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「アリアが、スオウ男爵家にいるだって!」
思わず大きな声を出してしまった。
春休みになったのに帰ってこないから、迎えに行こうと準備していたというのに。
「アリアが……公衆の面前で婚約破棄をしようとしたらしい」
兄のアリフォードが頭を抱えている。
「あの馬鹿、どこの誰に騙されたんだ。まったく……」
「婚約破棄を求めるとは、毅然としていて素晴らしいじゃないか!」
そもそも、あの婚約には俺も反対だった。アリアの婚約は全て反対だ。
「だめですよ。アリルド、我が家がどれだけヴァーナード男爵のお世話になっていると思っているんですか。あの子が彼に惚れられているから、今日のパンも食べられるんですよ」
母は今日も酷い。
「アリアは、少々どんくさい子だ。それでもいいと言ってくれる上に、生家だからと資金援助や事業再編を手伝ってくれる。そんな奇特で善良な伴侶はそういない。それにアリアを心から愛してくれているんだ。いい縁談じゃないか。金銭的にも」
長男のアリフォードは今日もゲスい。
「アリアが望んでいない相手に嫁がせるなど……娘を、妹を、アリアを売るようなことをして恥ずかしくないんですか! しかも、婚前に屋敷に連れ込むなど」
今頃、どんな目に遭っているか……。考えただけでも下腹がぎゅっとなる。
「変態の兄のいる屋敷よりはいいんじゃないか」
「失礼だぞ! 俺は、アリアが妹として可愛くて、可愛くて、可愛いだけだ!」
アリアは産まれた時から天使だった。育っても、天使のままだ。
あの天使ちゃんが、あの糞野郎と一つ屋根の下だとっ。
「アリアと婚約……娶りたいという方は多いのですよ」
母がため息をついた。
「何せあの見た目。産んだ私が言うのもなんですけど、座っているだけで芸術品のような美少女にすくすくと育ってしまって」
「まあ、残念な中身ですけど」
アリフォード兄がそんなことを言う。失礼な。そこが可愛いのだ。
「見た目だけですから、基本的には正妻ではなく第二や愛妾。上の方からも支援と引き換えに妾にという失礼な話をここ数日だけでも何件もお手紙を頂きました。あの馬鹿娘が婚約破棄なんて言い出すから」
最近やたら人が訪ねてくると思ったが、そんな不埒な輩は水でもかけて全員追い返すべきだ。
「既にヴァーナード男爵と婚約していなければ、あの子は自由もなく学校にも行けずに囲われ、どこかの妾にならざるを得なかったでしょう。そうしなければ、お金と権力で我が家などすぐにぺしゃんこにされていたでしょうから」
最近は、貧乏ではないが、アリアが幼いころは一家離散の可能性があるほど貧乏だった。よく野草を摘んで食卓に出していた。
戦後から貴族主義が終わり、産業革命で古い体質は駆逐されていった。結果、我が家は新しい波に乗り遅れ、沈没間近だったことは幼いながらも感じていた。
ヴァーナードの生家である同格の侯爵家は波に乗り繁栄していた。
元々は、あちらの長男とアリアの婚約の話があった。だが、三男のヴァーナードになった。齢十歳でありながら、あの男が手をまわしたからだと確信している。
小さいアリアは、深く考えずにお友達ができたと喜んでいた。
「歳近く、経済力と、経済力と、経済力と見た目もいい。そして、あの残念なところのあるアリアがいいと言ってくださる殿方がもらってくれると言うならば、お礼のお手紙を付けてお渡しするのが筋です」
「支度金もいらないからでしょう」
「支度金など払ったら、長男の結婚式すら上げられなくなるでしょうっ」
このしっかり者の母から、どうしてアリアが産まれたのか。
「アリルド、あなたがアリアに劣情を抱いていることは公然の事実。実害がない間は目を瞑っていましたけれど、もしも、あちらの屋敷に乗り込みでもしたら……あなたを慕う令嬢やご夫人に、アリアの代わりに売り飛ばしますよ」
「ひぃっ」
アリアと同じ青い瞳だというのに、青空ではなく、冷たい氷の様に母の目が光る。
「今回はアリアが撒いた種。アリアには、婚約破棄などと馬鹿な事を言った責任を取って、精々男爵様の機嫌を取ってもらいます。どうせ貰っていただくのですから、傷がついたところで問題もありません」
「そんなっ、どんな酷い目に遭わされるかっ」
大事に大事に育てたというのに。
父が、ふっと庭へ目を向けた。
「あの子が帰ってこないと、庭の草木が寂しがるのが残念だ」
どう考えても家が傾いた原因の父が、ズレきったことを言う。
アリアの中身は父親に似たのだろう。可愛そうに。
「あの子の歌が聞けないのは、わたくしも残念ですけれど……。娘の幸せを思えば」
娘を変態男爵に売り渡した母が、まるで優しい母親の様に言う。
アリアを心配するのは俺くらいだ。今すぐに助け出して、いっそ二人で家を出て暮らしてもいい。
そんな想像をしても、三日くらいでアリアが誘拐されて、奴隷商に売られる結末しか浮かばない。ついでに俺も誘拐されてどこかに売られるだろう。おなじ人に買ってもらえるだろうか。
アリアは、何度も誘拐未遂に遭うような子供だった。
お菓子をあげるからと言われても付いて行っちゃだめと言い含められるような子だ。そして素直で優しくて、繊細で、ちょろい。その上、ずば抜けて見た目がいい美少女だった。今はつぼみが花開く前の何とも言えない色香と幼さと美貌が相まっている。
「俺に力があればっ」
「言っとくが、父上似のお前に事業を継がせるつもりはないからな」
跡取りとして既に仕事もしている兄が言う。
侯爵家を継いで力を得ることは無理だ。没落させる自信がある。だから、せめて物理で力を得ようと筋トレをしても、無駄に女性にもてるようになっただけで、ムキムキマッチョにはなれなかった。細マッチョじゃなく、ごりマッチョになりたかったのに。
「母上、そろそろあれはどこかに売り払いましょう。アリアと違って、金持ちの女性の愛妾でも構いません。妹馬鹿ですがピアノとセットにすれば買い手は付くでしょう」
「ひっ。か、勘弁してくださいっ、兄上っ」
妹を助ける前に、自分の身が危険だっ。
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