1
私には前世の記憶がある。
それがなぜ起きたのかはわからない。ただ一つだけ確かなのは……その記憶は、彼女を護るためにあるということだ。
私の人生は彼女を護るためだけにあると言い切れる。そのためにこの記憶は必要なものなのだろう。
その最大の人生の目標にはいつもいつも執拗なまでに障害が立ちはだかった。
今まさに、今生では最大の危機と言っていい状態が目の前にある。
「ヴァーナード・スオウ! 私はあなたとの婚約破棄を求めます!」
アリアの声がパーティー会場の喧騒を割るように響いた。豪奢なシャンデリアの下で、彼女の瞳はまるで嵐のように揺れている。
卒業式典の一環として行われたパーティー。貴族社会の名残りが残った行事だ。その場に参加できるのは卒業生とその家族、それに婚約者も認められている。
私に婚約破棄を宣言したアリアはまだ在学生だ。なので私の婚約者として参加していた。
本来エスコートして入場するべきだったが、急な呼び出しでひとり先に入ってもらっていた。私を見つけるや、この高らかな宣言である。
「これまで私に対して行った数々の嫌がらせ! 知ってしまったからには一緒になどいられませんっ。婚約破棄を要求します」
馬鹿なアリアが持っていた紙を私に突き付けた。
それを見て野次の何人かがあっと顔色を変えている。
証拠書類を受け取り、確認する。
馬鹿なアリアはこれまでの被害とこの話に相違がないと判断し、突発的にこんなことを言い出したのだろう。
一晩寝ていれば、もう少し冷静だったはずだ。というか、どうでもよくなっていただろう。
「アリア」
婚約破棄はしないと言う前に、どこからともなく声が響いた。
群衆から無駄に光る一張羅を着た男が前に出てくる。
「スオウ、安心していい、婚約破棄の後は僕がアリア嬢の面倒を見るのだから」
「え、マッカス様?」
アリアが肩に置かれて手をあからさまに不快そうに見た後顔を見上げている。
マッカス・マケーノルス公爵令息はアリアの周りを飛ぶ蠅の一匹だ。彼も今日卒業になる。接点が減る前に動いたのか。
「アリア、君と私の婚約はご両親から許可をいただいている正式なものだ。お二人は今回の話を承知しているのか」
「ゔぐっ、まだだけど……こんな卑怯な事をしていたと知れば、きっと、多分、恐らく賛成してくれる。はずっ」
アリアと違って馬鹿ではないアリアの母親は到底許可すまい。
「お騒がせして申し訳ない。私の婚約者が最近構ってもらえなかったからと悪戯を仕掛けただけのこと、どうぞ、お気になさらず」
アリアに嫌がらせをしていた張本人の何人かへ視線を向ける。それらが慌てて視線を外して離れると、集団心理で気にしないふりを始めた。
スオウの会社から金を借りているか、契約をしている家門も弁えて離れていった。世の中は金だ。よほど馬鹿でなければ、今の私に喧嘩を売りたいものはいない。
「さて、マッカス。君も私たち二人には何の関係もない。悪いがアリアと二人で話し合わなければならないんだ」
「なっ……私は、公爵家のものだぞ」
暗に消えろと言えば、マッカスが頬を引き攣らせた。相手の方が家格も歳も上だが、経済力と実際の爵位持ちと言う点で私は負けていない。
戦後、貴族階級よりも商家が台頭した。今ではただ爵位があるだけでは価値はない。無論、いまだに選民意識が強い愚民は少なくないが。
「次男も優秀だと伺っていますよ。爵位を継いでから、話をしにきてください」
アリアの肩を掴む手を払いのけ、アリアの腰に手をまわして引き寄せる。
事の発端のアリアは自体を理解していない。
「アリア、話があるならばしっかりと聞いてやろう」
「ほ、ほぇぃっ?」
予想外の展開に完全に気を取られた彼女は、その場でぽかんとしている。そんなアリアを尻目に、丁寧に彼女の背を押してテラスへと誘導する。
部下が事態を見てすぐに確保してくれていた場所で、すでに人払いをしている。
「えっと、婚約破棄を」
覇気のない声でアリアが訴える。
「アリア、私が君の家へどれだけ融資しているか知っているか?」
「へっ」
知らないのは当たり前だ。私が口止めしていたのだ。
「アリアのドレスも、学費も、それに生家の事業の建て直しに必要だった資金も、誰が出していると思っているんだ」
自分で言いながら、何とも非道だと苦笑いが漏れそうになる。
「えっ、えっと、両親じゃぁ……」
「家を継がず、既に婚約者もいる娘をわざわざ学費の高い王立学校に通わせることは珍しい。アリアが学校に行きたいと言うから支援したが……」
アリアの兄二人が学校に通い、それを聞いて楽しそうだからと行きたがった。
勉強嫌いで後悔しかしていないようだが、彼女が母親とした約束を果たして真面目に通っている。本当に変なところは真面目だ。
思いのほか問題が生じて、私まで通うことになったのは予定外だった。
今回の婚約破棄も想定外だ。アリアはどうしてこう、自分から自滅の道へフラフラと歩いていくのか。
「これだけ支援した相手から、婚約破棄を申し出るとは……その意味と結果を理解しているんだろうな」
口に出した脅し文句を撤回できず、追い打ちをかけていた。
だが、今婚約破棄をされては困る。
私とアリアは婚約者という繋がりがなければ赤の他人だ。融資する理由も、護る理由もなくなってしまう。それだけは、避けなければならない。
婚約者がいなくなれば、すぐに蟻が群がってくるだろう。それを避けるためならば、アリアを金で買ったと誤解されても構わない。
「ゔゔぅ、わかりました」
アリアが綺麗な顔をきゅっと歪めて苦悩している。変顔すら可愛いのはどういう了見なのか。
「わかってくれたか」
婚約破棄を諦めてくれたかと安堵したが、馬鹿なアリアは私の想像の上を行く。
「はぃ。学校は残念だけど、辞めて働く。できるだけお金を返せるように頑張りマス」
「………は?」
婚約破棄には劣るものの理解ができない。
「あ、ちゃんと、返すから、夜逃げしたりしない」
呆れと取ったのか、改めてアリアが力強く言う。
「働くとは、具体的になにをするんだ。労働などしたこともないだろう」
働かなくてもいいように、見つけてからは金をかけてきた。
「えっと、うーん。あっ、農家の臨時雇いとかに行くっ。私、見た目と歌と家庭菜園だけは母から褒められてるからっ」
馬鹿なアリアが言う。
実際、アリアが手をかけた植物の育ちが異常だという報告は聞いていた。
見た目を活かして娼館に行くと言わないのは知識がないおかげだろう。アリアの見た目で簡単に稼ぐ方法はいくらでもある。だが、そんなことをさせるつもりはない。
「あっ、こう見えて腕力には自信があるからっ」
彼女は慌てて拳を握ってみせたが、その仕草は明らかに場違いだった。しかし、本人だけが真剣で、目には自信が宿っている。
アリアは社交界に出ていないことから深窓の令嬢と思われているが、弱いのは体ではなく頭だ。体はとてつもなく丈夫だ。
「はぁ……。もし働いて返したいというのであれば、私の屋敷でその手を借りよう。丁度新しいメイドを探しているところだ。」
「へ?」
アリアがきょとんとした顔をしている。
テラスに置かれた魔法陣のライトの灯りでアリアの長いピンクブロンドが煌めいている。夏の晴れた空のように深い青い瞳がじっとこちらを見る。
アリアが婚約破棄を諦めると言いさえすればいい話だ。そう思っていたがアリアが納得したように頷いた。
「踏み倒して逃げたりしないけどっ、返済ができるか心配なのはわかる。でも、仕事の斡旋までしてもらうのは、流石に悪い」
「……一年。一年メイドとして働けば、今日までのアリアとアリアの生家への支援に関して一切返還は求めないと約束しよう。学校も続けていい」
他に引き留める策はなかったのか。言いながら自問する。無様に追い縋れば、アリアは案外とあっさり破棄を見送るかもしれない。そもそも、婚約破棄をしようと考えた原因の多くは私がやったことではない。だが、裏でアリアに近づこうとするものを消していたのは事実だ。
「一年で、いいの?」
「ああ」
今からでも、金のことは気にするなと言うべきか……。
屋敷にアリアを留めれば色々と安全対策はできる。だが、アリアが家に来れば、これまでの適度な距離が変わってしまう可能性が高い。
「わかった……。いえ、わかりました。えっと、一年、頑張って働きますっ」
馬鹿なアリアがあっさりと受け入れた。婚約者とはいえ、男の家に住み込みで働く危険性を理解していないのか。
「明日の朝には迎えを寄こす。それまでに荷物をまとめて置くように」
「ええっ、明日っ!?」
「本来ならこのまま連れて帰りたいが、私も忙しくなりそうだからな」
アリアを唆した中心人物はマッカスだろう。だが、他にも裏で糸を引くものがいる。
予定外に早く卒業してしまうことになった。最近は私がいなくとも、アリアが学校で平穏に過ごせるようなに場を整えることに力を注いでいた。まさかこんな形で敵が攻めてくるとは……。想定が甘かった。
アリアを悲しませないために色々と加減していたが、手加減をし過ぎたようだ。
アリアが平穏で幸福であること……それだけが、私のすべてだ。たとえそのために、この手を汚す必要があることも厭うつもりはない。
新シリーズです。
相変わらず誤字脱字が多いと思います。気になるとは思いますが間違い探しと流していただけると……。
この少し下にある☆☆☆☆☆をぽちっと押してもらえると大変喜びます。
もちろん数は面白かった度合いで問題ありません!
ついでにイイねボタンやブックマークをしてもらえると、さらに喜びます。