53話 新婚さんごっこ
モールから帰宅して数日後、ようやく隼人は、空間収納の物資を整理できた。
整理整頓して、結依達に多くの物資を分配して、部屋にも一部を出し置きした。消費期限が少し切れている物などは、桜井親子にもお裾分けをした。
それらにより、なんとか空の水桶を入れる空間を1つ捻出できた。
隼人はホテルと車を幾度も往復して、相当数の鞄を持ち込み、部屋に物資がある辻褄合わせも行った。
ホテルの出入り時に何度かは鞄を開いて中身を見せて、西山達にも一部を譲り、頻繁な出入りや大量の持ち込みに、目こぼしをもらった。
なお西山達に譲ったのは、桜井親子に渡したよりも消費期限が長く切れた物だ。それでも未開封なので、使えるだろう。
往復時には、宿泊客から協力を持ち掛けられるなど、絡まれたりもした。
数百体のゾンビを射て、大量の物資を得たことを知ったのだから、無理もない。もちろん隼人は断り、相手側も自分より強い隼人を相手にゴリ押しはしなかった。
「ああ、疲れた」
すべてを終わらせた隼人は、714号室のベッドにバタリと倒れ込む。
すると杏奈が寄ってきて、隣に腰掛けた。
「お帰りなさい、あなた。ご飯出来ていますよ」
柔軟剤のほのかな香りが漂う室内に杏奈が居るのは、結依が杏奈に対して、炊飯器と洗濯機の使用を許可したためだ。
米は隼人が桜井親子にお裾分けした物を使うので、共有はしていない。
だが洗剤やソープ類、ティッシュやトイレットペーパーは、回収量が多すぎたので部屋置きしており、杏奈が使う分には自由としている。
洗濯物は部屋干しで、結依達の物もあるため、部屋に入れるのは杏奈だけだ。
714号室の鍵は結依ないし菜月が空けており、安いほうのポータブル電源とソーラーパネルを除けば、失っても惜しくない物資しか置いていない。
そういう形で、状況は落ち着いた。
ちなみに隼人には、杏奈と夫婦になった覚えはない。
ただの15歳の美少女からの「奥さん出来ますよ」というアピールである。
「今日は何だい」
疲れていた隼人は、あまり深く考えずに、新婚さんごっこに乗った。
疲れていたというのは、自分への言い訳である。
部屋の鍵を開けた結依と菜月が見守る中、杏奈は演技を続ける。
「今日は、あなたの好きなカレーですよ」
カレー自体は、ショッピングモールの1階からの回収品である。
期限が切れていない物も少し分けており、杏奈にとっては取って置きの品だ。
それを場合によっては使うという一事で、杏奈の本気度が窺える。
「カレーは好きだな」
異世界暮らしだった隼人は、3年間カレーを食べられなかった。
だから本当に好きであり、御馳走だとも思う。
「だけど疲れていて、食欲がない」
「それじゃあ、先にお風呂にしますか?」
杏奈は、微笑みながら少しだけ首を傾げた。
その仕草は容姿と年齢が相俟って、魅惑的だった。
ちなみに結依は、隼人に視線で強い圧を送っている。
目は半分開きで、冷たい光を宿すという、高度な圧力だ。
隼人は視線を感じながらも、気にしない素振りを装った。
「そうだな。風呂にしようか」
「分かりました! すぐ湧かしてきますね。一緒に入りますか?」
「なん……だと……」
中学生で幼妻と一緒にお風呂は、江戸幕府の激怒案件である。
――いや待て、妻なら中学生でも合法か?
江戸幕府的には、側室も妻に含まれる。
隼人は結依に、「江戸幕府は、何人まで側室可だったっけ?」と、視線で尋ねた。すると結依は、「0人ですけど?」と、バッサリ切って捨てた。
遺憾の意である。
そんな結依の態度に、菜月が視線で「わたしは?」と再考を求める。
結依は一瞬固まり、やがて「0.4人ですけど?」と再回答した。
0.5人分ですら、駄目であるらしい。
「はいはい、アウトね」
「何故でござる」
「年齢、18歳ならセーフだけど」
結依の呆れた声が、部屋に響いた。
隼人は寝転びながら、少し考えて問い返した。
「ほほう。ならばセーフというわけだな」
「法的にはね」
結依は、素直に良いとは言わなかった。
駄目とも言わず、隼人への手綱は握り続けるという、玉虫色の回答である。
日本の役人が得意としており、役所のお家芸とも言える技だ。
「16歳以上も、合意はセーフですよ」
0.4人にされた菜月が、隙を突いて攻勢に出た。
身内と思っていた菜月の裏切りに、結依が僅かに狼狽する。
だが今回は、菜月を1人前の扱いにしなかった結依の落ち度であろう。
思わぬ加勢を得た隼人は、薄らと笑みを浮かべた。
「結婚を前提とした真摯な交際なら、未成年でも問題ないですよ」
結依が劣勢に立たされる中、さらに杏奈も攻勢に出た。
だが結依が3対1で攻められている状況かといえば、そうでもない。
杏奈は、結依だけではなく菜月とも競合する。
結依は二者から攻勢を受けており、菜月は0.4人前を訂正させようとしつつも杏奈の味方はしておらず、杏奈は結依と菜月との間隙を突いている。
なお隼人は、江戸幕府は何人……と、未だに悩んでいた。
「でもうちのお風呂、少し狭いですよね。そろそろ二人で一緒に入れるところに、お引っ越ししますか?」
杏奈は、どこか無邪気な口調で隼人の顔を覗き込むように言った。
714号室のバスルームは狭く、洗濯機も置いている。
それは狭いと思った隼人は、狭くない部屋を想像した。
「1002号室か」
隼人達が宿泊している1001号室の隣は、空いている。
風呂付き客室の宿泊代は、1人1ヵ月20キログラムで、最低2人での宿泊だ。食糧不足が深刻化する現状で、容易には泊まれない部屋である。
だが隼人は、お米が山のようにある。
カントリーエレベーターに行けば、使い切れないほどのモミがあって、1時間に60キログラムの生米を生産可能だ。
6時間の作業で360キログラムとなり、2人で9ヵ月分の宿泊費を得られる。
「一緒に入りましょ?」
杏奈は、隼人の身体にピッタリと密着してきた。
それに対して隼人は、行雲流水としている。
行雲流水とは、空をゆく雲や川を流れる水のように、自然の成り行きに身を任せて生きることである。
「隣の部屋を確保すれば、機械の音とかが煩くても、苦情を言われないだろうな」
直下の901号室と902号室まで確保すれば、ポータブル電源で精米作業すら可能になるかもしれない。
それは名案かもしれないと思った隼人が起き上がろうと身体を動かすと、結依が待ったを掛けた。
「はいはい、分かったから。あたし達が一緒に入ってあげるから、止めなさい」
あたし、ではなく、あたし達と防壁を張るのが、結依の策略である。
だが菜月を交えた混浴は一向に構わないので、そこは素直に見逃す隼人である。
「大体、なんで、そんなにアピールするの」
結依は杏奈の立場でも、そこまでのアピールはしない。
杏奈を質す結依に対して、隼人は杏奈の側に付いた。
「一目惚れとか」
「すごい、大正解」
隼人の言葉に、杏奈は目を見開いて驚きを示し、同意してみせた。
ぬけぬけと言い放つ杏奈に対して、結依は眉を吊り上げる。
「無いから」
結依は、キラキラの芸能人ではない隼人を見て、バッサリと切って捨てた。
なんとも失敬な話である。
隼人のヒグマパワーを以てすれば、フィギュアスケートで4回転アクセルすら、跳べるかもしれない。
フィギュアスケートは慣れていないので、着地で盛大にコケそうだが。
加勢に来た隼人が一撃で撃退された後、杏奈は口を開いた。
「左手を怪我した姿を見て、父に負担を掛けすぎだと思いまして」
杏奈の言葉に、部屋の一同が「あー」と納得した。
桜井の左腕の負傷は、全員が熟知するところだ。
「でも、負担が隼人に代わるだけじゃない?」
結依は、首を傾げつつ指摘する。
それに対して杏奈は、微笑みながら隼人に尋ねた。
「旦那様と奥さんだったら、良いかなって。実は、余裕なんですよね?」
そのように判断するには、充分な情報が揃っている。
新秩序連合の5人を、素手で瞬く間に撃退。
桜井をホテルに連れ帰った後、最初の探索で新車と大量の缶詰を獲得。
翌日には大量の米を持ち帰って、部屋をグレードアップ。
その次の日には、500体近いゾンビを弓矢で殲滅した後、ホームセンターからポータブル電源やソーラーパネルなどを持ち帰った。
日を跨ぎ、ゾンビが残るショッピングモールから、山のような物資を持ち帰る。
「まあ、超余裕かもしれない」
余裕は、事実である。
なおゾンビの発生は隼人のせいではなく、余裕が悪いとも思っていない。
何ら責任が無い一市民として、これからも余裕に生きていく所存である。
「旦那様だったら、良いですよ?」
そう言った杏奈は、隼人に手を重ねた。
隼人は女性の柔らかい手の感触に浸りつつ、「夫婦はどこまで許されるのだろう」と、想像を巡らせた。
だが未婚者の隼人には、あまりに難解過ぎて、答えが出てこない。
あくまで仮定の話だが、新婚夫婦100組に「結束バンドの是非」を問うたら、はたして何割くらいが是と答えるだろうか。
民主主義国家においては、多数派が正義である。
多数であれば、一般的で、きっと許されるだろう。
動揺しながら視線を彷徨わせていると、結依と目が合った。
隼人が「どう思う?」と視線で尋ねたところ、結依は瞳で「有罪」と返した。
























