20話 世界の動き
中国上海に聳え立つ高層ビルの一つ。大都市を見下ろすことができる巨大なビルの最上階を丸まるワンフロア投じて作られたこの部屋は、中国の偉大なる探索者の住居であった。
「武神。日本のネズミが捕まったらしい」
家の中だというのに、草木が生えるそのエリアには巨大な岩が置いてあった。武神、そう呼ばれた老人は、その岩の上にただ静かに座していた。
中国で初めて神の名を冠するスキルを手に入れた男、武神。仙人のように長い白髭を蓄えたこの男は、風景の一部に完全に溶け込んでいた。彼からは強さもオーラも内包する魔力すら感じることができない。無我の境地。心は凪ぎ、自然の気で身体が満たされ、世界と自分を隔てる境界すら曖昧にさせるほどこの世界と調和し渾然一体となっている。
中国における探索者の最高到達点。その頂に君臨する武神が、来訪者の言葉に返答する。
「槍神よ。そんな些事を伝えに来ただけではあるまいな」
「……」
武神に見下ろされる槍神は、ただ黙って武神を見返す。
この男もまた、神の名を冠するスキルが発現した探索者であった。魔力の影響で深緑色をした美しく艶のある長い髪は後ろでまとめられており、女性を狂わせる美貌は切れ長の目で流し視るだけで女性を失神させられる威力があるほどだ。すらりとして一見線が細く見えるが、着瘦せしているだけである。服の下には全てが一級品の美しく強靭な肉体美があり、ステータスなど無かろうともフィジカルだけで世界を獲れる才能が備わっていた。
そんな槍神は武神としばし視線を交わすと、ため息交じりに踵を返し出て行こうとする。
「ちょ! 待て待て待てーーーい!! なんで出てこうとするんじゃ槍神!」
「下らんことに付き合わせようとするからだ」
「ちょっとくらい付き合ってくれても良いじゃろう! ワシの遊び心がわからんのか!」
岩から飛び降りる武神。なんてことない動作一つをとっても、高次元に洗練された動きを当然のようにこなしてくる。
「ワシが暇なの知っとるじゃろ。こんな大都会のこんな高いビルに馬鹿みたいに広い部屋あてがわれるし、それでいてみんな余所余所しいし、ワシ暇で暇で……」
なんでビルの最上階にこんな馬鹿でかい石運び込んでるの。馬鹿なのワシの国と武神がぼやく。
武神は中国国内では誰もが知る英雄であり、中国最強の探索者でもある。その威光によって、本人の意思など関係ないとばかりに周囲があれよあれよと担ぎ上げ、本人が望まずとも関係なく全てが用意されているような状態だった。
「はぁ。だから俺が介護のために時折顔を出しているだろう」
「介護とか言うな! 全く最近の若い者は失礼すぎじゃぞ! ワシ武神ぞ? 中国四千年の歴史上最強の男ぞ?」
「敬われるのが鬱陶しいと言えば、次は敬えとは。あれか。さすがの武神も老いには勝てないのか?」
「誰が認知症か!!」
元気に槍神とやり取りする武神からは、歳を感じさせないエネルギーに満ち溢れていた。
「それで、日本がなんじゃって?」
客人である槍神に中国茶を淹れながら、武神が問う。
「日本のネズミが捕まったらしい。一定の成果は出したようだが、剣神に痛手を負わすには至らなかったそうだ」
「ふむ。まぁそうじゃろうな。ネズミとは特級だった者じゃろう? ただの特級が剣神同士の抗争を起こすなぞ、土台無理な計画じゃと言ったはずじゃが」
槍神は悪くない作戦だと思ったのだが、武神は初めから期待はしていなかったようだ。
日本の特級ギルドに所属する西成という人物は、中国と繋がっていた。西成が中国と繋がりを持ったのは必然であり、特級という探索者のトップを手ごまに寝返らせた中国側は、西成にかなりの期待を寄せていた。
西成自体は日本で生まれ育った日本人である。ただ、家庭環境が悪く日本の大人に愛想を尽かしており、愛国心など欠片も持ち合わせていなかっただけ。西成は成りあがるために探索者という職業を選び、文字通り泥水を啜ろうともモンスターと戦い続けた。
結果、呪言という汎用性の高いスキルを発現することとなる。これが西成の人生を大きく変えることとなった。
呪言というスキルの特性上、西成は蜥蜴と行動を共にすることが増えた。その結果、蜥蜴の取引先の一つである中国とのパイプも、また西成は持つことになる。
中国が西成に目を付けたのは当然だろう。日本を代表する特級ギルドに所属しており、何より呪言という大変便利なスキルを発現しているのだ。大国という巨大な資産を惜しみなく使い、中国は並みの特級よりも高待遇な条件で西成に話を付けることに成功する。
西成も探索者だ。西の思想と同じく、強い者こそが正義という価値観が根底にある。そのため、西成はギルドのトップについては敬意を持っていたし、西の最強の探索者である剣神雨道についても、他のギルド員同様に憧れすらあった。
だが、雨道クラスの超越者は中国にもいる。強さこそ正義という価値観であれば、剣神だろうと武神だろうとどちらも憧れの対象になるのは当然である。そして、片や探索者を締め付ける声の強い日本と、片や大国として一探索者に対し潤沢な報酬を自分に提示してくる中国。後者に靡くのは当然ともいえた。
東の思想の様に、『探索者よ高潔であれ』、そんな精神であれば話に乗ることは無かったかもしれない。だが、西成の信条は強さこそ全て。探索者としての頂の強さが同じなのであれば、残すは国家の強さ。人の善意に依存するような国家と、手段を求めず国としての強靭さを手に入れようとする国家。西成には後者の方が魅力的に映ったようだ。
そこから、西成のスパイ活動が本格化した。蜥蜴を笠に中国と接触し、中国から呪言の有用性や活用方法を学び、惜しみなく蜥蜴や西のギルドに呪言をばらまいた。もちろん、誰彼構わず全力で呪言を使う訳ではない。呪言を使った思考の誘導が主な使い方である。嘘も100回言えば真実になるなんて言葉もあるが、似たような現象を呪言は引き出すことができるのだ。
呪言とは相手の動きを阻害したり味方の力を引き出したりするような、パーティの司令塔が欲するスキルである。しかし、言葉に力を持たせるという点を上手く使い、詐欺師の行う巧みな話術と組み合わせることで、ただの言葉よりも圧倒的に相手への刷り込みが行いやすくなる。
西成はそれを為せるだけの強さを持っており、それを実行できるほどの胆力も持っていた。
結果、10年近くかけながらも大阪を中心とした思考の統制を行えるまでに至っていた。もちろん、極端なことはできない。全員自殺しろと言ったところで死ぬことも無ければ、一級や特級を洗脳することなどできない。ただ、彼らの思考を少しずつ少しずつ本来のレールから逸らし、『雨道のために強い探索者を用意する』から、『東のギルドがいるから雨道のパーティメンバーが集まらないんだ』となり、『東のギルドを潰せば雨道のパーティメンバーが集められる』と変えることに成功する。
目的と手段を入れ替え、雨道を信奉する思いを逆手に取り、雨道の年齢を理由に焦らせ心理的負担を強い、そうしてようやく為せたのが川崎のテロである。あのまま東と西を全面戦争まで持っていければ、天童は出てこざるを得ない。そうなれば、雨道とぶつけることもできない訳ではないし、例え無理だとしても特級同士の戦いは日本を確実に疲弊させることができる。
時間をかけてでも確実に日本を潰しにいく。特級探索者である西成に中国が期待していたのは当然と言えば当然だ。実際、川崎のテロまでこぎつけており、西の認知を歪めることまで成功していたのだ。西成は中国の期待以上に動けていた。
「被害で言えばなかなかに打撃を入れられているようだが……」
「そんなの僅かじゃろ。重要なのは特級が減らせたかか、剣神に害を与えられたかの二つだけじゃ。結果的に、今も日本の警備は手強いのじゃろう?」
「そうみたいだな。さすが藤原の治める国というだけはある。国内の探索者の被害を受け入れてでも、水際の戦力は一切削りはしなかったようだ」
中国は日本に対してスパイの派遣を継続的に行っている。日本はよくスパイ天国なんて揶揄されることがあるが、それは一般人だけに留まっている。こと探索者においては、日本は絶大な警備を敷いていた。
探索者については国内への入国を厳しく制限されており、各種国際空港では魔力測定が義務付けられ、レベルを上げた警察組織が常に警邏しているほどだ。唯一申請すれば入国することができるのが九州の博多ダンジョン付近のみ。博多ダンジョンは日本が国外へ開放しているダンジョンであり、警察や自衛隊の生え抜き部隊が常に常駐している特別警戒区域でもある。
もちろん要人の護衛などで博多以外からも自国の探索者を入国させることはできるが、常に護衛という名の監視が張り付くため自由に動くことはできない。
藤原を含め日本政府が探索者についての危険性を早々に理解し、早い段階からこの警備体制を確立できたことが今日の日本の警備の高さに繋がっている。その大きな要因が日本での民間人探索者による国内の被害と言われていた。
他の国はダンジョンについては軍部が調査を進めていた。一方で、日本は民間人が多大な犠牲を出しながらも探索を行った。その結果、力を得た民間人による被害が早い段階で問題視された。その時、藤原を含めた国家は探索者という存在の危険さを強く認識し、国外の探索者について高い制限を設けたのだ。探索者法によって施行されたそれら制約は、今では諸外国でも導入されるようにもなっている。
蜥蜴は外国人をダンジョンで違法にレベル上げをするビジネスを行っていたが、彼らも政府の逆鱗をよく理解しているため、塩梅の見極めはされていた。探索者でも何でもない外国人のため入国は問題なく、1層2区~3区程度のレベルまでで帰国させていた。当然、中国の探索者を国内に侵入させることは、さすがの蜥蜴も行うことは無かった。
「地理としてもダンジョン保有国と言う意味でも日本が邪魔とはいえ、政府の動きも悪いものだ。必要であれば我々を派遣すれば落とせるだろうに」
「槍神よ。日本を見くびるな」
槍神の発言に、武神が指摘する。武神も歳だ。次代を担う筆頭であろう槍神の認識を誤らせるわけにはいかない。
「ワシがいて、主がいて、他にも我が国は多くの強き探索者を擁する。それでも日本に無理な戦争を仕掛けていない理由を心得よ」
「失礼した。剣神を侮っているわけではないが、彼我の戦力差を見ればどうしてもな」
「それに最近は鬼も出たのじゃろう? あれはワシと同じ武神を持っておる。それだけでは片づけられない力もの」
「俺が急く理由はそれもある。狂鬼、あいつは化け物だ。あれがいる限り日本には手出しすることができん」
日本は探索者へのスパイに非常に強い警戒を持っているが、一般人についてはその限りではない。だからこそ彼らは情報として狂鬼が何を成したかも知る立場にあった。
たった一人で一つの巨大な組織を根絶やしにした存在。それはただ強いだけでは不可能な所業。中国でさえ未だに確認することが出来ていない最悪のスキル、洗脳。狂鬼がもたらした結果は、それを示唆するに値する所業であった。
洗脳という最悪なカードがある以上、中国はおいそれと日本への手出しができなくなった。狂鬼が牙を剥いた時、洗脳のスキルが猛威を振るえば国家が崩壊するのが目に見えているからだ。そして、一つの組織を徹底的に根絶やしにした狂鬼が中国に温情をかけると期待することも、また無理な話である。
「だが、狂鬼は未だ3層5区にいる。レベル200すら超えていない。今ならばまだ始末できる。そうだろう、武神」
「五分じゃ。確実ではない。それに、奴は高レベルの気配遮断を有しておる。一度逃がせば取り返しがつかん。止めておけ」
武神が五分と判定したことに驚愕する槍神。武神は普段ふざけた性格ではあるが、分別をはき違えることはない。武神が五分と言うのならば、狂鬼の実力は現時点で武神に迫る強さだということだ。
それが聞けただけで槍神がここに来たかいがある。
「わかった。政府には拙速は厳禁だと伝えておこう。従来通り、探索者以外の政治活動に勤しんでもらうとしよう」
「それがよい。探索者を政治の場に出すことの愚かさを学ばなければならぬほど、我が国が衰えているとは思ってはおらぬよ」
香り高い茶葉の匂いを楽しみながら、武神は茶をすするのであった。
◇
アメリカ、マサチューセッツ工科大学。世界トップクラスの研究機関を擁する、アメリカを代表する大学の一つだ。魔力という新たなエネルギーの研究を始め、ダンジョンについて日夜解析が行われている。
そんな大学内にある研究施設の一室に、彼女がやってきた。
「おはよ~」
職員たちに朗らかに挨拶しながら、彼女は宙に浮きながら揺蕩うように奥へと進んでいく。まるで無重力の宇宙ステーションの様に、フワフワと浮いていた。
彼女を一言で表すなら、羊である。なんと言っても特徴的なのは頭から生えた巨大な角。ぐるぐると渦巻く立派な角は酩酊羊を彷彿とさせる。それに加え薄く紫がかった長い髪はウェーブがかっており、毛先に行くほど膨らんで見えるので羊のように見えた。
美しく整った顔は慈愛のほほえみが浮かべられており、その瞳は閉じられている。彼女を幼少期から知る者は彼女が盲目であることを知っているが、今の彼女しか知らなければ彼女が盲目だとは思えないだろう。そう言えるほど、何不自由なく部屋をすいすいと進んでいく。
「おはよう~主任」
「あら、今日は早いわねアリー」
お目当ての人物の元へとたどり着いた彼女はほんわかと挨拶する。まるでお日様のような柔らかい印象を受ける彼女は、アリソン・ケアリー。この研究施設の客員研究員であり、彼女の特異なスキルを研究に役立てるために力を貸していた。
そんな研究施設の主任研究員が、アリソンの早起きした理由を当てる。
「あっ、わかったわ。クレイジーデーモンの生配信見たんでしょ。で、二度寝せずに来たってとこね」
「あっはっは。大当たり。さすが主任なだけあるね~」
「簡単すぎよ。あなたいつもクレイジーデーモン見てるじゃない。今朝の配信は私もチェックしたわ」
クレイジーデーモンとは、日本のダンチューバーである。ダンチューバーはアメリカにも多くおり、メジャーな存在だ。ただし、アメリカも日本と同じく一級以上、とりわけ特級ともなると詳細な情報は伏せられ、開示できる内容はそう多くない。そもそも、彼らは探索者としてのプロ意識が高いため、ダンチューバーを兼任するようなことはトップに行けば行くほど無くなる。もちろん、ギルドの紹介動画などには積極的に出演しPRしてくれるので、ダンチューブが嫌いという訳ではない。単純にすみ分けているだけだ。
そんな常識の中、日本にイカレたダンチューバーが爆誕した。狂鬼。アメリカ国内の愛称はクレイジーデーモン。この愛称は狂鬼という名前をただ翻訳したわけではなく、狂鬼のチャンネルを見ていた視聴者が思わず呼び始めた名前だ。まさか彼のチャンネル名がクレイジーデーモンを日本語に直訳した名前だとは思ってもいなかったし、その点でもクレイジーだと話題になった。
そんな狂鬼はアメリカでもカルト的な人気を得ている。当然だが、アメリカのダンチューバーも日本のダンチューバーとやっていることに大きな差は無い。規模が2倍増しくらいになっていたり、クレイジーなチャレンジに取り組んだりと派手さはアメリカの方が上であるが。そんな中で不動の人気動画が、ダンジョンドローン撮影部隊を使ったド迫力な戦闘動画である。
ダンジョン専門のドローン操縦士がおり、自動追尾のドローンでは絶対に撮影ができないド迫力な視点での動画撮影を行うことを強みとした部隊である。撮影隊は対象となる探索者から離れた位置でドローンを操作し、周囲を別の探索者が警備する。撮影対象者の探索者はいつもどおりモンスターと戦うのだが、様々な角度から至近距離で撮影された映像はまさにリアルハリウッド。人気が出るのも当然である。
しかし、これにもいくつか制約はある。そもそも撮影部隊が安全に身を護れるレベル帯のエリアでしか撮影できない点、高レベルになるにつれモンスターの攻撃も速くなるため、一定以上のレベル帯になるとドローンの速度では回避が行えないため近づけない点。結果、高レベル帯のよりド迫力な戦闘が期待できるシーンは少し遠巻きに撮影する必要があった。それでも自動ドローンよりは攻めた撮影のため、大人気コンテンツである。
そんな背景があるのだ。狂鬼が人気になるのは当然と言える。カメラを自由自在に動かせるというスキルがあることで、アメリカのドローン部隊が天を仰ぎ見るほどド迫力な戦闘シーンを撮影する。何より驚愕なのは、あれだけの戦闘をこなしながらカメラの画角が常に意識されたカメラワークを展開していることだ。これにはドローン部隊も脱帽だ。特に雷鳥戦の様に何度も死んでいるような攻撃を受けているというのに、定点撮影ではなくカメラを動かす余裕すら持っていたのだ。あまりにもクレイジー。ものすごく映像にのめり込む視聴者と、イカレ過ぎて付いて行けないわと離れていった視聴者で二分した。
また、狂鬼が人気なのはハリウッドを超えた戦闘シーンだけじゃない。まるで散歩でもするかのようにダンジョンの奥地を探索し、息遣いすら感じられるほどの至近距離でモンスターを撮影できる点だ。高すぎる気配遮断のスキル。それによって実現するモンスターの観察だが、その貴重な映像はモンスターを解明しようと奮起している学者たちが渇望している情報でもある。
戦闘面でも学術面でも大変興味深いダンチューバー。能力を秘匿する必要はないと言わんばかりの圧倒的な強さ。アリソンと同様、狂鬼もまた唯一無二の探索者であった。
「クレイジーデーモンにパーティメンバーができたのには驚いたわ」
「そう! そうなのよ! もう、その話がしたくてしたくて今日は早く来たのよ!」
アリソンがふかふかなソファに着陸し、時差の影響で早朝に配信されていた狂鬼チャンネルの内容を語る。主任はそんなアリソンのために、コーヒーを淹れてくれた。
「あの二人! 羨ましすぎるわ! 私だってクレイジーデーモンとお話したいのに!!」
「いつも言ってるものね。それよりも、私としてはあの二人の強さが気になるわ。クレイジーデーモンがパーティメンバーに選ぶなんてよっぽど強いのかしら?」
「う~~~ん。強いわ。けど普通よ。普通に強いだけ。異才は感じなかったわ」
アリソンは目が見えない。いや、見えなかった。けれど、今では彼女はあらゆることを知覚することができる。その彼女がそう言うのだ。つまりは、普通に強い探索者というだけ。ただ強いだけではダンジョンは進んでいけない。成長限界と呼ばれる壁にぶつかってしまう。それはステータスが足らない壁かもしれないし、スキルが足らない壁かもしれないし、それ以外の壁かもしれない。
ただ強いだけの人間が辿り着ける頂はレベル200を超えるまでだ。それであるならば、主任はパーティメンバーに特段の興味が惹かれない。
「普通に強いだけの探索者をパーティメンバーに迎えるって、クレイジーデーモンは何がしたいのかしら」
「それが彼の魅力でもあるわ。だってクレイジーなのよ? 何するかわかっていたらクレイジーじゃないわ」
ふよふよとマグカップを宙に浮かせて手元に引き寄せ、美味しそうにコーヒーを飲む。映画だって予測できる展開は安心感はあるがドキドキはしない。狂鬼が突然2層5区のエリアボスを一撃で沈めて周った時は子供の様にワクワクしたし、ダンジョンじゃなくて地上で悪の親玉の特級探索者を成敗した時はなんでそんな展開になったのか不思議でならなかった。予想のつかない探索者。だからこそアリソンは狂鬼を気に入っていた。
「じゃあパーティメンバーが急にクレイジーデーモンやあなたみたいに強くなるかもしれないってこと?」
「かもしれないわよ? あのレベル帯からそれができるかはわからないけど、5区だからね。宝珠があるわ。そんな展開になったら、クレイジーデーモンはなんでそうなるとわかってあの二人を招き入れたのか、たまらなく知りたくならない?」
「ええ、それは探索者の可能性を予見できる力があると言うことでもあるわ。この前日本で起きたクレイジーデーモンによるギャングの粛清。あれはクレイジーデーモンが洗脳にまつわるスキルを保有していると示唆したともとれる出来事だわ。スキルの解釈故の能力か、はたまた本当に洗脳のスキルなのか。わかってはいないけど、一つ言えることはクレイジーデーモンはダンジョンに深く愛されてるってことね」
探索者は強大な力を手に入れるが、何でもできる訳ではない。全知全能な万能な存在にはなれないのだ。しかし、狂鬼を見ているとそれに近しい存在になりつつあることがわかる。
ダンジョンに気に入られれば強くなれる試練が訪れる。ただこれは諸刃の剣だ。試練を越えられず幾人もの探索者はダンジョンに取り込まれてしまった。ダンジョンに深く愛されるということは、強くなれる反面死のリスクも天井知らずということである。
故に、探索者は強くなればなるほど、より強い探索者に敬意を持つようになる。スポーツや勉強では努力だけではどうしようもない才能の壁が立ちふさがることがあるが、ダンジョンに特別な才能はいらない。どれだけリスクを捧げられ、どれだけ死に物狂いであがき続けられるかが重要なのだ。それもまた才能かもしれないが、機会が平等に与えられている点でアリソンはダンジョンが大好きであった。盲目な彼女ですらここまで強くなれるのだから。
「あ~~私もクレイジーデーモンとお話してみたいわ」
「今度D9サミットが開催されるじゃない。クレイジーデーモンは……来ないわね、きっと」
D9サミットとはダンジョン保有国が集まり、今後の探索者の在り方や探索者の被害への対応、ダンジョンの情報の交換など様々な議題に対して討議を行うサミットである。世界でダンジョンが出現している国は10か国あるが、サウジアラビアは参加が認められていないため9か国でのサミットとなっている。
D9サミットでは各国の首脳と探索者の代表者たちが集まるのだが、日本は英雄藤原が例年参加しているため狂鬼が来ることは無いだろう。D9サミットとはいえ、各国が連れてくる探索者は精々特級までだ。その上に進んだ探索者が来ることは無い。日本の剣神しかり、中国の武神しかり、そしてアメリカのアリソンしかり。
「あの雷神アリソンが話したがってるって言えば、クレイジーデーモンもアメリカに来てくれるんじゃない?」
「ダメよ。主任知らないの? 日本人は奥手な女性が好きなのよ」
「あら、アリーはクレイジーデーモンに恋しているの?」
「好きよ。ただ、恋愛じゃないわ。尊敬してる人にはいい印象を持ってもらいたいじゃない?」
コーヒーを飲み干し、またもフヨフヨと浮かびだすアリソン。
「じゃ、アリーの珍しい早起きもあったことだし、早速実験始めましょうか」
「わかったわ。途中で寝ちゃったらごめんなさい」
そう言って、二人はラボへと向かっていくのであった。
◇
アルゼンチン。アンデス山脈やイグアスの滝、それに美しい氷河がみられるロスグラシアレス国立公園など自然豊かな国。海外に疎い鈴鹿にアルゼンチンについて聞けば、『サッカーが強い』くらいの感想しか出てこないだろう。だが、この世界の人間にアルゼンチンについて聞けば、真っ先に出てくるのが『宗教国家』である。
この世界でのアルゼンチンは世界有数の宗教国家であった。信仰する対象はダンジョンについて。ダンジョンという神の試練に挑み、試練を越える度に人としての位階が上がる。そして、やがて神へと至ることができる。それがダンジョンを崇拝する宗教の理念。
ダンジョンが出現してからは世界各国で似たような宗教が現れたが、ここアルゼンチンを総本山とするダンジョン宗教が最も勢力が大きく、その規模は国ごと宗教国家へと作り変えてしまったほどである。
そんなアルゼンチンの首都であるブエノスアイレス。鈴鹿が元々いた世界ではピンクハウスとも呼ばれていた大統領官邸カサロサダがあった場所には、真っ白に統一された美しい宮殿が建っていた。その宮殿の一室で、男が一人泣いていた。
「ああ~~!! 何で死んでしまったんだハファエラ! サムエル!! それにロレンゾ!! 君たちはもっと……もっと強くなるべき使徒だったのに!!」
おんおんとベッドに転がりながら泣きじゃくる男。この男も探索者である。彼の宗教では、探索者のことを使徒と呼んでいた。
この男はかなりの高レベルの探索者であることが、その顔からうかがえる。狼を彷彿とさせるようなワイルドでいて子犬っぽさも併せ持つ甘い顔は、ステータスの恩恵を受け非の打ち所がない程の美貌であった。上裸でベッドに転がっているため、彼の筋肉美が惜しげもなくさらされている。筋肉質ではないがアスリートのように引き締まった身体には、様々なデザインのタトゥーが施されていた。
動くたびにキラキラと光を反射するピアスは、耳や口だけでなく目の下にまで着いており、どれがダンジョン産のアイテムでどれが装飾品なのか見分けるのが困難なほどだ。青みがかったアッシュグレーの髪はウルフカットのように切られており、彼の狼のような顔とマッチしている。
「ああぁ……なんて悲しいんだ。それがダンジョンの望みというのですか! 彼らはまだまだ位階を進められたはずなのに!」
男、トバイアスが嘆いているのは、有望なパーティが壊滅したと報告を受けたからだ。レベル200に手をかけていたパーティ。強力なスキルを保有していることも聞いており、トバイアスのいる高みへと届くかもしれなかった使徒たち。その者たちの訃報に、トバイアスは泣きじゃくる。もっともっと彼らの輝きを見ていたかったと。
トバイアスは使徒が好きだ。強ければ強いほどいい。そこに男女の隔たりはなく、彼は等しく使徒を愛している。多くの使徒と愛を交わし、語り合い、より神へと近づくために共に高め合う。トバイアスにとって使徒とは彼を強くするための存在であり、愛すべき存在なのだ。
「あと一歩だった。もう少しで200を超えられたのに……。君らの事は忘れないよ」
ひとしきり泣き終えたトバイアスは、ベッドに散乱している亡くなった使徒の写真を拾い上げた。ベッドの脇には拾い上げた三枚の写真以外にも彼らのパーティメンバーがいるが、トバイアスが名前を呼ぶことも気に掛けることもない。彼らはトバイアスのお眼鏡には適わなかった使徒のようだ。
そんなトバイアスから認識された使徒の写真を、壁に貼り付ける。壁には夥しいほどの写真が貼り付けられており、それらが皆亡くなった使徒であることを物語っていた。
アルゼンチンに対する世界の評価は割れることが多い。その中でも、日本はあまり良い印象を持っていない者が多いだろう。理由はアルゼンチンが今の宗教国家となるまでに行った蛮行と、近代でも続くダンジョンでの死亡者数の圧倒的多さが原因だ。
アルゼンチンに出現したダンジョンを発端に、南米諸国は魔境と化した。成長限界を迎えた探索者たちが他国へと侵略。各地で探索者を筆頭にした組織が乱立し、まさに戦国時代のような様相を呈した。ドラッグ、暴力、金。人間の欲を煮詰めた大陸とまで言わしめたのが南米であった。
当然アンチテーゼの如く善なる者も生れ落ちる。家族を守るために立ち上がる善良なる者も、腐敗した政府や探索者たちに疑義を呈する革命家も、悪しき探索者に復讐を誓う者も、多くの者が現れては抗争を繰り返し、南米諸国の地図は何度も何度も書き換えられた。
そのくだらない戦いを終わらせたのが、この男、トバイアスであった。
各々が持つ思想も、企ても、悪意だろうと、絶対なる力の前では意味をなさない。トバイアスが各地を支配する探索者たちを喰らい尽くし併吞して回った結果、現在のアルゼンチンの国土は南米大陸の3分の2を占めるほど巨大な国家へと生まれ変わった。
そして、トバイアスの偉業に感化された者たちはトバイアスを神と崇め、ダンジョンで位階を上げることで神であるトバイアスに近づくことができると、トバイアスを教祖としたダンジョンを崇拝する宗教を立ち上げるにいたった。
そして、レベルを上げ使徒となった者たちは、残った南米の犯罪者組織を粛清して回った。ただ、彼らは犯罪者を殺さない。犯罪者たちもダンジョンで位階を上げれば罪が浄化される。その教えの元、彼らは犯罪者をダンジョンに送りこみ、レベル上げを行わせる。半端な位階では彼らは許されない。レベル100にも届かずに成長限界を迎えれば、ダンジョンに認められなかったとして殺されてしまう。一般人には課されないが、犯罪者には罪に応じて必要な位階が課されるのだ。
もちろんダンジョンで奮起するのは犯罪者だけではない。信徒たちは全員がダンジョンへと挑み、自身の位階を上げてゆく。何故ならば高レベルになればなるほど自分の位階が上がるため、信仰心が強いほどにリスクを冒してダンジョンを探索していくのだ。その結果、アルゼンチンは世界で最も美しい者が住まう国として話題となるほど、国民全員が相応のレベルを持っていた。
けれど、当然その分死者数は凄まじい。ダンジョンに対する特別な思いを持つ日本もアルゼンチンに共感できる部分はあれど、死者を出し続ける彼らのやり方に日本は良い印象を抱かないのだ。それに日本人は宗教に縁がない者も多いため、危険な行為を強制する宗教の国という評価をする者が多かった。
写真を貼り終えたトバイアスは葡萄酒を盃に入れ、献杯して飲み干す。口から垂れた葡萄酒が紅い筋を残し床を汚すが、トバイアスは気にしない。
「あぁ、君たちの思いは僕が引き継ぐよ。安らかに眠り給え」
祈る仕草をするトバイアス。彼の後ろにあるテーブルの上には、何故か亡くなったはずの彼らの装備が置かれていた。




