07話 自転車探し
「一先ず、結依の家を拠点にする」
「どうして?」
神聖魔法で結依を治療した隼人は、今後の方針を示す。
そんな隼人の言葉に、結依は首を小さく傾げた。
「ウイルスを除去した結依を移動させると、またゾンビに襲われる」
「そうなの?」
「少なくとも異世界では、そうだった」
関係があるのかは知らないが、インフルエンザも2回罹ったように思われる。
実際に襲われるのかを試したいと思うはずもなく、結依は襲われる可能性があることに納得した。
「結依は自宅のほうが勝手を知っているし、一応ゾンビも防げていた。俺の家は、窓ガラスを割られて、家捜しされていた」
結依の家には3体のゾンビが取り付いていたが、一応侵入は防げていた。
反対に隼人の家は、窓を壊されて、ゾンビが侵入可能になっている。
――俺の部屋の漫画すら、持ち去られていたし。
隼人の家は、それくらい漁り尽くされたわけだ。
生活に必要なものは、根こそぎ持ち去られている。
そのため結依の家のほうが、遥かにマシだと隼人は判断した。
「そっか。良いけど」
一緒の部屋で寝ることには、躊躇いがあるのだろうか。
結依の言葉に含まれる微かな不安を感じ取り、隼人は自分で提案した。
「俺の部屋は、1階にしよう。ゾンビに対処できる」
「それなら、お父さんの部屋があるよ」
明るい声で父親を売り払った結依に頷き、隼人は一室を確保した。
「それじゃあ、物資でも探してくる。まずは自転車が欲しいな」
隼人は、物資を集めるための手段として自転車を手に入れることを考えた。
ヒグマ並の身体能力でも、足で走るより、自転車に乗るほうが楽だ。
現在の霧丘市は平穏ではないので、疲労を避けるのは当然の行動である。
――学校の自転車小屋には、鍵が掛かっていないやつがあったかな。
もしかすると誰かの自転車には、鍵が挿されたままだったかもしれない。
だが異世界から帰還した直後であり、倫理観が働いて、無意識に避けた。
今にして思えば、学校に人間がおらず、代わりにゾンビが徘徊していた時点で、持ち主のことを気にする必要など無かったが。
「あたしの自転車ならあるけど」
「うん、まあ流石になぁ」
結依の身長は、150センチメートル未満で、小学6年生ほどに思われた。
それに対して隼人の身長は、平均的な日本の成人男性ほどだ。
自転車のサイズは、体格に合っていない。
「何か言いたいことがあるならどうぞ?」
「俺が悪かった」
謝罪はしたが、方針は撤回しない。
隼人は自転車の調達先として、駅の自転車置き場を想像した。
最寄りの霧丘北駅までは、結依の家から3キロメートルほどだ。
「駅だったら、自転車の鍵を掛け忘れたまま電車に乗って、霧丘市に戻って来られなくなった人も居るんじゃないか」
平時でも、誰か一人くらいは、うっかり鍵を掛け忘れることもある。
ゾンビ騒動でバタバタしていれば、なおのこと鍵を掛け忘れるのではないか。
1台くらいは鍵が掛かっていない自転車がありそうだと、隼人は考えた。
「大丈夫?」
不安そうに尋ねた結依に対して、隼人は気軽に答えた。
「ヒグマは、時速50キロメートル以上で走ったり、イノシシを狩ったり出来る。ついでに俺には、槍もある」
取り出された槍の先端がキラリと輝くと、結依は呆れた表情を浮かべた。
「いってらっしゃい」
気を付けてねとは、言われなかった。
そのまま結依の家を出て、駅へと向かう。
街は静まり返っており、ゴーストタウンという言葉が隼人の脳裏を過ぎった。
途中、複数の車が路肩に置き捨てられているのを目にしたが、それ以外の障害は無かった。
――俺を見つけて追いかけたゾンビは、居たかもしれないけどな。
遠方から隼人を見つけたゾンビは、居たかもしれない。
だが隼人は、駅まで歩くのではなく、小走りで向かっていた。
これから探す自転車くらいの速度は、出ていたのではないだろうか。
その速度には、ゾンビが追い付けるはずもない。
後方が市民マラソンのような大集団と化しても、追い付かれなければ問題ない。
前向きな隼人は後ろを振り返らず、何事もなく霧丘北駅に到着した。
駅の自転車置き場には、沢山の自転車が倒れていた。
整然と並んで置かれた後、強風で倒れたか、誰かが慌てて乗り捨てたときに倒してしまって、その後に誰も直さなかったのだろう。
隼人は自転車置き場に歩み寄ると、倒れた自転車を一つ一つ見下ろして、鍵が付いた自転車を順番に探し始めた。
「後輪のロックは壊せば良いけど、前輪のロックも一緒に掛かるからなぁ」
直すのに四苦八苦するよりは、鍵が掛かっていない自転車を探すほうが早い。
駅から電車で移動する人間は、年齢的には高校生以上が大半を占めるので、結依の自転車よりも大きい。
鍵が挿されていれば良いと見渡していると、背後からうめき声が聞こえてきた。
振り返ると、市民マラソンで優秀な成績を出せそうな三体のゾンビが、ゾンビにしては中々の速度で向かってくるのが見えた。
「エリートゾンビか」
そんな分類のゾンビは、存在しない。
勝手に分類した隼人は、自転車探しを一旦中断して、虚空から槍を取り出した。
穂先には、異世界で鍛えられたダマスカス鋼が輝いている。
柄の部分には、戦場で血に濡れた木の質感が残っていた。
三体のゾンビは、普通の人間であれば怯える状況でも構わずに、隼人に向かって迫ってくる。
駅の自転車置き場に、2月の冷たい風が吹き抜けた。
次の瞬間、隼人の身体が半回転した。
その回転に合わせて槍が振われ、刃が一体目のゾンビの首筋を薙いだ。
振われた鈍い音と共に、刃が首を深く抉る。
「次だ」
一体目を薙いだ槍が豪腕で引き戻され、弧を描きながら二体目の胸を貫く。
隼人は槍の柄に力を籠めて、刺さったままのゾンビを持ち上げると、道路に投げ飛ばした。
槍が自由を取り戻すのと、三体目が迫ってくるのは、ほぼ同時だった。
薙ぐか、突くか、蹴るか。
どうとでもなると思った隼人は、振り上げていた槍を振り下ろして、三体目の頭を打ち据えた。
ゴンッと鈍い音がして、三体目が路上に倒れ伏す。
隼人は槍を振って汚れを飛ばすと、空間収納に戻した。
「さっさと探そう」
エリートならざるゾンビは、まだ到着していない。
その間にと呟きながら、隼人は自転車探しを再開した。
自転車置き場には、まだ沢山の自転車がある。
しばらく探すと、ようやく鍵が付いたままの自転車が見つかった。
「ギリギリセーフだな」
自転車を見つけた隼人が顔を上げると、市民マラソンの後続集団が迫ってくるのが見えた。
隼人は自転車に跨がると、彼らとは反対方向に自転車を走らせて、霧丘市民マラソンを棄権した。
自転車のペダルを力強く漕ぎ、スイスイと離れていく。
そして迂回するついでに、ドラッグストアに寄ることを考えた。
駅から少し寄り道するだけで良いので、さほど手間ではない。
記憶に残る店をいくつか回る。
だがいずれも入り口が壊されており、荒らされた跡が残っていた。
店の外側から見える棚は、空っぽである。
おまけに、ゾンビの姿まで見えた。
「どこにでも居るな」
無駄骨になると感じた隼人は、自転車の向きを変えて、店を後にした。
幸い空間収納には軍事物資を入れており、水や食料も充分にある。
自転車は手に入れており、今回の目的は果たせている。
ドラッグストアで物資を手に入れられなくても、隼人にとって致命的ではない。
隼人は自転車を走らせて、ゾンビを引き離す。
結依の家の近所に入ってからは、さらに慎重に動いた。
追ってくるゾンビが居ないことを充分に確認して、渡されていた合い鍵を使い、素早く家の玄関に入った。
帰還した隼人は、二階に上がって結依の部屋の前に行き、先に声を掛ける。
「ただいま」
隼人の声を聞いて、ようやく結依がドアの鍵を開けて顔を出した。
「おかえりなさい。どうだった?」
「自転車は手に入れた。これで物資の探索は、楽になるかな」
結依の問いに、隼人は平然と答えた。
すると無事に帰ってきた隼人の報告に、結依は安堵の表情を浮かべた。