55話 衣料品店
3月の冷たい朝陽が、どこか陰鬱な光を投げかけていた。
モールから数百メートル離れた民家に車を停めた隼人達は、徒歩で向かった。
「車には、悪戯されたくないからな」
「1回壊されたからね」
隼人の説明に、結依が追従した。
杏奈を先に家から出させて隠したが、念のために収納もしている。
なお隼人は槍を携え、結依と菜月は銃を隠し持ち、杏奈にも警察署で手に入れた拳銃のうち一丁を貸し出した。
「銃を持たせて頂いて、良かったんですか?」
「人が居るからと言って、安全とは限らないからな」
隼人が杏奈にも銃を持たせたのは、自陣営の戦力強化と安全性の向上が目的だ。
発砲する局面では、2人で撃つよりも、3人で撃ったほうが強い。
それくらい警戒して進んだところ、やがてゾンビに関しては、杞憂だと知れた。
モールの正面には、かつての賑わいを想起させるほど人々の姿があったのだ。
「宿泊客以外の人も来ていますね」
「そのようだな」
菜月が指摘したとおり、モールにはホテルで見慣れない人々の姿もあった。
――ゾンビを排除した日、ホームセンターにも10人ほど来ていたからな。
少なくともホテルを除く1ヵ所には、ゾンビが減ったことが知られている。
彼らは隼人に撃退されたが、物資の収集を諦めたわけではないだろう。
コミュニティ単位でホームセンターを漁り、次いでショッピングモールにも行ったはずだ。
訪れた沢山の人々の中には、カートを押して物資を運んでいる姿もあった。
「ブティックは二階にありますよ」
杏奈に案内された隼人達は、食品売り場がある正面左側の出入り口から入って、食品売り場前の階段を上り、二階に足を踏み入れた。
一番混んでいたのは、1階の食品売り場だ。
隼人が最初に訪れてから4日が経っており、かなりの物資が回収されていたが、まだ完全に空にはなっていない。
周囲にお土産コーナー、薬局、ケーキ屋があり、右手側にはコーヒーショップ、レストラン街などがあって、持ち出せる物が多いのだ。
2階にも人は入っており、いくつもの懐中電灯が各所を照らしている。
女性用の衣料品売り場はいくつかあったが、いずれも大量の服が殆ど手付かずで残っていた。
「まずは服を入れる大きな袋だな。レジに行こう」
沢山の服をそのまま抱えるわけにはいかない。
隼人が方針を告げると、杏奈は懐中電灯を照らして方向を示した。
「あっちにありますよ」
「よし、俺が前を進む」
何人もの姿があるので、おそらくゾンビは倒されている。
それでも隼人は先頭に立ち、杏奈が光を照らした先へと進んでいった。
すると広いレジカウンターがあり、カウンターの内側には大量の袋があった。
結依達は各々、それらの袋を手にする。
「安全最優先だ。俺から離れすぎるなよ。商品を入れた袋は、後で回収するから、レジの下とかに入れてくれ。帰りも手ぶらで移動するからな」
「はーい、分かったわよ」
隼人の話は、あらかじめ結依と菜月に伝えている。
商品を入れた袋は、隼人が後で回収するのではなく、収納する予定だ。
結依達が商品を持ち帰らない言い訳として、隠しておくことにした。
「それじゃあ行こうか」
「そうですね。最初は下着からで良いですか」
「それはこっちです」
結依と菜月が、杏奈の案内で歩いて行く。
女性の下着の買い物に付き合うのは気まずいが、ゾンビや生存者とのトラブルを避けるためには、付いて行かざるをえない。
チベットスナギツネのような表情を浮かべながら、隼人は三人に付き従った。
そして陳列棚の端で、槍を片手に超強力LEDライトを掲げる銅像と化しつつ、商品選びを見守った。
ライトの眩しい白光が、女性用のカラフルな下着が並ぶ棚を照らし出す。
「色々あるね」
結依はシルク繊維でリボンが付いた上下セットを手に取って眺めた。
その表情は楽しげであり、久しぶりの買い物に戸惑ってもいるようでもある。
「可愛いですね、それ」
結依の肩越しに覗き込むようにして、菜月が微笑んだ。
菜月が手にしているのは清潔感のある白だが、下はサイド紐が解けるタイプだ。
そして横目で、チラリと隼人を見た。
邪念を打ち払う念仏でも唱えるべきかと悩んだ隼人は、なぜか僅かに頷いた。
すると菜月は微笑んで、同じ系統の色違いをいくつか袋に入れた。
――違う。
指で引っ張ったら解ける下着が良いという意味で頷いたのではない。
もちろん良いか悪いかで言えば良いのだが、だから頷いたわけではない。
なぜか頭部が、無意識に頷いてしまったのだ。
隼人はテレビで見たが、小学校の校長先生が全校集会で「この中で万引きをしたことがある人」と聞いた時、実際には多くの生徒がやっていないにもかかわらず、周囲の空気に合わせて手を挙げたそうである。
そのような行為は社会心理学で「同調圧力」や「集団同調性」などと呼ばれる。
人間は、周囲が行動しているときに、それを正しいと無意識に判断してしまう。また周囲の期待や雰囲気に合わせようとする、心理的プレッシャーも発生する。
おそらく隼人は、菜月の期待に応えようと、無意識に頷いてしまったのだ。
従って無罪だと、女子高生にエッチな下着を選ばせた隼人は自己弁護した。
「ふーん、なるほどぉ」
だが生憎と、誤解してしまった人間が居た。
誤解した自称・妻は、隼人の心の弁明などつゆ知らず、父親には見せられないシースルーな商品を手にとって見せた。
今度の隼人は、強い意思で首を横に振ろうとした。
――いや待て。そもそも、俺が決めることじゃなかった。
杏奈が自分の服や下着に何を選ぼうと、それは杏奈の自由である。
それを証拠に杏奈は、普通の商品も選んでいる。
自分がチベットスナギツネの銅像であったことを思い出した隼人は、肯定も否定もせず、本業の照明係へと舞い戻った。
すると隼人が否定しなかったことを誤解した杏奈は、商品を袋に入れた。
相手は卒業間際の中学生だが、明らかに隼人は無罪である。
「それじゃあ、ここの商品はレジの下に入れるね。確認して」
「了解」
三人分の袋を隠した結依は、それを隼人に見せた。
三人とも大きな袋で3個から4個ずつになったが、今後手に入らない可能性もあるので、やむを得ざる状況であろう。
杏奈の視界から隠れていることを確認した隼人は、袋に触れて収納する。
そして菜月が杏奈を連れて、下着売り場から出た。
「次は、服ですね。どこにあるんですか?」
「服は、もっと奥のほうですよ」
通路の先には、いくつかのグループが手にした懐中電灯の光が舞っている。
それらに導かれるように、隼人達はモールの右手側へと歩き出した。
そして隼人は、後悔する。
女性の服には、無限大の選択肢があったのだ。
正確な時間は定かではないが、懐中電灯の充電が切れて、次の物を出している。
「ねえ、どれが良いと思う?」
「……ああ、もう全部持っていけば良いんじゃないだろうか」
「そうじゃなくて、どれが良いか聞いているんだけど」
「それじゃあさっきのAラインのワンピース」
「どこが良かった?」
ここで具体的に言及すると、それを踏まえて選び直しになる。
ゾンビがはびこる世界なので、早く選んで欲しいが、それを言ってはいけない。家やホテルに籠もりっぱなしで、ストレスが溜まっているからだ。
この場合の模範解答は、どうなるのだろうか。
「……結依」
「何?」
「お前は可愛いんだから、どれでも良いだろ」
ついに隼人は、ストレートに褒めてみる戦法を採った。
すると褒められ馴れていない結依は、「うっ」と呻いた。
だが隼人を観察して、問い質す。
「もしかして誤魔化した?」
早く終わってほしいという隼人の考えが、露見し掛けた。
だが肯定すると、費やされる時間が増す上に、結依が不機嫌になる。
隼人は直ぐさま弁明した。
「可愛いのは事実だ。そうじゃなかったら、誰が連れてくると思う?」
「うぐっ……じゃあ、どれが良かった?」
結依は、どうしても隼人に選ばせたいらしい。
結依に断念させる方法は無いかと想像を巡らせた隼人は、禁じ手を思い付いた。
結依に意見の聴取を止めさせられるが、隼人もダメージを受ける。
だがやむを得ないと判断した隼人は、それを口にした。
「最初に会ったときの服とか、良かったぞ」
最初に会ったときの服装は、中学の制服である。
隼人が口にした瞬間、結依の眉がハの字に下がった。
「あー、そうですか。そういうご趣味でしたね」
その件に関しては、わりと誤解である。
だが結依は、はいはいと呆れた表情を浮かべて、意見聴取を止めた。
なお菜月と杏奈が事情を聞きたがり、結依が回答を拒んだことから、結局服選びは長引くこととなった。
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