09話 知識を求めて
車を動かせなかった隼人は、空間収納で車体を回収した。
車があった場所には、代わりの物を置いてきた。
住人が無事に帰宅できた暁には、車が空の木箱、中世のオイルランプ700個、植物油の樽などに変わった怪奇現象を目にするだろう。
一体どのような反応になるだろうかと妄想しながら結依の家に帰宅した隼人は、車のエンジンがかからなかった理由を考えた。
「やっぱりバッテリー切れだよなぁ」
「バッテリー切れって?」
「車のエンジンがかからなかった理由」
自分の車を持ったことがない隼人は、あまり車には詳しくない。
だがバッテリーが上がることは知っており、それが原因だろうと想像した。
もっとも知っているだけで、バッテリー交換の経験などは無いが。
「ちなみに結依って、バッテリー交換とか出来ないよな?」
「免許、持ってないし」
「だよなぁ」
自称18歳の結依は、ゾンビさえ居なければ、免許証を取得できる年齢だ。
だが1年前に文明崩壊していたならば、自動車学校に行けない。
仮に自動車学校があっても、運転教習をすれば、ゾンビに追われることになる。
現在の日本の18歳以下は、運転ができない世代になりそうだった。
「ネットが繋がっていたら、バッテリー交換について調べられるんだけどな」
「1年半くらい前から、色々なところが繋がらなくて、殆ど見られなかったよ」
「そうか。まあ、そうだろうな」
文明崩壊は1年前だが、次第に悪化していったのであって、1年前までネットが繋がっていたわけではない。
そして現在では、完全に不通だ。
インターネットが繋がらないこの世界では、知識を持つ人に聞くしかなかった。
「どうしたものかなぁ」
薄暗い室内で、隼人は窓際に立ちながら顎に手を当てて呟いた。
確実に大人が居ると分かっているのは、結依が追放された霧丘北中学だ。
だが、結依が感染状態から回復したことを知られる危険がある。それに追放された結依の心情にも鑑みると、霧丘北中学には頼れない。
しばらく考え込んでいた隼人の頭に、一つのアイデアが浮かんだ。窓ガラスに映る表情が、僅かに明るくなる。
「霧丘農業高校なら、人が居るかな」
「霧丘農業高校?」
隼人の呟きを聞いた結依が、小首を傾げた。
「中学の同級生が進学したんだが、かなり広い敷地と農地があると聞いた」
「へぇ?」
「水田、野菜園、果樹園、ビニールハウスがあって、川から水を引き込んでいるから水もある」
「それは凄いね」
食料と水があると言われた結依は、驚きの声を上げた。
そんなものが安定して手に入るのであれば、避難所は誰も困らない。
物資調達班はリスクを冒さなくて良いし、結依も噛まれずに済んだ。
「絶対に大人は居るだろうし、誰かはバッテリー交換くらい出来るだろう」
「というか、住めるんじゃない?」
「俺達は無理だし、あっちも受け入れ人数の上限だと思うぞ」
「あー、そうだね」
隼人は大規模な集団に属せないし、結依も霧丘市からは離れなければならない。
それを思い出した結依は、思い付きを取り下げた。
「だけど物資の提供と引き替えに、バッテリー交換を教えてくれと頼むなら、交渉は成立すると思う」
隼人の説明を聞いた結依は、否定しなかった。
「行く前に、水と食料は大量に置いておく」
「うん、ありがとう」
「それじゃあ、行ってくるか」
隼人は上げろと言われた好感度を稼ぎつつ、農業高校への道程を思い浮かべた。
そして自転車に乗り、霧丘農業高校へと出発した。
市内の道路には、あいかわらず放置された車が散見された。
「車が放置されているのは、ガス欠かな」
高校の職員室で得た情報には、ガソリンは災害車両限定というものがあった。
警察や救急車が優先されるのは、理解可能だ。
それにガソリンスタンドへの電力供給が滞れば、供給が出来なくなる。従業員がゾンビ化することだって考えられる。
ガソリンを得られなくなった一般市民は、車を動かせなくなったのだろう。
隼人はペダルを強く踏みしめて、自転車を進めていった。
ヒグマ並の脚力を以て漕げば、バイク並の速度が出る。あまりに速過ぎて、自転車が壊れないかと心配になるほどだ。
隼人だけであれば自転車で構わないが、結依も居るので車は必要だ。
そして自分でバッテリー交換ができないので、教えて貰わなければならない。
やってみてドカンは、非常に困る。
「ほかにも冬用タイヤへの交換とか、ついでに色々と聞くべきかな」
乗車中にタイヤが外れて転がる目には、遭いたくない。
動画で見る分には楽しいだろうが、自分が当事者になるのは嫌だ。
隼人はペダルを力強く踏み込んで、市内を走り続けた。
道中には荒れ果てた商店や、人気の無い住宅が並び、かつての賑わいはすっかり消え去っていた。
「うおっ!?」
曲がり角を曲がった隼人の前に、いきなりゾンビが現れた。
隼人は慌ててハンドルを切り、自転車を揺らしてゾンビを回避する。
ゾンビは隼人を認識したが、歩行では自転車に乗る隼人に追いつけない。
呻り声を上げながら追いかけてきたが、引き離すと見えなくなった。
「ああ、驚いた」
いきなり目の前にゾンビが現れるのは、軽くホラーである。
ヒグマ並のパワーが有るといっても、隼人の心臓はチキンハートなのだ。
もしもアイアンハートであれば、今頃は結依を押し倒していたかもしれない。
隼人は冷や汗をかきながらも、速度を緩めずに進み続けた。
道中で何度かゾンビと遭遇したが、自転車のスピードを活かして逃げ切った。
ゾンビたちは無意味に手を伸ばし、隼人に向かってうめき声を上げていた。
市街地を抜けると、景色が徐々に変わり始める。建物の数が減り、代わりに広がる田んぼや草原が目に映った。
進むにつれて、自然の景観が広がっていった。
「そろそろかなぁ」
活動範囲が市内であったために、地理が分かるのは幸いだった。
車を動かせればカーナビを使えるが、GPSは有効だろうか。
ゾンビには人工衛星を撃ち落とすことなど出来ないが、管理する人間が居なくなれば終わりだ。
管理する内閣府には、これまで国民から集めた税金分くらいは頑張れと、願わずにはいられない。
そんなことを妄想しているうちに、バリケードで覆われた霧丘農業高校の校舎が見えてきた。
遠方に校舎が見えると、隼人は民家の影になるよう、慎重に進み始めた。
警戒するのは、自衛隊だ。
農業高校が自衛隊の基地化していて、「緊急事態条項に基づく民間徴用!」などと言われては、堪ったものではない。
異世界ブラック帝国から送還されて、地球ブラック日本国で徴用されては、過労死が待ったなしである。
――宰相に媚びを売って、残して貰うべきだっただろうか。
送還されそうな時に「私は猛獣ではございません、宰相閣下の犬でございます」と言えば、送還を止めてくれたかもしれない。
それが嬉しい人生なのかは、さておくが。
いずれにせよ隼人は、霧丘農業高校に属する気はない。
現状で結依を放り出すのは、流石に無責任だ。
交渉可能な相手が居るのかを見て、交渉が可能そうであれば接触する。そして、物資を提供する引き替えに、バッテリー交換などを教えてもらう。
駄目そうであれば、諦めて引き返す。
――バリケードはホームセンターとかの材料で、自衛隊っぽくはないよな。
現在の可能性としては、自衛隊の基地化はしていないほうが高そうだった。
自衛隊は自前で各地に基地を持っており、農業高校よりセキュリティも高い。
食料の確保では、農業高校を押さえるよりも、広大な農地をバリケードで囲んだほうが遥かに多く手に入る。
民家の影から接近した隼人は、やがて自転車から降りた。
「ここからは、隠れて進むか」
隼人は自分に言い聞かせるように呟き、民家の影に隠れながら進んだ。
茂みや物陰を利用して、可能な限り姿を晒さないように気をつける。
農業高校のバリケードが見えると、隼人は一旦足を止めて、周囲を確認した。
ゾンビの気配がないことを確かめると、近くの民家に目を向ける。
隼人は素早くその民家に移動して、1階の屋根に登った。
――これで、もう少しよく見えるかな。
隼人は2階部分の影に身体を隠しながら、バリケードの先を観察した。
すると補強されたバリケードの向こうに、制服を着た数人の姿が見えた。
農業高校の制服は知らないが、全員が高校生くらいだ。
彼ら彼女は農作物の手入れでもしているのか、農具を持って移動していた。