45話 お米パワー
「熊倉様、そちらの袋は?」
隼人がホテルに戻ると、出入口で従業員の老人・西山に呼び止められた。
30キログラム用米袋を担いでいるのだから、関心を向けられても無理はない。なにしろ現在の日本は、全国的に食糧難。
ゾンビがはびこる世界で、生産者が安全に生産できず、農耕の機械も動かせず、手で植えても輸送が出来ない。
備蓄米も底を尽き、米2キログラムで、ホテルに1ヵ月も素泊まりできる。
市内で米袋を担いで歩いていれば、新秩序連合ならずとも襲ってきそうだ。
もっとも隼人は、返り討ちにするが。
「ご覧の通り、米です。車があって、遠征できますので」
遠征できるとは言ったが、実際に遠征したとは言っていない。
米の入手先は、中貫市内のカントリーエレベーターだ。どこで手に入れたなど、わざわざ言う必要は無いだろう。
車で運んだと聞いた西山は、納得したのか、笑みを浮かべて大きく頷いた。
「駐車場に見慣れない車があったそうですが、熊倉様のものだったのですね」
「ええ、沢山運べて便利です」
最初にホテルへ来たときは、車をホテルの駐車場に停めた。
その車を誰かに見られて、西山の耳にも入ったらしい。
なお当該車輌は市内の民家に置き捨てており、現在の車は、ホテルに来る途中で空間収納に入れた。
――絶対に漁られるだろうからなぁ。
誰もが民家を漁るのだから、車も漁らないわけがない。
車を収納した隼人は、途中から自転車に乗ってホテルに戻っている。
「お車を使えるのでしたら、沢山集められそうですね」
「そうですね。私が宿泊代を払えない状態には、ならないでしょう」
西山の探りに対して、隼人は宿泊代を払い続けられると説明をした。
ホテルに対して、「自分は安定して食料を払える上客だ」と伝えることで、結依や菜月の立場を守ろうと図ったわけだ。
安定して運んでいるのだから、そのまま安定して運ばせれば良い。
桜井など客同士の繋がりがあるのだから、余計なリスクを負う必要は無い。
「ところで熊倉様、当ホテルには、いくつかオプションがございます」
はたして西山の反応は、隼人の期待値を満たして、いくらか上回った。
「オプション?」
「例えば、女性のご宿泊者様には、食料を引き替えに、男性のご宿泊者様に色々とサービスしてくれる方もおられます。ご希望がございましたら、ご紹介できます」
「なるほど」
それは温泉宿でサービスしてくれる湯女のことで、日本には長らく存在した。
当初は垢すりや髪すきをするだけだったが、飲食や音曲が加わり、やがて異なるサービスも追加された。
民間の商売は、色々と試行錯誤するのだ。
ちょっとやり過ぎた結果、江戸幕府が、「けしからんから、吉原遊廓でやれ!」と怒ったそうである。
隼人は日本史を思い浮かべながら、ポーカーフェイスを保った。
「お若い人には、あまり馴染みが無いかもしれませんね」
「日本の文化に、興味が無いわけではありませんが、私には連れが居ますから」
コッソリと文化的追求をした場合、バレる確率は如何ほどか。
隼人の予想では、概ね100パーセント辺りとなる。
結依からの好感度が、ズズズと地の底に沈んでいくのは必至であろう。
「熊倉様は、女性のお連れ様がおられましたね。恋人でしょうか」
「ええ、まあそんな感じです」
多分、恋人のようなものである。
ところで恋人とは、はたして何であっただろうか。
隼人が哲学について深く考えていると、西山が別の提案をした。
「恋人でしたら、10階にある混浴の客室露天風呂などいかがでしょうか」
隼人の眉が、ピクッと僅かに動いた。
口は閉ざしたまま、真剣な眼差しを西山に向ける。
すると西山は、笑みを浮かべながら話を続けた。
「当ホテルには大浴場のほかに、温泉付き客室もございます。お部屋は広くて、ゆったりとしており、混浴でごゆっくりとお楽しみいただけます」
お楽しみいただけますという言葉が、隼人の脳内をリフレインする。
魅惑的な言葉に操られた隼人の右手が自然と上がり、親指がグッと立った。
それを見た西山は、深い笑みを浮かべる。
「料金は通常のお部屋の10倍でございまして、お一人様1ヵ月20キログラム。3名様で60キログラム。30キログラムでしたら、半月ご滞在いただけます」
隼人は、担いでいた30キログラムの米袋を静かにカウンターに乗せた。
そして宣言する。
「30キログラムの米袋です。足りなければ、追加で持ってきます」
「東谷君、量ってね」
西山の背後で控えていた東谷が、声を掛けられてススッと近付いてきた。
東谷は少し重そうに米袋を抱えると、それを量りに乗せる。
目盛りが振れて、31.2キログラムと表示された。
素人の隼人が、少し多目に詰めたらしい。
計測を終えた東谷が米袋の口を開けると、精米したてで、温かさの残る生米が、非常に良い香りを放った。
青々しく、軽やかな香りを漂わせる米に、東谷がゴクリと生唾を飲み込む。
そして穀物サンプラーを差し込むと、表面が艶やかで、光沢があり、真っ白で清潔感のある米が、サラサラとこぼれ落ちてきた。
「モミからの精米直後ですね。モミ自体も、しっかりと管理されていたようです」
「農業高校と取引していますので」
それっぽいことを言ったところ、西山がカウンターの下から鍵を取り出した。
鍵には、1001号室と刻印されていた。
「こちらのお部屋でございます。どうぞ、ごゆっくりとお楽しみ下さい」
西山は、「いえいえ、お代官様ほどでは」と応じる越後屋の表情を浮かべていた。
隼人には「お主も悪よのぅ」と言った覚えは無いが、鍵はしっかり受け取った。
「714号室のほうは、如何なされますか」
「桜井さんとのやり取りもありますから、可能でしたらキープできますか。代金は払っていますし、延長で必要なら追加で払います」
「かしこまりました。現在は、満室ではございませんので、承ります」
「ありがとうございます」
お米パワー、炸裂である。
サイロ1基には300トンのモミがあり、30万キログラム、1万袋になる。
モミを精米すると7割になると菜月は言ったが、それでも7000袋。
アクリル板は3階部分を割ったが、3階より上だけでも150トン。
サイロは複数あったので、足りなければ隣のサイロからも回収できる。
そのような状況であり、隼人も先日までの感覚を麻痺させていた。
後で追加の米を持ってきて、宿泊期間を延長しようと隼人が思っていたところ、廊下の奥から慌ただしい声が聞こえてきた。
「なあ、本当に追い出されるのかよ!」
通路に現れたのは、憔悴した4人の若者達だった。
――最初にホテルへ来たとき、車をジロジロと見ていた連中かな。
隼人が車を空間収納に入れたのは、彼らを見て、漁られそうだと思ったからだ。
彼らは隼人よりも若そうで、高校生くらいに見えた。
服装は埃っぽく、頬は痩せこけ、全体的に荒れた印象を受ける。
その後ろからはホテルの従業員達と、6人の武装した宿泊客が続いていた。
「待ってくれ。探してくるから!」
「それなら探してきてから泊まれば良い。ホテルの水は、浄化して提供している。我々も、持ち出しがゼロではない。対価を払えないなら、出ていってもらう」
どうやら宿泊料金を払えない者達が、追い出される最中のようだ。
「熊倉様、少しこちらへ」
隼人は西山に促されて、通路の隣の事務室の中へ入った。
そして事務室の窓越しに、なおも揉め続ける様子を観察する。
「俺達も、未払いの奴を追い立てる手伝いをするから」
「いや、もう間に合っている」
ホテルの従業員が告げると、武装した6人のうち何人かが鈍器を持ち上げた。
隼人は興味深げに、それらを眺めた。
彼らに対する同情などは、特にない。
――ゾンビが蔓延る前でも、宿代を払えない客は追い出された。
賃貸アパートやマンションも未払いなら追い出すし、電気ガス水道も止めるし、無銭飲食なら警察に突き出した。
現在は大変な状況だが、国民を保護する責任は国家にあって、民間のホテルが代行するものではない。
中貫天然温泉ホテルに全国民の保護責任を負わせる場合、全公務員はホテルに従い、国有財産はホテルが管理することになる。
どう考えても成立しない話なので、やはりホテルには国民保護の責任など無い。
ホテル側が未払いの人間を追い出すのは、きちんと支払いをする新規の客の部屋を確保するための行為だ。
それに未払いを泊めていると、正当に対価を支払う客との間に不公平が生じて、真面目に払ってもらえなくなる。
ホテル側は、自分達の食料を得るために、追い出すことが必要だ。
それは生存権の行使や自助であって、咎められる筋合いは無い。
――ちゃんと払うか、自宅に戻るかだな。
もっとも自宅に戻れば、ゾンビが入ってくるかもしれない。
そもそも安全に辿り着けるとも限らない。
そんな事を考えていた隼人は、不意に思い付いた。
「もしかして、男性宿泊者にサービスする女性宿泊者には、家族とか仲間の男性が帰って来なかった人が居たりしますかね」
隼人が思い浮かべたのは、左肘を折った桜井だった。
桜井が新秩序連合やゾンビ相手に負傷して、食料を得るために無理をして帰って来なかった場合、娘の杏奈は一人で取り残される。
ホテルは、水と安全が保証された場所だ。
そこから出ると、水と安全が無くなってしまう。
怖い、自分には無理だと思った者の中には、逃げ回る以外の選択をした人間も居たのかもしれない。
「わたくしの口からは申し上げられませんが、その方と大変親しくなられた上で、お聞きになられるのでしたら、教えてくれるかもしれません」
「つまらないことを口にしました。身内が心配になりまして。後ほど、宿泊料金の延長分を持ってきます」
「左様でございましたか」
ホテルに100年分ほど宿泊費を納めておくのは、有りだろうか。
そんなことを思いながら、追い出される4人を見送る。
やはり隼人は、彼らには同情が出来なかった。
彼らよりも年少で、つらい思いをする人間を、いくらでも想像したためだ。
彼らは騒いでいたが、背中を押されて、ホテルの外に追い出されていった。