43話 カントリーエレベーター
新たに手に入れた車のエンジン音が、静かに響く。
以前の車よりも静かに感じられるのは、保管状態が良かったことへの高評価からかもしれない。
「ええと、中貫カントリーエレベーターっと」
隼人がカーナビに入力すると、地図上に目的地が表示された。
案内開始を押すと誘導が始まり、車は滑らかに発進した。
初めての土地でも、カーナビがあれば好きなところに行ける。
車の地図データはオフラインでも使用可能で、人工衛星が稼働していれば、車のGPSが衛星からの信号を受信して位置を出してくれる。
なお人工衛星は、軌道上で太陽光を電気エネルギーに変換して稼働している。
ちなみに1機ではなく、複数機で運用しているらしい。
「頑張れ政府、税金分!」
隼人が口にしたのは、子供の頃に聞いた「頑張れ日本」の政府バージョンだ。
もちろん隼人も、自分自身で頑張る所存だ。政府からは「自助、共助、公助」と教わったので、まずは自助である。
政府に温かいエールを送った隼人は、目的地に向かって車を走らせた。
中貫市内は、窓ガラスの割れた店舗や民家ばかりが目立っていた。
市民が食料と物資を求め、それに加えて新秩序連合は女性を求め、ゾンビは人を探して荒らし回る。
ジャンケンなら三竦みだが、三者の戦いはゾンビが圧倒的に優勢である。
なにしろ失うものはなくて、噛めば勝ちだ。隠れ潜んで不意打ちしても良くて、成り立てには武器や知能を使えて、走る個体も居る。
難易度がイージー、ノーマル、ハード、ベリーハード、ナイトメアである場合、現状の地球はどれにあたるだろうか。
一般人であれば、物資を掻き集める大変さから、ナイトメア。
新秩序連合であれば、一般人から奪うとして、ベリーハード。
隼人の立場で、ようやくノーマルからハードの間だろう。ノーマルでないのは、銃を撃てる成り立てゾンビも居るからだ。
――種子島は、イージー。
時折、道路脇に放置された車が目に入る。
食糧難の都市部から、田んぼがある田舎に逃げてきたのかもしれない。
交差点を曲がる際、隼人は視界の端に動く影を捉えた。
助手席側に目を向けると、ゾンビが数体、道端から歩み寄ってくる。
ゾンビ達は隼人を掴みたいのか、手を伸ばして、指先を動かした。
「すみません、チェンジで」
チェンジしても、相手は多分ゾンビである。
隼人はアクセルを踏み込んで、白昼堂々の客引きから逃げ出した。
バックミラーにはゾンビが追ってくる姿が見えたが、車の速度に引き離されて、やがて小さくなり消えていった。
車を進めるうちに、住宅街の中を抜けるルートに入った。
次第に田園風景が広がり始める。
客引きは人が多い地帯に集中しているのか、この辺には殆ど居ない。
やがて、目的地のカントリーエレベーターが近付いてくる。
今回の目的は、ゾンビとの追いかけっこではなく、米の入手である。
「最終目的地は、大雑把には長野県、山梨県、静岡県、三重県辺りだけど……」
隼人は、自分が定住するなら、暑くも寒くもない地域が良いと思っている。
その辺りで、飲める湧き水がある場所に拠点を作り、農作物を植えて食糧供給を安定させて、スローライフを試みる。
移動手段の車、結依と菜月の自衛手段である銃、農作物の種は手に入れた。
あとは物資を補給し、果実の苗木などを手に入れながら、移動するだけだ。
そして補給品目には、米が欲しい。
「日本人といえば、お米だからなぁ」
米を食べられるのであれば、やはり食べたい。
なぜなら隼人は、幼い頃から米を食べて育った日本人である。
そして米は、カントリーエレベーターにある可能性が非常に高い。
情報源は、農高生だった菜月だ。
『カントリーは、お盆明けくらいからモミの出荷を受け入れます。その時点では、価格が出ていませんが、乾燥機が無い農家は出荷するしかないです』
『どうしてだ』
『モミを急速に乾燥させると、表面の乾燥が急速に進んで、中心部との水分格差で胴割れが起きます。胴割れすると商品価値が下がってクレームが入りますから、乾燥機を使わないと駄目なんです』
『へぇ』
『乾燥する温度は、45度から50度くらいです』
『それは自然環境だと、無理だな』
つまりモミの乾燥機を持たない農家の米は、収穫した秋以降にはカントリーエレベーターに集まるわけだ。
『米の検査料は、民間なら1俵100円ほどで持ってくれますが、農協は650円を取り、保管料や運賃を合わせて2000円ほど請求します。1俵1万円で出荷するなら、2割取られます』
『……うん?』
『機械代、肥料代、燃料代もかかりますから、農家は常に赤字です』
江戸時代の農民が、収穫後の米を悪代官に巻き上げられる苦労を訴えるような、そんな話を菜月はしていた。
農民から掻き集めた米を収めた米倉が、カントリーエレベーターらしい。
それならお代官様が、山のように米を蓄えているかもしれないと期待しながら、隼人は車を走らせた。
それからしばらくすると、田んぼの中心地に、巨大な建造物が見えてきた。
施設は、モミの荷受けホッパー、粗選機、乾燥機、サイロなどが連なっている。
その中でも一際目立つのは、最大の大きさであるサイロだ。高さは、五階建てのビル以上にありそうで、複数のタンクが並んでいた。
「なかなかの大きさだ」
1基だけで、かつて部隊で倒したドラゴンに匹敵する大きさだ。
そのサイロには、お米の『ゆるキャラ』が描かれている。
笑顔でお椀と箸を持つ米の姿に、隼人は微妙な違和感を覚えた。
――自分を食うのに笑顔なのか?
まるでアンパン的な宇宙人だが、ゆるキャラは顔ではなく、全身で一粒の米だ。顔だけを交換することは出来そうにない。
倒されたら、次の米が現れるのだろうか。
そのように下らないことを考えながら駐車場まで進んだ隼人は、そこで車を停車させて、収納空間に車を入れた。
もう壊されるのは、流石に懲り懲りである。
「さてと、シャッターは見事に壊されているな」
駐車場の先にある倉庫、カントリーエレベーターの出荷室と思わしき倉庫のシャッターは、見事に破壊されていた。
大型トラックをバックさせるか、ショベルカーのショベルをぶつけるなどして、シャッターを強引に突き破ったように見えた。
壊れたシャッターから中に入ると、学校の体育館よりも広そうな空間があって、中は綺麗に空だった。
次々とランプを出して、足元に置きながら、施設内部を照らしていく。
天井からは、巨大な配管が伸びていた。
その配管口に米袋をセットして、籾摺り後に流れてきた玄米を流し込む仕組みになっているようだ。
壁際には、出荷用の30キログラム用米袋が、千枚単位で山積みになっている。ほかには端数用の10キログラム用米袋、5キログラム用米袋も数十枚あった。
その傍らには、米袋を運ぶフォークリフトも置かれている。
床には、持ち出す際に溢れたと思わしき玄米が散乱しており、この場が出荷倉庫であったことは確信できた。
だが倉庫内に積み上げられていたであろう玄米は、根こそぎ回収されていた。
また配管も複雑に入り組んでおり、どこが玄米タンクなのかは分からない。
少なくとも、配管口を壊せば玄米が降ってくるようには、思えなかった。
「出荷倉庫にある玄米が回収されているのは、まあ想定内だな」
一般人には馴染みがない場所だが、農家は米の在処を知っている。
まだ動かせたトラックや重機でシャッターに突っ込み、玄米を回収して自分達や周囲に分配することは、充分に有り得る話だ。
なにしろ元々は、自分達の米である。
それらや国の備蓄米、備蓄食料で、文明崩壊から1年は保ったと思われた。
――1年分なら、生産した米で足りるからな。
新米を得られなくなった昨年の秋以降は、在庫を減らすのみである。
これからは、本格的な食糧不足で大変なことになるだろう。
ただし種子島は、どうやら安全らしいと確信できたが。
隼人はカントリーエレベーター内を歩き回り始めた。
施設内に伸びる配管は、あまりにも多かった。
どうしてそれほど長く複雑にするのか、理屈がまったく分からない。
「建設業者が儲けるため、とかではないよなぁ」
足元は側溝などに設置する格子状の蓋のように、ゴミを残さない仕様だ。
そんな足場の上をカンカンと、軽い足取りで進んで行く。
施設内は完全密閉型ではなく、窓があって、微妙に採光されている。
その明かりとランプを頼りに、大型の機械や配管が並び立つ空間を抜ける。
時折はスイッチを押してみるが、もちろん動かない。
不意に、何千万円するか分からない籾摺り機の一部が目に留まった。
機械は透明なアクリル板で囲われており、足元には割れた板が散らばっていた。機械の内部に目を向けると、隙間にモミが溜まっているのが見えた。
「ここまでは、回収されているわけか」
隼人は爪先を伸ばして、機械の中を覗き込んだ。
モミは機械の隙間に入り込んでおり、指を伸ばしても取れそうにない。
セロハンテープを突っ込めば、数粒は回収できるだろうか。
ここまで徹底して回収している様子から、中貫市の食糧事情の深刻さが窺えた。
籾摺り機の上には配管が繋がっており、真上から落ちるのではなく、横から流されているようだった。
どこかが故障しても、そこから大量のモミが流れ落ちてこないようになっている。したがって配管を壊しても、あまりモミを得られそうにない。
安心安全の設計である。
――丁寧な仕事ぶりだわ。
隼人は肩を落として、さらに先へと進んだ。
階段を上がり、よく分からない機械類の間を抜けて、広すぎる施設に憤る。
出荷倉庫から逆に入ったが、籾摺り機、粒選別機、石抜き機、色彩選別機などは通り抜けてしまったのだろう。
ついに隼人は、モミを貯めるサイロに到着した。
――ヒグマパワーでも、鉄製の巨大タンクは壊せないなぁ。
隼人は恨めしそうに、サイロを眺め回した。
すると3階の上部に、アルファベットと数字でD3などと番号が振られていた。番号の下には、モミの管理状態を目視するためか、アクリル板の覗き窓もある。
隼人がアクリル板を覗き込んだところ、ギッシリとモミが詰まっていた。