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アリアと出会ったのは十歳の時だ。
私の腹違いの兄二人のどちらかの婚約するためにやってきた。
アリアは、その二人を暴力で屈服させ、婚約は破断した。
アリアは幼いころから、その行動力と美貌で周囲を圧倒してきた。私の生家以外にも目を付けている者も少なくなかったろう。もし私以外がアリアと婚約していたらと考えるだけで吐き気がする。
だというのに、アリアは私との婚約という護りに重要なカードを破ろうとした。
「ターリス、いつものを頼む。
社長秘書であるターリスに声をかける。
「お疲れですね」
彼が差し出した黒茶の香りが鼻をくすぐる。ターリスがいなければ、スオウ社は今ほど繁栄していなかったかもしれない。そんなターリスをアリアのために学校の臨時講師に出向してもらっている。
今はここに学校が長期休暇で本来の秘書に戻っていた。
「アリア様の様子は如何ですか?」
「思いのほか楽しくやっている。学内の方はどうだ?」
「アリア様が婚約破棄をしたという誤情報が広がっています。故意に誤りを広げているようですが、そうでなくとも、人は噂を面白おかしくしたがりますから」
ターリスは臨時講師として学園に入ってもらっている。
本来は有能な秘書のため、手元に置いておきたいのだが、アリアの安全の方が優先だ。
王立の学校のため、審査が厳しく、職員としては他に二人ほどしか潜入をさせられなかった。
「アリア様の隠れ親衛隊の中からも離反者が出て、ご実家へ婚約の申し出をしている者がいるようです」
「アリアの両親へは伝えている。婚約は継続しているし、良好な関係だと断りを入れてもらっているが……はぁ」
馬鹿なアリアの行動の所為でこれだ。
婚約破棄を言い出しただけで、長期休暇に実家へ帰さず囲い込む。過剰な反応だと思われるだろうが、アリアに婚約者がいないと勘違いした者が既成事実を作りかねないのだ。
「アリア様は、これまでご自身の扱いを特に気にしておられなかったので、今回の婚約破棄を申し出たのは予想外でした」
「ああ……、裏で妙な親衛隊ができていたり、それを妬むものからの嫌がらせ、身の程を知らない男どものアプローチ。全て興味を示していなかったと言うのに」
アリアは、残念なほどに見た目がいい。口さえ開かなければ、人ではない何かにすら見える。
そう感じるのは私だけではない。
アリアは、友達がいないと寂しそうにすることはあったが、それだけだ。今回、嫌がらせの首謀者が私だと勘違いしたとしても、興味を示さないほうが理解ができる。
そんなアリアが、私に婚約破棄を突きつけたのは本当に意外だった。
「やはり……ヴァーナード様に他に想い人がいると嫉妬されたのでしょうか」
アリアの茶と違い、すっきりとした苦みに鼻に抜けるスパイスのような香りを感じながら、それを準備したターリスに微妙な顔を返してしまう。
「あれが私に嫉妬するはずがないだろう」
これまで、アリアに勉強を教える以外は極力接点を持たないようにした。
どちらかと言えば嫌われている。そうでなければ相談もなく公衆の面前で婚約破棄など言い出しはしないだろう。
少し考えれば、わかるリスクだが、アリアは……馬鹿だから何も考えていなかったのかもしれないと、げんなりする。
「それよりも、学内には碌な男はいないか?」
「アリア様の伴侶に足りうる方でしたね」
アリアの安全保障に関する情報収集以外にも、ターリスには学内で男子生徒や独身教師の調査をさせている。
「金、権力、外見、性格、そして実家の家族。それらを考慮すると、何かしら問題がある状況です。ヴァーナード様以上となると、流石に難しいですね。アリア様の伴侶は無理でも職員としては欲しい人材はいましたので、スオウ社へ斡旋はさせていただきました。
人事の一部も担っているターリスは、学内でヘッドハンティングまがいのことをしている。
奨学生の平民や、後を継がない貴族の子息から優秀な者を見つけては入社試験に誘導しているのだ。
そんな事よりも、アリアに相応しい伴侶を見つけてもらいたい。
「アリア様をスオウ男爵夫人にされるのが、一番安心できると思うのですが……」
以前にも言われたことだが、到底いい案には思えない。
今朝も、アリアの胸の谷間に生唾を飲んでしまうような下賤な事をしてしまった。
「私には、その資格はない」
アリアには、幸せな人生を歩んでほしい。それを傍らから支援することだけが私の使命だ。
アリアは護るべき相手だ。アリアに向ける感情は、恋情と呼べるものではない。だが、それ以上の何かが胸の奥で疼くのを止められない。
「今年の編入生に興味深い人物がいます」
ターリスが微妙な苦笑いを漏らした後、書類を一つ差し出した。
「新年度に、四年生として留学生として来ます。国内でお相手を探した方が、ヴァーナード様が管理しやすいのは承知しております。ただ、ヴァーナード様が希望する条件を珍しく突破していましたので。まだ第一報告ですので、子細は追加で調査しますか?」
ターリスが手渡した書類に目を通しながら、ヴァーナードは思案する。ナツメ・ライラック・ソレイユ。ソレイユ公爵家の名を見た瞬間、一抹の不安がよぎった。
ブルームバレー聖国からの特別留学。歳は十八、婚約者はなし。貼り付けられた写真が本物ならば顔はいい。ここまで条件のいい人物がこうも上手く転がり込んでくる者か?
「ライラック、ソレイユ?」
「はい、ライラック伯爵家の子息として学内では過ごす予定ですが、実際はソレイユ公爵家の長男です。何かあれば国際問題になりますので」
「ソレイユ家か……あの?」
「はい、あの」
ブルームバレー国は聖女が守る国だ。二十年ほど前、新たな聖女が見つかるまでは一時危機があったらしいが、今は聖女の力でもっとも安定した国と言われている。
そして、その国の王族の傍系であるソレイユ家は、魔法の基礎研究に力を入れている。そこから派生した製品で巨万の富を得ていた。似た分野だが、ライバル会社というのも躊躇う相手だ。
「………ソレイユ家か」
人差し指で机を叩く。
サナリア国内では、並ぶ会社は数えるほどしかいなくなった。少し格下程度の会社であれば、こちらが掌握し、いざという時に制裁を加え、アリアを護れるが、格上の相手に嫁ぎ、そこでアリアに何かあった時、助けることは難しくなる。
だが、そこで幸せに暮らせるならば、これ以上ない場所になるだろう。
「調査を続けてくれ。留学の理由も含めて。こんな土地に来るからには、もしかすれば魔法の扱いに難がある可能性もある」
「かしこまりました」
魔法が使いにくい土地と言うことは、他の土地では処分対象になる魔力暴走を起こしやすいものでも暮らせるということだ。
ブルームバレー国は確か魔法を使えることが貴族の絶対条件だったはずだ。
書類に視線を落とす。
この男の横で、アリアがいつものふ抜けた顔で笑う姿を想像した。
前世の記憶にある彼女は、竜王国で王族に見初められながら、権力闘争の犠牲となった。彼女の幸せを願う気持ちは、その記憶と共に深く刻まれている。
王族ではないとはいえ、それに類する権力者にアリアを任せていいのか。
記憶の中にある前世の彼女は、手足すら奪われ自由に暮らせなくなった。それなのに私にふ抜けた笑みを向けていた。
思い出しただけで胸に痛みを感じる。
アリアには幸せになって欲しい。だが、その隣に私がいることは許されない。
あんな状況になった彼女にすら劣情を抱いた私では、到底、似つかわしくない。
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