08話 車の探索
「結依、話があるんだが」
隼人が話し掛けると、結依は小さく首を傾げた。
「どうしたの?」
「今回、自転車を探しに行った帰りにドラッグストアに寄ってみたが、どこも荒らされていて、何も無さそうだった」
理由は明白で、略奪が横行し、避難所の人々が市内の物資を回収したからだ。
店の奥まで探し回ったわけではないが、店の入り口が開いている以上、遮蔽物のない奥も回収されたと考えるべきだ。
そうしなければ、1年間も避難所が保つわけがない。
だが生産が出来ない以上、市内に残った物資は尽きていく一方だ。
現在の隼人と結依は、隼人が異世界から持ち帰った水と食料を使っている。
1000人が10日行軍できる量なので、1万日分。
隼人と結依で分ければ、5000日で13年くらい保つかもしれない。
だが隼人は21歳で、結依は自称18歳。どれほど節約しても、寿命が尽きるまでは保たない。
それに水は、食器を洗うことにも、トイレを流すためにも使う。
身体を拭くことだって必要だ。
「このまま霧丘市に居ると、いつか手持ちの水と食料が尽きると思う。特に水は、かなり早く尽きると思う」
隼人の言葉に、結依は眉をひそめた。
身体のウイルスを除去された結依も、将来については懸念していた。
「それに結依を追放した連中に見つかって、結依が治ったと知られたら、俺だけじゃなくて結依も身体を調べられる」
隼人の指摘に、結依の顔が強張る。
「免疫だっけ?」
「未知のウイルスが世界流行して、一人だけ治った人間が居る状況だ」
「それは調べるかもね」
むしろ調べないほうが、有り得ないだろう。
結依のウイルスは、隼人が神聖魔法で除去している。
だが結依の身体には、ウイルスの免疫が作られた可能性がある。
「俺も免疫には詳しくないが、コロナが流行して、ウイルスについては何度もテレビでやっていた。ウイルスに感染した場合……」
ウイルスに感染した場合、ウイルスが体内の細胞に侵入して、増殖する。
すると免疫細胞が、ウイルスを認識して攻撃する。
普通は免疫細胞が勝ってウイルスは排除されるが、ゾンビウイルスは魔素を使って活性化するので強い。
地球の文明崩壊以前の罹患者は、ウイルスに全敗している。
「異世界だと、どうしていたの?」
「神聖魔法で治していた。超文明のナノマシンを身体に持っているのか、異世界人は神聖魔法を使えた。量が違うのか、力は個人差が大きかったが」
なお転移装置を使われた隼人は、オリジナルの第一世代になるのか、異世界人の大司教を超える力を有していた。
司祭になりたいと根回しをしておけば、送還されなかったかもしれない。
聖職者をしたいとは思わなかったので、その発想には至らなかったが。
「感染から回復した人間には耐性が付くのか、二度目以降は感染しても、しばらく保つようになった。ナノマシンが活性化したのかもしれないし、よく分からない」
「あたしがどうなるかは、分からないんだ?」
「事例が無いからな」
そもそも異世界では、耐性を持つ人間が居ても、気にされなかった。
神聖魔法という治療手段があり、免疫自体を知られていない。
免疫細胞の活用方法が無くて、免疫を持つ人間が存在しても意味が無い。耐性を持つ人間が居ても、報告されずに放置されていたかもしれない。
だが地球では、然に非ず。
血液や細胞から免疫反応のメカニズムを解明して、治療法を見つける手がかりになるかもしれない。
治療方法が確立するまで、結依は研究所から出してもらえなくなるだろう。
ちなみに地球人には魔素が分からないので、監禁期間は一生となる。
「そういうわけで、この市から離れるために、安全に移動する手段として車を確保しようと思う」
「分かった。移動するほうが良いかも」
隼人は、結依の理解を得られたことに安堵した。
結依が捕まれば、隼人も芋づる式だ。
したがって、逃げるが勝ちである。
「SUVなら丈夫で、長距離の移動にも適していると思う」
「SUVって何?」
SUVは、スポーツ・ユーティリティ・ビークルの略で、スポーツ用多目的車という日本語訳になる。
ユーティリティは実用性で、ビークルは自動車。
最低地上高が高いので、凹凸のある山道などの悪路でも車体底部が路面と接触し難く、段差の乗り越えや、悪路の走破性が高い。
「車高が高くて、頑丈で、山道とか悪路でも走行できる良い車だ」
「ゾンビに襲われても、安全性が高いんだ?」
「早い話が、そういうことになる」
隼人の提案に結依は考え込んだが、やがて頷いた。
「結依は、家で待っていてくれ。俺が探してくる」
「分かった。いってらっしゃい」
結依に見送られた隼人は、家を出て、自転車に乗った。
「なるべく立派で、頑丈な車がいいな」
隼人は、自分の足となり、結依の安全を守る車を探した。
乗り心地が良く、故障せず、頑丈な車を選ぶのは当然だ。
そうした条件を満たす車は、必然的に車体価格の高いものになる。
隼人は運転免許を持っているが、自分の車は持っていない。
異世界召喚された時は高校3年生で、免許を取ったばかりだったので当然だ。
在学中に免許を取得できたのは、卒業後すぐに就職する生徒が困らないようにという学校側の配慮だ。
当時は進学するつもりだったが、一応取っておいた。
まさか免許証を取得できない世の中になるとは、当時は完全に想定外である。
「普通に進学して、働いて稼いだら、何歳くらいでSUVを買えたかな」
買えたとしても、ローンだっただろう。
あるいは価格で妥協して、SUVは一生手に入らなかったかもしれない。
それが意外な展開で、SUVを獲得できる機会が巡ってきた。
差し引きでは大変不便な生活を強いられるため、隼人を召喚してゾンビウイルスを流入させたであろう帝国に感謝しようとは思わないが。
そんな考えを抱きつつ、隼人は自転車で住宅街を巡った。
――金持ちの家なら、SUVくらいあるだろうか。
周囲を注意深く観察しながら、自転車を漕ぐ。
ちょっと泥棒の気分を味わってしまい、自分の行動に衝撃を受けた。
そして生存権の行使や、緊急避難といった言い訳を内心で並べ立てながら住宅街を進んでいくと、やがて立派な門構えと広い敷地の家が目に留まった。
隼人は自転車を降りて、その家の駐車場を覗き込む。
だがそこにあったのは、普通の乗用車だった。
「金持ちなら、高い車に乗ってくれよなぁ」
愚痴をこぼしつつ、再びペダルを踏む。
住宅街をさらに進むと、ようやくSUVが駐車されている家を見つけた。
その家も立派な門と広い庭に囲まれており、いかにも裕福そうだ。
隼人は慎重に自転車を降りて、そのSUVに近づいた。
それは国産のSUVで、高価だが、外国製の高級車ほど珍しい車種ではない。
シリーズの出荷台数は、国内で数万台。
日本の市町村に平均で30台くらいはある。
――砂埃を被っているな。
車は、しばらく動かされていない様子だった。
だが程々には状態が良くて、普通に乗れそうに思えた。
車のドアは開けられず、隼人は家の外観を眺めた。
「鍵は、一体どこにあるのかな」
家の玄関は施錠されておらず、隼人は玄関から中に踏み入った。
屋内は冷蔵庫などの家電製品の駆動音すら聞こえず、静まり返っている。
隼人は最初に玄関の靴箱をチェックしたが、そこに鍵は見当たらなかった。
――次はリビングか、キッチンか。
土足のまま家に上がった隼人は、リビングやキッチンの各所を調べた。
家の家具や装飾品は高級感があり、住人の裕福さが見て取れる。だが荒れており、それなりに家捜しされていることが窺えた。
有用な物資は見当たらず、鍵が見つからなければ収穫ゼロである。
「自分の家なら鍵の置き場所は分かるけど、他人の家はまったく分からないな」
廊下、居間、寝室。
鍵が置かれた場所はどこかと、隼人は順番に探し回った。
新たな部屋に入るときは、一応ゾンビには警戒している。
肉弾戦でも勝てるが、唾液を付けられるのは嫌である。
その件に関しては、元美少女のゾンビが相手でも、意見は翻さない。
そういうことは、ゾンビ化前にお願いしたい。
妄想しながら寝室の引き出しを調べていると、ようやく車の鍵が見つかった。
鍵は寝室の引き出しの中に、電波遮断ケースに入れて収められていた。
そのスマートキーに内蔵されている鍵を取り出して、隼人は溜息を吐いた。
――動いてくれよ。
せっかく苦労して探したのだから、動いてほしい。
玄関を出た隼人は、さっそく車を動かしてみることにした。
運転とは3年間ほど無縁だったが、ブレーキを踏みながらエンジンを掛けることくらいは出来る。
まずはブレーキを踏んでみたが、ブレーキランプが付かない。
嫌な予感がしてエンジンを掛けてみたところ、車は反応しなかった。
「これはバッテリー切れかな?」
放置されているのであれば、無理からぬ話であった。