って……」


ユイは皿にパンを置いていく。一枚、二枚。

最後の一枚は、誰もいない“弟の席”へそっと置かれた。


そのとき。


ペタ、ペタ、ペタ……


小さな足音が、僕らより先にテーブルの周りを駆け抜けた。


姿は、どこにもないのに。


「うあああああああああああッ!!」


また僕の声だけがでかい。




◆2 ままごとの音と、止まった家族



「……弟くん、ここにいるってこと?」


アカリが聞くと、ユイは小さく「はい」と頷いた。


「小学生のとき、ここで弟とカレー作って……

帰り道で事故に遭って、それから……家の食卓から“音”が消えちゃって」


淡々と話すが、手は震えていた。


「でも、ここに来ると、弟が“来てくれる”んです」


カツン、と皿がひとりでに揺れた。


「弟が先に座って、足音がして、“いただきます”って声がして……

ここだけ、あの日のままなんです」


ユイの微笑みは静かで、痛かった。


アカリが僕の袖を引く。


「ハヤト」


「あー……呼ぶんだよね。あの人を」


「そう」


視線の先。

調理台の上に、ぽつんと置かれた空の鍋。




◆3 ギャル神、鍋から爆誕



アカリは鍋をコンロに移し、つまみをひねる。


カチ、カチ――ボッ。


青い炎が、一瞬だけピンク色に変わった。


「今の見えたよね!? ピンクじゃん!!」


「料理で出る色じゃないよね!?」


なにも入れてない鍋から、白い湯気が昇る。

甘くて、少し懐かしい香り。


ユイが小さく呟く。


「……肉じゃがの匂い」


湯気は金色を帯びて渦を巻き、中心から――

金髪がのぞいた。


ゆる巻きの金髪。

盛りカラコン。

ストーンネイル。


湯気をまとった影がむくっと立ち上がり、床に降り立つ。


「呼ばれて煮上がり〜☆

ギャル界の調理実習番長、神奈カナ〜ん。

73代目アバター、爆誕ネ」


「その肩書き、絶対いま作ったよね!?」


アカリが吹き出す。


カナはすっとユイに視線を向ける。


「今日のバグっ子、アンタやな。優しそうで闇深そうな嬢〜?」


「……白石 ユイです」


その瞬間。


椅子がまたひとりでに動き、幼い声が弾けた。


『……ユイねえ』


背中の毛が逆立つ。


カナは軽く頷く。


「完全に“音残りバグ”ネ。弟ちゃん、ままごとだけログアウトしそこねてる」


ここから先は、“ままごとを終わらせる儀式”だ。




◆4 音だけ取り残された弟



カナがパチンと指を鳴らす。

世界が切り替わったみたいに、音だけが鮮明になった。


カチャ、カチャ。

ペタ、ペタ。

椅子の軋み、布の擦れる音、笑い声の残り香。


視界より先に耳だけに押し込まれて、吐き気がする。


「ここ、あの日の夜と同じです……」


ユイはテーブルの端を握りしめていた。


カナは弟の席を軽く蹴る。

誰も乗ってないのに沈み、キイ、と鳴る。


『おかわりいる?』

『明日もつくろうね』


声だけの弟が走り回る。

スプーンが跳ね、ナプキンがはためく。


「毎回ここで“続きをやり直し”しとるんやな」


アカリの声は優しいのに容赦ない。


「“また作ろうね”って言われるところまでを……」


ユイは涙をためて空席を見た。


「その“また”がもう来んって、ほんまは分かっとるのにな」


ユイの唇が震えた。


「……最後まで手、あったかかったんです。

もっと離さなかったら良かったって……」


部屋の温度が少しだけ上がった気がする。

弟の“手の温度の記憶”が、この部屋に居座っていた。


カナが飴を回しながら言う。


「世界のほうが弟ちゃんの座標を更新しそこねてる。

でも、引き止めとるのはアンタの手や。

温度を握ったまま、ここで繰り返しとるから」


ユイは震える声で問う。


「……私が悪いんですか」


「悪いとかちゃう。“終わりたくない”だけ。

ウチの仕事は、それをちゃんと終わらせること」


「終わらせる……」


「儀式は絶対成功する。弟ちゃんの音も温度もログアウトさせる。

その代わり――」


カナはユイの指先を指した。


「アンタの“家族のぬくもりの温度”は、分かりづらくなる」


ユイの喉が鳴る。


「……それって、家族を嫌いになるってこと?」


「ちゃう。“あったかい”ってラベルが剥がれるだけ。

でも、そのぶん前に進みやすくなる」


ユイは泣きながら、でも肩の力が抜けた表情で言う。


「……やめさせてください。

弟がここで食べ続けなくていいように。

私も、ごちそうさまって言いたいんです」


カナは満足そうに頷いた。


「じゃ、儀式始めるで」




◆5 ままごとを終わらせる儀式



世界が溶け、家庭科室の調理台が一枚の“食卓”に変わる。


湯気だけでできたカレーと肉じゃが。

匂いはあるのに皿は透けていた。


弟の椅子がひとりでに引かれ、沈む。


『おかわりいる?』

『明日もつくろうね』


声だけの弟が走り回る。

スプーンが跳ね、ナプキンがはためく。


「うっ……気持ち悪……」


視界・音・匂いのズレが脳をねじる。


「ユイ。最後に触ったの、どこ?」


ゆっくり伸ばした指が、弟の席の背もたれに触れた。

そこにはまだ、わずかな体温が残っていた。


「……ここです。

“あったかいね”って……」


涙が落ちる。


カナが向かいに立つ。


「ウチは音から片付けるで」


スプーンの音を、指でつまむ。


カチャッ。


音が途切れた瞬間、僕の片耳の奥に、

キィィンッと鋭い痛みが走った。


「っ……!」


耳の中を針で刺されたみたいだ。


「ハヤト、平気?」


「みっ、見てるだけだから……なんとか……」


カナは次に足音をつまむ。


ペタ、ペ……


両耳の奥が揺れ、胸の内側で何かが潰れる音がした。


「……これ全部、弟くんの残り音なんやな」


アカリが息を呑む。


「せや。

で、ハヤトの足音遅延もこの系列ネ。

“消えかけの音”がこいつの後ろにくっついとる」


背筋に冷たい汗が落ちる。


弟の笑い声、“おかわり”、

“またつくろうね”の声。


カナはそれらを一つずつ掴み、握り潰していく。


音が消えるたび、僕の胸の奥がギュッと痛んだ。


「ちょ、ちょっと待っ――」


気づけば声が出ていた。


カナがちらりとこちらを見る。


「止めたらアンタが責任取る?」


止めたい。

でもここで目をそらしたら、この現実をユイひとりに押しつける。


「……見てるしかできないけど。

ちゃんと見てる。ここで逃げたら、もっとひどい気がするから」


ユイが僕を見た。

涙でにじんだ目なのに、不思議と強かった。


「大丈夫です。これは私の“ごちそうさま”だから」


カナは最後のひとつ、

“またつくろうね”の声だけを掌に残した。


ふわふわ漂うそれを見つめ、

ユイは小さく手を伸ばす。


「……さよなら。

来てくれてありがとう。

あの晩、一緒に食べてくれて……嬉しかったよ」


声は指先に吸い込まれ、

カナの掌でそっと潰された。


音が、完全に消えた。


同時に、ユイの指先から温度が抜けていく。


「……もう、冷たい」


弟の席は、ただの空席に戻った。


カナが静かに言う。


「弟ちゃん、完全ログアウト。

アンタの“家族のぬくもり”はさっきちょっと減った。

もう多分、あの日と同じ温度は思い出せん」


「……ひどいです」


ユイは笑いながら泣いた。


「うん。ひどい。でも現実。

優しいままごとは、いつか心を煮崩すから」




◆6 空席と、新しい食卓



気づけば家庭科室は元通りだった。


調理台。

シンク。

黒板の献立表。


弟の席は、もうただの椅子。


ユイはそこに触れ、


「……本当にもう、あの日じゃないんですね」


と呟いた。


アカリがそっと隣に立つ。


「ごちそうさま、言えた?」


ユイはゆっくり笑った。


「……はい」


「ほな次は、“これから誰のために作るか”考えよ」


ユイは涙を拭き、僕たちを見る。


「今度の家庭科の時間、試食してもらってもいいですか」


「僕も?」


「現場おったんやから、責任持ち」


アカリが笑う。


カナは鍋の取っ手に腰を乗せ、足をぶらぶらさせながら言う。


「温度は分かりにくくなるよ。

手ぇ繋いでも“あったかい”って実感しづらい。

でも火とか湯とか、物理のあったかさはまだある。

それ頼りに生き」


「……はい」


カナは鍋の中へ片足を入れ、

一瞬だけ肉じゃがの匂いがよみがえる。


「じゃ、ウチはログアウト。

またバグったら呼べよ?」


湯気と一緒に姿が消えた。




◆7 温度を失った手で



数日後の家庭科の授業。


ユイはエプロン姿で班のみんなと笑っていた。


その笑顔は、

温度のない指先で、それでも丁寧に灯そうとしている小さな明かりみたいだった。


チャイムが鳴り、配膳タイム。


ユイは空席に目を向け――

皿は置かず、僕らのところへ持ってくる。


「よかったら、味見してください」


「いただきます」


一口食べる。


「あ、普通においしい」


「“普通に”は褒め言葉やで」


ユイは少し照れながら笑った。


温度を失った手でも、

そのシチューはちゃんと温かかった。


◆8 消えた温度と、ずれた足音


放課後。

片付けを終え、家庭科室を出る。


「今日のユイちゃん、ほんまよかったな」


「うん。“今ここ”に戻ってきた感じ」


階段へ向かう途中、アカリが真顔になる。


「……でもさ。今日のカナ先輩、ちょい気になるとこあったやろ?」


「ポエムのセンスの話?」


「そこちゃう!

儀式の途中、なんべんも家庭科室の外、踊り場のほう見よったやん」


たしかに。


音を掴みながら、カナが眉をひそめて外を見た瞬間があった。


「“嫌な系統のバグ”って言っとったし……

たぶん今日の音だけやない。

この階、そのものがズレ始めとる」


喉がひゅっと鳴る。


階段を上がる。

コツ、コツ――


コツ。


半拍遅れて、僕の足音がもう一度鳴る。


「……今の聞こえた?」


「聞こえた。ハヤトの足音、二回鳴っとる」


影は一つだけ。

なのに音だけが、僕を追ってくる。


「はぁ……ユイちゃんは温度手放せたのに、

僕のこの“ズレ”、いつになったら卒業させてくれるんだろうね」


無理に冗談っぽく言ったけど、声は震えた。


アカリは僕を見て笑う。


「ハヤトのバグは、多分エンドコンテンツやからな」


「難易度勝手に上げないで?」


「大丈夫だって。私もいるし、カナ先輩も――」


急に言葉を止め、真剣な声になる。


「……カナ先輩、“いる”よね?」


鍋の中に溶けて消えたギャル神の姿が、妙に遠く感じる。


遅れてついてくる足音は、

僕の過去か、未来か。

どちらにしても、まだ名を持たない“何か”が、僕を追いかけている。


それでも、階段を上る足を止めることはできなかった。

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