第70話 ようこそ
「わ、悪かったな、リリス。ほら、このまえ街で見つけてきた甘い飴をやっから許してくれ」
「………………」
どう見ても煽っているようにしか聞こえないけれど、ヴィオラさんもだいぶ狼狽しているし、本気で悪いとは思っているのだろう。もしかすると、リリスのこんな姿を見るのはあまりないのかもしれない。
「……師匠、覚悟!」
「うわっ、ちょっと待ってリリス!」
大泣きしているリリスがようやく落ち着いたと思ったら、その手に持っていた杖をヴィオラさんへ向けた。リリスがこんなにキレているところを見たのは初めてだ。
鏡を制限されたことには怒らないけれど、タブレットを壊されたら本気で怒るのか……。
「大丈夫、壊れても元通りにできるよ! 頼むから落ち着いて!」
「………………本当?」
俺の言葉を聞いて正気に戻るリリス。
危ないところだった。リリスの魔法はこの前見たし、あんな魔法を師匠であるヴィオラさんとこんな場所で撃ちあったら、この大きな湖ごと消し飛んでしまってもおかしくはない。
さすがに型落ちしたタブレットひとつで師匠と弟子で命懸けの戦闘になるのは勘弁だ……。
「ああ。さすがにタブレット自体は別のにしないと駄目だけれど、リリスが使っていたタブレットのデータはクラウド上にバックアップが残っているから、少なくとも数日前の状態にまでは戻すことができるよ」
「よかった」
穴の開いたタブレットをぎゅっと抱きしめるリリス。型落ちして数万円だったタブレットのことをそれほど思ってくれたのなら、あのタブレットも本望だろう。
こういう時にデータをすぐに復元できるクラウドは便利だよな。日々のバックアップは大事なのである。
「よ、よかったなリリス。いやあ~ケンタの世界の物は壊れやすいんだな。うん、これでひとつ勉強になったぜ!」
「「………………」」
そんな様子を気まずそうに見ているヴィオラさん。めちゃくちゃな人だけれど、今回のことは多少悪いとは思っているらしい。
「……今度やったら、師匠といえど許さない。たとえ戦闘で師匠には勝てなくても、師匠が嫌がることをするくらいはできる」
「ヴィオラさん、俺の世界の物は精密な道具が多く、これくらい小さくても高価な物が多いので、気を付けてくださいね」
「わ、わかった。今後は気を付けるぜ……」
俺とリリスでヴィオラさんに釘を刺す。
リリスのタブレットは壊れてしまったが、結果としてヴィオラさんが多少大人しくしてくれそうならそれでよかったかな。この人は絶対に俺の言うことなんて聞いてくれそうにないもんなあ……。
「さて、どうなることか……」
今俺はひとりで鏡を通って元の世界へと戻ってきた。これから、ヴィオラさんが例の鏡を調整して制限を解除する。
ヴィオラさんは大丈夫だと言っていたが、正直に言って鏡が通れなくなってしまわないか不安なので、俺だけ先にこちらへ戻ってきている。普段繋げているWi-Fiや充電ケーブルなんかもいったん回収しているため、向こうの世界と連絡も取れない。……そういえばどちらにせよタブレットは壊れてしまったからアプリで連絡はできないんだったな。
リリスはともかく、ヴィオラさんを俺の世界へ連れて行くのは不安しかない。でも断っても絶対に強行してくるよなあ……。それに俺はリリスとヴィオラさんが作ってくれたこの鏡を使わせてもらっている立場だから、あまり強くは言いにくい。
「おおっ、ここが異なる世界か!」
そんなことを考えていると、鏡を通ってヴィオラさんがやってきた。本当に向こうからも鏡を通ってこちらの世界へとやってこれるようだ。
……俺が初めて鏡を通る時、恐る恐る腕やスマホを通して確認をした時とはえらい違いだな。いや、あの時は得体のしれない鏡だったから当然の反応で、俺が特段ビビりというわけではないはずだ。
そしてヴィオラさんの言葉は普通に日本語として聞こえている。おそらく前にリリスが言っていた鏡の翻訳機能によって、今回は鏡を通ってきたみんながこちらの世界の言葉を理解しているのだろう。
「ええ、地球という星の日本という国です。ようこそ、こちらの世界へ」
「ここはケンタの家なんだよな! 早速探索だぜ!」
「あっ、勝手に家の中の物を触っちゃ駄目ですよ。あと、家の外には絶対に出ないでくださいね!」
「あいよ~!」
……ものすごく不安だ。俺の家が周りに誰もいない場所で本当によかった。
一応この鏡を通る前に説明をして、こちらの世界では魔法を使わないことと、勝手な行動をとらないことを約束してもらったけれどとても心配だ。
「キュウ!」
「ここがケンタの世界……!」
そしてヴィオラさんに続いてハリーが鏡を通ってやってきた。いつも通り俺の手を駆けのぼって右肩でとまる。
「ようこそ、こちらの世界へ!」
リリスと出会ってからしばらく経ったが、ついにリリスも俺の世界へとやってくることができるようになった。




