04話 痍の左腕
自宅から出た隼人は、相変わらず人気の無い市内を歩き始めた。
人間の姿が見当たらないのは当然として、ゾンビが居ないのは何故なのか。
学校の校舎やスーパーには居たので、暗がりが好きなのかもしれない。屋内に入ったらバッタリ出くわすのは、まさにホラーである。
「とりあえず、自転車でも確保するか?」
異世界に召喚された時、隼人は高校に居た。
自分の自転車は高校に置いていたが、流石に3年間も置きっ放しで片付けられたのか、見当たらなかった。
どこで手に入れようかと悩みながら歩いて行くと、やがて異音が耳に入った。
ゾンビの呻き声と、何かを叩く音が重なって聞こえる。
――アウトドア派も居たか。
ゾンビにも個性があるらしい。
そんな風に思いながら、雨にも負けず、風にも負けないゾンビのほうへ目を向けると、民家の玄関に3体ほどが群がっている姿が見えた。
――何をやっているんだ?
眉を潜めた隼人は、ゾンビが群れる先に、生存者が居る可能性に思い至った。
ゾンビが玄関のドアを叩くのは、訪問販売をしたいからではなく、ゾンビウイルスが感染を広げるためだ。
ゾンビは人間に噛み付いてウイルスを感染させ、死亡させた後に身体を操り、新たな人間に噛み付かせる。
ゾンビウイルスの訪問販売と考えれば一緒かもしれないが、押し売りである。
なお植物が光合成を行うように、ゾンビが活動するエネルギーには魔素を取り込んでおり、餓死してくれない。
――元々、死んでいるんだけどな。
ゾンビは玄関を激しく叩いており、まるで借金取りのようだ。
生存者が家に籠もっている可能性を考えた隼人は、ゾンビの排除を決めた。
さしあたって欲しいのは、情報である。
空間収納から槍を取り出した隼人は、無造作に掴みながら一気に駆けた。
ヒグマ並の高速で駆け抜けると、槍の先端を一体目のゾンビに突き出した。槍の先端がゾンビの頭を貫き、ゾンビは一撃で倒れる。
――こういうのって、役不足って言うんだっけ。
だからといって、魔族に出てきてほしいわけではない。
そんな風に自分に言い訳をしながら、隼人は立て続けに槍を振った。
槍は軌跡を描きながら、二体目のゾンビの喉元を貫いていく。
二体目の身体を蹴り飛ばした隼人は、三体目に槍を向けた。
「お前で最後だ」
最後のゾンビは、先程までの二体に比べると、少しだけ動きが早い。
人間の身体で動いているゾンビは、成り立てのほうが能力は高い。
三体目は、まだ若干の知能が残っているらしかった。
「ほかの2体を盾にするとか、ズルいだろ」
振われた槍が突き刺さり、最後のゾンビも呆気なく倒れていく。
それを見届けた後、槍をヒュンと振るって槍先の汚れを飛ばした隼人は、家のドアに手を掛けた。
だが鍵がかかっており、開く気配は無い。
壊すことも考えたが、相手から情報が欲しいのにドアを壊すのは悪手だ。
報復として、楽園だと嘘を吐かれて、ゾンビパラダイスを紹介されかねない。
隼人は玄関から離れて、二階の窓を眺めた。
すると二階の窓際には、少女の姿が見えた。
――ゾンビでは無さそうだな。
隼人は窓際の少女が、自分とゾンビとの戦闘を見ていたのだと理解した。
しかしゾンビは倒れているが、少女が出てくる様子は無い。
その理由は、明白だ。
ゾンビ3体に玄関を叩かれていたところに、ヒグマが現れて倒してくれたとして、ヒグマに感謝して家の中に招き入れるだろうか。
隼人が一般人であれば、「山に帰れーっ!」と強い念を送る。
――大声で呼び掛けるのは、ゾンビを引き寄せるか。
どうしたものかと悩んだ隼人は、屋根に跳び乗ることを思い付いた。
隼人の筋力や瞬発力は、ヒグマ並だ。
そして身体の構造は、ヒグマよりもジャンプに向いている。
「よし、やるか」
ここ3年ほど異世界暮らしだったヒグマは、山に帰ったりはしなかった。玄関から外に向かうと見せかけて、そこから逆走して、助走をつけて跳躍した。
隼人の身体が、高らかに宙へと跳び上がる。
そして右足が、1階の屋根を踏みしめた。
屋根に乗った隼人は、屋根伝いに二階の窓に近づくと、軽くノックをする。
窓際の少女は、驚いた表情で目を丸くし、隼人を見つめ返してきた。
少女の服装は、市内にある中学校の制服だ。
居るのは少女自身の部屋らしく、学習机やベッドがあり、10代の少女らしくピンク色の椅子もあった。
「すまないが、ゾンビに見つかるかもしれないから、家の中に入れてくれないか」
「……どうぞ」
少女が否応なく窓を開けたのは、隼人が「このままだとゾンビが来るぞ」と言ったからかもしれない。
もしかして脅迫になったのかと思い、警察に通報されたら困るなと思いながら、隼人は行儀良く靴を脱いで屋根に置き、靴下で少女の部屋に上がった。
少女はキャスター付きのピンクの椅子を引っ張って、隼人に差し出してくる。
そして自身は、ベッドに腰掛けた。
「お邪魔します」
「はあ、こんにちは?」
隼人が在り来たりな挨拶をすると、少女は困惑気味に挨拶を返した。
「突然お邪魔してすまない。家がゾンビに襲われていたようだったからな」
「うん、ありがとう。ちょっと煩かったから、困っていたかも」
少女は感謝を述べたが、その言葉は軽かった。
玄関を破壊されて突入されれば、噛まれてゾンビ化してしまう。
それにもかかわらず落ち着いた様子の少女に、隼人は疑念を抱いた。
すると隼人の様子を察したのか、少女は自分の左腕の袖をまくって見せた。
白い細腕にある噛み傷は、既に黒く変色している。
「もう噛まれているから、時間の問題だったんだけどね」
隼人が沈黙する中、少女が説明を続けた。
「家族と一緒に近くの中学校に避難していたけど、物資調達班の人が噛まれたことを隠していて、ゾンビ化して噛まれたの。だから、追放されちゃった」
少女の説明で、隼人は概ねの事情を察した。
その場で殺されなかったのは、避難所側の過失で感染したことや、少女の家族も居たことなどが理由だろう。
「あと何時間かな。長くても、今夜寝たら終わりだと思うけど、ありがと」
少女は熱が出ているのか、気怠そうに御礼を述べた。