48話 ゾンビVS特務大尉
目が覚めたら、ホテルがゾンビに囲まれていた。
隼人の現状を端的に表すなら、そのようになる。
「夕暮れ頃に数十体が来たようだが、日が暮れてからも新手が続々と押し寄せて、最終的には数百体になったそうだ」
テラスから外を見下ろした隼人は、背後の結依と菜月に状況を説明した。
情報源は、ホテルの2階にある宴会場に居た人々である。
宴会場には、こんなに居たのかと驚くほどの人数が集まっていた。
「展望風呂で戯れていたから、ちっとも気付かなかったなぁ」
「聴力、良いんじゃなかった?」
「普段から雑音なんて聞いていられない。意識しなければ、普通の聴力だ」
ゾンビの警戒なんてしていないと宣った隼人に、結依は呆れた表情を浮かべた。だが隼人は、平然と開き直っている。
隼人達は、ホテル10階の引き戸とテラスを二重に閉めたフローリングに居た。あるいは、引き戸を閉めた屋内の展望風呂に入っていた。
二重窓は、外部からの騒音を40デシベルも軽減できるといわれる。
普通の聴力だった場合、30メートルも下の屋外にいるゾンビ達の呻き声など、聞こえるはずが無いし、聞きたくもない。
朝起きて、引き戸を開けたところで、ようやく異変に気が付いた次第だ。
「それでホテルの人達は、何て言っていました?」
テラスの下に広がる困った状況を眺めながら、菜月が尋ねた。
問われた隼人は、2階の宴会場に集まっていた人々の話を思い起こす。
「大発生の原因は、未払いで追い出された連中だそうだ。ショッピングモールの方向から、ゾンビを連れてきたらしい」
「ゾンビ、わざと連れてきたんですか?」
「そうらしい。追い出された男達4人のうち2人が、自転車のベルを鳴らしながらゾンビを引っ張ってきて、ホテルの周りを一周したそうだ」
話を聞いた結依と菜月は、呆れと軽蔑が混ざったような表情を浮かべた。
ホテルの宿泊代を払わなければ、追放されるのは当然だ。
それを理由に怒るのは、単なる逆恨みでしかない。
「その阿呆共は、ホテルを一周したところで連れてきたゾンビに襲われたそうだ。ついでに言えば、仲間の2人もゾンビに混ざっているらしい」
「犯人が居なくなったことは、良かったのかな」
「そうだな。少なくとも、追加のゾンビは来ない」
結依の総括に、隼人は賛同した。
「それと、ホテル自体も安全らしい」
「そうなの?」
「素手や鈍器では、鉄筋コンクリートの外壁を壊せないからな」
ゾンビは、元が人間の身体だ。
外壁を素手で殴っても、腕のほうが折れる。
裏手の搬入口も、荷下ろし用のコンクリートの段差が、車の突入を防いでいる。極めて優秀な成り立てゾンビが車を使えたとしても、やはり突破は不可能だ。
そして徒歩で上がれるスロープの先には、スチール製のドアがある。
スチール製のドアだけを突破できても、厚さ5センチメートルほどのステンレス鋼の扉を破壊しなければ、ホテルの内部には入れない。
ホテルに立て篭もっていれば安全で、兵糧攻めに困るくらいが関の山だ。
「昨日の時点で、1001号室は1ヵ月分、714号室は半年分を支払い済みだ。半年ほどは、そのまま引き籠もれなくもない」
「いつの間に払ったの?」
「カントリーエレベーターから戻ってきた時だな」
追放された男達を見た隼人は、車と往復する振りをして米を運んだ。
そして30キログラム用米袋2つで、1001号室を半月延長し、714号室も5ヵ月延長した。
「問題は、1001号室を1ヵ月分しか確保していないことだな。この状況では、外に出て追加の米を持って来たと見せかけることは、出来ないな」
ホテルの出入口を通る際は、ホテル従業員の西山達に監視されている。
大きな袋を抱えて出入りはしたが、空間収納が無ければ、持ち込めて1袋分。
ホテルに立て篭もりながら追加の米を出すのは不自然で、このままだと1ヵ月後には、1001号室から退去しなければならなくなる。
隼人は、ガラス張りのシャワールームを眺めた後、重々しく呟いた。
「714号室に戻るのは、無理だな」
結依の小さな手が、ベシッと隼人を叩いた。
「この人、馬鹿じゃないかな」
指摘を受けた隼人は、馬鹿とは何だったのかを思い起こした。
秦の丞相が、第二代皇帝に鹿を献上しながら「珍しい馬でございます」と言い、周りの臣下が自分と皇帝のどちらに付くかを試したと、隼人は記憶する。
そして正直に鹿だと言った者達は、全員が後日に処刑された。
皇帝は「馬鹿にされた」と言われ、「正直者は馬鹿を見る」の言葉にもなった。
そのような状況で正直に答えることは、「馬鹿正直」とされた。
「確か馬鹿って、嘘吐きが馬で、正直者が鹿だよな」
圧力に屈するのか、それとも自分を貫くのか。
はたして隼人は、自分が鹿で良い気がした。
そして空間収納から、右手用の手袋を取り出す。
「ここに弓掛という、鹿の革手袋がある」
隼人が取り出した弓掛とは、弓の弦を引く際に使用する手袋だ。
過去の転移者が伝えたのか、隼人の部隊は和弓を使っていた。
弓掛を嵌めた隼人は、次いで和弓を取り出した。
和弓は、戦国時代に有効射程が400メートルと謳われた弓胎弓だ。
日本の弓道には、尋矢という言葉があって、4町(436メートル)を超えると優れた射手とされた。
鹿の革手袋を嵌めて矢を携えた隼人は、自分に正直であることを選択した。
「俺は鹿で良い。風呂付き客室のために、成敗してくれる」
「……わぁ。この人、馬鹿だぁ」
「俺は自分に正直な鹿だ。馬とは一緒にしないでくれ」
「全部引っくるめて、馬鹿って言うんじゃないかな」
呆れる結依を尻目に、隼人は手すり壁の壁際に立ち、真下を見下ろした。
そして空間収納から矢を取り出して、右手に持つ。
矢の鏃は、射通す用途の尖矢に分類される柳葉で、金属部分はダマスカス鋼。
ダマスカス鋼は、柔軟性と靭性に優れ、使用した矢の8割が再利用が可能。
その矢を番えた隼人は、ゾンビの一体を狙い、弓の弦を強く引き絞った。
腕が作る力の円弧が、狙いを定めたゾンビの頭部に正確に向けられる。
ヒグマ並の剛力で引かれた弓、弦、矢は、まったくぶれない。
刹那、空気を切り裂く音が、シュバァンッと唸った。
射られた矢が一直線に駆け下りて、天上からゾンビの頭部に深々と突き刺さる。
頭蓋骨を貫かれたゾンビは、そのまま倒れ込んでいった。
唖然とした結依と菜月が、倒れたゾンビと隼人を交互に見た。
「俺の矢は、500メートルくらいは飛ぶ」
10階のテラスから地上の標的までは、30メートル程度に過ぎない。隼人にとっては、ほぼ外さない距離だ。
しかもゾンビ達の大半は、直上からの攻撃を理解できておらず、ホテルの周囲に群がったままだった。
だが極一部だけは、同族の頭部に突き立てられた矢を見て、顔を天に向けた。
「まずは、お前らだ」
天を仰いだ賢い集団の一体の額に、ダマスカス鋼の鈍い輝きが叩き付けられた。
すると前頭骨を割られたゾンビの一体が、仰向けに倒れていく。
「5秒あれば、1本射れる」
空気を切り裂く呻り声が、ホテルの正面に響き始めた。
シュバァンッ……シュバァンッ……と、規則的な呻り声が上がっていく。
その度に地上では、ダマスカス鋼が骨を割る音が、ズガアンッと響いた。
矢を突き立てられたゾンビ達は、次々と膝を折り、崩れ落ちていく。
頭部への命中率は、8割ほど。
隼人は疲れを見せず、命中精度は次第に上がり始めた。
「どうなってるの」
「凄いです」
結依の呆れと菜月の関心を背に受けながら、隼人は矢を出して番える。
そして槍を投げ付けるが如き威力で飛ばし、ゾンビの頭部を叩き割っていった。
「俺が1001号室に宿泊した後に来たのが、お前達の敗因だ」
隼人は、どれほど大量のゾンビが来ようとも、あらゆる手段を用いて徹底的に戦うという気概を見せていた。
傍に居る結依は、呆れの表情を浮かべている。
ゾンビを倒すのが可哀想とは思わないし、倒す行為を否定したりもしないが、くだらない動機のために必死になりすぎではないかと、言外に告げている。
その点について隼人は、個人あるいは男女の考えの違いだと捉えた。隼人にとっては、現状における相当な重要事項である。
攻撃を受け続けたゾンビ達は隼人を認識し、隼人を掴もうと手を伸ばして、呻き声を上げている。
だが隼人は、垂直に建ったホテルの10階に居て、どう足掻いても届かない。
そして9階までの窓は、身を乗り出したりは出来ない仕様だ。
一方的に攻撃を行えて、味方への誤射の恐れも無い状況だ。
「従軍していたときに比べて、温すぎるな」
隼人の手が、機械のように矢を番え、弦を引いて、射続ける。
5分で50体、10分で100体、それを黙々と続けていく。やがて倒れたゾンビの数が、歩いているゾンビの数を上回った。
すると隼人は角度を変えて、周囲のゾンビへの攻撃も始めた。
20分、30分。
隼人は攻撃を止めず、相手が反撃不可能な状況で一方的に狩り続ける。
攻撃開始から1時間を過ぎて、ホテルを囲んでいたゾンビは掃討された。
「矢は4000本ほどしか無い。再利用するために、射た矢を回収してくる」
「再利用って、射たのを使えるの?」
「ダマスカス鋼は、日本刀とかの玉鋼と真逆で、8割くらいを再利用できるぞ」
隼人は素早くホテルを出て、矢の回収を行った。
即座に動いたのは、宿泊客に話し掛けられて足止めされたり、高性能な矢を他人に回収されたりしないためである。
隼人が弓を携えながら、険しい表情でゾンビが倒れている場所を歩くと、流石に宿泊客も邪魔をして来なかった。
おかげで隼人は矢を回収できて、シャワールームも堅守できたのであった。
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